LAST IN LINEがイングランド、ニューキャッスルのO2 Academyでライブを行った2016年12月1日、Metal Express Radio がヴィヴィアンにインタビューをした。
これはもうね、「俺はDIOが好きだー!DIOが好きだー!」と言ってるようにしか聞こえません。
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なぜLAST IN LINEでプレイするかについて:
「俺はまだ全力でレパードでやると決めているから、デフ・レパードが動いてない時にだけ活動できるんだ。で、文字通り今はデフ・レパードツアーが終わって一週間のオフがあったんで、こっちの活動をアメリカで始めたのさ。だから凄く疲れるんだけど、俺の時間とエネルギーはこれに費やすってきっぱりと決めてるんだ。やりたくてうずうずしてるから、それはそれは遣り甲斐があるんだよ。俺はまだああいう風にギターを弾きたいんだ。レパードではヴォーカルの方に注力している、というのが正しいだろうな。デフ・レパードはとても強力なヴォーカルバンドで、俺たちはヴォーカルを前面に出したライブをうまく演出できていることを誇りにしている。ただしLAST IN LINEでのギター演奏については・・・俺が全く歌わないことは分かってると思うけど、俺の前にはマイクもない。それはギター演奏に専念する為にそうしてるんだ。フィル・コリンと俺がいるレパードと違って、このバンドでは俺は唯一のギタリストだからね。だから頭を下げてがっつりギターを弾くことだけに専念してるんだ。
LAST IN LINEのデビューアルバム "Heavy Crown"について:
"Heavy Crown"は細部に亘るまで俺たちが望んだ通りに出来上がった。そしてアルバムに対する反響に励まされたよ。売り上げだけじゃなく感想にもね。別に俺たちはクラシックなサウンドに仕上げようと意識したわけじゃなかったんだ。だけど前にも言ったように、最初に俺たちが一緒にやったときのようなサウンドが自然と出来上がってしまうんだ。Holy Diverのようなスタイルで曲作りをしたいと思っていたけど、あの時のようなサウンドの曲を作ったわけじゃない。作っている曲に何らかの意図を込めたわけじゃない。俺たちはただジャムっているうちに、曲が出来てきたんだ。でも"Holy Diver"を作った1982年に遡ってみると・・・俺たちは同じスピリットで曲作りをしていたんだ。
つまりリハーサルルームに入って、ジミーとヴィニーと俺とで音を出して、リフが出てきて、「よし、ここがメロディ部分のリフでここが繰り返しのリフだな」と思ったら、みんなで継ぎ合わせて曲にしていったんだ。夕方になるとロニーがやってきて、俺たちは彼の前で演奏した。ロニーはOKを出したりダメ出しをしたりしながら、どこをどう変えたらいいか提案をしてくる。それから彼は自分の歌詞ノートを眺め始めて、2,3回音を聴いてから、マイクの前に立って歌いだすんだ。時々は夜のうちに曲が完成してしまうこともあった。その夜のうちに出来ない時は、ロニーが翌日もやってきて全ての歌詞を書き上げて完了だった。それはすごく有機的でとても速いプロセスだった。だから"Heavy Crown"も同じアプローチで作ったんだ。レコーディングも"Holy Diver"でやったのと全く同じやり方でやった。ギター、ベース、ドラムのライブトラックを作って、ギタートラックを重ねてね。装飾音は最低限に抑えた。それからロニーがヴォーカルを入れて、俺がギターソロを録ったら、ジャン、出来上がりさ。その後はあの時代のスピリットに合ったやり方でミックスをした。
俺個人は現代のレコーディングでやるようなコンプレッサーの多用はあまり好きじゃないんだ。レコーディング、ミキシング、マスタリング、全ての過程で多用してることが多いけど。みんながそうする理由は、ラジオから飛び出すように聞こえるからさ。みんな他の誰よりも自分たちのアルバムのサウンドを大きな音で聞かせたいからね。だけど俺たちはそのやり方はもう限界だと思うんだ。これをやると本当に音のダイナミクスをぺしゃんこに潰してしまうし、俺なんかはしばらくすると耳が疲れてしまうんだ。俺は音の周りにもっと空間があるような楽曲を聴く方がずっといいなと思う。俺たちの今回のアルバムのミックスをしてくれたChris Collierには、"Holy Diver"を繰り返し聴くように言って、ミックスの時はコンプレッサーの使用は最小限にしてくれるように頼んだんだ。彼がその要求に応じてくれて嬉しいよ。だからこのアルバムは当時の時代の特徴的なサウンドになってるわけなんだ」
キーボーディスト、クロード・シュネルと決別したことについて:
