goo blog サービス終了のお知らせ 

マツタコ

ヤプログが終了したので、とりあえず引っ越します。

昔の面影が・・(><)

2009-11-18 23:55:11 | 地元の話
ここんとこ、道後温泉のあたりに続けていく機会が、
あったんだけど、少しばかり久しぶりに行くと、
変わってるもんですね。

石手寺っていう四国八十八か所の立派な寺の裏には
ものすごくあやしい場所があるんだけど、
そこから道後の方へむかう道を「風土記の丘」といいます。

一生懸命写真を探した結果、
2004年12月23日の写真がありました。
こちら。


いい感じでしょ。散策ルートとしても。

ところがですよ。

何なん、これ?
もうガックリですよ。
裏の遍路道だったのに。
昔の道的風情がのこっててよかったのに。

しょごいショック!でした。


リノベーション

2009-10-31 22:12:51 | 地元の話
今日は、保全改修された木造の小学校についての
シンポジウム「建築とリノベーション」があったんです。
予想以上に面白かった~。

新しい視点を教えてもらえると、
ワクワクしますよね。

よくできた構成で、
第一部の前半は、基調講演で、
保存とリノベーションの考え方について、
実例を交えながら、教えてもらいました。

印象的だったのは、ローマのフォロロマーナって、
古代ローマの遺跡にあるマクセンティウスのバシリカの遺跡。
これ、倒れそうになってきたので、
ワイヤーでガッツリひっかけて倒れるのを防いでるんです。

建物は永久にそのまま存在できるわけではないので、
修理・修繕が行われるのが普通ですが、
オリジナルな建物に価値があるとき、
それを保存・継承しようと考えるわけです。
そのときの原則的な考え方が2つあって、
ひとつは「ミニマムインターメンション」、
最小限に手を加えること。
もうひとつは「リバーシブル(可逆的)手法」
いざとなったら、付け加えた分を取り外せるようにすること。

まさしく、ワイヤーでガッツリは、そういう手法です。
でも、それで、元の建築が持ってる空気感は出せるのか?
ってのがありますよね。
遺跡なら、その解決策がOKでも。
これから、活用しよう、っていう建築では、
建築のまとう雰囲気を継承する必要もありますよね。


第一部の後半では、
松村正恒氏が50年以上前に建築した日土小学校の
改修+新築事例を、それぞれの担当建築家が
どう考えてデザインしたか、話をしてくれました。

いやあ、知らなくてすみませんでした。
そんなに苦労されてたんですね、って思いました。

ある方が改修担当の建築家の方のことを
「しつこさと純情さのある人」って言われてましたけど、
まさにそういう先人の建築家(オリジナルの設計者)の建築への
愛がなかったら、この仕事はできなかっただろうな、と思いました。

オリジナルの建築には、一部伊予絣を使った部分があるんですが、
おそらくそれはポケットマネーだったんだろう、って話でした。

この小学校の改修+新築というのは、
校舎が東校舎、中校舎、新西校舎の3つがあって、
それが渡り廊下でつながっているんです。
東校舎はできるだけ復元する、
中校舎は改変する、新西校舎は新築する、
っていう方針で行われた工事なんですが、
ひとつの小学校の校舎として、共通の空気感を持っているんです。

見学にも行きましたが、本当に雰囲気のある建物でした。
そのときの記事はこちら。
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1047
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1048
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1049

遺す建築につながった新築ってむずかしいですよね。
松村先生の文法にただのっかってるだけだと、模倣になり、
松村先生の手法にこだわりすぎると、贋作になってしまう。
共通の言語による設計をしながら、自分の個性も出す。
建築家ですからね。ただの模倣じゃ自分の存在意義がない。

第二部の鼎談では、建築家の先生が、
そのバランスの良さを褒めてらっしゃいました。

第二部は3人の先生の鼎談だったんですが、
これが面白かった。
建築家の先生は、ディテールの写真をいっぱい撮ってきていて、
空間ってもちろんディテールの積み重ねでできてるんだけど、
私たちが観る時って、やっぱり全体の印象に左右されて、
それをつくっている細かいところは見落としているんですよね。
もう、目から鱗の写真だらけでした。

