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遠海

母の眠る遠い海へ

胸が痛いことから考えたとりとめもないこと

2008-09-28 03:25:21 | 日記

先日、胸が痛くて医者に行ったのだが、結局何事もなかった。
レントゲン、血液検査、心電図をとってみたのだが、特に問題なしとのこと。
いったい痛みはなんだったのだろうかと思ったが、問題ないと言われたので、気が抜けた。


自分では、気管、心臓、胃が弱いと思っている。
60位まで生きられれば良いほうなのじゃないかと感じていたのだが、いざ痛くなるとやはり考えてしまう。


20代のころと違って、30代になって死に対する恐怖感はかなり少なくなったと思う。
長く長く生きるということは、ただ、考える時間が間延びしていくだけだと思うようになっている。
指輪物語のビルボが指輪の力で長く生きたことについて、薄っぺらになっていく気がすると言っていたのを思い出す。
長ければ長いほど、感じることが薄くなっていく。
自分は何のために生きているのだろうか。


とはいえ、病気だと思った時に、ふと非日常の価値観に戻れた。
仕事がメインの日常を生きていると、何が大事で何が大事ではないのかという感覚がおかしくなってくる。
仕事が大事な気がしてくるのだ。
たかだか、100万、200万くらいの差をつけるために、時間を使っている気がした。
100万、200万の差でいったい自分は何をやりたいのだろうか。
いいところに住みたいのだろうか、おいしいものを食べたいのだろうか、いろんなところに行きたいのだろうか。


昔々、学生のころか、社会人なりたてのころか、幸せについて書いたことがある。
自分が幸せと感じられれば、それは、幸せなのだなどと、偉そうなことを書いた記憶がある。
100万、200万あっても、幸せじゃないかもしれない。
逆に、借金があっても幸せかもしれない。


いやまぁ、良くある話なのだが、とても大事なポイントが含まれている。
父が人間は、快か不快かのどちらかで行動が決まっていくと言っている。
会社の中で生きているうえでは、たくさん仕事をして、認められることが快につながるかもしれない。
だが、快の赴くままに生きていて、最後に良かったなぁと思えることはないと思う。


僕のじいさん(父はあまり好きではなかったらしい)が、言った言葉で、ひとつだけ心に残っている言葉がある。
その言葉を言った時は、すでに、パーキンソン病に侵されていたじいさんは、言葉があまり聞き取れなかった。
「喜びと、楽しいは違うのだ」
じいさんは、確かにそういった。


が~っと書いていって、かなりとりとめがなくなっているが・・・
ポイントは3点。
人は、快・不快で動く。
快のままに動くことが満足にはつながらない。
快・不快を決める(幸せかどうかを決める)のは、自分自身である。


まだ、とりとめもないけれど、きっとリンクするポイントな気がする。


最近、仕事が忙しく、あわただしい毎日を過ごしていた。
ゆっくりと、日常を見直して、価値観をもう一度考え直してみようと思う。


なれあい

2008-09-09 14:44:26 | 日記

物を作って売る人。
物を買って使う人。


今は、とある大病院さんのシステムを、うちの会社が一手に引き受けている。
物を作るのも、うちの会社だし、その物を使ってサービスを提供するのもうちの会社になるのだ。
IT業界では、SIとか、SOとか呼ばれる。


現在の僕の仕事は、後者の物を買って使う人の役割に近い。
実際に物を買うのはお客さんだが、お客さんがものをきちんと使えるようにヘルプするのが、メインの仕事だ。
すごく困るのが、物を作って売る人と、それを受け入れるのが同じ会社だと、物を作る人達が、すごく甘えるのだ。
要するに、品質が低いものを無理やり受け入れさせようとする。
当然、受け入れる側としては困るので、反発するのだが、同じ会社だと波風を立てないようにというか、波風を立てると、なぜか孤立するのだ。
これが、別会社だと会社一丸となって、抵抗できるのだろうが、なれ合いというか、すごく嫌な感じだ。


父が、相手の意見も聞いて物事を・・・という話をしていたのを思い出すが、仕事に関しては、完全に割り切れる。
仕事はシンプルだ。答えが明確で分かりやすい。
譲れない部分は、逆立ちしても譲れないし、譲れる部分は、逆立ちしなくても譲れる。
正しいことと、正しくないことが、はっきりと分かるような単純な構造なのだと思う。
プライベートとは違って、価値観の相違が無い、純粋なビジネスの世界だからだと思う。
責任範囲等は、契約で決められている。
とはいえ、なんで、孤立するのかなぁ・・・


