今日は、保全改修された木造の小学校についての
シンポジウム「建築とリノベーション」があったんです。
予想以上に面白かった~。
新しい視点を教えてもらえると、
ワクワクしますよね。
よくできた構成で、
第一部の前半は、基調講演で、
保存とリノベーションの考え方について、
実例を交えながら、教えてもらいました。
印象的だったのは、ローマのフォロロマーナって、
古代ローマの遺跡にあるマクセンティウスのバシリカの遺跡。
これ、倒れそうになってきたので、
ワイヤーでガッツリひっかけて倒れるのを防いでるんです。
建物は永久にそのまま存在できるわけではないので、
修理・修繕が行われるのが普通ですが、
オリジナルな建物に価値があるとき、
それを保存・継承しようと考えるわけです。
そのときの原則的な考え方が2つあって、
ひとつは「ミニマムインターメンション」、
最小限に手を加えること。
もうひとつは「リバーシブル(可逆的)手法」
いざとなったら、付け加えた分を取り外せるようにすること。
まさしく、ワイヤーでガッツリは、そういう手法です。
でも、それで、元の建築が持ってる空気感は出せるのか?
ってのがありますよね。
遺跡なら、その解決策がOKでも。
これから、活用しよう、っていう建築では、
建築のまとう雰囲気を継承する必要もありますよね。
第一部の後半では、
松村正恒氏が50年以上前に建築した日土小学校の
改修+新築事例を、それぞれの担当建築家が
どう考えてデザインしたか、話をしてくれました。
いやあ、知らなくてすみませんでした。
そんなに苦労されてたんですね、って思いました。
ある方が改修担当の建築家の方のことを
「しつこさと純情さのある人」って言われてましたけど、
まさにそういう先人の建築家(オリジナルの設計者)の建築への
愛がなかったら、この仕事はできなかっただろうな、と思いました。
オリジナルの建築には、一部伊予絣を使った部分があるんですが、
おそらくそれはポケットマネーだったんだろう、って話でした。
この小学校の改修+新築というのは、
校舎が東校舎、中校舎、新西校舎の3つがあって、
それが渡り廊下でつながっているんです。
東校舎はできるだけ復元する、
中校舎は改変する、新西校舎は新築する、
っていう方針で行われた工事なんですが、
ひとつの小学校の校舎として、共通の空気感を持っているんです。
見学にも行きましたが、本当に雰囲気のある建物でした。
そのときの記事はこちら。
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1047
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1048
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1049
遺す建築につながった新築ってむずかしいですよね。
松村先生の文法にただのっかってるだけだと、模倣になり、
松村先生の手法にこだわりすぎると、贋作になってしまう。
共通の言語による設計をしながら、自分の個性も出す。
建築家ですからね。ただの模倣じゃ自分の存在意義がない。
第二部の鼎談では、建築家の先生が、
そのバランスの良さを褒めてらっしゃいました。
第二部は3人の先生の鼎談だったんですが、
これが面白かった。
建築家の先生は、ディテールの写真をいっぱい撮ってきていて、
空間ってもちろんディテールの積み重ねでできてるんだけど、
私たちが観る時って、やっぱり全体の印象に左右されて、
それをつくっている細かいところは見落としているんですよね。
もう、目から鱗の写真だらけでした。
今日は、こんなところにしておこう。
シンポジウム「建築とリノベーション」があったんです。
予想以上に面白かった~。
新しい視点を教えてもらえると、
ワクワクしますよね。
よくできた構成で、
第一部の前半は、基調講演で、
保存とリノベーションの考え方について、
実例を交えながら、教えてもらいました。
印象的だったのは、ローマのフォロロマーナって、
古代ローマの遺跡にあるマクセンティウスのバシリカの遺跡。
これ、倒れそうになってきたので、
ワイヤーでガッツリひっかけて倒れるのを防いでるんです。
建物は永久にそのまま存在できるわけではないので、
修理・修繕が行われるのが普通ですが、
オリジナルな建物に価値があるとき、
それを保存・継承しようと考えるわけです。
そのときの原則的な考え方が2つあって、
ひとつは「ミニマムインターメンション」、
最小限に手を加えること。
もうひとつは「リバーシブル(可逆的)手法」
いざとなったら、付け加えた分を取り外せるようにすること。
まさしく、ワイヤーでガッツリは、そういう手法です。
でも、それで、元の建築が持ってる空気感は出せるのか?
