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1980年代初頭、DIOが立ち上がった時のことについて:
ヴィニー:その時期が興味深いのは、ロニーがブラックサバスにいる間にソロ契約を交わしていたことだ。一番最初の彼のプランは明らかに、まずサバスで活動してから、その後で友人たちをみんな参加させてソロアルバムを作ることだったんだ。だから彼は俺に叩いて欲しがっていたし、あとはコージー・パウエルや、他のバンドで一緒だった友人たちをみんな呼んで、オールスターアルバムみたいなものを作る、それが元々のプランだった。だけどサバスがうまくいかなくなって、事態がおかしなことになってきたんで、彼は頃合だと決心してバンドを離れた。それで彼はそのレコード契約を使って新しくバンドを立ち上げることにしたんだ。そして俺に参加したいかって聞いてきたから、YESと答えた。それで俺達はチームを組んで演奏を始めた。当初は俺と彼だけで演奏していたんだ。俺達はリハーサルスタジオに入って、Holy Diverの一部分を演奏したり、ロニーが多少のリフを作っていた他の曲をいくつか演奏したりしたよ。やがて俺達はギタリストのオーディションをしにヨーロッパ、イングランドへ向かったんだ。誰かを見つけるためにね。
ロニーがソロ活動をするにあたり準備万端だったかどうか:
ヴィニー:まあ、正直に言えばそうは思わない・・・。あるいは彼が何らかのヴィジョンを持っていたのかもしれないけど・・・。ほら、俺達は二人共同じタイプの演奏をするんだ。例えベースとドラムだとしても、俺達はヘヴィでダークな演奏をしていた。だからバンドがどんなサウンドであるべきかは考えていなかったんだ。ヴィヴィアン・キャンベルとジミー・ベインを同時にオーディションするまではね。その時全てが融合したんだ。「おお、これだぜ。凄いじゃないか」って俺たちは思ったよ。そうして出会ってから一ヶ月後には、ロサンジェルスに戻ってヴィヴとジミーと一緒に曲を作りジャムを始めた。そうやって進んでいったんだ。それからバンドは独自のサウンドを生み出した。どんなサウンドにするべきかなんて、絶対に事前には知る由もなかったのさ。
メロディはロニーが作っていたけれど、曲はバンドでジャムをしながら出来上がっていったんだ。その点ではHeavy Crown(LAST IN LINEのアルバム)で俺たちがやったことと同じだよ。たとえクレジットがどうなっていようと、曲はメンバー全員で作り上げたものなんだ。
2つ目のインタビューもラジオですね。"The Chainsaw Symphony"が7/14に敢行したものです。https://soundcloud.com/the-chainsaw-symphony/vinny-appice-interview-714
本題に入ったところで、「今日お話ししたかったのは、来週DIOのリマスターボックスセットが出るのを知っていましたか?最初の6枚のアルバムをリマスターしたもので、DECADE OF DIOというBOX SETなんですが、あなたはリマスター作業に関わりましたか?」という話を聞いて私がびっくり。
ヴィニーもびっくりして、「いや、知らないな。誰がリマスターしたのか知らないし、俺は全くお呼びがかからないし・・・。いや、素晴らしいよ!昔のアルバムは音質が良くないからリマスターを出すのは素晴らしいことだよ!」と喜んでいるし。
いやいや、AMAZONを見たらなんか在庫切れになっているし。7/22にCD BOX SETは出たんですねえ。知らないし(汗。レコードは年内に出る予定で、色々と特典がつくみたいですね。
最初の6枚が全部リマスターって、結構スゴイではありませんか。
の6枚ですよ。いやいや、よくぞSTRANGE HIGHWAYSを入れましたね。DIO OFFICIAL SITEはコチラ。
さらには「LAST IN LINEはジミーが亡くなってツアーはどうなるのかと思っていましたが、やるんですね」ということで、10月には西海岸から始まって、11月、さらには来年のツアーではフェスをあちこち回って、日本にも来る予定もある、という話が出ましたよ。ほ~。
