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ママは弱視 子育て日記

弱視ならではの視点での雑感ブログです
弱視をご存知の方にも そうでない方にも
気軽に読んでいただければと思います

白杖携行歴2週間で思うこと

2014年12月24日 | 日記
ここ愛媛でも白杖を持ち始めてどれくらいになるかとカレンダーを見てみると、まだ2週間ほどでした。いろいろなことを感じたり考えさせられたので、もっと長い時間が経ったように感じてしまいます。
白杖を持っていないと外見上普通に見えているように見られるので、サポートをお願いするときに初めて弱視であることを伝え、驚かれたり不思議がられたり、説明しても望むサポートが受けられなかったりしました。白杖を持つと、見えていない人と思われ、常にサポートが必要だと思われて過剰なご心配をかけてしまうこともあります。やはり、弱視は中途半端に見えていて中途半端に見えていないので、見えているふりも見えていないふりもしたくないのですが、そのどちらかになってしまうようでやっかいです。まあ、これはどうしようもありません。
今のところ、普段からよく知っている近所では不要ですが、白杖を持っていたり持っていなかったりというのは不自然かと思い、なるだけ持つようにしています。
わたしとしては、一人で歩く時、段差で転びそうになったり、車止めにつまずいたりすることは日常茶飯事ですし、家の中では緊張感が足りないせいかあちこちぶつけて生活してきました。白杖を持たないことで批難されることもありましたが、見えにくいのだから危険なのが当たり前だという感覚だったので、周囲にアピールする目的だけなら持つ必要もないかと思ってきました。
ネットではどんな意見が見られるだろうかと検索してみると、白杖を〝持つ派〟〝持たない派〟の思いが出し合われていました。白杖を持つことで特別視されたり哀れみを受けるのがイヤだというオーソドックスなもの、自分の見え方に慣れていて必要性を感じないから持たないというもの、全盲者のふりをしているように思われるのがイヤだというものなどさまざまでした。そして、「白杖を持っているのに点字ブロックではないところをまっすぐ歩いている人を見た。〝視覚障害者を装った詐欺〟ではないか!」というようなものもたくさんありました。〝詐欺〟や〝インチキ〟といった声に対しては、弱視者が丁寧に解説しているものも見られました。進行性の緑内障の方が、やがては自分も視野の欠け方が大きくなると持たざるを得なくなるのですが・・・と、説明されていたのには質問者も「認識不足だった」と返答されていてほっとしました。また、視力はかなりあるのに、視野が5度という方が、「白杖を持たないと足下が確認できず歩けないけれど、視野に入るところは普通に見えるので、杖を持って本屋で立ち読みもするし、杖を持って映画も見に行く。もし、何か言われたらちゃんと説明できるように障害者手帳を常時携帯している。」と言うのがありました。わたしも視覚障害者団体と関わり始めたころ、白杖を持つ人にひじを貸して道路を歩いていたら、「次の交差点辺りに△△△って書いてある看板がありますよ。」と言われて驚きました。〝わたしには交差点どころか目の前の建物の看板さえ読めないのに!!〟と驚いてしまいました。初対面でしたのでいろいろ尋ねると、視力自体は1.2あるが視野は数%とのこと。会場に到着すると新聞を広げて読み出され、わかってはいてももう一度驚いてしまったものです。
わたしの場合、見え方にばらつきがあるように感じますが、両眼とも0.02とか0.03の視力なので、出掛ければ何かと不便でサポートが必要になります。白杖を持つと、その都度説明する煩わしさから解放されたり、段差か陰かはたまたデザインの配色か見分けのつかないところを自分で確認できたり、いつも危険と隣り合わせで怖かった道路の横断がずいぶんラクになったりとメリットもたくさん実感し、使っていこうと思いますが、視力や視野が普通にないけれど見えている弱視(ロービジョン)も白杖を持つことがあることを広く認識して欲しいと強く感じます。
久しぶりに出くわした夫の友人、わたしが目が悪いとはよくご存知でしたが、白杖を持っていたことに驚き、「嫁さん、見えなくなったのか・・・。」とわたしのいないところで言われていたそうです。夫はちゃんと説明してくれましたが、わたしと歩く時べったり介助しないといけなくなったような気がする・・・弱視も白杖を持たなきゃいけないとか言うのって誰も知らないし、そもそも弱視なんていう存在も知らない人がほとんどだし。」と言っています。
先に書いた、視力はあるけれど視野が狭いために白杖を持っている人が、「もし、何か言われたらきちんと説明する。」というのは本当に大事ですし、そういう人の地道な努力で正しい認識が広まるのだとは思いますが、それはあまりに時間がかかるし、個人では限界があるのではなかと思います。たとえば、公共広告機構などで、視覚障害者と言っても全盲だけでなく弱視が7割もいること。また、弱視にはさまざまな見え方があることを簡潔にまとめてCMにしてもらえたら、ずいぶん速く多くの人に周知されるのではないかと思います。
取り合ってもらえるのかはわかりませんが、働きかけてみましょうかね。



