ママは弱視 子育て日記

弱視ならではの視点での雑感ブログです
弱視をご存知の方にも そうでない方にも
気軽に読んでいただければと思います

運動会 (2013)

2013年05月29日 | 日記
日曜日は小学校の運動会でした。五月晴れに恵まれ、風もあって日陰は涼しく気持ちの良いお天気でした。ですが、とにかく疲れました。何もしていないのに、何もしていないからか、長い長い一日でした。
下の娘はまだ4歳で、始まる前から「アメ食べていい?」「ラムネ開けていい?」と繰り返していました。じっと座っているなんてとても無理なので、運動場の周りを手を引いてうろうろ。時々知人に声をかけてもらったり、下の子のお友だちと出くわして遊ばせたりもしていましたが、「まだ、終わらないの?」の連発。夫にバトンタッチしたいところでしたが、夫はわたしに娘の様子を見せるためのビデオ撮影に出たり入ったりでそれどころではありませんでした。
わたし自身も下の娘にべったりでどうにも持て余し、競技の様子を見に行ってみたのですが、先ず、白い運動場がまぶしく、我慢して見ていても当然ながら何が何だかよく見えず、娘に自分を見つけてもらえるよう立っているだけでした。実況中継のアナウンスやにぎやかに響く音楽だけでも楽しめるのでしょうが、弱視歴は長いものの、小学生の保護者になってからまだ二年目。この見え方でこの長時間をやり過ごすことにはまだ慣れていませんでした。
ところで、運動会の練習が始まると、自宅でもダンスを踊っていて、わたしには何度も見せてくれていました。夫が見たいと言っても見せることなく、いつもわたしにだけ。そんな娘がある日言いまいした。「運動会の時、ママには見えないから今見せてるんよ。パパは見えるしね。」なるほど、そういう理由だったとわかり、わたしのことをちゃんと考えてくれているのだなと嬉しくもなり、また、健気な娘が愛おしく思えました。
かけっこはあまり得意でない娘ですが、障害物競走では見事一番で、すっかり上機嫌でした。義母はそれを見逃したとかなり残念がっていましたが。
母親のわたしはその場にいても見てやれませんが、義母は遠距離用のメガネ持参で熱心に見て下さって褒めて下さいます。そんなわけで、我が家の娘たちにとっては、義母の存在がことさら大きいのではないかと思います。
そして、同じ保護者のJさんが、〝同じ運動場にいて、〇〇ちゃんもきっと嬉しかったはず。〟と、メールに書いて下さっていました。
実際、娘は終日とても張り切っていて、しっかり楽しんだようでした。

ちなみに、今回も夫が腕をふるってくれて、品数豊富でおいしいお弁当でした。運動会の前夜と当日の早朝、二人で台所に立っての準備は大変ながら、〝幸せだなあ〟とひそかに楽しませてもらいました。最後におのろけ、失礼しました!!


