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ママは弱視 子育て日記

弱視ならではの視点での雑感ブログです
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世界にひとつの手作りランドセル 親になって思うこと

2011年10月05日 | 子育てについて
弱視とは離れますが、わたしは両親のポリシーがかなりはっきりした家庭に育ったとも言えます。と、いうのも、子どものランドセル選びをしていて自分の時のことを思い出さずにはいられず、ちょっと30年以上前の小学一年生の頃を振り返ってみたいと思います。
ランドセルと言えば「男の子は黒」「女の子は赤」の時代でしたが、わたしのは、なんと白い帆布生地の母のお手製でした。幅広で厚みがうすく、かぶせフタが半分までで革ベルトが縦に二本並び、そのフタには父のレタリングでローマ字の氏名と校章が真っ黒の墨できっちり入れられていました。帆布の重ね縫いはミシンでは無理なので母が手縫いしたものですから、文字通りの「世界にひとつの手作りランドセル」だったのです。二つ年上の兄がいましたので、同じものを持たされるのだとは思っていましたが、「みんなと同じがいい」という価値観のわたしとしてはイヤでたまりませんでした。こんなことを両親が聞いたら悲しんだでしょうが、「ランドセルを買えないので作ってもらった。」と、周囲に思われると思っていましたし、とても恥ずかしいと言うのが正直なところでした。古い官舎住まいで、どこから見ても「お金持ち」ではなかったことも手伝って「買ってもらえない・・・」と言う思いが大きかったように思います。両親からは手作りの良さみたいなことを幾度も聞かされ、本人の気持ちなど察してもらうことはありませんでしたし、親に従うものだとも思い込んでいました。両親はできあがったランドセルをとても誇らしげに眺めて、喜ぶよう促されたりもしました。(手作りランドセルが珍しく取材を受けて新聞に載ったこともありました。)
大人になった今なら、デザインもおしゃれだと思えますし、軽くて理にかなっている、それも母親が手作りしてくれたものという価値がわかりますが、その当時はそんなこと全くわかりませんでした。「みんなと同じとかどうかでなく、良いものは良い。」と両親は考えていたのでしょうけれど。
ランドセルについては、母親が子どもの頃に自分の母親にランドセルを手作りしてもらったとのことで、「我が子にも!」と思いたったそうです。わたしの兄の家ではこれを伝統としようとしたようで、長男にランドセルを手作りしたのですが、下の女の子は手作りしている傍で泣き出し、本人の意向どおり赤いランドセルを購入したそうです。それに比べると、わたしは泣き出すことすらできないタイプだったのですね。
そのほかにもいろいろありますが、筆箱も記憶に強く残っているものの一つです。カラフルでいろいろなキャラクターのついた筆箱を見せ合うクラスのお友達がとてもうらやましかったものです。こちらもやはり大人が「良いもの」と、選ぶシンプルなワイン色の革製でした。鉛筆ももちろん無地で、極めつけは自分で削ったぶかっこうな鉛筆が並んでいたのです。器用な父がとても美しく削ってくれたりもしていましたが、わたしたち兄妹には切り出しナイフが渡されていて自分で削らされていたのです。父の部屋には電動の鉛筆削りがありましたが、触れることはありませんでした。
そんな徹底ぶりの教育方針、当時のわたしには試練でしかありませんでしたが、今の自分に少なからず影響を与えているのかも知れませんね。イヤな思いもしましたが、何とか乗り切ったのですから。
そんな両親のやり方を否定はしませんが、真似ようとも思わないのですよね。だからと言って何でも子どもの言いなりにすべきとも思いません。この兼ね合いが難しいと感じていて、どこまで子どもの意向に応えるのか、親の意向を反映させるべきなのか・・・ そんな中、明確に思うのは、売る側が売りたいばかりに子どもの好みにばかり迎合した商品を製造するのは間違っているということです。これは子どもの言いなりで商品を買う親が多いからだともいえますが、そもそもそんなものが存在しなければと思うのです。
ハデなランドセルはまだしも、ヒールの高いサンダルなどは危険ですし足にも悪いですが子ども向けのサイズからたくさん売られているので子どもも欲しがって、買わないために言い聞かせるのも大変です。

ところで、先日父が電話で、「ランドセルは6年間持つのだから本人の希望も聞いてやりなさい。最終的には親が決めてやったらいいけれど。」などと言ったのには驚かされました。年をとったのでしょうかね。