今日は、こんなところにしておこう。


後の月

2009-10-30 23:38:32 | 地元の話
10月30日は、観月会でした。
観月会の時期じゃない、とお思いでしょう。

実は旧暦八月の十五夜お月さんである「中秋の名月」は、
大陸から輸入されたもので、日本ではもともと、
九月の十三夜に、お月見をしたらしいのです。
なので、今は九月十三夜のお月見を「後の月」と呼ぶそうです。

観月会はK庵での恒例行事なのですが、
去年までは「中秋の名月」で行っていたのを、
今年は「後の月」で行ってみたのです。

八月十五夜は別名を「芋名月」。
里芋の収穫祭でもあるからだそうです。
九月十三夜は別名を「栗名月」あるいは「豆名月」。
こちらは、栗や豆の収穫の時期だからなのでしょうね。

ススキの穂をさして、豆・栗・団子などを
供えるのは、収穫祭らしいです。

ちなみに地方によっては
「片月見をするものではない」という言い伝えもあるそうです。

K庵の観月会では、80人くらい集まってたんじゃないのかな、
月とお酒のお話を聴いて(私は遅れて行ったので聴けてません)、
第2部では、恒例の篠笛に、朗読とキーボード。
庵の円窓を使って篠笛を吹く様子の影絵が映し出され、
月の曲の後には、それまで雲に隠れていたお月さんが、
曲に誘われるかのように、ひょっこりと顔を出し、
非常によい雰囲気で、静かな夕べをすごしました。

写真がないのが残念。

しょうがないので、その後の打ち上げでの
お弁当でも載せておきます。



お祭りだからダメ

2009-10-07 20:33:27 | 地元の話
今日は家に帰ってびっくらこきました。
まあ、でも、そのお話は、またいずれ。

で、この連休のお祭りの時期に島に行こうと思って、
宿泊の予約の電話連絡したら、
「お祭りだからダメ」というお返事。

お祭りは、やっぱり自分たちが楽しむためのもので、
外からの人(観光客)を受け入れる素地ってないんだなあ、
って思いました。

お祭りなどのそれこそ地域の資源を、
観光にしようという発想が、今のところはないんですよね。
ってことは、知り合いとかのつてを頼って行くしかない。

観光という考え方で地域資源をとらえていいものか、
そのことにすら迷いを感じてしまいます。
だって、島の人たちは、そこに必要性を感じてないもの。

今日もいろんな人たちが出入りしてたんですが、
あの松たか子画伯にも負けず劣らずのお杉画伯がいるんです。
はい、こちら。


カリメロです。上のはズルして見本を見て描いたもの。
下のがお杉画伯作です。
「カリメロ描いて」って言ったのに、
最初は似てないキョロちゃんを描いて、
だんだんと右に行くほど修正したものの・・・ハズ
なんですけど。

もっとすごいのいっぱいあるんで、
これはマシな方なんですけどね。
また、描いてもらおう。
でも、この子、コンピュータで描いてもらったらスゴクうまいんですけどね。

それより、何より私がいつも鼻歌で歌ってる
「プリシラ大好き♪」ってフレーズ。
実はここしか知らないんですけど。

で、カリメロがどんな姿だったのかのついでに、
子分がプリシラを調べたんですけど、
ショックでした。私の記憶の中のかわいいプリシラじゃなかった。

思い出のままにしとけばよかった。


話をする場がありさえすれば

2009-09-25 23:29:32 | 地元の話
この土日の準備で、今日は打ち合わせ終了が
夜十時になってしまいました。
すみません。進行が悪くって。
もっと早く済ませればよかった。

ただ話題はつきなくって。楽しくって。

まず、情報が行き交う場所がつくられること、
そこに情報が集まってくるシステムがつくられること、
その情報が整理されて発信されること、
そこを誰もが利用できるようにすること、
そこをうまく使えるようにコンシェルジュがいること。

そんな感じになれば、
毎年少しずつ進んできたコトが、
また一歩進むかもしれない。