Rくんに捧ぐ

2013年05月24日 | 日記
先日、ご仏前にお線香をあげさせてもらうため、家族である知人宅を訪ねました。ご夫婦は三十代で、亡くなられたのはまだ8歳のお子さんRくんです。
Rくんは自分で歩くどころか、生まれた時からずっとベッドの上で寝たきりでした。自分の意思を伝えるすべもなく、体も全く動かせず横たわっていました。最先端の医療技術をもってしても機能の回復は見込めず、生きるためにこの8年間に10回もの大きな手術を受けてきたのです。
Rくんが手術を受けると聞くたびに、小さい体にメスを入れられることを想うと、それはRくんのためとわかっていてもいたたまれないような気持ちになったものです。それで、様態が悪いと聞かされた時、本来なら助かるように願わねばならないのに、Rくんがまた辛い思いをしているにちがいない。耐えがたい辛さを感じていたとしても、訴えるすべもなく生かされているなんて…ラクにしてあげたい…という気持ちでした。その後、一度は回復されたと聞いていたのですが、しばらくして亡くなられたことを知り、その時も何と言ったら良いのか、周囲はどう思おうとRくんは苦しみから解放されたのだと言う気持ちの方が大きかったのです。
二家族がリビングに会していると、「火葬が終わってお骨を拾うとき、釘が何本もあって、手術でRの頭に入れられたものだと思って拾ってたら、棺桶の釘だって言われて笑ってしまいましたよ~」などと、いつもどおりに笑える話しをされていました。でも、そのままの口調で父親としての気持ちを話され始めました。「いつも危ないって言われても切り抜けてきたから、今回もどこかで大丈夫だろうって思ってました。まさか、まさかでした。でも、始めから長く生きられないと言われていたのにこんなに生きてくれて。Rは強い子でした。」「大学病院にいたら先生たちにとり囲まれて自分たちは最後をみとれなかっただろうけど、こっち(地元)に帰ってきてて、最後の二時間くらい一緒にいれました。最後に親孝行してくれたんです。欲を言うなら、あと一日でも二日でも長く生きていて欲しかったですね。」「もう、Rは痛くないんです。痛くないんですけどねえ。でも、死んでしまったらもう終わりです。何にもないんです。痛みも何もないんです…」「Rがいてくれていろいろ勉強させてもらいましたよ。すごく大きな存在で…他の姉妹にとってもです。」明るく次から次へと、でも、言葉を確かめるように話されていました。そして、火葬のスイッチを押すまでが、ふん切りがつかず辛かったと。
わたしは涙をこぼさないように我慢していましたが、こらえきれずハンカチを使ってしまいました。我が子を失った親の飾らない言葉に胸を締め付けられるような感覚でした。端の人間に涙を見せる資格などないとわかっていてもどうしようもなかったのです。
そして、わたしは何もわかっていなかった自分が恥ずかしいというか…。Rくんはもっと家族と生きたかったに違いないと思えて来て…確信して…。今さらながら、親ならどんな状態であっても、ただそこに生きていて欲しいと願うものだと改めて思い知らされて…。
この一家にとってRくんの存在の大きさは計り知れません。端の人間には想像もつかない大変さや辛さがあったことでしょうし、また逆に、想像もつかない喜びや幸せの体験があったのだろうなと推察しています。
何年も前のことですが、Rくんのおばあちゃんにあたる方が、Rくんを愛おしそうに胸に抱きながら、わたしにこんなことを言っておられました。
「生まれる前にいろいろとわかってどうなることかと思ってたんですけど…、それが今はわたし達にとってRは〝宝〟。〝宝〟なんですよ。」と。


おばちゃんは嬉しかったよ~!!

2013年05月21日 | 日記
下の娘と近所へ買い物に出かけたときのことです。家を出てすぐ、下校中の小学生三人グループが近づいてきて、「一円拾ったんで、これから交番に届けに行きます!」と声を掛けてきました。朝、娘を送り出す時やゴミ出しの時に耳にする聞き慣れた人なつっこい大きな声。そのグループがにぎやかにやってくるので、そちらの方向を向いて挨拶すると、必ず競い合うような大きな声で口々に「おはようございます!」と返してくる子ども達です。そんなに頻繁に出くわすわけではありませんが、子ども達から挨拶されることもありました。挨拶しても返事を返さない子ども達もけっこういますし、このグループの子ども達に好感を持っていました。初めて挨拶以外の言葉をかわすことになり、「百円以下は届けなくてもいいんじゃないかな。」などと話しました。そして、「朝会った時、挨拶してくれるみんなよね?」と確かめると、「はい、そうです!」との返答。「おばちゃん、この距離でもみんなの顔がはっきり見えなくて顔は覚えられないんだけど、元気な声だからそうだろうなって思ってね。」と言うと、「え~、そんなに目が悪いんですか~?!」と驚いていました。「メガネとかかけないんですか?」とやはり素朴な質問。大きな体格から高学年であることは間違いないなと思い、「メガネとかコンタクトレンズでよく見えるようになったらいいんだけどねえ。視覚障害って言うこと。」と言うと、「え~、障害?!どうやって歩くんですかって言うか、まっすぐ歩いてるし!」と不思議そう。「全然見えないのとは違うし、だいたいは見えてるから。いろいろ不便はあるけど歩くのは大丈夫なのよね。」と続けると、「手術したら治るんですか?」など次々と質問されました。「そうねえ。網膜って知ってる?目の奥にある大事なところ。そこがやられてるのよね。今は治らないけれど、IPS細胞って聞いたことあるでしょ。もっと技術が進んだらそれで治るかもね。」と簡単に説明しました。私の説明にいちいち相づちの返事をして興味深々で聞いてくれました。今どき、こんな小学生もいるんだなと嬉しくなって、いつまでも話していたい気分でしたが、交通量のある道に出ました。私達はその道路を横断した先のお店に向かう途中で、子ども達は道路を渡らず交番へ向かうところ。私は横断歩道がないのですが、いつも車の動きを見たり音を頼りに渡っているので、「じゃあ、おばちゃん達はこっちだからまたね。」と、別れようとしました。すると、私の横を歩いていた女の子が道路の真ん中に進み出て両手を大きく横に広げ、「はい、どうぞ。渡って下さい!!」と車を止めてくれたのです!!こんなに驚いたことはありません。私は急いで下の子の手を引いて渡りながら、「ありがとう!ありがとうね!」と連発しました。その女の子は私達が渡り終えると同時に交番のある方へ「さよなら~!!」と叫びながら走って行きました。
なんて素敵な小学生でしょう!!嬉しく、何とも言えない気持ちよさを味わいました。
2年生の娘にこのことを話すと、帰る方向などから「それはSちゃん。6年生で掃除の時の班長さん。」と、すぐに判明。「ママがすっごくすっごく喜んでたって必ず伝えてね。」と、頼みました。
おばちゃんの話をちゃんと聞いてくれたみんな、ありがとう!
Sちゃんも、本当にありがとう!
みんな、これからもよろしくね!!


