愛しのロニー/My Dearest Ronnie

LONG LIVE RONNIE JAMES DIO。永遠にあなたを愛しています。

ヴィヴィアン Bigmusicgeek インタビュー

2016年06月29日 20時18分29秒 | DIO

前回の記事で抜粋部分だけを載せていた、Bigmusicgeekがヴィヴィアンに行ったインタビューの翻訳にようやくこぎつけました。前回抜粋されていた箇所は割愛していますので、ヴィヴィアンがDIO DISCIPLESの悪口を言っているように聴こえる部分は、前の記事をご参照下さい(^ ^;。

http://www.bigmusicgeek.com/interviews/lastinline.html 

Todd:最初にグループの結成時に話を戻しましょう。LAST IN LINEはどのようにして結成されたのですか?このバンドはジミー、ヴィニーと一緒に、ロニー・ジェイムス・ディオの人生や音楽に敬意を表する為に計画したものですか?

VIV:違う。完全に自然発生的な偶然の産物なんだ。最初に集まったのは、俺が2010年か2011年の初めにTHIN LIZZYで弾いていた頃だ。DEF LEPPARDは活動を休止していた。(THIN LIZZY ドラマーの)Scott Gorhamが俺に電話してきて、アルバイトでギターを弾かないかって言ってきたんだ。俺は少年の頃バンドの大ファンだったから、その話にはすぐに飛びついたよ。俺がギターを始めた時期に彼らからは本当に大きな影響を受けたんだ。それは短いツアーだった。ヨーロッパと東海岸でのほんの数ヶ月のライブだったんだけど、若い頃に弾いていた曲に刺激を受けてね、もっとヘヴィなギタースタイルで弾いていた頃の自分が蘇ったんだ。ツアーを終える頃には、俺はここ数十年やってきたプレイよりも、もっと攻撃的で複雑なプレイをしたくなっていた。

それで俺はヴィニーとジミーに連絡をして、ジャムをしないかって誘ったのさ。俺たちが集まったのはそんな成り行きなんだ。スタジオに入って音を出し始めるとサウンドは素晴らしかった。その時俺たちが一緒に演奏したのは27年ぶりだったんだけど、すぐに化学反応が起きた。当時と同じで電気が走ったみたいだった。数時間演奏した後、ヴィニーがシンガーがいたらもっと楽しいんじゃないかって提案したんだ。彼は「この近くに住んでる奴を知ってるから」って。それでアンドリュー・フリーマンがやってきたんだ。アンドリューが歌うのを聴くや否や、ライブをやろうって思ったよ。アンドリューはロニーとは違っていたからね。彼はロニー同様パワフルなシンガーだったけど、声の色調がまるで違っていた。それにヴィニーとジミーと一緒に演奏して生まれたのは、紛れもなく初期のDIOのサウンドだったんだ。それが俺たちの生み出す化学反応だった。俺には、DIOのサウンドにまったく別のシンガーを合わせたら面白いことになるんじゃないかって思えた。その時はバンド名のことは一切考えずに、その場で提案したんだ。「みんなの都合がつく時に、余興でライブをやってみないか?」ってね。

その時俺は脳裏に浮かんだことを言葉にしていた。「これをLAST IN LINEと呼ぼう」って。その当時ロニーは既に亡くなっていたから、もはやバンドとしてDIOは存在しない。俺たちはLAST IN LINE(列の最後尾)なんだ、だってロニーは逝ってしまったんだから。それは俺たちがロニーと一緒に作ったセカンドアルバムのタイトル曲を意味していた。それにロニーは亡くなってしまってバンドDIOはもはや存在しなかったから、このプロジェクトをやろうと考えることが可能になったんだと思うよ。もしもDIOが活動していたなら、俺は多分ライブをやろうなんて提案はしなかったと思う。本当に自然発生的に生まれた考えなんだ。膝を突き合わせてツアーに出ようと計画したわけじゃないし、地元でライブをやった後のことは全く考えてなかった。これが2011年さ。それから数年が経ってから、UKでのライブや日本でのフェスには呼ばれるようになったんだ。そうやって段階を踏んでいくうちに、グループとしての形を成すようになっていったんだと思う。そんな時だよ、新たに曲を作る気があるなら契約をしたいとFRONTIERS RECORDSから申し出があったのは。

 

Todd: ジミーの死は大変大きなショックでした。彼の死の前に、メンバーたちはジミーが致命的な病を患っていることに気づいていたんですか?彼は病が進んでいることをみなさんに告げていたんですか?