ってのがありますよね。
遺跡なら、その解決策がOKでも。
これから、活用しよう、っていう建築では、
建築のまとう雰囲気を継承する必要もありますよね。
第一部の後半では、
松村正恒氏が50年以上前に建築した日土小学校の
改修+新築事例を、それぞれの担当建築家が
どう考えてデザインしたか、話をしてくれました。
いやあ、知らなくてすみませんでした。
そんなに苦労されてたんですね、って思いました。
ある方が改修担当の建築家の方のことを
「しつこさと純情さのある人」って言われてましたけど、
まさにそういう先人の建築家(オリジナルの設計者)の建築への
愛がなかったら、この仕事はできなかっただろうな、と思いました。
オリジナルの建築には、一部伊予絣を使った部分があるんですが、
おそらくそれはポケットマネーだったんだろう、って話でした。
この小学校の改修+新築というのは、
校舎が東校舎、中校舎、新西校舎の3つがあって、
それが渡り廊下でつながっているんです。
東校舎はできるだけ復元する、
中校舎は改変する、新西校舎は新築する、
っていう方針で行われた工事なんですが、
ひとつの小学校の校舎として、共通の空気感を持っているんです。
見学にも行きましたが、本当に雰囲気のある建物でした。
そのときの記事はこちら。
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1047
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1048
http://yaplog.jp/mattake666/archive/1049
遺す建築につながった新築ってむずかしいですよね。
松村先生の文法にただのっかってるだけだと、模倣になり、
松村先生の手法にこだわりすぎると、贋作になってしまう。
共通の言語による設計をしながら、自分の個性も出す。
建築家ですからね。ただの模倣じゃ自分の存在意義がない。
第二部の鼎談では、建築家の先生が、
そのバランスの良さを褒めてらっしゃいました。
第二部は3人の先生の鼎談だったんですが、
これが面白かった。
建築家の先生は、ディテールの写真をいっぱい撮ってきていて、
空間ってもちろんディテールの積み重ねでできてるんだけど、
私たちが観る時って、やっぱり全体の印象に左右されて、
それをつくっている細かいところは見落としているんですよね。
もう、目から鱗の写真だらけでした。
今日は、こんなところにしておこう。
10月30日は、観月会でした。
観月会の時期じゃない、とお思いでしょう。
実は旧暦八月の十五夜お月さんである「中秋の名月」は、
大陸から輸入されたもので、日本ではもともと、
九月の十三夜に、お月見をしたらしいのです。
なので、今は九月十三夜のお月見を「後の月」と呼ぶそうです。
観月会はK庵での恒例行事なのですが、
去年までは「中秋の名月」で行っていたのを、
今年は「後の月」で行ってみたのです。
八月十五夜は別名を「芋名月」。
里芋の収穫祭でもあるからだそうです。
九月十三夜は別名を「栗名月」あるいは「豆名月」。
こちらは、栗や豆の収穫の時期だからなのでしょうね。
ススキの穂をさして、豆・栗・団子などを
供えるのは、収穫祭らしいです。
ちなみに地方によっては
「片月見をするものではない」という言い伝えもあるそうです。
K庵の観月会では、80人くらい集まってたんじゃないのかな、
月とお酒のお話を聴いて(私は遅れて行ったので聴けてません)、
第2部では、恒例の篠笛に、朗読とキーボード。
庵の円窓を使って篠笛を吹く様子の影絵が映し出され、
月の曲の後には、それまで雲に隠れていたお月さんが、
曲に誘われるかのように、ひょっこりと顔を出し、
非常によい雰囲気で、静かな夕べをすごしました。
写真がないのが残念。
しょうがないので、その後の打ち上げでの
お弁当でも載せておきます。

観月会の時期じゃない、とお思いでしょう。
実は旧暦八月の十五夜お月さんである「中秋の名月」は、
大陸から輸入されたもので、日本ではもともと、
九月の十三夜に、お月見をしたらしいのです。
なので、今は九月十三夜のお月見を「後の月」と呼ぶそうです。
観月会はK庵での恒例行事なのですが、
去年までは「中秋の名月」で行っていたのを、
今年は「後の月」で行ってみたのです。
八月十五夜は別名を「芋名月」。
里芋の収穫祭でもあるからだそうです。
九月十三夜は別名を「栗名月」あるいは「豆名月」。
こちらは、栗や豆の収穫の時期だからなのでしょうね。
ススキの穂をさして、豆・栗・団子などを
供えるのは、収穫祭らしいです。
ちなみに地方によっては
「片月見をするものではない」という言い伝えもあるそうです。
K庵の観月会では、80人くらい集まってたんじゃないのかな、