天の邪鬼

2008-08-21 20:19:45 | 日記

言っていることは正しいのだが、正しいことを言うだけでは、人は動かない。
人の心に、お前の言っている言葉は届かない。
相手の言っていることを否定するのではなく、相手の言っていることを一緒に考えてあげる姿勢が大事だ。
病床についている、父が僕に対して言った言葉だ。


自分の心に手を当てる。
思い当たることだらけだ。


でも、相手の言っていることを一緒に考える、そういう姿勢になることに抵抗がある自分がいる。
正しいことを言っていれば、言い続ければ、最初はだれもついてこないかもしれないが、いつか必ず誰かがついてくる。
そんな風に思っている自分がいる。


忠告を素直に受け入れないのも自分だ。
ただ、忠告や意見は、考え直すいい機会になる。
考え直したうえで、受け入れられる、自分を修正していける部分も出てくるのだと思う。


天の邪鬼。
自分には、そんな風な代名詞が良く似合うと思う。


とはいえ、アドバイスをもらえる自分は幸せなのだと思う。
親とは大事なものなのだ。


臨時休暇

2008-08-20 10:22:06 | 日記

妻が体調が悪いということで、会社を臨時休暇中。
本当は、ミーティングがあるので休めないのだが、腹心のKさんに任せてみることにする。
今のプロジェクトには、同じ会社の人が7人いる。
その中に、相棒が1人と、腹心の部下が1人いる。
相棒の人は、僕より4つ年上で確実に今回のミーティングをお任せできるのだが、あいにく、休暇中である。
少し心配ではあるが、もう一人のほうに任せることになった。


さて、朝から航生君を保育園に連れて行って、悠月君に食事をさせた。
久しぶりの家事手伝いである。
あとは、妻が書いたリストに沿って買い物を済ませるだけである。


今日は、なんだかのんびりしている。


今回の見舞いで考えたこと

2008-08-18 11:12:06 | 日記

今回の見舞いでは、いろいろなことを考えた。
あまりに考えすぎて、忘れてしまいそうだ。
とはいえ、全部書いていると、時間がかかるので、少しずつ忘れないうちに書き出していこうと思う。
最近、ちょうど空っぽだったので、いろいろなものを吸収しやすい精神状態になっていんだろうと思う。


Yさんと食事中に、父が一時メール中毒になったという話を聞いた。
Yさんは、おかしくてしょうがないという風にその話をしていたのだが、一時、父がメール依存症のような状態になっていたのを懐かしく思い出した。
父は一時期、1日中メールを見なければ生きていけないというような感じだった。
そして、1日中メールを書いていたような時期があった。


そのころの父は、会社をたたんで、自由気ままなはずだったのだが、母も亡くなり、話し相手がいなくなっていた。
元々友達だった人もいたのだが、父は無職、他の人は仕事を持っていたので、微妙にずれていたのだと考えている。
父は世界との接点を求めて、メールをし続けたのだと思う。
そんな父の心理状況を事細かに分析してみると、きっと僕自身の文章にボロが出てきて、顔真っ赤な状況になりかねないので、止めておくが、考える対象としては、素敵な課題だと思う。


ふと、実家の婆さんが、電話をかけずにはいられないようになっていることを思い出す。
同じ心理状態なんだろうか。
世界との接点が電話しか無い70を過ぎた婆さん。
そんな状況で死んで行きたくはないなぁ。
また、そんな状況で死んで行ってほしくはない。


Yさんの印象

2008-08-18 10:13:03 | 日記

父を見舞うため、明石に行った。
父の再婚相手のYさんと会うのは2回目となる。
旅の疲れと、睡眠不足から病室の椅子で寝ているときに、入ってきたようだ。
妹と父とYさんが会話している声で目が覚めた。


Yさんは小柄だ。
インナーのシャツが原色を使っているのは、関西っぽい雰囲気が出ているが、話方や物腰は柔らかいので好感が持てそうなものなのだが、なぜだかその時の印象は良くなかった(悪くもなかったのだが・・・)。


父の病院から車でYさんの家に移動することになった。
その日はYさんの家に泊めてもらうことになっていたのだ。
車はBMWの、スポーツタイプで、僕の知る限り高いし、我が家とは縁もゆかりもなさそうな系統の車だった。
僕は後部座席に座った。弟が運転し、Yさんは、助手席で弟と話をしている。
さすがにBMWだけあって、後部座席も、なかなか座り心地は悪くない。(僕のトヨタよりも良い)
後部座席で座って景色を眺めたり、携帯をいじったりしていると、頭がすっきりしてきた。
印象が良くなかったと感じたのではなく、距離を感じたんだなぁと気がついた。
Yさんと父の距離と、父と僕の距離、Yさんと僕の距離、微妙な距離感野違いがそういった印象に結びついたんだなぁと思ったりした。
当然ながら、正三角形の距離感ではない^^


