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ママは弱視 子育て日記

弱視ならではの視点での雑感ブログです
弱視をご存知の方にも そうでない方にも
気軽に読んでいただければと思います

お化粧 ①

2014年11月02日 | 日記
視覚障害者の化粧をテーマに研究されている学生さんから連絡を受け、わたしも弱視者としてアンケートに答える形でその研究に協力することとなりました。
普段どのように人の顔がみえているか、化粧を始めた時期、化粧で困ること・・・・などの質問がメールで届き一問ずつ回答しました。
まず、どのように人の顔が見えているかですが、対象物から10センチくらいにピントが合うように思うのですが、まさかそんなに近づいて人の顔を確認するわけにはいきません。ですから、背格好や髪型などはそれなりに見えていますが細かいところまでは見えません。当然化粧をしているかどうかは見えませんので、「すっぴんで誰だかわからなかった。」とか「化粧でいつもと全然違う雰囲気だった。」と言う感覚が不思議です。化粧で誰かわからないって、普段どんなに細かいところで見分けているのだろうかと感心してしまいます。普通にみえていた頃は自分もそんな風に人を見ていたのでしょうかね。もう、すっかり忘れてしまいました。
蛇足ですが、自分は見られていても人のことがちゃんと見えないせいか、周囲の人達が化粧をしているのかどうか、しているならどんな化粧なのかに興味があり、子供の授業参観などから帰宅すると、ついその辺りの質問を同行した夫にしてしまいます。
話しをアンケート関連に戻しますが、化粧をし始めたのは周囲が化粧をし始めた十代半ばです。既に今とさほど変わらぬ視力になっていたので、パウダーファンデーションと口紅くらいしかつけていませんでした。二十代半ばの社会人のころ、化粧好きの友人が時々たくさんのメイク道具を使ってフルメイクしてくれました。「化粧映えする顔なのになあ~」と言う彼女の言葉をうのみにし、〝少しでもキレイになりたい〟という女心に火がつきました。そして、その友人にそれまであきらめていた口紅以外の化粧の仕方を教えてもらい始めました。「このくらいの筆圧、覚えてて。」「こんな感じで指でやってみて。」など何度もやらせてみてはチェックしてくれました。「マスカラコームを使ったら玉になっているか見て確認しなくてもキレイにできるよ。」「リップライナーを使ったら、きっちり塗れてるみたいに見えるよ。」などなど、どれくらいの期間だったかわかりませんが、遊びにくる度に見えにくいわたしに役立ついろいろな技を伝授してくれました。拡大機能付きの鏡でも微妙な色はわかりませんし、仕上がりを目で確認することができないのですが、逆に自分で見えるほどのアイシャドウなら付け過ぎだと判断できるので、やはりその拡大機能付きの鏡は大切でした。なんとなくついているようなその感覚を覚えるまではけっこう大変でいろいろな失敗もしました。
そうそう、いつもリップライナーの威力を自分では実感できないのに、今日は何だか輪郭が見えるような気がするなあと鏡を見て思いました。出掛けようとしたものの気になってティッシュで拭き取ってみると何だか変な色。よくよくメイク道具を確認すると、リップライナーではなく、興味本位で買った黒のアイライナーを使っていたことが判明したのです!危うくピンクの口紅を黒で縁取った唇で出掛けるところでした。冷や汗がどっと出たような感覚を覚えています。
そんなこんながありましたが、根気強い友人のお陰で、リキッドファンデーション、アイシャドウ、マスカラ、口紅をちゃちゃっとつけて毎朝出勤できるようになっていました。眉を描くこととチークは何度チャレンジしてもマスターできませんでしたが、口紅だけだったのに比べると大きな進歩でした。
覚えの悪いわたしに付き合ってくれた友人Mちゃんには感謝、感謝です。時々、メイク道具まで買ってきてくれましたね。本当にありがとうございました!!




