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ママは弱視 子育て日記

弱視ならではの視点での雑感ブログです
弱視をご存知の方にも そうでない方にも
気軽に読んでいただければと思います

クリスマス会

2016年01月15日 | 日記
夏祭りの後にクリスマス会のことを書くなんて・・・。ブログをサボりすぎですね。いろいろと日々感じたり、あれこれ思うところがあるのですが、そのほとんどを夫をはじめ友人知人に話せるという恵まれた環境のせいで、それなりに消化してしまうのでしょう。もし、そんな環境にいなかったら、胸に秘めておくことなど出来ず、どんどん文字にして吐き出していたに違いありません。つまるところ、幸せなわけです。
さて、わたしは地区の役員の中でもイベント担当の愛護班長。他担当の役員さんは、あくまでもサポートする立場なのでしょうが、みなさんが積極的に動いて下さったお陰で無事クリスマス会を終えることができました。レストランでのランチバイキングと公会堂でのゲームやケーキのデコレーションをし、プレゼントを配るというイベントです。何しろ初めてのことで準備からバタバタとしました。自宅でできる案内文を作りは、拡大ソフトや読み上げソフトでカスタマイズされているパソコンでできるので問題ありませんでしたが、買い出しはとうてい無理。ご近所の役員さんにおんぶにだっこ状態でした。本当にお世話になりました!!そして、案内配布用の宛名シール作りや名簿の確認などは、やはり夫にしっかり頼りました。感謝、感謝!! そして、もちろん当日は、理解ある協力的な役員さん達がわたしの出来ないところをフォローしながら本当によく動いて下さいました。万全の準備ができていたと思いましたが不十分なところもあり・・・・でも、みなさんの陰でうまくいって、本当に有り難かったです。
 〝参加した児童約50名のほとんどはわたしが見えにくいことを知らないだろうし、ぜひとも伝えておきたい。伝えなくても何とかなるのでしょうが、知っておいてもらった方がラクになることは間違いない。〟と思いましたが、一言では伝えられない中途半端な見え方ゆえ、〝そういうタイミングがあれば一言言っておこう〟」と思って当日を迎えました。
 バイキングでは子ども達が自分で動いていたので大人がお世話をやく必要もなく安心でした。ですが、自分自身の世話がやけません。闇鍋ならぬ闇皿状態で適当にとるという荒技もありますが、役員さん達にお願いしていたこともあり、料理名を教えてもらいつつ、どんどんお皿にとってもらえました。ここで人の手を借りていたのはわたしくらいだったでしょう。
 レストランを後にし、いよいよ公会堂でのイベントのスタートです。何が始まるのか興味深々の約50名の子ども達に、行うゲームやスケジュールなどを簡単に大きな声で伝えました。そして、「おばちゃんは、ここからみんなの顔が全然見えないくらい目が悪いから、細かいことはここにいる他の役員さんに聞いて下さいね!」と加えました。メガネを忘れたくらいの感覚で捉えたのか、もしかしたら、わたしが白杖を持って歩いているのを見たことがあったのか、何の躊躇もない元気いっぱいの「は~い!!」という返事が返ってきました。それで、一気に気持ちも軽くなり、大賑わいの中大声を上げながら子ども達との時間を過ごしました。特別何かができると言うわけではないのですが、やはり子ども達と過ごすのが好きなのだなと感じました。
ちなみに、わたしの祖母は二人とも教員でした。そんな血がわたしにも流れていたりして!! なんてことを思ってしまいました。そして、もし、今回みたいな協力的な方々となら、夫の協力もいりますが、何度だって役員をさせてもらってもいいな!!などと、都合のいいことを思ってしまいました。
とにもかくにも、こんなわたしを役員に誘って頂き、快く受け入れて頂いたことに感謝しています!!
  

