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たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

四国旅(4/15-2) おはなはん 大洲

2019年06月07日 | 

続き

 

べるさん、としちゃんと別れて向かった先は大洲と言う街

「おはなはん通り」が有ると言う事で、ちょっと楽しみにしていた大洲でした

ただ私は勘違いしていておりました

ここは、おはなはんの出生地ではなくロケに使われた街並みだったのですね

何故ここがロケ地として使われたのか

おはなはんは徳島で生まれ育ったそうなのですが戦災で徳島の古い町並みの殆どを焼失してしまった為

ここがロケ地に抜擢されたのだそうです

懐かしいですねぇ、樫山文江さん演じる「はな」

木に登って将来のお婿さんを迎えたあのお茶目なシーンが今でも思い出されます

 

 

 

 

 

おはなはん通りに限らず肱川に囲まれた一帯は明治・大正・昭和の色濃い街並みで占められていました

一寸したタイムスリップ気分に酔いながら歩いている内に時が過ぎて行きます

それが伊予の小京都と言われる所以なのでしょうね

大洲神社の常夜燈

懐かしい風情の店先に置かれていた笹の葉で作った蛙たち

 

 

ここは臥龍山荘(国の重文)

大洲出身の豪商・河内寅次郎氏が明治30年ころから10年かけて建てた山荘で

敷地面積、何と3000坪と言う広さを持っているそうです

残念ながら閉館時間となってしまい中を見学する事は出来ませんでした

ここ大洲は霧の湧く街として有名で有る事は事前に調べ済みでしたが天気は上々

どうやら明日の朝 その光景を期待するのは無理な様です

近くに赤レンガ倉庫が在ると言うので地図を頼りに探しましたが、どうにも見つかりません

軒先で世間話をしていた小母ちゃんに聞いてみますと

「そうなのよ、この地図 解りずらいでしょ  住んでる私達にも解らないのだから他所から来た人は

戸惑うわよね  先日、観光課に抗議したのに一向に改善されないんだから・・・

そうそう!油屋さんの油そばが美味しいから食べて行くといいわよ」

(あぁ、勿体ない折角の大洲弁だったのに・・・・・スマホで録音しておけば良かった)

 

 この赤レンガ倉庫は大洲商業銀行として明治34年(1901)に建てられた建物で

赤レンガの建物はこの奥にも続いておりました

そして教えて下さった油屋さん

老舗旅館を改修したという趣のある建物でしたが未だ夕食の時間帯であるのに閉店の立札が・・・

どうも四国と言うところは食堂の閉店が早過ぎですね

赤レンガの近く、肱川と街並みを隔てる鉄扉(下の写真)を見ました

肱川は暴れ川とも言われているそうですので川の水が増水した時の為の物なのでしょうか

そう言えば昨年の西日本を襲った記録的豪雨で肱川が氾濫し浸水被害があったのでしたよね

今はすっかり元の姿に戻っておりました  良かったです!

 

さて夕食をどうしましょう

まちの駅の観光案内所に職員さんの姿を見かけましたので声を掛けますと

国道を10分くらい走った所にラーメン店が有る事を教えて下さいましたので早速、車を走らせます

見て下さい、このラーメン  溢れんばかりに別皿に盛られた炒めモヤシ

私は思わず食べ方を尋ねてしまいました