愚陀仏庵が全壊したわけですが、ありし日の姿を写真で紹介しときます。
松山市の江戸・明治・昭和の三庵をめぐる「三庵めぐり」で何度も行ったことがあるのですが、去年の12月に行ったときのものを。ちなみに江戸は庚申庵、明治が愚陀仏庵、昭和が一草庵です。

こちら萬翠荘の裏山、つまり松山城の城山です。
ここを少し登ると、愚陀仏庵があったのです。
城山の南斜面の土砂崩れで、その下にあった愚陀仏庵もつぶされてしまったわけです。

こちらがありし日の愚陀仏庵。
ご存じ、夏目漱石が松山にいたときの下宿で、愚陀仏も漱石の俳号。そして、その1階に子規が転がり込んできて、52日間をいっしょにすごし、俳人たちのサロンのようになってたのです。ってのは何度も語ってきました。
たとえば、こちらの記事で。
http://yaplog.jp/mattake666/archive/977
でも、本当は愚陀仏庵はあの場所にあったわけではなく・・・
こちらの町中の今はパーキングになっているところ。

Pの看板の上に「愚陀仏庵」って書いてあるの見えるかな?
ここにあった屋敷の奥にあった離れが下宿だったんです。
そして、さらにいえば、子規記念博物館に行けば、復元した建物はもう1個あるんですけどね。ただ、見るには入館料が要りますが。
松山市の江戸・明治・昭和の三庵をめぐる「三庵めぐり」で何度も行ったことがあるのですが、去年の12月に行ったときのものを。ちなみに江戸は庚申庵、明治が愚陀仏庵、昭和が一草庵です。

こちら萬翠荘の裏山、つまり松山城の城山です。
ここを少し登ると、愚陀仏庵があったのです。
城山の南斜面の土砂崩れで、その下にあった愚陀仏庵もつぶされてしまったわけです。

こちらがありし日の愚陀仏庵。
ご存じ、夏目漱石が松山にいたときの下宿で、愚陀仏も漱石の俳号。そして、その1階に子規が転がり込んできて、52日間をいっしょにすごし、俳人たちのサロンのようになってたのです。ってのは何度も語ってきました。
たとえば、こちらの記事で。
http://yaplog.jp/mattake666/archive/977
でも、本当は愚陀仏庵はあの場所にあったわけではなく・・・
こちらの町中の今はパーキングになっているところ。

Pの看板の上に「愚陀仏庵」って書いてあるの見えるかな?
ここにあった屋敷の奥にあった離れが下宿だったんです。
そして、さらにいえば、子規記念博物館に行けば、復元した建物はもう1個あるんですけどね。ただ、見るには入館料が要りますが。