VIV:彼が肺炎だったのは知っていたよ。でも癌だとは知らなかったし、ジミーも知らなかったんだ。俺も彼が癌だとは気づかなかった。俺は自分がこの3年の間癌を患っていたから、そのことを彼と何度か話したよ。皮肉なことに彼が亡くなる一週間前に、俺の癌の治療の仕方を信じていていると言ってくれた。

俺は彼にこう言ったのを覚えているよ。「人生がこういう試練を与えてきたときには2つの選択肢があると思うんだ。大いにそれを利用するか、または降伏するかだ」彼は「そうだね、俺も全く同意見だよ」と言った。もしもジミーが癌だと知っていたなら、何かしら俺に言ってくれたと思うんだよ。あの時点では俺たちは30年越しの友であると互いに確信していたんだから。彼は知らなかったと思う。彼は肺炎の治療で病院に通っていて、様々な抗生剤や処方薬をもらっていた。彼はとても衰弱していた。俺たちも彼が良くないことは判っていたけど、そんなに悪いとは思いもしなかったんだ。クルーズに出る前日の夜にマイアミでやった最後のライブで、彼はとても衰弱していた。彼はやっとのことでライブをやり抜いた。でもそれがジミーなんだ、彼は最後まで勇者だった。

Todd:今後のツアーはどうするんですか?ジミーが亡くなって、明らかに状況が激変してしまいました・・・

VIV:2月末にレコードが発売になって、2週間後にツアーも予定されていたけど、ツアーはキャンセルしたよ。新しいベーシストを入れてツアーに出て、何事もなかったかのように演奏するなんておかしすぎるだろう?だけどミラノのFrontiers Festivalのようないくつかの大きなショーには出たし、Rocklahomaにも出る予定さ。こうしたショーに先立って、俺たちはいくつかのクラブでウォームアップのライブをするつもりだ。アルバムは高評価されているから、俺たちは自分たちに対して義務があるし、ジミーへの追悼の為にも何かをする義務があると強く思っているんだ。考えを変えたり諦めたりすべきじゃないと感じているわけじゃない。ただ今はツアーをやるべき時期じゃないってことさ。今は決められない問題だと思うんだ。なぜなら今言ったショーの後には、俺はデフ・レパードに戻らなくちゃならないから、10月中旬まではそっちにかかりきりになる。もしもLAST IN LILNEでさらに何かをしようにも、今年だとしても年末までは動きようがないだろうと思う。多分ね。今は一気にここまで動いてきた。アルバムに対する評価には本当に勇気付けられたけど、俺たちはまだ岐路に立っているんだ。

 

Todd: あなたは若くして脚光を浴びるポジションに選ばれてどんな気分でしたか?誰があなたを"発見した"のですか?

VIV:そりゃあワクワクしたよ。俺はアイルランドで16歳のときにSweet Savageという最初のバンドを立ち上げた。あのバンドで出来ることは全てやったよ。扉を叩いてレコード契約に持ち込もうとしたけど、うまくいかなかった。やれることはやって、ほとんど諦めかかっていた。俺は自分がギタープレイヤーとしてプロになるなら、他の方法を考えるべきだろうと判っていた。

そんな時偶然に、ジミーがSweet Savageで演奏する俺のプレイを聴いてくれていて、ロニーに俺のことを話してくれたんだよ。ジミーが俺に電話をくれて、バンドのオーデションを受けにロンドンに来ないかと誘ってくれたから、俺はそれを受けたんだ。ロニー・ジェイムス・ディオがそこにいるなんてまったくもって現実とは思えなかったよ、本当に。俺は大のレインボウファンだったし、Heaven and Hell(1980)が出た途端ブラック・サバスファンにもなったくらいだった。俺は得意になっていたけど、同時にその場にいてロニーと一緒にプレイするのにすごく緊張してもいた。俺がブレイクすることができたのはジミーのお陰さ。俺たちを繋ぎ合わせてくれたのはジミーだからね。

Todd:あなたは友好的とは言えない形でDIOを離れましたよね。長年にわたって、あなたがバンドを離れたのはモチベーションが下がったからだという噂がありました。本当は何があったのですか?解雇されたのですか、自分で辞めたのですか?