とか考えながら、Yさんと弟の会話を聞いていた。
父がガンということもあって、こういう車の中は、暗い話になりそうなものだ。
「かわいそうだねぇ」とかなんとか。。
少なくとも、僕の実家の親戚の面々は延々とそんなことを話しそうだ。


Yさんは、父が医師に代わって、勝手に自分の体を診察しているという話をして、おかしいでしょ?という会話をした。
Yさんは、ケタケタと笑っている。
その瞬間、印象が180度くらい変わった。


それまで、僕の中で、ガンは終焉を意味していた。
がんを生活の一部として許容して、がんと一緒に楽しく生きれる力を持った人を見て、Yさんがなんだか神々しく見えた。
実際がんなのは、父なのだが、そういう見方をしてくれる伴侶がいるということは、とても幸せなことに思えた。


夕食はかなり豪勢な洋館で取った。
心を許したのか、高級ワインで酔っぱらったのか分からないが、ずいぶん饒舌に会話した気がする。
なにはともあれ、素敵な人だなぁと感心した。
そして、父は良い人に巡り合ったと思った。


いつの間にやら解約に・・・

2008-08-10 22:47:52 | 日記
たぶん、お金を払っていなかったのだろう(支払が遅れたのか・・・)、gooのメールサービスが解約になっていた。
同郷のO君と、連絡がとれなくなったりと、いろいろと不便になりそうだ。
まぁ、再度お金を払うのも何なので、このまま無料メールに移行してしまおうと思う。

週末

2008-08-10 18:57:17 | 日記

昨日、今日と、比較的涼しい日が続いた。
半分は、家でゲーム、半分は家族に付き合ってショッピングという日だった。
今日は、先週借りたDVDを返しにTSUTAYAに行く。
プログラミングでも、再度チャレンジしてみようと、Excel VBAの本を会社の経費で買った。
毎日ゲームにも飽きてきたので、いい加減、前に進むようなことをやりたくなってきたからだ。
長い長い、充電期間は終わったのだろうか。
あとは、本も読みたくなってきた。


そういえば、そろそろ秋である。
勉強の秋というわけか。。。


兄弟3人での飲み会

2008-08-08 15:58:31 | 日記

先日、妹、弟と、3人で飲んだ。
3人だけで飲んだのは、今回が初めてだと思う。
父のことも話題にあがったのだが、たわいのない雑談も多かった。


いろいろな話題をした中で、生きるということに対する考え方が、3人で少しずつ違っているということが分かった。
前に書いたのだが、父から生きていてほしいという人がいるから、出来る限り治療を受けて生きたいという話を聞いて、以前の父と変わったなと思ったのだが、死というものに直面して、生きるということをもう一度考え直したのだなと、思った。
強めの梅酒を飲みながら、3人もそれぞれに生きるということを考えていた。


そんなこんなを考えつつ、飲み会は終わり、かなりぐでんぐでんに酔っぱらって電車に乗った。
酔っ払いすぎて、帰り際は意味不明なことを弟、妹に話していたのではないかと思う。


帰りの電車で思ったのは、兄弟が3人もいて、僕は幸せだなということだ。


お盆あたり、8月15日か16日に、父のいる神戸へ、見舞うために3人そろっていくことになった。


体調が悪い

2008-08-01 13:19:31 | 日記

体調が昨晩より悪い。
下痢がひどかったのと、今日は、頭痛も若干加わっている。
時期的に、夏バテなのだろうか。


とはいえ、仕事をしなくてはならないので、バファリンを飲んでみる。
鎮痛剤は、効くときは痛みと、頭をクリアにしてくれる働きがあると思っている。
今さっき飲んだので、効くとしたら、あと30分後くらいに効き始めるのだろう。
なんとか効いてほしいなぁと願う。


週明けに、妹、弟と会うことにした。
なんということも無く、とりあえず会うことにした。
そういえば、今まで、兄弟3人だけで、集まって話をするということが無かったと思う。
面倒くさいからとか、会ってそれほど話すこともないからとか、そんなドライな理由が延々と今まで続いているのだと思う。
それを変えるつもりもないが、今回は、会うことになった。


楽しみか?と言われると、今は、体長が悪いので、何も考えられない^^