愛媛でも白杖デビュー ②

2014年12月14日 | 日記
初めて昼間の学校で白杖を持った親子防災学習の時、周囲の反応が気になったものの、それがちゃんと見えないのが残念なところ。娘はいつもどおり、「ママ!」と自分がいることを知らせてくれ、「これ、持ってきたんやね。」と白杖を触ったりもしつつ、明るく楽しそうにしていました。
娘は放課後学校に残る用事があったのでママ友のSさんの車でSさんのお子さんと帰ることになりました。そのSさんのお子さんは、わたしが白杖を持っているのに驚いて、「なんで杖?」とお母さんに尋ねていました。「段差とか確認できるしね。安全のためよ。」と、的確に伝えて下さり、お子さんはわたしが弱視とよく知っているのでさらっと納得した様子でした。
そのまま保育園のお迎えに行くと、下の子と同じ年長さんの女の子が走ってきて、「何それ?!」と聞いてきました。「これは目が悪いんですっていうマーク。おばちゃんすっごく目が悪いから。」と答えました。「ふ~ん。」と腑に落ちない様子でしたが、見失った娘を探して欲しいと頼むと元気に教えてくれました。娘自身は何も言っていませんでしたが、帰り道ではいつも横断が怖い道路で「あっ、車がゆっくりになったよ!」と教えてくれました。
そして、夕方遅くに帰宅した上の娘にお友達に何か言われなかったか尋ねると、「『〇〇ちゃんのお母さん、何で棒持ってるの?」って、△△くんに聞かれたから、『ママ、目が見えないから。』って言ったよ。』とのこと。〝見えないじゃなくて、見えにくいでしょ。〟と、思いながら、娘にとっては納得済みだったからかたいしたことなかったと感じました。
そんな白杖デビューして間無しの昨日、不在者投票に出掛けました。娘の懇談会で夫が休みをとってくれていたので、懇談会帰りに親子三人で市役所へ向かいました。先ず受け付けでは白杖を見てすぐに投票方法を聞かれ、墨字(点字ではなく普通文字)ですることを伝えました。不在者投票に必要な記入事項は、署名以外娘が代筆してくれて大助かり。投票用紙をもらって記入台に進もうとすると、後ろから「6番で記入して下さい!」との声。こういう場所だからでかでかと番号表示があるのかと思いきょろきょろしていると、「6番、6番!」と怪訝そうな大きな声。夫がその記入台をさっと教えてくれ、無事に記入して投票。結局その番号表示を見つけることなく投票会場を出ました。すると、娘が怒った調子で「何あのおじさん、6番、6番って。ママは見えんのに!!ママ、これ持ってたのに!!」と、白杖を握りました。それに対して夫は「世間というのはそんなもの。あのおじさんはそのへんの普通のおじさんで・・・、まあ、ママは今までわかってもらえずにイヤな思いとかいっぱいいっぱいしてきてるんよ。」と話していました。夫が、「おうちではパパにわかってもらってないとか言ってるし、地獄やなあ!」と続けたので、「おうちはパラダイスよん!!」と小言を言ってしまうことを反省。「まあ、あのおじさんはママみたいな人のことを知らないだけだと思うけど、〇〇はそういう人のこともわかるし、人の気持ちに気づける子になってるってことで良かった、良かったよ。」などと二人で娘に話しました。
こんな些細なことにも腹を立ててくれる娘、この先わたしのことでいろいろなことを味わうのでしょうがどうしようもありません。今は良き理解者、協力者でいてくれることに感謝するばかりです。

