
五木寛之著の”人間の覚悟”友達から借りて読んだ。
時々鬱になることがある。心が萎えてなにもしたくなくなる。これを病気と
とらえず、生きていること自体が非苦であり憂鬱なのだと覚悟を決めなさいと
言っている。覚悟とはあきらめることでありあるがままに受け入れることだそうだ
人間の一生は学びの学生期、それから結婚して家族を養う家住期、50歳を
すぎたら自分の生きたいように生きる。できれば人のためになることをする
林住期、そして75歳ぐらいから遊行期であり死を前に自然へ回帰していく時期
だそうだ。そして人のために働くことが良き林住期と遊行期をもたらすと。
それがいい下山の方法なのだといっている。
また、この人はボランティアは石をもておわれよともいっている。結局
人のためというより自分が老いるという作法なのでしょうか。・・・
また老いとは熟成であると言っている。
身体的、頭脳的にもボケが進行している。それはその人間がだめになったのではなく、人間の始原の故郷へ帰りつつあるのだという。
自我が崩壊するのではなく、昇華していくのだと言っている。
そして、その人たちをケアすることで自分の生も保たれるとも言っている。
今日は大分お堅い話を進めてしまって、すいません!
昔、青春時代に阿部次郎の三太郎日記を読んだ記憶がある。
人間は生きている、そのこと自体に価値があるのだという内容だったかな!?
当時はミヨウニ納得したもんだが、この著者も同じことを言っている。
はや、人生の下山期に入り大分たってきた。
まだ麓までは何があるかわからないが、まだ時間がありそうだ。
何をしながら下山するのか・・・
時々鬱になることがある。心が萎えてなにもしたくなくなる。これを病気と
とらえず、生きていること自体が非苦であり憂鬱なのだと覚悟を決めなさいと
言っている。覚悟とはあきらめることでありあるがままに受け入れることだそうだ
人間の一生は学びの学生期、それから結婚して家族を養う家住期、50歳を
すぎたら自分の生きたいように生きる。できれば人のためになることをする
林住期、そして75歳ぐらいから遊行期であり死を前に自然へ回帰していく時期
だそうだ。そして人のために働くことが良き林住期と遊行期をもたらすと。
それがいい下山の方法なのだといっている。
また、この人はボランティアは石をもておわれよともいっている。結局
人のためというより自分が老いるという作法なのでしょうか。・・・
また老いとは熟成であると言っている。
身体的、頭脳的にもボケが進行している。それはその人間がだめになったのではなく、人間の始原の故郷へ帰りつつあるのだという。
自我が崩壊するのではなく、昇華していくのだと言っている。
そして、その人たちをケアすることで自分の生も保たれるとも言っている。
今日は大分お堅い話を進めてしまって、すいません!

昔、青春時代に阿部次郎の三太郎日記を読んだ記憶がある。
人間は生きている、そのこと自体に価値があるのだという内容だったかな!?
当時はミヨウニ納得したもんだが、この著者も同じことを言っている。
はや、人生の下山期に入り大分たってきた。
まだ麓までは何があるかわからないが、まだ時間がありそうだ。
何をしながら下山するのか・・・

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