今日は大洲の面白いところ探しに行きましたが、
やっぱりなんといっても臥龍山荘ですよ。
何度か行ったたことはあるけれど、
ひとつひとつに職人の方のこだわりが強烈にあるんです。
今日はとっても詳しい方が案内してくださったので、
そのすごさが一段とつたわりました。
千家十職(せんけじっそく)ってご存じですか。
千家とは千利休のあの千家です。
三千家に出入りする茶室や茶道具をつくるために必要な職人たち、
茶碗師・塗師・指物師・釜師・鋳師・金物師・竹細工柄杓師・袋師・表具師など十の職家を表す尊称です。
明治の頃にの現在の十職に固定されたようなのですが、
臥龍山荘が建てられた明治30年頃といえば、伝統的なものは日の目を見なかった時代。
千家十職の一人であった塗師・中村宗哲、指物師・駒沢利斎も
何代目の方だったかは忘れましたが(ちなみに今は13世とか14世)、
臥龍山荘で仕事をしているんです。宗哲はサインが残ってました。
10年の構想、5年の工事で臥龍山荘をつくったのは経済人・河内寅次郎氏。
木蝋の貿易で財をなした彼は金に糸目をつけなかった。
だから、思いっきり「いい」仕事をしてるんです。
その仕事をさせてもらえることをの喜んでいたのであろう感じが
ひしひしと伝わってくる建物です。

やっぱりなんといっても臥龍山荘ですよ。
何度か行ったたことはあるけれど、
ひとつひとつに職人の方のこだわりが強烈にあるんです。
今日はとっても詳しい方が案内してくださったので、
そのすごさが一段とつたわりました。
千家十職(せんけじっそく)ってご存じですか。
千家とは千利休のあの千家です。
三千家に出入りする茶室や茶道具をつくるために必要な職人たち、
茶碗師・塗師・指物師・釜師・鋳師・金物師・竹細工柄杓師・袋師・表具師など十の職家を表す尊称です。
明治の頃にの現在の十職に固定されたようなのですが、
臥龍山荘が建てられた明治30年頃といえば、伝統的なものは日の目を見なかった時代。
千家十職の一人であった塗師・中村宗哲、指物師・駒沢利斎も
何代目の方だったかは忘れましたが(ちなみに今は13世とか14世)、
臥龍山荘で仕事をしているんです。宗哲はサインが残ってました。
10年の構想、5年の工事で臥龍山荘をつくったのは経済人・河内寅次郎氏。
木蝋の貿易で財をなした彼は金に糸目をつけなかった。
だから、思いっきり「いい」仕事をしてるんです。
その仕事をさせてもらえることをの喜んでいたのであろう感じが
ひしひしと伝わってくる建物です。