愛媛で白杖デビュー ①

2014年12月12日 | 日記
東京で白杖の持つ力を改めて実感したことで、普段から持とうかという気持ちがわいてきました。以前全盲者が白杖をついて歩行しているところをテレビで見ていた時に上の子に「ママもあんな杖学校とかに持って行ってみようかな。」と言ったら、「え~?!」と驚きとイヤだと言う感じのある反応を示しました。でも、先日、東京で非常に役に立ったことを話すと、「すごいね!」と肯定的な反応になっていました。ただ、下の子に「保育園に持って行ったらどうかな。」と、切り出すと、「もう、先生も目が悪いって知ってるのに何でもっていかんといけんの・・・。」との返答でした。
ママ友のMさんに、子ども達の反応を見ていると持つことを躊躇してしまうというようなことを話すと、「外見上目が悪いことがわからないし、でも、ちゃんと見えていないのだから持った方がいい。ママのこといつも心配している二人だから、ママの安全のためだしわかってくれるよ。」というような心のこもったお返事を下さいました。
私自身は持つべきだとわかっていながら、やたらと視線を集めるし、黙っていればその他大勢でいられるのに、白杖を持つことで「わたしは視覚障害者です!」といつも周囲にアピールし目立ってしまうことに、実はそこまでする必要があるだろうか?ある程度は見えているのだし必要に応じてサポートを申し出たので充分ではないだろうか?という気持ちもありました。でも、〝持てばラクになるだろうな。〟と言う気持ちが大きくなり、子供達には理解を求める話しはしなくても良いのではないかとさえ思えてきました。子供の気持ちとか言うのは口実。必要なものは必要なのだし、子ども達の気持ちをたとえ考えたとしても、それに左右されることではないと言う思いに至ったのです。
ちょうど、夜に保護者が学校に集まることがあり、暗いところは目が慣れるまで全然見えないので、ほんのわずかな距離でしたが初めて学校で白杖を出しました。そして、数日後には親子で防災について学ぶ行事があり、初めて昼間の明るい時間にも学校で白杖を手にしました。正直、ちょっと勇気がいりましたが、段差があるだろうなという箇所は白杖でさっと確認でき、アピールするだけでなく意外に便利に活用できることにも気づかされました。
ところで、いつの頃からか視界に表現し難いもやもやが見えるようになりました。弱視のいとこが視野の中心と周囲が白い霧で覆われていて視野がドーナツ状だと話していたのを思い出し、それに近づいて来たのかとも思いましたが、私の場合はそのもやもやに色はなく、お鍋の中でお湯がぐらぐら煮えている様子みたいなのが見えるのです。それが以前は滅多に見えなかったように思うのですが、歳のせいかいつも見えるようになってイライラします。それは視野の上方で何もないところは今までどおり視力には変わりないのですが、視界に新たな邪魔が入ったような感じです。。
そんなこともあって、白杖を持つのに良いタイミングだったかも知れません。
それにしても、ここ愛媛で白杖デビューをして4日しかたっていないのに、早くも手放したくないような心境になっていることに気付きました。何だか不思議です。