検索 錐体ジストロフィー


〝2年生の保護者のみなさんへ〟配布 (2)

2013年05月19日 | 日記
わたしが弱視であることを伝える文章を作成し、娘の学年に配布して頂くことになりました。
その文章を以下に貼り付けます

2年生の保護者のみなさんへ

はじめまして。2年〇組の〇〇〇〇の母です。突然ですが、みなさんに知っておいて頂きたいことがあります。
それは、ご存知の方もおられるでしょうが、母親の私がとても目が悪い(視力0.02程度。中心視野欠損。メガネやコンタクトレンズでの矯正ができない弱視。)ということです。歩行にはほぼ問題ありませんが、普通サイズの文字の読み書きや人の顔を見分けることができません。外見上は目が悪いことがわかりにくいようですが、今後の学校行事などで、みなさんと同じようにはできないことも出てくると思います。
ご迷惑をお掛けすることもあろうかと思いますが、よろしくお願い致します。
                                              
                              署名
配布するにあたり、少しクラスで話をすると担任の先生から聞いていましたので、帰宅した娘に「今日、ママのことでお話があったことない?どうだった?」と尋ねてみました。すると「お買い物の時、〇〇さん(娘)が値段を見てくれるとか先生が言ってた。そしたら、お友だちが『万とか読めるん?!』とか聞かれた…」と照れるように返答。「万?!そっか~、いつもそんな高い買い物しないしね~、それは読めないよねえ!でも、お野菜買うときとかいつも見てくれるから家庭訪問の時に先生にお話したんよ。」と、笑いながら話しました。「クラスのお友だち、他に何か言ってなかった?」と聞くと、「うん…。ああ、帰る時、〇〇ちゃん(別のクラスの仲の良い同級生)に、『〇〇ちゃん(娘)のお母さん、目が悪かったん?!』って聞かれた。」と言って、すぐに「今日の宿題は…」とランドセルを開けていました。
お礼の電話を担任の先生に入れたところ、教室での子ども達の様子を教えて下さいました。「『〇〇ちゃんのお母さんと話したことある人!』と尋ねたら、『ハイ!ハーイ!』と何人もの子が手を挙げていました。同じ保育園だったお子さんかと思いますが。」とのこと。そして、「『今度会ったら〇〇〇って言う!』と、いう男の子もいました。」(顔が見えないから自分から名乗るということ)と、いうことでした。わたしも買い物の時のことを先生がお話されたと娘が話していたことを伝えました。そんなわけで、クラスでは終始明るい雰囲気だったようです。最後に「もし、今回のことで〇〇ちゃん(娘)が何か言われるようなことがあったら教えて下さい。」というご配慮の言葉も頂きました。
電話を切ってから、いつもなら気になるお友だちの発言はけっこう細かく話すのに、今日自分の母親の話題だったわりにはほとんど話さなかったとわかりました。みんなの前で話されることを肯定していたのに、いざ話されるとイヤな感じがしたのかも…と、少し心配にもなりました。でも、夫と、娘は案外何も考えてないというか、彼女にとってそれほど大きなことでなかったので詳しく話さなかっただけかも知れないなと話しています。杞憂しても仕方ないですし、とりあえずは見守りたいと思います。
そして、「今回のことで何か言われるようなことがあったらパパやママに言ってね。」などと言ったら、まるで〝何か言われるようなことだった〟と娘が認識するでしょうし、あえて何も言わずに日々の会話で聞き取ることにしました。
それにしても、担任の先生にはお世話になりました。いろいろご尽力下さってありがとうございました!!