夏祭りの長~い一日

2015年09月07日 | 日記
 この夏も地区の神社の夏祭りがありました。これは、地区役員さんや婦人会の方々と小中学生の保護者でつくる愛護班(子供会のようなもの)が協力して、かき氷やフランクフルト、スーパーボールすくいなどの催し物を用意し、普段接点のない世代間の交流も目的にしています。今年度、初めての愛護班役員となったわたしにとっては、これまでにないとても大きな行事となりました。
 そもそも、この役員が弱視の自分に務まるのかという不安がありました。ご近所さんが、一緒に動けるからと誘って下さったので、自分の見え方を知って下さっている方と一緒にできるなら「これはいいチャンスだ!」と思い引き受けることにしました。でも、サポートをお願いしてばかりだと返って迷惑ではないかという心配もありました。そんなこともあり、役員を引き受けるにあたっては夫にも協力をお願いして臨みました。
 お祭りの事前の集まりでは、ご年配の方々と顔合わせや話し合いがあり、どこまで伝わったかはわかりませんが、弱視のことをしっかり伝えました。そして、チケット(集会所での飲食物引換券)作りは夫にしてもらい、わたしは案内文づくり。お菓子や食材の買い出しなどは、すべて他役員さんがして下さいました。
当日は、午前8時に集合。夫もテント張りや焼き肉の準備のため、イベントは午後からでしたが、子ども達も引き連れて家族で集会所に出向き、それぞれの作業に取りかかりました。子ども達もがらんとした集会所の部屋で、二人してくじ引きの準備を手伝ってくれました。わたしは、役員さんとそうめんゆがきや地区の婦人会の方々と数種類のおにぎりを作ったりしていると、あっという間にお昼になり帰宅。
 午後は2時集合でしたが、夫はその30分前に出てくるよう言われていたので、また家族で集会所へ向かうと、神社へのお参りに誘われ同行しました。すると神事が始まり、社の中にいたこともあり、2時の集合時間が近づいても中座できない状態。ちょうど2時に一区切りがついたので慌てて社を出て集会所までの数百メートルを走りました。木々でうっそうとした社付近は暗くて足下など全く分かりません。木々の向こうに見える明るいところを目指して猛進。普段白杖を持って歩いているくせに、とにかく急がねばと転ばないように足を高く上げて進みました。もはや見えているのかいないのか、前だけ向いて走り、集会所に到着すると汗が一気に噴き出しました。 他の役員の方々は、そうめんを並べたり、くじ引きや輪投げの準備を始められていて、こんなことなら神社へのお誘いを断るべきだったと後悔していました。
ほどなくして、神社でのお参りを終えた子ども達が集会所でのお祭りにやって来ました。
 さて、わたしは二人で輪投げの担当となり、輪投げのチケットと引き替えに輪を二本手渡し、もう一人の担当者が輪の中に入ったものを取って下さるので袋で受けて子どもに渡しました。子どもが差し出してくるチケットが視野に入るようきょろきょろし、輪が落ちる音に耳をすませてそこへ袋を持って行き、お菓子の入った袋を子どもに渡し・・・わたしとしては、こんなに集中し神経を使うのは仕事をやめて以来、初めてのことでした。もちろん、子ども達の見分けなどつかないので、面識のある子ども達も完全に無視状態。一緒に担当して下さった方は子ども達のことをよくご存知で、楽しく話しかけながら場を盛り上げて下さっていました。その場で弱視を子ども達に説明するわけにもいかず、ただただ失敗しないように、あたふたと作業を続行。慣れてくると輪の落ちたところも音ですぐに把握できましたが、視野の欠けているところがどこなのかはぜんぜん意識出来ず、常に気を張っている感じでした。約1時間半のことでしたが、何とも長い時間でした。
 それにしても、他の感覚を総動員し、回数を重ねるとけっこうそれなりにできてしまうことが、弱視をもっとわかりづらくしてしまうのだろうなと感じました。実は緊張していっぱいいっぱいであることなど、外見ではわかりませんしね。
 夫の方は戸外での焼き肉焼きで大汗をかきつつ、地区の年配の方々と交流し、子ども達も楽しい時間を過ごしていまたようです。
 片付けを終えて帰宅すると、長い緊張感からの解放感と無事に終わった安堵感を味わうと同時に、疲れがどっと押し寄せました。そんなわけで、歳のせいもあるのでしょうが、酎ハイごときで悪酔いしてしまい、シャワーも夕食もとれずに倒れ込んで動けなくなってしまいました~
 〝もう、こんなに神経をつかうことなど、二度としたくない!!〟と痛感しましたが、冬にはクリスマス会が・・・
 先のことはおいておいて、今回担当したことができたのは、とにもかくにも、心ある役員さん達のお心遣いのお陰です。もちろん、細々と協力してくれた夫にも感謝しています!!