白杖は魔法の杖

2014年12月12日 | 日記
先月、東京へ行って来ました。
小学校時代からの友人Iさんが仕事を休んで羽田まで迎えに来てくれることになり、私の単独行動を心配していた子供達も、そして、もちろん私自身も不安なくゆったり気分で出掛けました。お陰様で目的地までIさんに頼り切って動き、10年ぶりの再会に話しも尽きず、よく食べ、よく笑い、楽しい楽しいひとときでした。
ところで、翌日、渋谷での用事を終えて空港までは単独行動。久しぶりに白杖を使うことにしました。独身時代には年に数回上京していましたので、そのときは人の多さでぶつかるのを避けるためと慣れない路線の乗り継ぎ時にサポートをお願いしやすいので使っていましたが、愛媛ではその必要性を感じることがなかったので使っていなかったのです。案の定、渋谷でハチ公前まで出るのに迷い、何人の人に声をかけたことでしょう。でも、白い杖を手にしていることでとても親切に対応して頂けたように感じました。声をかけてから、〝あっ、この人派手な雰囲気・・・〟というような若い男性なども「お気をつけて。」とまで付け加えて下さったりして驚きました。スクランブル交差点でも白杖の威力はすごいものです。私はただ直進するだけですが、人が避けて下さって道が開けてゆく感じなのです。〝これは、まさしく魔法の杖だなあ!!〟と実感しました。そして、点字ブロックにも非常に助けられました。結婚してから一人で遠出することがなかったので、黄色いブロックを探しながら、普段どれだけ夫に頼っているかを思わずにはいられませんでした。
それにしても、白杖を使うことは以前から進められていたのですが気が進みませんでした。全く見えないわけではないし、駅員さんに「けっこう見えているじゃないですか。」みたいなことを言われて、何だか見えていないふりして甘えていると思われたようで何とも言えない感覚を味わいました。その他、「足が悪いのですか?」と聞かれたりすることもありました。私の場合、目の見た目が視覚障害を思わせないようで、不思議がられてしまうのです。ただ、白杖は自分の足下を確認するためだけでなく、周囲に注意喚起する意味もあり、ロービジョン(弱視)も携帯することが求められています。ですから、自分がそれを持つことで直接的に便利にならなくても、周囲へのアピールを目的に持つべきなのでしょう。持つべきか、持たざるべきか、道路交通法上は迷う余地がないことなのですが、中途半端に見えていて、中途半端に見えていない当事者としては迷いどころです。



お化粧 ②

2014年11月03日 | 日記
前回書いた拡大機能付きの鏡は大事な便利グッズ。それは直径15センチくらいの円形で、片面は普通サイズに、もう片面は拡大サイズに写します。正確な倍率はわかりませんが、初めてその鏡を見た人は皆その拡大率に驚き、「うわ~、小さいシミまで見える!毛穴まで見える!見え過ぎて怖い!!」と言いながら自分の顔の細部を確認します。ですが、ピントが合っているはずなのに、どんなに近づいてもわたしにはそんな細かいところまでは見えないのですよね。不思議です。もっと拡大率が高ければ見えるのでしょうかね。
ところで、根気強いMちゃんに伝授してもらった技、結婚してから、出産、子育てにかまけているうちに、すっかり忘れてしまいました。Mちゃんには何とも申し訳ないですし、歳を重ねたのですから、なおのことあちこち隠すべきところがあったりごまかしたり手を掛けねばならないのに何もできず困っています。久しぶりにファンデーションをつけたら、「うわ~、犬神家の・・・」とユーモアを超えた反応を夫にされて大笑いになったこともありました。日焼け止め代わりにとBBクリームなる便利なモノを塗ってみるのですが、ちょっと塗り過ぎるのか子供達から大ブーイングの嵐。夫には「まあ、いいんじゃない? そんなおばさんけっこういるよ。」と言われ・・・。この頃は、「ママ、お化粧したらもっとおばさんに見える。」と言われる始末です。もはや化粧で化けることは不可能。素肌をできるだけキレイに保とうとケチな予算で悪あがきしております。