愛しのロニー/My Dearest Ronnie

LONG LIVE RONNIE JAMES DIO。永遠にあなたを愛しています。

ヴィヴィアン 最新インタビュー 出会いから~ 2017年3月4日

2017年03月08日 20時27分36秒 | DIO

3月4日のSHUT UP AND ROCK ONにヴィヴィアンのインタビュー記事が掲載されました。嗚呼、珍しくオンタイム!

前にもほぼ同じことを喋ってるインタビューがあるんだけど、今回は同じ部分もより細かい描写になっている上、「やっぱりロニーを好きだったのね」とニンマリしてしまう部分がたくさんありますよ。しかし長いので、ひとまず前編てことで。

 

>DIOに加入したのは1983年頃ですよね?

1982年だ。

>どんな経緯だったんですか?オーデションですか?Sweet Savageでのプレイを聴いたメンバーから連絡がきたのですか?

ジミー・ベインさ。彼がSweet Savageでの俺のプレイを聴いてロニーに推薦してくれたんだ。俺はまだベルファストで暮らしていたので、ロンドンまで飛んでいったんだ。ロニーにもジミーにもそのとき初めて会ったよ。1982年の9月だったと思う。俺たちが一緒に音を出し始めると、ロニーはそのサウンドが気に入ったと言わんばかりに微笑み始めたんだ。数週間後、俺はLAに飛んで、'Holy Diver'の製作を始めたんだ。

>DIOに加入したときどんな気分でしたか?知り合いはいましたか?緊張しましたか?

俺が知ってるのはジミーだけだった。ロニーにもヴィニーにも会ったことはなかったけど、実は俺は大のDIOファンだったんだ。だって'Rainbow Rising''Long Live Rock n Roll'も持っていたしね。皮肉なことに当時はサバスのことはあんまり好きじゃなくて、それなのに'Heaven and Hell'アルバムには夢中になってしまったんだ。車に持ち込んでよく聴いていた。つまり俺は大のロニーファンだったんだ。だから物凄く緊張したよ。実際俺はロニーと一緒にいてずっと緊張しっぱなしだったよ。彼は俺が12歳ぐらいの頃からずっと聴き続けてきた凄いロックスターだったんだぜ?大スターさ。だけど俺はベルファストから出てきた無名の若造だ。彼は俺よりずっと年上だったし、世代的なこともあるだろ?ロニーと俺は互いに居心地が良かったとは言えないと思うよ。俺たちの関係はいつもぎこちなかったけど、音楽的にはすごくうまくいったんだ。互いに話をしなくて済む内は素晴らしかった。

'Holy Diver','Last in Line','Sacred Heart'を見てごらんよ。突出してお気に入りのアルバムだろう。最初のアルバムは3枚目よりも断然楽しかった。'Sacred Heart'は様々な理由からとてもとても製作が大変だった。音楽的にも若干複雑になりすぎていた。道から逸れて彷徨い始めていたと思うよ。ジミーとヴィニーも同じように感じていた。製作が難しいレコードだったし、レコーディングも大変だったんだ。あの頃ロニーはある非常に重たい個人的な問題を抱えていてね。バンドのマネージャーでもあった奥さんのウェンディと別れようとしていたんだ。だけどロニーは相当に暗い様子でね、当時は近寄ることもできなかったんだ。ロニーはアルバムのプロデュースもしていたから・・・関係者全員にとって厳しい状況だった。あの頃は暗い時期だったよ。恐らくそういう暗い雲がレコードにも反映していて、俺はあのレコードにはいい印象が持てないんだ。だけど'Holy Diver'と'Last in Line'は偉大なアルバムだよ。製作も容易だったしレコーディングもとても楽だったんだ。

>ロニーと一緒にやったHear 'n' Aid'Stars'の製作について教えて下さい。どうやって始まってどんな風に進んだんですか?