月とお酒のお話を聴いて(私は遅れて行ったので聴けてません)、
第2部では、恒例の篠笛に、朗読とキーボード。
庵の円窓を使って篠笛を吹く様子の影絵が映し出され、
月の曲の後には、それまで雲に隠れていたお月さんが、
曲に誘われるかのように、ひょっこりと顔を出し、
非常によい雰囲気で、静かな夕べをすごしました。
写真がないのが残念。
しょうがないので、その後の打ち上げでの
お弁当でも載せておきます。

今日は家に帰ってびっくらこきました。
まあ、でも、そのお話は、またいずれ。
で、この連休のお祭りの時期に島に行こうと思って、
宿泊の予約の電話連絡したら、
「お祭りだからダメ」というお返事。
お祭りは、やっぱり自分たちが楽しむためのもので、
外からの人(観光客)を受け入れる素地ってないんだなあ、
って思いました。
お祭りなどのそれこそ地域の資源を、
観光にしようという発想が、今のところはないんですよね。
ってことは、知り合いとかのつてを頼って行くしかない。
観光という考え方で地域資源をとらえていいものか、
そのことにすら迷いを感じてしまいます。
だって、島の人たちは、そこに必要性を感じてないもの。
今日もいろんな人たちが出入りしてたんですが、
あの松たか子画伯にも負けず劣らずのお杉画伯がいるんです。
はい、こちら。

カリメロです。上のはズルして見本を見て描いたもの。
下のがお杉画伯作です。
「カリメロ描いて」って言ったのに、
最初は似てないキョロちゃんを描いて、
だんだんと右に行くほど修正したものの・・・ハズ
なんですけど。
もっとすごいのいっぱいあるんで、
これはマシな方なんですけどね。
また、描いてもらおう。
でも、この子、コンピュータで描いてもらったらスゴクうまいんですけどね。
それより、何より私がいつも鼻歌で歌ってる
「プリシラ大好き♪」ってフレーズ。
実はここしか知らないんですけど。
で、カリメロがどんな姿だったのかのついでに、
子分がプリシラを調べたんですけど、
ショックでした。私の記憶の中のかわいいプリシラじゃなかった。
思い出のままにしとけばよかった。
まあ、でも、そのお話は、またいずれ。
で、この連休のお祭りの時期に島に行こうと思って、
宿泊の予約の電話連絡したら、
「お祭りだからダメ」というお返事。
お祭りは、やっぱり自分たちが楽しむためのもので、
外からの人(観光客)を受け入れる素地ってないんだなあ、
って思いました。
お祭りなどのそれこそ地域の資源を、
観光にしようという発想が、今のところはないんですよね。
ってことは、知り合いとかのつてを頼って行くしかない。
観光という考え方で地域資源をとらえていいものか、
そのことにすら迷いを感じてしまいます。
だって、島の人たちは、そこに必要性を感じてないもの。
今日もいろんな人たちが出入りしてたんですが、
あの松たか子画伯にも負けず劣らずのお杉画伯がいるんです。
はい、こちら。

カリメロです。上のはズルして見本を見て描いたもの。
下のがお杉画伯作です。
「カリメロ描いて」って言ったのに、
最初は似てないキョロちゃんを描いて、
だんだんと右に行くほど修正したものの・・・ハズ
なんですけど。
もっとすごいのいっぱいあるんで、
これはマシな方なんですけどね。
また、描いてもらおう。
でも、この子、コンピュータで描いてもらったらスゴクうまいんですけどね。
それより、何より私がいつも鼻歌で歌ってる
「プリシラ大好き♪」ってフレーズ。
実はここしか知らないんですけど。
で、カリメロがどんな姿だったのかのついでに、
子分がプリシラを調べたんですけど、
ショックでした。私の記憶の中のかわいいプリシラじゃなかった。
思い出のままにしとけばよかった。
この土日の準備で、今日は打ち合わせ終了が
夜十時になってしまいました。
すみません。進行が悪くって。
もっと早く済ませればよかった。
ただ話題はつきなくって。楽しくって。
まず、情報が行き交う場所がつくられること、
そこに情報が集まってくるシステムがつくられること、
その情報が整理されて発信されること、
そこを誰もが利用できるようにすること、
そこをうまく使えるようにコンシェルジュがいること。
そんな感じになれば、
毎年少しずつ進んできたコトが、
また一歩進むかもしれない。
夜十時になってしまいました。
すみません。進行が悪くって。
もっと早く済ませればよかった。
ただ話題はつきなくって。楽しくって。
まず、情報が行き交う場所がつくられること、
そこに情報が集まってくるシステムがつくられること、
その情報が整理されて発信されること、
そこを誰もが利用できるようにすること、
そこをうまく使えるようにコンシェルジュがいること。
そんな感じになれば、
毎年少しずつ進んできたコトが、
また一歩進むかもしれない。