VIV:DIOで何があったのか、俺の中で長年にわたって苦々しい思いをしてきた理由、それは俺がバンドをクビになったからなんだ・・・。何年も経ってから、DIOやウェンディ・ディオ、全てのメディアが、俺がバンドに背を向けたと伝え出した。それは全くの間違いだ。俺はツアーの途中で解雇されたんだ。ロニーが約束していたことについて、俺が彼に決着を挑んだためにクビになったんだよ。

1982年にバンドを結成した時、ロニーは俺たち3人を前にしてこう言った。「やむを得ない理由でこのバンドをDIOと名づけることにする」その理由とは彼のレコード契約だった。彼はブラック・サバスを脱退した後、ソロ契約を提示されていたので、レコーディング契約は彼の名前になっていたんだ。彼は言った。「これは取引だ。俺は君たちに給料を支払うことにする。だけど俺たちはバンドになる。曲を書いて、バンドとして世の中に出ていくが、これをDIOと呼ぶことにする。君たちには本当に僅かな給与で働いてもらいたい」その金額は週当たり数百ドルだった。彼は言った。「だけどもしも俺たちが3枚目のアルバムまでに成功できれば、立場は平等になるだろう」だから3枚のアルバムを俺たちはロニーと一緒に作って、ツアーに出た。だけど文字通りツアースタッフより安い給料だった。俺たちにはアルバムの売上は回ってこなかったし、物販やチケットの売上も一切入らなかった。だけどそれで良かった。だって俺たちは彼を信じていたから。

俺たちは3枚目のアルバムまでに平等な立場になるというゴールを目指して働いていたから、アルバムの収録中に俺はロニーに話を持ちかけたんだ。「ロニー、忘れてないだろう?俺たちは話し合いの必要がある。そうでないと3枚目のアルバムは作れないよ」って。だけど彼はそれを押しのけてこう言ったんだ。「ウェンディが来てから話そう」・・・俺たちが3枚目のアルバムを作っている時に、彼とウェンディは別れてしまったので、ロニーはとても落ち込んでいたんだ。一言で言うと、ウェンディ・ディオは俺たちの味方じゃなかったんだ。彼女は絶対にバンドにはしたくなかった。彼女は常に全てがロニー・ディオのためにあると思っていたし、彼の後ろに誰がいるかなんて考えてもいなかった。彼女からすれば、誰がギターを弾いて、誰がベースを弾いて、誰がドラムを叩いていようがどうでもよかった。そんなのは取るに足らないことだったんだ。ロニーはそうじゃないことを知っていたけど、結局は彼女の側についたのさ。彼は自分の約束を守らなかった。俺はずっと彼にとっての悩みの種だった。だからクビになったのさ。

俺は同義のある人間だからね。誰かが俺の目を見て握手を求め、互いに取引をしたなら、俺は契約の終了時期を守るし、相手にも同じことを期待する。ロニーはそうじゃなかった。ロニーは俺たちをがっかりさせたけど、俺は彼に約束を忘れさせたりしない。だから俺が真っ先にクビになったんだ。これは金の問題じゃない。同義的な問題なんだ。世間は「ヴィヴィアン・キャンベルは充分に金をもらえなかったからバンドを辞めた」って言って片付けるけど、2つの点で間違っている。俺はバンドを辞めたりしていない。そして金の問題ではなく、同義的な問題だってことだ。彼は俺たちと取引をしたから、俺は彼がそれを守ると期待していた。3度目のツアーでさえも、俺たちはスタッフたちより安い給料しかもらえていなかったんだ」

Todd:キーボードのクロード・シュネルと活動を別にしたのはどうしてですか?彼なしで前進しようと決めたグループの背景に、何か諍いや未解決の問題などがあったのですか?

