9月に一度行ったせんと君似の住職さんのところに仏像を観に行きました。そこはかつては大伽藍があったみたいなんですよね。昭和25年にお寺が焼けてしまって、記録は一切のこってないんで、大発掘でも行われない限り、夢とロマンの世界なんですけどね。そこには奈良時代の様式の仏像が残っていて国の重要文化財になっています。それも昭和37年に奈良国立博物館長であった倉田文作先生が偶然に見つけたんです。木造の如来(虚空さん?)と菩薩(観音さん?)のそれぞれ立像なんですが、?がつくくらいに傷んでます。

奈良の唐招提寺の木造仏と雰囲気が似てるので、様式的にはその頃とされてます。
ですが地方には少し遅れてやってくるので、つくられたのは平安時代の初め頃じゃないかとのことでした。
如来の立像の肩から背なかの丸味が、私の好きな百済ちゃんにちょっと似てるんですよね。
他にも、薬師堂に室町時代頃のものと思われる薬師如来坐像が安置されてるのですが、
専門の先生によると、「この仏像はバランスが悪い」と。
確かに上半身を支えるのには、下半身が貧相すぎるんです。
丈六仏という言い方があるらしくって、一丈六尺の仏像のこと。
立って約4m80㎝、座って約2m40㎝が丈六仏なのですが、それよりも大きい感じの仏さんです。
でも、その台座と光背はもっと前の時代の平安初期の頃のものだろうと言われてます。
違う仏さんがおそらく座られてたと思われるんです。
御堂のサイズや仏さんのサイズとかからしても、住職さんがいわれるように拝みにくい空間なんです。
それこそバランスが悪い。
薬師如来というのは、東方浄瑠璃浄土に住まわれているので、本当は東に向いてるものなんですが、おかしなことにこの薬師堂は西を向いています。今の建物の前の建物も西を向いていたと地元の人たちは言っておられますが、西を向いている仏さんは、西方極楽浄土に住まわれている阿弥陀如来さんです。
たずねると、薬師堂という言葉も村人によるネーミングで、いつから使われてるかわからない、ということでしたので、勝手に思うに、本当はこの台座には阿弥陀如来さんがお座りになられてたんじゃないのかなあ、って。
でも、さすがに、じゃあ、その仏さんはどこへ行っちゃったの?って感じですよね。
大伽藍だったと思われるのは、ほとんど朽ちてしまってはいるものの一木造の仏像が多く残ってるからなんです。またそこらへんの畑から、礎石や五輪塔みたいなんとか、ごろごろ出てくるらしいんですよね。いまや勝手に違った使われ方をしてますが。
それにすぐ近くに横穴式石室の古墳があるのです。これが中には今日はじめて入ったのですが、すごく巨大な3つの石が天井に使われていて、それは立派なものなんです。明日香に蘇我馬子の墓とされる石舞台がありますが、もちろん、あそこまでは大きくないですが、それでも立派なもので中に入ってみて、その広さに驚きました。つまり、古墳時代からかなり力をもった豪族がいたみたいなんですよね。
そうそう思い出しました。兜跋毘沙門天像も今日、はじめてみました。
普通の毘沙門天と違って、足下に地天女と呼ばれる大地の女神がいて、地天女の手で両足が支えられてるんです。写真では見たことあったけど、本物を見るのははじめてかな。


奈良の唐招提寺の木造仏と雰囲気が似てるので、様式的にはその頃とされてます。
ですが地方には少し遅れてやってくるので、つくられたのは平安時代の初め頃じゃないかとのことでした。
如来の立像の肩から背なかの丸味が、私の好きな百済ちゃんにちょっと似てるんですよね。
他にも、薬師堂に室町時代頃のものと思われる薬師如来坐像が安置されてるのですが、
専門の先生によると、「この仏像はバランスが悪い」と。
確かに上半身を支えるのには、下半身が貧相すぎるんです。
丈六仏という言い方があるらしくって、一丈六尺の仏像のこと。
立って約4m80㎝、座って約2m40㎝が丈六仏なのですが、それよりも大きい感じの仏さんです。
でも、その台座と光背はもっと前の時代の平安初期の頃のものだろうと言われてます。
違う仏さんがおそらく座られてたと思われるんです。
御堂のサイズや仏さんのサイズとかからしても、住職さんがいわれるように拝みにくい空間なんです。
それこそバランスが悪い。
薬師如来というのは、東方浄瑠璃浄土に住まわれているので、本当は東に向いてるものなんですが、おかしなことにこの薬師堂は西を向いています。今の建物の前の建物も西を向いていたと地元の人たちは言っておられますが、西を向いている仏さんは、西方極楽浄土に住まわれている阿弥陀如来さんです。
たずねると、薬師堂という言葉も村人によるネーミングで、いつから使われてるかわからない、ということでしたので、勝手に思うに、本当はこの台座には阿弥陀如来さんがお座りになられてたんじゃないのかなあ、って。
でも、さすがに、じゃあ、その仏さんはどこへ行っちゃったの?って感じですよね。
大伽藍だったと思われるのは、ほとんど朽ちてしまってはいるものの一木造の仏像が多く残ってるからなんです。またそこらへんの畑から、礎石や五輪塔みたいなんとか、ごろごろ出てくるらしいんですよね。いまや勝手に違った使われ方をしてますが。
それにすぐ近くに横穴式石室の古墳があるのです。これが中には今日はじめて入ったのですが、すごく巨大な3つの石が天井に使われていて、それは立派なものなんです。明日香に蘇我馬子の墓とされる石舞台がありますが、もちろん、あそこまでは大きくないですが、それでも立派なもので中に入ってみて、その広さに驚きました。つまり、古墳時代からかなり力をもった豪族がいたみたいなんですよね。
そうそう思い出しました。兜跋毘沙門天像も今日、はじめてみました。
普通の毘沙門天と違って、足下に地天女と呼ばれる大地の女神がいて、地天女の手で両足が支えられてるんです。写真では見たことあったけど、本物を見るのははじめてかな。