「俺たちが"Holy Diver"を録音した時にはキーボードプレイヤーはいなかった。クロードはレコーディングが終了して、ツアーの為に参加してもらった補充メンバーだったんだ。今回のレコーディングに当たっては、この点も乗り越えなくてはならなかった。つまりオリジナルのDIOのバンドに元々なかった要素だったからさ。"Holy Diver"はキーボードを使って作ったものじゃなかった。だから間違いなくクロードにとってはやり難かったはずなんだ。もし俺が彼の立場だったら、苦しいと感じてしまうと思うよ。だけどキーボードは音の迫力やバンドの方向性を変えてしまうからね。レコーディング契約の話をもらったとき、俺たちはキーボードを入れないという選択をした。それによってバンドの構造も迫力も明らかに変わったよ。人はこう聞くんだ。「なぜライブの時はキーボードプレイヤーを入れるんだ?」ってね。それはライブ会場によってはキーボードサウンドが映える曲が確かに存在するからだ。ライブはまた別なんだ。曲を作ったりレコーディングをしたりするのと、ツアーで演奏するのとでは違うアプローチをしているということだ」
LAST IN LINEの二作目のアルバムについて:
「俺たちは - というより俺はもう曲を作り始めているよ。次のアルバム用にちょっとしたアイデアが浮かんでね。多分1月からLAで少しずつ音合わせを始めると思うんだけど、そこで色々出来てくると思うよ。だから必ずもう一つアルバムが出来ると思う。多分、完成は2017年の終わりになるだろうけど。2017年にはデフ・レパードでまたライブがあるし、ヴィニーにも予定が入ってるし、アンディもそうだ。フィルもね。だから・・・うまく調整しないとね。
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DIOの時代の曲作りやレコーディングの話はとても興味深いですね。多分にヴィヴィアンは「DIOの曲は俺たち3人で作ってたわけで、ロニーは歌メロを入れてただけだ」と言いたげにも感じますけど、同時にロニーの即興で歌メロと歌詞を創りあげてしまう凄さも語っていると思います。でもロニーはギターもベースも弾けたわけだし、そんなに全部丸投げだったのか?という点についてはかなり疑問に思いますけどね。実際HOLY DIVERとDON'T TALK TO STRANGERSは最初はロニーが作ったわけだし。でも結局のところヴィヴィアンはロニーが大好きなんじゃ?って思ってしまう。エンジニアにHOLY DIVERを何度も聴かせて同じようにミックスさせていたとは!ただロニーがいなくても、ジミーがいなくても、同様の化学反応が起こって、自分ががっつりギターを弾けたらそれでHAPPYなんだなあ。
この後ギターがクレイグに変わった後はどうやって曲を作っていたのか知りたくなるなあ。後期にはロニーが全部自分でPCを使って作っていたようだけど、それがいつ始まったのか定かではないし。まあ、ロニーのように何もかも自分でやりたいと思う人は、そりゃあ全部の音を自分で作りたいと思うでしょうね。
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思い出話がようやくいい話になってきましたね。ヴィヴィアンてただのツンデレだったの!?と思えるくらい。ともかく、ファンとしてはめでたいことです。
クレイグとロニーは、よく電話を通じて作曲をしていたそうですよ。夜中の2時とかにかけあって、クレイグは電話口にギターを持っていって、二人でメロディを確かめながら曲を作っていたそうです。もしロニーが生きていたら、きっと今でも夜中の2時に電話口で一緒に曲を作っていただろう、とクレイグが言っていました。
個人的な話ですが、私は今年でロニーのファンになって10年です。その10年間で得たものは計り知れないほど多いです。いま描いている作品世界も、ロニーに出会ったおかげで生まれたので。
ヴィヴィアンはきっと、ずっとDIOでやっていたかったんでしょうね。
当時はDIOで演奏することが楽しくて幸せだった。
どう読んでも、ヴィヴィアンは当時のレコーディング風景を最高に楽しい映像として今でも心に刻んでいるようにしか思えませんよね。
クレイグがロニーと電話で曲作りをしていた話は聞いたことがあります。結構後半の話じゃないですか?クレイグは最初からロニーの大ファンだったし、ロニーの意図や歌詞に混めている謎や思惑まで理解していたから、ロニーにとっては有難い味方だったわけですよね。でもSACRED HEART TOURの途中でいきなりギタリストが変わって、ジミーとヴィニーは内心穏やかじゃなかったでしょうね。
ニキさんの描く作品は独自の世界観を持っていますよね。ロニーに触発されて素晴らしい作品が出来たとは、ある種奇妙ななかなかない出会いのように思えます。私もロニーを知ってから10年です。おんなじでしたね。