ママを案ずる子供達

2014年10月14日 | 日記
来月、東京行きの用事が出来ました。わたしの用事なので独身の時以来の単独上京です。そのことを今月6歳と9歳の子供達に告げると大騒ぎ。「ママ、一人で行くんじゃないよね!?」と先ず聞かれ、「みんなで行きたいけれど、パパはお仕事だし、〇〇は学校があるしね。ママ一人で行く予定よ。」と答えました。すると、すごい勢いで、「そんなのダメ。ダメ、ダメ、ダメ!!と二人で大声を上げました。「一人で行くのは絶対ダメ!」「心配過ぎる・・・」「階段とか段差でこけたらどうするの?」「いろいろ書いてあるの見えんやん。」「誰か一緒に行ってくれる人は?友達とか誰でもいいからいないの?」と次々にたたみかけて来ます。独身時代には何年も弱視の集まりに参加するため、年に2,3回は一人で上京していたこと、それに、表示が見えなければ聞けばいいし、案外何とかなるものだということを話しました。それと、飛行機で行くと聞いて「じゃあ、船みたいに階段がいっぱいないし、座ってるだけで行けるから大丈夫かな・・・」「絶対にマノ(電子ルーペ)、忘れたらいけんよ!」どっちが親なのかわからないようなことを言ってきました。年長さんの下の子は、「どうしても行かないとダメなん?飛行機落ちない?」と、別次元の心配をしてくれました。(下の子は事件や事故が毎日起こっていることをニュースで知りとても心配性になっています。幼児にはニュースは刺激が強すぎると判断し、最近は見せないようにしているのですが・・・。)
子供達にせがまれ、だいたいの日程を告げると、二人でカレンダーをめくって確かめていました。
夫にこんな子供達の様子を話すと、「ママ、愛されてるなあ~!それにしても、二人ともそんなに心配して・・・かわいいなあ。成長したなあ~。」と、しみじみ言っておりました。
それにしても、こんなに心配をかける親は珍しいでしょうね。
そう言えば、保育園のお迎えにわたし一人が行くので、時々心配になると上の子が言っていました。車が見えなくてひかれてしまわないかと。下の子も、ちょっとお迎えが遅いと「ママ、遅いから心配したよ。目が悪いから危ないもん。」などと言います。
そんなに心配をかけると言うことは、そんなに危なっかしいように見えるのでしょうかね。
あまり心配ばかりかけたくないのですがね。
でも、そんなに心配してくれて本当にありがとうね。
ママは幸せ者!!

反省!!