VIV:クロードは元々最初のメンバーじゃなかったからね。だから新しくレコーディングをしようというときに、俺たちはDIOというバンドの起源やHOLY DIVERのアルバムに戻ろうと提案したんだ。それでジミーとヴィニーとアンドリューもそれに同意してくれたんだ。HOLY DIVERのレコードを作るためにスタジオに入った時は、俺たちはギター、ベース、ドラム、ヴォーカルの4人のバンドだった。クロードはHOLY DIVERの曲のイントロの演奏の為だけにアルバム製作の終盤でロニーが連れて来たんだよ。

RAINBOW IN THE DARKに入っている鍵盤は実際にはジミーが演奏しているし。あのパートを作ってレコードで演奏しているのはジミーなんだ。だから俺たちはキーボードのいるバンドじゃなかったのさ。それから俺たちがHOLY DIVERツアーに出るようになってから、ロニーはクロードをオフステージ・プレイヤーとして起用することに決めたんだ。だからクロードは文字通りPAの後ろで弾いていたんだ。SACRED HEARTツアーまでクロードがライブの中でフィーチャーされることはなかったし、俺たちは決してキーボード・バンドではなかったんだよ。

ヴィニーとジミーと俺はずっと元々のDIOというバンドがSACRED HEARTによって中心を失っていってると感じていた。それはロニーがアレンジの中でキーボードを多用するようになっていたからだ。ジミーとヴィニーと俺はそのアレンジには賛成じゃなかった。俺たちはバンドの原点からずいぶんかけ離れてしまったと感じていた。だからLAST IN LINEに新譜のオファーがあったとき、俺たちはギターとベースとドラムだけで構成するバンドの原点に立ち返ろうと決めたんだ。キーボーディストを入れることで俺達のアレンジを複雑にされたくなかったんだ。これはクロードに文句を言っているのとは違うよ。そういう個人的なことじゃないし、キーボードプレイヤー全員を非難しているわけでもないんだ・・。俺達はただHOLY DIVERのアルバムでやったのと同じように曲を書いて製作を進めたかっただけなんだ。

Todd:DEF LEPPARDに正式に参加する以前は、メンバーたちはあなたの様々な作品やあなた個人をどのくらい馴染みがあったのですか?みんながゆっくりと互いを知っていくようなプロセスがあったのですか?

VIV:俺にとって新しいバンドに加入するという決断は一番難しいことなんだ。なぜならこれまでとてもたくさんのバンドに参加してきて、様々な理由でうまくいかなかったからね・・。SWEET SAVAGEにいた頃は、レコード契約が取れなくてうまくいかなかった。DIOにいたけど、ロニーにクビにされてうまくいかなかった。ホワイトスネイクにいたけど、色々な理由、主に俺の元妻(ホワイトスネイクのフロントマン、David Coverdaleの元妻)とTawny Kitaenのことがあってうまくいかなかった。RIVER DOGSにいたことがあるけど、レコード会社が素晴らしかったレコードに重大な過ちを犯したせいで脱退して、うまくいかなかった。Lou Grammと一緒にSHADOW KINGにいたこともあった。俺達はレコードを一枚作ってライブをやったけど、Louがコカイン常習の問題があったから辞めた。(DEF LEPPARDフロントマンの)Joe Elliotとはとても長い間友人だった。バンドの中で俺が知っていたのは彼一人だった。俺たちは互いに打ち解ける間柄だっただけで、一緒に音楽を作ったことはなかった。だけどジョーは俺がどんな人間か知っていたから、バンドに推薦してくれたんだ。彼は俺がバンドに適任だと思ったんだ。他のメンバーは俺の名声だけで俺を知っていたけど、俺の名声は必ずしもいいものじゃなかった。だって俺は仕事を続けることができなかったんだから、そうだろ?当時俺はソロでレコード製作をしていた。(デフレパの話はここで若干割愛)

Todd:今の健康状態はいかがですか?ガンは再発しているのですか?あなたはFDAで認可されていない免疫療法薬を含む臨床試験に参加しているという私の理解は合っていますか?