あれはロサンジェルスのロック局KLOSでのインタビューから派生したものだった。ジミーと俺がインタビューを受けていて、当時はマイケルジャクソンのプロジェクト'We are the World'が出た頃だった。DJが俺たちにこう言ったんだ。「何故、どうして、誰一人ロック界からはこのプロジェクトに招待されないのか?」ってね。考えてみると、あの時代はハードロックが数百万枚売れていたのに音楽産業の中ではリスペクトされていなかったんだ。グラミー賞や何かを取ったこともないし、常にひんしゅくを買う存在だった。そこで俺たちはDJとオンエアでこの話をしていて、俺たち自身でやるべきじゃないかって冗談ぽく言ったんだ。そしたらジミーがその場で名前を思いついちゃって、「Hear n Aidと呼ぼう」って言ったんだよ。俺たちは笑い転げて椅子から落ちそうになったよ。当時ジミーと俺は一緒に住んでいた。俺たちはDIO初期の頃はルームメイトだったんだ。その晩アパートに戻って、ちょっと真面目に考えてみないかって話になったのさ。やれるかどうか実際に考えてみようってね。その夜俺たちは曲を作った。ジミーと俺で書いたんだ。当時は'Sacred Heart'を製作中で、さっき言ったようにロニーの精神状態があまり良くなかった。だけどこの曲でプロジェクトを立ち上げる唯一の方法としてロニーを巻き込むしかなかった。俺たちにはロニーの名前が必要だったんだ。誰もジミーや俺の言うことになんて耳を貸さなかったろうからね。



それで俺たちは次の日ロニーに曲を持っていったんだけど、彼は参ったなと思ったようだったよ。彼は最初から参加していなかったし、そのアイデアに反対はしなかったけど、アルバムの製作中だったからやることがいっぱいあったんだ。彼は'Sacred Heart'アルバムの全ての歌詞を書いている最中だったしね。あまり関心がないようだった。それでも俺たちは1~2週間しつこく彼にせがみ続けていたら、段々とウェンディと話し合いをしてくれるようになったようで、二人ともやることにメリットを見出してくれたようだった。ロニーがその曲に歌詞を書いてくれて、ジミーと俺はあらゆる先に連絡を取ろうと試みたんだ・・・。文字通り何週間もかけて知らない人たちに電話をかけまくったよ。「どうも。ご存知ないでしょうが、俺はヴィヴィアン・キャンベルといってDIOでギターを弾いている者です」と言って、'これこれを企画している'のですが'あなたに参加戴くことは可能でしょうか'ってね。空き部屋を探してホテルに電話をしたり、フライトを探すのに航空会社にもかけたし、スタジオにも電話をしたし、送り迎えをしてくれる配車サービスにもかけたよ・・・。少しずつやっていったんだ。俺たちはやってのけたよ。信じがたいほど大変な作業だった。だけどロニーのサポートなしにはやれなかっただろうと思うよ。かいつまんで話すと、DIOがプロジェクトを引き継いで動かしていった・・。電話を掛けまくって、レコーディング当日までもね・・・俺はホストに徹していたんだ。みんながちゃんと空港から到着したかどうか、みんなに必要な準備が出来ているか、ギタリスト用のレンタル機材が準備できているか、確認していたんだ。するとその日の終わりにロニーが俺にこう言ったんだ。「お前もギターを弾かなきゃダメだぜ」って。もう俺は、マジか!ってなったよ。ギターを弾く準備なんてしてなかったよ。俺はただ運営することで頭がいっぱいだったからね。だから無事に終わったときは本当に嬉しかったよ。こんな具合だよ。信じられないくらい消耗したけど、俺たちがやってのけたことは大きいよ。だってこれは好きでした仕事だろう?

 
>ええ、確かにその通りですね。

===続く(いつになるやら)
ジミーとヴィヴィアンが一緒に暮らしてたなんて知らなかったよーーー。ビックリ。
どうでしょう?ロニーのことをすごく好きだった、憧れの人と一緒に仕事をするようになったんですね。ロニーの声じゃなきゃダメだったんだよ、と思うなあ。
それにしてもSACRED HEARTのレコーディングが雰囲気悪かったってのは、そういう理由だったとは知らなかった。HEAR N AIDの頃、ロニーは怖い顔だったけどそんな事情だったとは思いもしなかったわ~。



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