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ママは弱視 子育て日記

弱視ならではの視点での雑感ブログです
弱視をご存知の方にも そうでない方にも
気軽に読んでいただければと思います

ステキな土曜日の午後

2012年06月25日 | 日記
土曜日、保育園にこの春卒園した子ども達が招かれ、カレーパーティーが行われました。この午前中までの行事を終えてから、三人のお友だちが我が家に遊びに来ることになっていました。(親しいママ友のお子さん達で、わたしが目が悪いこともよく知っています。)
大興奮のまま下の娘も加わって5人の女の子が、ドタドタ、キャーキャーと大はしゃぎ。午前中夫婦二人で静まりかえっていた我が家が一気ににぎやかになりました。
上の娘や私もそうですが、この年代の女の子はお菓子作りが大好きです。こちらで〝3時のおやつ〟を準備するより、作るところから楽しめたら、きっとどんな出来上がりでも最高においしく食べられるはず!と思い、今回もカップケーキをみんなで作ろうと予定していました。実は、長時間屋内で遊ばせる日の退屈しのぎにと思いついたことですが、お菓子作りはいつも好評で、いつの間にか「また○○ちゃんとカップケーキ作りたい!今度はクリームで飾りたい。」などと娘にリクエストされるようになりました。
今回は5人+私なので、せまいキッチンにはとても入りきらず、リビングのテーブルで作業することにしました。いつものように、あらかじめひらがなで材料を書き出しておいたので、「お砂糖何グラムって書いてる?!」「量りをしっかり見ててよ!」と私は声を出すだけ。と、言っても、みんなが口々に「わたしが入れる!」「次、わたし!」「○○ちゃんずるい!」「早く、早く!」と、まあ、とにかくにぎやかを通り越した状態。私も負けずに「は~い!次は○○ちゃんの番!○○ちゃんはコレして!」と大声の出しっ放し。音声量りのお上品な声なんて全く聞き取れません。でも、みんなが数字を読み上げてくれるので大丈夫。三桁のグラム数のデジタル表示を右から読んだり左から読んだりと一年生にはまだまだ任せきれないところもありますが、「こっちから読んで!」にみなが口を揃えて読み上げる数字を信じて完了。そんなこんなでますます大賑わいでした。卵は4個で足りたのですが、全員が割りたいと言って収拾つかず、やむなく一個追加。その分他の材料も適当に増やしたり。子ども達がたくさんのカップに入れた量はもちろんまちまちでしたが、「どれが少ないか見て!」と一言言うと、みんな一生懸命のぞきこんで、量の少ないカップを教えてくれ、大助かりでした。やっとオーブンに入れるところまでこぎつけた時に時計をみたら一時間もかかっていました。
土台が焼き上がって、デコレーション用のホイップクリームを泡立てるのも一仕事。そして、子ども達が一番楽しみにしていたデコレーションはまたひとしきり盛り上がりました。わたしはホイップクリームを絞り出し用の袋に入れたり、その場の〝しきり役〟で、それぞれが思い思いにかわいく仕上げました。そして、「こんなんにした~!」と私の顔まで近づけて見せに来てくれたり。
大きな声でしきって先生きどりの私でしたが、子ども達の言動に大笑いし、子ども達に自然に協力してもらい、本当にステキなひとときでした。
そして、参観日の時に廊下で私に声を掛けてくれた子がいたのですが、顔が見えず誰かわからなかったことを告げると、「これくらいやったら見える?」と、腰を低くし両膝に手をついていた私の顔に、これでもかと言うくらい顔を近づけて来ました。近くにいたもう一人も「これくらい?見えた?」と子どもならではの愛嬌で顔を見せに来てくれました。
私の方がてれくさかったですが、ま~るい顔にニコニコ笑顔の愛らしい表情が見えました!!
どの子もホントにかわいい。
また、来てね~!!