(弱視故に疲れ果ててしまった!!ということばかり書きましたが、こんなハプニングもあったのです。午前中のガスの炊飯器の点火時、ガスが少したまっていたのか「ボンッ!!」と熱風が出ました。目が悪いくせに、火を確認しようとガス釜に顔を近づけていたわたしはその熱風をまともに受けてしまいました~!!驚いたのと焦げ臭さに呆然としましたが、被害は睫毛が焦げたただけで、不幸中の幸い。でも、何だか目にも違和感がありました。一緒にいた役員さんたににも随分ご心配をお掛けしました~。慣れないことはしないに限りますね。)


 みなさん、お疲れ様&ありがとうございました!!




下の娘の将来の夢

2015年06月14日 | 日記
「〇〇の将来の夢は薬剤師!!」と小学一年生の娘。それは、保育園児の時に言い出したことです。当時はそんな職業をどこで知ったのだろうかと思いつつ、「へえ~、お薬の仕事って知ってるの?」などと聞いたりしました。「知ってるよ。」としか言っていなかったと思うのですが、この春わたしの実家に帰省中、おばあちゃんにはその理由を話していました。母によると、「〇〇の将来の夢は薬剤師。△△くんにお薬作ってあげたいから。」と話したそうです。△△くんは保育園での同級生で腎臓が悪く入院もしばしば。でも、登園している時はとても明るく元気でよく一緒に遊ぶ仲の良いお友達。わたしにも「〇〇ちゃんのお母さん!」と、人なつっこく声をかけてくれていました。人気のアニメのことをよく知っていて、そのキャラクターをとても上手に描けるのだと娘が得意げに話していました。ですが、薬の副作用で太っていることを年下の園児にからかわれたり、たたかれたりることもあったようで、そのこともとても辛そうにわたしに話していました。(このことには保育園側も対処していましたが。)
大好きなお友達の△△くんがお休みしなくてはならなかったり、からかわれたりしているのを目の当たりにして〝病気が治ったらいいのに〟と思うのは極自然ですが〝△△くんのために自分が薬剤師になって病気を治したい〟という気持ちになったことを何とも可愛く、また誇らしく思います。
ふと、わたしの目は治したいとは思わなかったのだなと思いました。中学時代の同級生が薬科大学への進学はわたしの目のこともあったと話してくれたことを思い出したのです。でも、もし、「ママの目を治したいから。」と言われたら、嬉しいようでいて、やはり切なさも感じてしまうと思うのです。単純に薬では治らないとあきらめているだけなのかも知れませんが、とにかく、〝今のわたしのままでも良いと思ってくれている。それは、不便があっても、心ある多くのみなさんのお陰で幸せに暮らしているのですから、それが娘にも自然に伝わっているからにちがいない〟と勝手に良いように解釈して、もう一度喜んでいます。
そして、家族はもちろん大事ですが、彼女は広い広い社会に踏み出しています。たくさんのいろいろな人に出会って、いろいろな経験して、感じたり悩んだりしながら歩んでいって欲しいものです。
それはそうと、薬剤師になりたいという夢、万が一続くなら手放しで喜んでばかりいられません。学費がどれだけかかることか!!夫婦で、「うちにはそんなお金ないよ。学校へ行くお金は自分で何とかしてよ。奨学金とか特待生とかいうのもあって、それは・・・」などと今から子ども達に話しています。
現実は厳しい!!


下の娘のこんなところ

2015年06月10日 | 日記
小学生になった下の娘は毎日がとても楽しいらしく元気いっぱいに過ごしています。この頃はすぐ近所に同級生の住まいがあることを知り、お互いの家で宿題をするようにもなりました。それまでそのお友達のお母さんと話したことが無かったので、おそらく地区のPTAなどでわたしの目のことはご存知だろうとは思いつつ、前回紹介した文章をお渡ししました。そして、娘はわたしが弱視であることを人に伝えるのをあまり肯定的に捉えていないというか、そのことに触れて欲しくないと感じているらしいことを話すと、「そんなことはないと思いますよ。〇〇ちゃん、自分から『ママ、目が悪いんよ。メガネかけてもダメなんよ。』ってだいぶ前に話してくれましたよ。」とのこと。わたしは本当に驚きました。彼女の表情は見えませんが、わたしが「よく見えなくて・・・」などと話していると、決まって何も言わずにいますし、上の娘は横から入って来て「そうなんよ。ママ、見えんけんね。」などと言っていたのとは違う・・・上とは違って下の娘は出来れば隠したいくらいに思っているのかも知れない・・・と勝手に思っていました。なのに、わたしのいないところでは自ら人に伝えていたとは!!上の娘の時にも感じたことですが、こんなに近くにる自分の子どものことでさえわかっていないものだなあ~と、改めて知らされました。そして、こういうことがあると、やはり、親同士のお付き合いは大事だなと感じました。
Sちゃんのお母さん、今後ともよろしくお願いします!!

