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マンガ家まこねこの気ままな日記

ウィリス(ウィリイ)・ホィツトニー医師

2012年06月28日 | 歴史

              
        赤坂教会              明治時代の勝邸の門
赤坂教会の前身である赤坂病院は、院長であるウィリス(ウィリイ)・ホィツトニー医師のお母さんであるアンナを記念して建てられました。
アンナが亡くなった時に、日本人から記念碑を建てて欲しいといっていただいたお金で、勝海舟から400坪の土地を買ったのが始まりです。
ホイットニー医師の父方のおばあさんは、子供たちの中から宣教師が出るようにと祈っていました。
その祈りが聞かれ、ホイットニー親子は信徒伝道者として日本にやってきました。
家を開放して、多くの方々に、福音を伝えたのです。
途中で一家は、ウィリスがアメリカで医師の資格を取るために帰国しました。
そして、再来日するとき、途中のロンドンでお父さんが亡くなり、日本に来てから半年後にお母さんのアンナが亡くなりました。
ウィリスは、母の遺志を継いで、米公使館の通訳をしながら、赤坂病院の院長もしていました。
その合間に、聖書と御言葉の入った日課表の普及に努めました。
初めは眼科でしたが、肺結核の患者も入院させたのです。
お金のない人たちのために、ただで治療をしていたので、費用の半分はアメリカからの献金で賄っていました。
あまりの、ハードスケジュールだったので、休暇で行った奥さんの実家のあるロンドンで倒れたのです。
第一次世界大戦があり、もう一度日本に帰りたいという思いはかなわないまま、オックスフォード近くの田舎で亡くなりました。
赤坂病院にいた時、彼が通ると町の人々から「あそこをイエスさまが通る。」と言われていました。
人々は、彼の生活を見て、真の神様を知ったのです。
また、ある方が人力車に乗った時、「君は真の神を知っているのか?」と聞くと、「その人は、赤坂に住んでいて、自分や家族が病気の時、病院に入れて治してくれた。」と言ったのです。
常に神さまのために自己犠牲を払う生き方をし、56歳で亡くなりました。
脳卒中で口が聞けなかったのに、誰か迎えに来る姿を見たように、両手を二度空の方に指して高く上げ、幾度も物を言おうとしたのですが、ようやく「イエス・キリストによって私を赦したまえ」と三度繰り返しました。
その後、奥さんが、詩篇23編を何度も読んで聞かせました。
次の日の早朝、ウィリスは、いつ息を引き取ったか分からないくらい静かに眠りに着いたのです。

 


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