給食試食会

2012年06月16日 | 日記
昨日は、以前に書いていた「給食試食会」でした。
わたしが目が悪いことを子供や親御さんに知っておいて欲しいという思いがあり、みんなの前で話せればと思ったものの、娘の気持ちを考えねばという思いも出てきました。話してしまえばラクだけど、そんな簡単なことじゃないのでは?もっと娘への影響などもしっかり考えて行動すべきなのでは?と、自分をたしなめたりもしてきました。
でも、話すことを決めて、それをご近所さんや数人のママ友さんに伝えたところ、皆、「それがいいと思う」と言って下さり、何だか迷いがふっきれたというか、お墨付きをいただいたようで、いつの間にかこの「給食試食会」が楽しみにさえ思えていました。
娘には前日、「ママ、緊張しないの?何て言うの?」と尋ねられたので、その短い言葉を聞かせました。そして、「これでいいとママは思うんだけど、○○○はどう?」と確認しました。娘が尋ねてくれたお陰で、娘の了解もとれたわけです。
Mさんの車で学校に到着し、娘のクラスの前で別れると、担任の先生(「○○○さん(娘)、今日お母さんが話されるのを楽しみにされてますよ。」と言われたのには驚きました。)はじめ、何人かの親御さんに声を掛けていただきました。「○○さん、○○ですが、」と、名乗って下さり、地区の集まりの自己紹介で目が悪いことを伝えた効果がさっそく現れたと実感しました。
そして、給食のトレイを娘の席まで運んでいると「大丈夫ですか?」と、どなたかが声を掛けて下さったり。
ママを迎えてはしゃぐ子供達の声でとてもにぎやかな教室でしたが、先生の「いただきますの前に、○○○さんのお母さんからお話があります!」の一言で静かになりました。
最後の親御さんへの一言をのぞいては、一年生の子供向けにゆっくりと短い文で話しました。

「みなさんに、知っておいて欲しいことがあります。
それは、わたしはとっても目が悪くて、どんなメガネをかけてもよく見えないということです。
だいたいは見えているので歩いたりするのは大丈夫ですが、例えば、みなさんの顔も見えないし、教科書の字も、大きくする機械がないと読めません。
なので、どこかで出逢っても顔が見えないのでわかりません。
どうして知らんぷりしてるのかなあ。と、思うでしょうが、そんな時には、あ、目が悪かったんだなと思い出して、声をかけてもらえたらうれしいです。
保護者のみなさんには、いろいろとご迷惑をお掛けすることもあろうかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。」

ほんの一分ばかりのことで、どのような表情で聞いてもらったのかもわかりませんが、これを機に、気持ちが軽くなりました。そして、親子三組づつのグループの中で話すのも気楽でしたし、一人のお母さんは娘の絵日記が教室の後ろに張り出されていることを教えて下さいました。わたしたちのグループ席が一番後ろで、張り出された掲示物に手が届きそうなくらいの距離でしたが、「わたしには見えないんですけど、どんなのですか?」と尋ねると説明して下さいました。初対面だとます、目のことを話してからになりますが、その手間が省けるというか、そのことを前提に会話が出来て本当にラクでした。
昼休み後の授業参観では、以前から親しいSさんが娘の様子もちょこちょこ実況中継して下さって、どこに娘がいるかさえ見えないのに、その様子がよくわかりました。
帰りはまたMさんにお世話になり、下の娘の保育園のお迎えまでしてもらい、本当に皆さんに感謝感謝の一日でした。
帰って娘に、「お友達にママのこと何か聞かれなかった?」と尋ねると、「何にも聞かれないよ。だって、みんな知ってたもん。」との返答。「えっ、知ってたってどういうこと?」と尋ねると、「○○○、いつも学校で〝ママ、目が悪いんよね~〟って言ってるもん。」と言うのです。クラスのみんなに言っていたとは思いませんが、ごく自然に話していたようです。
何だか笑えてきました!!
そして、明るい気持ちで娘をこちょこちょ。下の娘も加わってキャーキャーとにぎやかにじゃれ合いました。


