たとえば、「坂の上の雲」最終話。松たか子演じる多美さんが死の床にある好古さんの「奉天へ」に答えて、「あなた馬から落ちてはいけませんよ」と言って一滴の涙を落とします。
ことばは、「あなた馬から落ちてはいけませんよ」。
だけど、そこに含まれる思いは決して一言で片付けられるようなものではない。
その思いを感じられるから私たちは、ことばに感動する。
ことばは、それを発する人そのものを受け入れて見つめることでしか、
伝わらない気がします。
うまくいえないけれど、ことばが先にあるのではなく、思いが先にある。
思いが感じられるから言葉が生きる、のだと。
だから、相手に思いを感じてもらえるように表現しなければ、言葉は生きないのです。
Mさんのコメントを読んでいて、そんなこんなを思いました。
ことばは、「あなた馬から落ちてはいけませんよ」。
だけど、そこに含まれる思いは決して一言で片付けられるようなものではない。
その思いを感じられるから私たちは、ことばに感動する。
ことばは、それを発する人そのものを受け入れて見つめることでしか、
伝わらない気がします。
うまくいえないけれど、ことばが先にあるのではなく、思いが先にある。
思いが感じられるから言葉が生きる、のだと。
だから、相手に思いを感じてもらえるように表現しなければ、言葉は生きないのです。
Mさんのコメントを読んでいて、そんなこんなを思いました。