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ルーディ・サーゾ インタビュー:ランディ・ローズ

2011年05月02日 07時53分28秒 | DIO
The Star-Ledgerが最近ルーディ・サーゾにインタビューを行ないました。
まあこれは、最近彼が本を出したので、その絡みでしょうね。

1982年のランディ・ローズの飛行機事故について尋ねられると:
「俺たちはそれぞれのやり方で悲しみを乗り越えようとした。
悲しむと同時に、友人を亡くした自分は生きていかなくちゃいけないと思った。
音楽で報いなければいけない相手。それと俺たちの代わりになって、命を救ってくれた相手。飛行機がバスに完全に衝突していれば、そこで寝ていた俺たちも死んでいただろうから」

オズボーンバンドの後、QUIET RIOTに戻ったことについて:
「俺は世界で一番ビッグなバンドを辞めて、全く先の分からないバンドに入ったんだ。
ただ心の安らぎが欲しかった。
有難いことにバンドはうまくいったよ。1983年にはNO.1になって、当時大ヒットしていたマイケルジャクソンの'THRILLER'やスティングの'SYNCHRONICITY'といった素晴らしいアルバムと競うことができたのは、名誉なことだったよ」

ルーディはキューバで生まれて、10歳の時にマイアミへ移住。
↑これはかなりびっくり。え?キューバ人???

「マイアミに来た後は、1964年にニュージャージーに引っ越した。ニューヨーク西部で育ったんだ。
みんな俺になんでラテン音楽をやらないのかって聴くけど。
俺は、ロックンロールをやるために生まれてきたんだ。
俺にとって、ロックってのは自由や希望を求める音楽だ。
ロックってのは、共産国やファシストの国じゃ禁止されてるからね。
究極の表現の形なんだよ」

全文はこちら



☆★☆

ランディの事故の時、ルーディは31歳・・・。
確かに右も左も分からなくなる年じゃない。
でも今だから冷静に話せるだろうけど、当時の悲しみは想像を絶するね。

しかしキューバからマイアミ・・・。なんと異国色満載。
こういうバックグラウンドの人ってやっぱり、ずばぬけた才能の人になるんだろうねえ。
そして身近な人の死を乗り越えると、音にはさらに深みが増す。

はい。日本は共産国でもファシズムの国でもありませんが、
ロックは自由を希求する音楽です。
今の若者には違うのかもしれないけどね☆


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