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マツタコ

ヤプログが終了したので、とりあえず引っ越します。

古代の夢とロマンの地「庄」

2011-02-14 22:48:31 | おでかけ
9月に一度行ったせんと君似の住職さんのところに仏像を観に行きました。そこはかつては大伽藍があったみたいなんですよね。昭和25年にお寺が焼けてしまって、記録は一切のこってないんで、大発掘でも行われない限り、夢とロマンの世界なんですけどね。そこには奈良時代の様式の仏像が残っていて国の重要文化財になっています。それも昭和37年に奈良国立博物館長であった倉田文作先生が偶然に見つけたんです。木造の如来(虚空さん?)と菩薩(観音さん?)のそれぞれ立像なんですが、?がつくくらいに傷んでます。

奈良の唐招提寺の木造仏と雰囲気が似てるので、様式的にはその頃とされてます。
ですが地方には少し遅れてやってくるので、つくられたのは平安時代の初め頃じゃないかとのことでした。
如来の立像の肩から背なかの丸味が、私の好きな百済ちゃんにちょっと似てるんですよね。

他にも、薬師堂に室町時代頃のものと思われる薬師如来坐像が安置されてるのですが、
専門の先生によると、「この仏像はバランスが悪い」と。
確かに上半身を支えるのには、下半身が貧相すぎるんです。
丈六仏という言い方があるらしくって、一丈六尺の仏像のこと。
立って約4m80㎝、座って約2m40㎝が丈六仏なのですが、それよりも大きい感じの仏さんです。
でも、その台座と光背はもっと前の時代の平安初期の頃のものだろうと言われてます。
違う仏さんがおそらく座られてたと思われるんです。
御堂のサイズや仏さんのサイズとかからしても、住職さんがいわれるように拝みにくい空間なんです。
それこそバランスが悪い。

薬師如来というのは、東方浄瑠璃浄土に住まわれているので、本当は東に向いてるものなんですが、おかしなことにこの薬師堂は西を向いています。今の建物の前の建物も西を向いていたと地元の人たちは言っておられますが、西を向いている仏さんは、西方極楽浄土に住まわれている阿弥陀如来さんです。

たずねると、薬師堂という言葉も村人によるネーミングで、いつから使われてるかわからない、ということでしたので、勝手に思うに、本当はこの台座には阿弥陀如来さんがお座りになられてたんじゃないのかなあ、って。
でも、さすがに、じゃあ、その仏さんはどこへ行っちゃったの?って感じですよね。

大伽藍だったと思われるのは、ほとんど朽ちてしまってはいるものの一木造の仏像が多く残ってるからなんです。またそこらへんの畑から、礎石や五輪塔みたいなんとか、ごろごろ出てくるらしいんですよね。いまや勝手に違った使われ方をしてますが。
それにすぐ近くに横穴式石室の古墳があるのです。これが中には今日はじめて入ったのですが、すごく巨大な3つの石が天井に使われていて、それは立派なものなんです。明日香に蘇我馬子の墓とされる石舞台がありますが、もちろん、あそこまでは大きくないですが、それでも立派なもので中に入ってみて、その広さに驚きました。つまり、古墳時代からかなり力をもった豪族がいたみたいなんですよね。

そうそう思い出しました。兜跋毘沙門天像も今日、はじめてみました。
普通の毘沙門天と違って、足下に地天女と呼ばれる大地の女神がいて、地天女の手で両足が支えられてるんです。写真では見たことあったけど、本物を見るのははじめてかな。



「大通智勝仏」の「通」

2011-02-07 17:27:21 | おでかけ
「大通智勝仏」って知ってますか。今日は仏像の専門の先生と一緒に風早に平安時代から室町時代頃のいろんな仏像を見に行ってました。で、普通よく釈迦三尊像ってありますよね。釈迦如来が真中で、脇侍に向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が置かれる。でも、この風早地方の三尊像は真ん中に「大通智勝仏」が置かれることが多いんです。釈迦如来はお釈迦様の悟りを開いた後の姿、ちなみに菩薩はまだ修行中の身です。ですから菩薩は装身具がいろいろついてるのですが、如来は悟りを開いた後だから質素なんです。

でも、風早の三尊像の真ん中の仏さんは、頭が螺髪(らほつ)という釈迦如来の髪型ではなくて、高髻(たかまゆ、こうけい)っていう髪型なんです。これは「大通智勝仏」の姿。「大通智勝仏」は、法華経に出てくる釈迦のお兄さんなのだそうです。

神仏混淆の時代に大山祇神社の神様の本地仏がこの「大通智勝仏」だったそうです。風早を統治していた河野氏の代々の当主は「通」の字が名前に使われているのですが、その「通」の字はこの仏さんから来ているのだそうです。ということで、風早の三尊像は真ん中の仏さんが「大通智勝仏」。仏さんも誰がつくったかに意味があるんですよね。面白いでしょ。


だんだん味が出て

2011-01-20 18:09:18 | おでかけ
景観形成に貢献している建物やまちなみをいろいろ見てきました。最初はこれというのがないなあ、という印象だったのですが、落ち着くところに落ち着くものです。おもしろかったのが、男4人、女3人のメンバーだったのですが、わりとはっきりと男女で選ぶものが違っていたこと。
男性陣がバランスを考えるのに対して、それはわかっちゃいるけど、やっぱりイイもんを評価したい女性陣みたいな感じでした。

それと写真じゃ伝わらない味みたいなもんが、現地に行くと見えてくるんですよね。やっぱ写真はまやかしですね。

あとベトナムのレンガを敷材として使ってるところがあったんだけど、焼きの甘い安物のレンガだったらしく、この寒さで凍って割れてたんです。ところが、それもまた味になってるんです。壊れていても美しい。それはただ2年しか経たない建築なんですが、時間の経過とともに、また違った雰囲気に育っていきそうで楽しい建築でした。


白井晟一さんの建築

2011-01-08 17:02:17 | おでかけ
汐留ミュージアムでやってる白井晟一展、その作品世界そのままにまあ静かな場所でした。途中で大きな声でしゃべるおじさんが入ってきたけど、すごく場違いで、すぐ通りすぎてくれたし。書も展示してあったのですが、その中に「離騒」ってのがあってドンピシャだなあと。場所って本当に人の気持ちを支配するね。住宅作品は静かで上品で時の流れを感じさせるんだけど、塔や施設は重みも感じさせるんですよね。開口の取り方が少なくて象徴的で、材質感があって。

しかしまあ難しい漢字をつかった建物の多いこと、「歡歸荘」「琅玕席」とかね。
一番印象的だったのは、やっぱり原爆堂(計画のみ)です。発表されたのは1954年。丸木位里・俊夫妻が、彼らの描いた「原爆の図」をおさめるための美術館を建てたいという意向をもっていると書かれた新聞記事を読んで、頼まれてもいないのに計画をつくったのです。どこかの敷地に建てるのではないので、建物の周りの敷地からしてデザインしているのですが、私はそのパースをみたとき、一瞬、キノコ雲を連想しました。これは実際には建ってない建築ですが、白井さんの作品ってその場所にいったら、きっとすごく自分と向き合うことになるような、自分の奥深くへ入っていくような、そんな気分にさせる建築だろうな、と思いました。

渋谷のシアターコクーンの近くの松涛美術館も彼の作品なんで、明日にでも行ってみましょう。よい時をすごせました。