それから何日か後のことです。出掛けた先で車から下りお店に向かって歩いていいると、「ママ、シンボルケーン(白杖)出したら?」と手をつないでいた下の娘に言われ驚きました。上の娘が「もう、すぐそこやし出さなくていいことない?」とわたしの代わりに返答したほどの距離だったのです。
白杖を持ち始める時、ためらっていたのは下の娘でしたが、いつの間に考えが変わったのでしょうね。

下の娘も小学一年生!!

2015年06月09日 | 日記
下の娘も小学生
この春、下の娘も小学校に入学しました。保育園からのお友達がたくさん同じ学校に入るので、随分前から入学をとても張り切って楽しみにしていました。
上の娘の入学時は、娘はもちろん、親も小学生の保護者一年生で何もかもが初めてのことばかりでしたし、保育園と違って出番の多い小学校という場所で、母親のわたしが弱視であることをどのように先生方や保護者のみなさんに伝えていけばスムーズに保護者としての役割が果たせるだろうかと考えさせられたものです。ですが、昨年末から白杖を持ち始めたので、とりあえず視覚障害者であることは周知できるようになったということですっかりラクになりました。それまで普通に見えていると思われ困っていたのが、逆にアピールし過ぎかなと思えるほど!!
そして、入学前から学校側に伝えていましたが、入学式を終えてすぐに担任の先生に自分の見え方についてまとめたものをお渡しし、家庭訪問でも話せて安心できました。
たた、初めての参観日で隣になった方に目のことを話すと「え、そんなに目が悪いのですか?」と、とても驚かれました。白杖を持っていても、見えているように見えればそういうことになってしまっても仕方ありません。何しろ視覚障害者=全く見えない人という認識が普通で、まして、ある程度見えている人も白杖を持つなど知っている方が希です。担任の先生にお渡しした文章を常時携帯するようにしているので、その方にも手渡すことができました。一言では説明仕切れないことなので、この文章配りはなかなかのグッドアイデア!!とっても感じの良い方に渡せ、新たな理解者が増えた思いで嬉しくなりました。
以下にお渡しした文章を貼り付けます。

小学6年生ごろまでは普通に見えていましたが、急に視力が落ちて少しずつ悪くなりました。成人してからはそれほど進行していないと感じていますが、最近は年齢のせいか白杖を持って外出する方がラクになりました。(網膜疾患のためメガネやコンタクトレンズで矯正ができません。視力は両眼とも、0.02程度。天候や環境などによっても見え方が異なります。まぶしさを感じやすく、網膜を守るためにもサングラスをかけます。)
視力が0.02程度ですから遠くはそれなりにしか見えませんが、近づければ新聞の見出しほどの大きな文字なら裸眼で読めます。そして、拡大読書器や電子ルーペなどという拡大機器があり、それらを使えば普通文字サイズの印刷物も時間はかかりますが読めます。(パソコンや携帯電話は、拡大機能や音声読み上げ機能を使って活用しています。)
また、視野の中心が欠けています。その欠けた部分の画像を脳が自然に補っており、目の前のものが見えていないことに気づかずぶつかってしまうこともあります。
そんなわけで、当然人の顔ははっきり見えませんので、だいたい見えている背格好や服装などを頼りに見分けています。ある程度お付き合いすれば声や話し方でわかりますが、思わぬところで出くわすなどすると声をかけてもらっても誰だかわからないことが多いです。(名乗って頂けると助かります。)
 
中途半端な見え方ですから、いろいろとお世話をかけることも多いかと思いますが、よろしくお願い致します。

※道路交通法上、全く見えない人(全盲)だけでなく、視力や視野に障害のある人(弱視)も白杖(シンボルケーンとも言う=視覚障害者を表す杖)を持つよう定められています。それは、足下の障害物を確認するためというよりは、車のドライバーや周囲の歩行者によく見えていないことをアピールし、注意喚起することで衝突事故などの危険を回避するためです。また、白杖を持つことで視覚障害者であることが伝わり、サポートを申し出たとき、スムーズな対応を受けることができます。(弱視は外見上普通に見えているように捉えられ、必要なサポートを受け難いことがあります。)
わたしにとっては、周囲へのアピールはもちろん、段差の確認などにも使えるとても便利なツールです。