〝2年生の保護者のみなさんへ〟配布 (1)

2013年05月17日 | 日記
上の娘が二年生になり一ヶ月半。気になっていたことがありました。それは、わたしが弱視であることをクラスの保護者の方々に伝えられていないということでした。一年生の時は、親子で参加する給食試食会があり、クラスの子ども達と保護者の前で簡単にお伝えできましたが、二年生になってクラス替えがあったものの、年度初めの学級保護者会にどうしても出席できず、そのようなチャンスがありませんでした。
それで、簡単な文章にまとめて学年通信に掲載して頂きたいと考えました。保護者の目にとまるだろうし、ほとんどの人は「保護者にそんな人がいるのか。」程度で、すぐに忘れてしまわれるでしょうが、逆に、その程度の方が大げさでなくてよいかと思いました。わたしが視覚的にできないことがあり、サポートをお願いした時に、「何か目が悪いとか言う人がいたな。この人か。」と思って手助けしてもらえたらどんなに助かるかと期待しているのです。そして、普通に見えていると思われていたために、「〇〇のお母さん、さぼってる。」と子どもが攻められて辛い思いをしたと言う話も弱視の親御さんから聞いていたことがありました。そんなことを未然に防ぎたいがための自己防衛というのか、何も発信せずにわかって欲しいとは言えませんよね。増して、弱視は外見上わかりにくく、ただでさえ誤解を招きやすいので、先手を打っておきたかったのです。
それが、学年通信への掲載は他の保護者のみなさんの手前難しいとのことで、お手紙を子ども達の連絡帳に挟む形での配布はどうかとの提案を頂きました。わざわざわたしの書いた文章だけが載っている紙が配布されるのは大げさ過ぎるかと思い、一度は今年度はやり過ごそうかと思いました。でも、同級生のお子さんを持つJさんに話してみると、クラスのみなさんだけにでもフィーリングに訴えるような文章を配布した方が良いと勧められました。フィーリングに訴える文章は苦手ですが、Jさんと話してやはり早い内にお知らせしたいという気持ちが強くなり、娘のクラスだけにでも配布をして頂こうと決めました。子ども達同士が仲良しのMさんにも「言われないとわからないもんね。」と言われ確信。担任の先生から再度意向の確認があったので、わたしの文章を二年生全員に配布して頂けるようお願いしました。
前日、担任の先生から子ども達にも話そうと思うのですが、どのようにお伝えしましょうかというお尋ねがあり、以下のことを書いてお願いしました。
〝メガネをかけてもよく見えないことが子ども達には不思議かと思います。そのような人もいることをお伝え願います。また、見えにくいことは不便ですが、悪いことでも不幸なことでもありません。深刻にではなく、明るく自然にお伝え頂ければ幸いです。〟
そして、娘が嫌がったらクラスでのお話はやめてもらうことになっていたので確認してみました。「ママが見えにくいことみんなの前でお話されるのどう?」と。すると、「う~ん、自慢っていうか…」と、想定外の返答。言葉の使い方が間違っているというか…でも、それは、わたしの目が悪いことを良いとは思っていないにしろ、大人の認識とは違うようだと解釈しました。「みんなが〇〇のこと見るし目立つよね。イヤじゃない?」と続けると、「イヤっていうか…好き…」と、これまた笑える返答でした。そういう一面もあると感じてはいましたが、一見シャイな娘からの意外な返答でした。それで、「目立つのが好きなのか~!!じゃあ、ママのお兄さんと一緒~!」と話しが脱線してしまいました。
(次回に続く)