2014年06月26日 | 日記
保育園のお迎えはわたしがしています。園でのおやつの時間と、上の娘が帰宅する時間との関係で、「お姉ちゃんがおつちに着いちゃうよ!」と、いつも娘をせかしながら歩きます。そんな毎日の歩き慣れた道中ですが、慣れない箇所があります。それは、たった二車線でけして広い道路ではないのですが、横断歩道のない場所で横断しなければならないところです。国道でもないので、交通量は少ないのですが、そのせいか、その道を通る車はスピードを出しているように思います。わたしの視力でも近くに来た車は見えますが、横断するのに安全かを視覚的に把握することはなかなかできません。でも、視力があるので一応左右を見てみたり、あとは耳をそばだてます。この頃エンジン音が小さい車両もあり、加えて周囲がうるさいと、聴覚を導引しても何だか自信がないのですが、あとは「えいっ!」と踏み出しています。そんな当てずっぽうな渡り方は、ドライバー側からしても非常に迷惑だと思うので、なるだけ車道際に少し立ち止まって自分の存在をアピールしてから渡るようにしています。帰りは娘が車の様子を見てくれるのですが、手前の車線にばかり気をとられ、半分渡って怖い思いをすることもありました。このごろは両車線を確認するようになったのですが、今度はなかなか渡れません。車が通る気配もないのに立ち尽くしているように感じられ、しびれを切らせたわたしが、「車がすっごく遠くに見えているなら渡れるよ。」と、渡ってしまうこともあります。
先日、その道路で、「ママ、あそこに警察の車。えっと、何て言うんだったけ?」と車道の遠くを指さすようにして聞いてきました。「白と黒の車だったらパトカー。」と答えると、「そう、パトカー!」と嬉しそう。わたしは、パトカーが近くにいるなら、ドライバーは慎重に運転しているから安心だなと思いつつ、視覚は娘に任せ、わたしも慎重に耳を澄ませてから横断し始めました。誰かが警察に注意されているマイクの声もしていて、聞くのに邪魔だなと思いながらの横断。音に集中するとき、見えないはずの視野まで脳が勝手に補ってしまうような中途半端でやっかいなわたしの目の視覚情報は、かえって邪魔で危険です。それで、左右を見ることなく、両耳に神経を集中させて渡りきりました。娘はパトカー見たさに渡り終えてからもわたしと手をつなぎながら、「ママ、パトカーが来るよ!」と立ち止まりました。それで、二人で道路を見ていると、「ちゃんと左右を見て渡って下さい!!危ないですよ!!」と大きなマイクの警告の声。パトカーを近くで見られると喜んでいた娘でしたが無言です。鈍感なわたしは、やっと、「あれ、もしかしてママのこと?!」と、気づいたのです。横断する前から注意を促されていたのもわたし達だったかも・・・。わたしとしては細心の注意を聴覚に注いでいたのですが、そんなこと伝わるわけがありません。幼い子ども連れで、左右も見ずに道路を渡るなんて、危険で非常識この上ない光景だったでしょう。
就寝前、すやすや寝ている娘を見ていて、ふと今日のことを思いだして怖くなりました。いくら口で説明していても、普段の母親のやり方を見ている娘、小学生になったら一人で長い道のりを登下校します。わたしを真似て危険な事になったりでもしたら。子どもは親の背中を見て育つのでしたよね・・・もっとそのことを意識して行動しなければなりませんでした。深く反省しています。

Sさんに捧ぐ

2014年06月20日 | 日記
ここ数年、お世話になった方々が何人も亡くなられています。わたし自信がそんな歳になったのだと思うのですが、今年に入ってまだ半年なのに、すでに何件も悲しい知らせを受けています。
そんな中のお一人は、わたしに音訳(印刷された情報を音声化すること。朗読と似ていますが、読み手の解釈介入を避ける点で異なります。)をして下さっていた方です。そのSさんとは一度もお会いしたことがなく、ある団体の機関誌の音訳をされていたことで知り合いました。最初はその機関誌を定期的に聴いていただけなのですが、ずうずうしくも個人的に音訳を依頼するようになったのです。
わたしは小学5,6年生ころに視力が落ち始め、それまで大好きだった読書がだんだん出来なくなりました。小学4年生の時は120冊ほど読んだのを覚えています。たいした内容のものではなく、ありふれた伝記シリーズや物語を学校の図書室で借りて読んではノートにつけていました。5年生の時には細かい字の単行本を友達同士で貸し借りし合うのも流行っていました。もちろん、裸眼で読書したことはそれ以来ありませんが、高校生の時、単眼鏡を使って半年がかりで一冊読み上げました。単眼鏡というのは、直径3センチほどで長さ10センチほどの筒状。対象物との約10センチの距離を保つために、父が棒状のものを取り付けてくれていました。17倍に拡大されるので文字は見えるのですが、一度に見える一文字ずつを追う格好で、とにかく、すらすら読めませんし行をとばしたりもしょっちゅうでイライラ。意地になっても一度に数ページで投げ出してしまう状態でした。今となってはもっと読みやすい拡大読書器を使っても自分で本を読む気にはなりませんし、当時の気力には我ながら感心してしまいます。文字を読むことが苦痛になってからは、母にもよく読んでもらいましたが、音訳された録音図書を借りたり、一人暮らしの学生時代は、ボランティアさんに対面音訳して頂いたりしてきました。大変な音訳作業に携わって下さった多くのみなさんに今更ながら感謝しています!!そんなわけで、全く見えない人達だけでなく、視力のある弱視にとっても、音訳は非常に有り難いのです。
話しが脱線しましたが、このところ連絡をとっていなかったSさんが他界されたことはご主人からの手紙で知ることとなりました。差出人がSさんとご主人連盟の封書が届き、Sさんがわたし宛てに書いて下さったお手紙と子ども達への絵本、そして、ご主人からのお手紙が入っていました。Sさんが重いリュウマチであることは以前から聞いていましたが、ご主人のご丁寧なお手紙によると66歳で亡くなられたそうですが、闘病期間は50年に及んだそうです。5年前に車いすから転落されてからますます自由を奪われておられたようですが、ご主人が「もっと共に生きたかった」と書かれていたのには胸がつまりました。その一節ですべてがわかりました。お二人はとても心豊かな時間を共に歩まれてきたのだろうと。
そして、わたしが依頼した本の音訳のことを気にかけて下さっていたことを知り、また、ご厚意に甘えるだけだったのに子ども達に絵本まで贈って頂き・・・(その絵本は藤田恵美さんの〝思いやりの絵本〟) もう、申し訳ないやら有り難いやら・・・。
亡くなられてしまい、暖かいお手紙や絵本のお礼だけでなく、これまでお世話になりっぱなしだったことへのお礼を直接言えなくなってしまい、本当に本当に残念でなりません。でも、一番近くにおられたご主人にだけは感謝の気持ちを綴ったお手紙を送ることができました。
わたしもSさんには遠くおよびませんが、ささやかでも誰かの役に立ちたいものです。
Sさん、見守っていてくださいね!!