その後のインタビューで、ロニーがかっとなって怒ったり激昂したりするのを見たことがあるかと尋ねられて、ヴィニーは
「あるよ。だけどDIOじゃないよ。俺が見たのはサバスをやってるときで、誰かがキレてうまく行かなくなった時に(笑)、ロニーがキレたんだ。でも数えるほどさ。多分、3回かな。本当に彼がキレたのを見たのは。キレたくなるような事は山ほどあったからね。それ以外では、この業界の中で人と関わる上で、好きじゃないことと好きなことがある。でもファンに対しては、彼は常に彼らと共にあったし、常にファンを愛し、時間を取ってファンと会い、サインをし、彼らの名前を覚えたり、ファンのためにあらゆることをしていたよ。
彼との付き合いの中で、彼が俺にキレたり怒鳴ったりしたことは一度もないよ。互いに同意できないことはあったかもしれないけど、それだけさ。
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こういう短いラジオのインタビューは結構しょっちゅうありますね。インタビュアーは結局はロニーのことを聞きたくて、なんとかしてそこを掘り下げようとしているのが分かりますが、それはそれで有難いことだなと思います。いつまでもロニーを愛してくれる人がいるのは、とても嬉しいことで、それだけ彼の音楽や歌声が愛されているということですよね。年月が経っても変わらないロニーの人物像が浮き彫りになったり、新しく聞くようなことが出てきたりしますね。聞かれる側は何度も同じことを聞かれたり、いつも最後はロニーの話になってうんざりしている部分もあるかもしれないけど、答えて頂戴な。
DIOを立ち上げた時の事について、ロニーが生きている時はロニーの色で脚色された状況しか分からなかったけど、ヴィニーが話すとだいぶ景色が違って見える。事実は同じだけれど。
つまりロニーほどのBIG NAMEが二人だけでヴィニーとセッションをしていた時のことを想像すると、ヴィヴィアンと出会えたことが全てを変えたんだと分かるし、奇跡が起きたんだなと思う。逆にヴィヴィアンと出会えていなかったら、その後のロニーのキャリアはどんなだったんだろうと思うと、恐ろしくなったりもする。
ロニーは最初に自分が作っていた曲は、HOLY DIVERとDON'T TALK TO STRANGERSだと言っていたけど、他にもあったのでしょうかねえ。それにロニーはスタジオでギターを弾いていたと言っていたと思うんだけど、ベースを弾いていたの間違いかな。まあ、どちらもアリかな。ロニーは人生の初めから終わりまで、自分で奇跡を起こしてしまう人だったから、サバスを辞めて全く未知の荒野にいたとしても、ELVESを始めた頃の荒野と同じで、そこには希望と可能性が輝いて見えていたんでしょうね。だからちょうどいい頃合に、凄い出会いがある。
しかしロニーがキレたのをヴィニーが見たのが3回として、それは全部サバスだったのか?そうだとしたら、それほど激しくぶつかる関係で、2度も壊れていながら、よく3度目があったもんだなと思う。
このボックスセット、Holy DiverからStrange Highwaysまでまとめられるというのは、かなり画期的かもしれませんね。私は最近、Strange Highwaysをよく聴いていますので、ようやく同列に語られるようになったのかと感慨無量です。
ロニーの誕生日の記事に書かれていましたが、私は毎日、ロニーのことを考えていますよ(笑)。ロニーに出会って人生が変わったし、大切なことを教わったような気もします。
Strange Highwaysで辞めたはずのヴィニーがドラムを叩いていますからね。一番登場回数の多い彼にしたらこのボックスセットは、かなり嬉しいものじゃないでしょうか。
この6枚目のアルバムの頃は、ロスで大きな地震があって、ヴィニーの家もトレーシーGの家も大きく損壊してしまい、そのせいで日本ツアーがキャンセルになったりして、色々と大変な時期でした。
ロニーの家はほぼ無事だったそうですけど、さすがの大豪邸です。
魔法使いロニーはたくさんの人の人生を変えてきたのでしょうね。これからもきっと。