今、また思う

2012年06月09日 | 日記
娘が物心つくかつかないころから、世の中にはいろいろな人がいることを意識的に伝えていたので、わたしのこともそんないろいろな人のうちの一例で何ら特別なことではないと捉えていたようですが、最近は「お友達のお母さんで、ママみたいな人、ぜんぜんいない。耳が聞こえない人も、足が悪い人も。みんなちゃんと見えるし、耳も聞こえる。車に乗れないお母さんっていないよ。」と、言うようになりました。でも、わたしの知る限り、彼女の言うとおりです。そこら中に障害のある人がいるという比率もそれはそれで大変ですがね。
「ママ、目が悪くなかったら良かったのになあ。 そしたら、こんなのも読んでくれて…いろいろ作ってくれたり・・(裁縫で人形のお洋服など)、どこでも買い物行けるし…」と、次から次へとして欲しいことや一緒にしたいことを並べ立てたりもします。工夫してどうこうでなく、普通に見えるわたしを思い浮かべて、手の届かないものを悩ましげに欲しがるような感じとでもいうのでしょうかね。
そんなこともあって、ただでさえシャイな娘、クラスのお友達の前でわたしが話すことに対し、イヤに思うかなと思っていましたが、すんなりと「うん」と言ったことが未だに不思議です。単純に娘が成長したと喜んで良いのでしょうかね。それとも、仕方ないと思っているのか・・・はたまた、「もしも普通に見えたら…」と言ってるわりにそれほど気にしていないのか…。大きくなってから聞いてみたいです。
あと思うことは、むしろ、お友達に質問してもらえるとより解ってもらえるチャンスになるので嬉しいのですが、否定的なことを言われたら・・・例えば、「○○ちゃんのお母さん、目が悪かったら○○も出来ないの?」とか「○○もしてくれないの?」などと聞かれたらいい気持ちではないだろうなと勝手に思って杞憂してしまいます。(今回はとても慎重にいろいろなことを想定します。何しろ、娘の小学校生活に関わるので。猪突猛進でかまわないのかも知れませんが。)
そして、昨年、娘が通う小学校の三年生のクラス(児童と保護者の前)で、二人の障害児の親御さんと一緒に招かれ、自分のことや弱視になった時の気持ちなどをお話する機会がありました。いろいろと伝えたいことがありましたが、結果的にわたしを知ってもらって出逢ったら時には声をかけてもらえるようになったらいいなという期待がありました。
ですが、それは理想に過ぎなかったのかも知れないとも思っています。
世間って、そんな甘いものじゃない!と言う思いと、そんな捨てたもんじゃない!が交差しています。平均寿命の半分も生きていないのですから、まだまだですね。





嬉しいメール

2012年06月07日 | 日記
今日は、来る給食試食会で、わたしが自分の目のことを娘のクラスで告知すると決めたので、どんな言葉で伝えたら良いかと、いろいろな言い回し方を頭に浮かべていました。
そして、この日に「迎えに行くから一緒に行きましょう。」と申し出て下さったMさんにも、告知することを伝えておこうと、お仕事を終えられる時間を見計らってメールしました。すると、ちょうど仕事を終えられたところで、すぐに返信がきました。
〝子供は何の悪気もなく、目があまり見えないというのが不思議で○○○ちゃんにいろいろ聞くかも、だけど、○○○ちゃんなら、うまく説明してお友達を納得させそう
見えにくい、というのを周りに知ってもらうというのは、大事な事だと思う
特に、○○○さんは言われないと分からないしね〟
と。
なぜだか胸が熱くなり、涙が出てきました!年のせいで涙腺が緩いわけではありません!
昨夜も、「どんな風に言おうかなって考えてるんよね~!もし、お友達がママがいない時にいろいろ聞いて来たら、授業参観の後にママに聞いてって言うのがいいかな。とにかく、質問募集中って言っとく?」などと楽しげに娘に話していましたが、このことで娘がイヤな思いをすることになったら・・・わたしの子どもである以上、こういうことは避けて通れないけれど大丈夫かな。などと心配に思う気持ちがあったことに改めて気づきました。
でも、〝○○○ちゃんなら、うまく説明してお友達を納得させそう〟に、何だかすごく勇気づけられた思いですし、こんな風にちゃんと向き合って考えてくれる人がいるなんて、なんて有り難く幸せなことかと思いました。
Mさんには、すぐにこの気持ちを伝えたくて、お仕事でお疲れ&遅い昼食の最中に電話してしまいました。ついついいろいろ話してしまい、Mさんの遅い昼食の麺、「もう、のびのび~!」と電話の向こうで笑いながらご報告いただきました~
Mさん、ごめんなさい!そして、本当にありがとうございました!!