わたしの色覚

2014年03月24日 | 日記
先月のことだったでしょうか、保育園のお迎えに行った時のことです。娘のお友達がわたしに話しかけてくれました。それで、帰り道に「さっきの紫色の服の子は〇〇〇ちゃんよね。」と娘に確認すると、「え~、ママ、色わかるの??!!」と大いに驚かれました。わたしは、「え~、ママ、色がわからないと思ってたの??!!」と大いに驚きました。確かに、面積の小さいものは色の見分けがつかなくて、ボールペンや色鉛筆など、「これ、何色?」と聞いてしまうことが多いです。ですが、普段はそれほど問題なく過ごしています。
それから、娘の体型にぴったりの数少ないズボン、この一年ほどずっと緑色と思っていたのに茶色ということが判明しました!!「いつもの緑のズボンにしたら?」と言ったら、「緑のズボンなんて持ってないよ。」と言われ、「何言ってんの、煤にリボンのついた・・・」と言ったわたしの方が間違っていたのです。
そのほか、薄緑だと思っていた自分のスカートがグレーだったり・・・本当に不思議です。
そうそう、つい先日、家族で車に乗っていると珍しく虹が出ていると子供達が大騒ぎ。運転中の夫が助手席のわたしにその虹が正面に出ていて、虹に向かって車を走らせていると教えてくれました。子供たちは「大きいよ!ほら、目の前!」と言うのですが、記憶にあるカラフルなものは見当たりません。ですが、ほのかに明るくにじんだような帯がかすかにあるように感じました。本物の虹はぼんやりとしていて、はかない印象さえあった記憶がよみがえりましたが、目の前には色彩のない空が広がっているばかりで、かすかに明るく感じるそれもはたして虹の一部なのか、それとも雲なのかもわからない状況でした。
そう言えばずっと前に、普段は色がわかるのに、どうして色覚検査の二ページ目以降は全くできないのかをお医者様に尋ねたら、「感度が弱いんですよ。」と言われたような記憶があります。人が描くもの以外、物に輪郭線はないわけで、物が見えるということは色が見えるということですよね。でも、色を感じる感覚は別でしょうし、それも弱いのでしょう。
それにしても、茶色のズボンをずっと緑色だと認識してしまうのに、ココアやチョコレートが緑に見えたことはないのですから理解できません。
そして、春を迎えた我が家の小さな庭に咲く色とりどりの花の色も楽しめます。
娘に色がわからないと思われていたということは、そう思わせるような行動をとっていたのでしょうが、わたしに限らず、どんな風に見えているのかはその人にしかわからないことですね。