VIV:俺はまだガンを持っているよ。再発し続けているんだけど、元気だよ。健康状態は良好だ。今は免疫療法と呼ばれる治療を受けている。過去3年に亘って化学療法を3過程受けたけど、ガンは再発し続けた。2014年の終わりには、一ヶ月入院して幹細胞移植をしたよ。正直に言うと、これが成功するとすごく期待していたんだ。だけど去年の5月に再び検査をしてみると、ガンは再発していた。その時点で医者たちは放射線治療を受けてほしいと言って来たんだけど、俺はやりたくなかったんだ。たくさんの理由からね。

これがきっかけで俺は他に方法がないか調べ始めたんだ。それから妻が免疫療法と言われる治療を見つけてね。これは数年間の臨床試験の段階にある新たな薬だった。俺は自分の腫瘍学者のところに行って、その選択肢は有効かと尋ねてみた。すると彼はペンブロリズマブという薬が使われるのであれば有効だろう、と賛同してくれた。それはジミー・カーターが自らのメラノーマを治したと話していたのと同じ薬だった。最近治験が行われている全ての単クローン抗体の中で、ペンブロリズマブはトップスターのようだった。最高の結果を出している薬なんだ。俺は去年の6月末からペンブロリズマブを投与している。

3ヶ月ごとにスキャンをしてるけど、一番最近の検査でようやくガンの活動が減少し始めたんだ。腫瘍はまだあって同じ大きさだから、まだ縮小してるわけじゃないんだけど、腫瘍内でのガンの活動は明らかに減少している。医師たちは用心深くも楽観的で、俺はあと一年もしくは15ヶ月の間この治療を続けることができる。これは臨床試験の一部で、つまり俺は点滴を受けるために3週間半ごとにロサンジェルスに戻らないといけないんだ。正直、一番難しいのはこの点だ。スケジュール調整と移動が増えるからね。ごくわずかな副作用はあるけど、化学療法と比べたら無いも同然だよ。強い吐き気もないし、脱毛も神経病もない。楽勝だよ。化学療法をやっていたときは、DEF LEPPARDのツアー中もこういう副作用があったんだから。時には演奏するのが無理なこともあったんだ。

======

つい先日、11月に追加でUKでライブをやるとお知らせがありましたね。やるんですねえ。ジミーが亡くなっても。

しかしヴィヴィアンが大のレインボウファンだったなんて、私は初耳です。H&Hが出てサバスファンにもなったって、つまりはロニーファンだったわけですね。この二人本当に勿体無い・・・。愛憎が裏返ってしまっている。ヴィヴィアンがロニーとウェンディからクビになった話は随分前にも聞きましたが、こうして詳細に経緯を語ることはありましたかねえ?

なんでロニーが生きている時に言わなかったのかなあ。なぜロニーはウェンディと別れていたのに彼女に逆らえなかったのかなあ。いつまでも彼女に執着していないで、マネージメント関係も切っていたら、展開は全然違っていたんじゃないだろうか。

キーボードの起用の件は、DIOはレインボウじゃないから、効果音的な使い方になってしまうことが多い。それをヴィヴィアンは不要だと思うのだろうけど、あれはあれでないと例えばEGYPTなんていう名曲は成立しないし。

ロニーはずっと鍵盤がいるバンドにいたから、音色の変化は欲しかったのだろうなと思う。叙情性や情緒感を出すために必要だったのでしょう。個人的にはその後のDREAM EVILやMAGICAに至るまでの鍵盤の入り方は好きです。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ニキ)
2016-07-03 17:54:26
ロニーはウェンディにめちゃくちゃに惚れていたそうですから、別れた後も関係を切るなんてことは考えられなかったんでしょうねぇ。
それについてはいろいろな意見があるでしょうけど、逆に考えれば、ウェンディがいたから活動を続けられたとも言えるわけで。どちらが良かったのか今となっては分かりませんね。
ロニーとヴィヴィアンについては、Rikoさんのおっしゃるとおり、もったいない関係ですよ。あんなにすばらしいアルバムを作っていながら、バンド内部のごたごたがこうも耳に入ってくると素直に聴けなくなります。ファンとしては辛いです。
ヴィヴィアンの言葉はいろいろ読みましたが、やっぱりいい気持はしません。(案の定、例の記事はFBでも炎上していました)ロニーが死んだ途端に旧メンバーと組んで、しかも批判だけは相変わらず。ロニーがいなくなってせいせいしたのかと思ってしまいます。いつになったらこのわだかまりがなくなるんでしょうね・・・
返信する

コメントを投稿