中途半端な弱視

2012年06月06日 | 日記
全く見えない状態は目をつぶれば容易に体験でき、何をするにもその不自由さは想像に余りあることがわかります。
それに比べて弱視は・・・それなりに見えていて、視覚的情報を晴眼者(視覚障害者でない人)と同じくらい活用して生活しています。外見も、自分の見え方に慣れていることで、あたかも普通に見えているかのように見えるようです。片目が義眼であったり斜視があると「目が悪い」と見た目ですぐにわかりますが。
言うまでもなく、学習や仕事となると、文字の読み書きや人の見分け、移動やレクレーションなどなど、ほとんどの行動に支障をきたし大きな障害になるので、当然しっかりと周囲に理解を求めないとどうにもなりませんが、ちょっと外出した時などは、どういう言葉でどこまで伝えるか迷う弱視者が少なくないでしょう。
わたしもそんな一人で、端的に弱視であることを伝え、必要なサポートをスムーズに受ける難しさを感じています。
大人になってやっと弱視であることを告げることに抵抗がなくなったのに、相変わらず誤解を招くことが多いのですよね。見えているふりも、見えていないふりもしたくないのですが、それが本当に難しいのです。
バスに乗って運賃を尋ねたら「そこに書いてある」といつも言われるので「目が悪くて」というと「メガネは?」と聞かれ、「矯正できないんです。」と言ったら「そんなの聞いたことが無い」と言われたこともあります。障害者手帳を提示したら、「それで障害者?」と言われたことも。わたしの20歳代が過渡期だったのかも知れませんが、交通機関各社の社員教育に障害者対応マニュアル(その中に弱視も盛り込まれたのかも)のお陰なのか、そういう言動を聞くことはほとんどなくなりました。
見えにくいことがわかってもらえず不便だと嘆くなら、白い杖をつけば周囲にわかってもらえるではないかと言われますが、これも微妙です。歩き慣れない駅で表示が見えない上、人が多くてぶつかることを避けるため白杖を使ったことが何度もあります。すると、駅員さんが飛んできて案内してくれて非常に助かるのですが、「えっ、そんなに見えるんですか?」と不可解な声色で対応され、何だか見えてないふりしてると思われたみたいで・・。「足が悪いのですか?」(こんな細い棒一本で支えられませんけどって思いました。)とか言われたりすることもありました。
それもこれも、誰も悪くなくて、ただ、全く見えない視覚障害者は知られていても、中途半端な状態の弱視が知られていないだけ。そのうえ弱視と言っても見え方が十人十色だからでしょうね。なので、うまい解決法なんてありっこないのでしょう。
そういえば、ずいぶん前に東京在住の弱視の男性がこんなことを話していました。電車の駅で切符を買うとき、料金を知りたければ野球帽を深めにかぶって、漢字が読めないアジア系の外国人みたいに「シンジユク(新宿)、イクラ?」とか片言でその辺の人に聞くそうです。たいていさらっと教えてくれるし東京だから外国人が多くて不自然じゃない。それに人が多くていつでも何回しても全く目立たない。田舎じゃ通用しないやり方だけどね。いちいち目が悪いんで切符を買って欲しいとかお願いしても面倒がられるけど、相手が外国人だと早くその場を去りたいのかさっと料金を教えてくれる。券売機の字が見えなくても、投入した金額分だけボタンが光るから、そのボタンを押せば切符が買えるというわけです。
今となっては、カードや携帯電話の電子マネーが普及し、料金を確認したり券売機を使う必要がなくなり、彼も駅で外国人を演じる必要はなくなったことでしょうね。