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マツタコ

ヤプログが終了したので、とりあえず引っ越します。

ありし日の愚陀仏庵

2010-07-15 19:01:36 | 地元の話
愚陀仏庵が全壊したわけですが、ありし日の姿を写真で紹介しときます。
松山市の江戸・明治・昭和の三庵をめぐる「三庵めぐり」で何度も行ったことがあるのですが、去年の12月に行ったときのものを。ちなみに江戸は庚申庵、明治が愚陀仏庵、昭和が一草庵です。

こちら萬翠荘の裏山、つまり松山城の城山です。
ここを少し登ると、愚陀仏庵があったのです。
城山の南斜面の土砂崩れで、その下にあった愚陀仏庵もつぶされてしまったわけです。

こちらがありし日の愚陀仏庵。
ご存じ、夏目漱石が松山にいたときの下宿で、愚陀仏も漱石の俳号。そして、その1階に子規が転がり込んできて、52日間をいっしょにすごし、俳人たちのサロンのようになってたのです。ってのは何度も語ってきました。

たとえば、こちらの記事で。
http://yaplog.jp/mattake666/archive/977

でも、本当は愚陀仏庵はあの場所にあったわけではなく・・・
こちらの町中の今はパーキングになっているところ。

Pの看板の上に「愚陀仏庵」って書いてあるの見えるかな?
ここにあった屋敷の奥にあった離れが下宿だったんです。

そして、さらにいえば、子規記念博物館に行けば、復元した建物はもう1個あるんですけどね。ただ、見るには入館料が要りますが。


寛政7年の一茶を辿る

2010-06-16 22:38:37 | 地元の話
いい天気だったので日焼けしました。北条を下難波→上難波→八反地とめぐってました。
小林一茶が寛政7年に樗堂を訪ねて松山に来たのですが、その途中、北条を通ります。浅海から鴻ノ坂を越えて、下難波の鎌大師へ。私たちはこの鎌大師からスタートしました。鎌大師は花遍路札所1番でもありますし、他にも芭蕉塚もあるし、坂村真民先生の「愛の道しるべ」という碑もありました。
余談はさておき、鎌大師からの道はとてもいいです。

山に入る入口みたいでちょっと不安になりながら、道を進むと、竹林で、さらにそこを抜けると、急に眼前が開けて農地と池が、正面には恵良山が出現、いい景色です。池の端の道を進むと、後には、腰折山と恵良山が並んで見えて、本当によいのです。まだまだこんな道が続くんのかな、と思っていたら、河野家(中世に伊予を支配していた家)ゆかりの大通寺が出てきて、すぐに集落へと出ました。

上難波あたりの集落を進むと、一茶がたずねた西明寺(現在は最明寺)に到着しました。一茶は、一茶の師匠と交遊のあった住職・茶来をこの寺にたずねたのです。残念ながら15年前にすでに茶来は亡くなっていて、泊まることもできなかった。その時に詠んだ句が「朧々ふめば水也まよひ道」。最明寺にはその句碑と一茶と子供たちの像がつくられていました。

一茶が泊まることができなかったのには、こんな理由があったと推測する人もいます。茶来さんが亡くなる3年前にお寺は火事にあっていて、その時、茶来さんは句会に出かけていていなかったのです。檀家の支援で再建の真っ最中、檀家の手前、俳諧師を泊めるわけにはいかなかったのではないか、と。

たまたま近くの庄屋の高橋五井が泊めてくれて、なんとか、宿なしになることは防げたのです。どうやら、この頃、風早地方の庄屋クラスの方々は俳句やお茶を嗜み、文化的に流行してたみたいなんですよね。

高橋邸、自力ではさがすのは無理だったと思いますが、「一茶の道」と書いた案内標識があって、そこを辿って行けば、崩れかけてはいるものの白い長い塀が出てきて、一目でああここが庄屋さんだったところだな、ってわかりました。

残念ながら当時の風情を残した建物はなく、人の住まなくなった敷地内は草が生い茂っていました。しかし、門と庭石などから、さぞ立派であったであろう当時を思いこさせるに十分で、そこにポツンと一茶の句碑も立っていました。「月朧よき門探り当たるぞ」。いやいや、二句つづけてものすごくわかりやすいでしょ。高橋五井の「五井」は「ごせい」と読み、名水を求めて庭に井戸を掘り続け、やっと5つ目の井戸で満足できる味の水が得られたところからきているそうです。

 その次の日に、立岩川を渡って一茶は正岡村に入ります。この日は八反地の大庄屋であった俳人・門田兎文が歓んで泊めてくれました。ここにも道からすぐ見える家の前に大きな句碑が立っていました。「門前や何万石の遠がすみ」。
このあと、一茶は樗堂の待つ、松山へと旅立つのですが、とっても残念ながら寛政7年はまだ庚申庵は出来ていなかったのです。一茶が訪れたのは二畳庵。庚申庵が建てられるのは5年後の寛政12年なのです。

あとは、私たちは近くの国津比古命神社へ寄って帰りました。
日露戦争のときの砲弾が山門に置かれてました。

どうせ、あとでまとめないといけないので、簡単な記録でした。


学芸の場のはずが

2010-05-28 23:32:34 | 地元の話
先日、となり町の小さな歴史文化館みたいなところへ行ったんですけど、
うーーん、なんだろ、あの覇気のない感じは。

地方の市町村が持ってるこういう施設って
どこも指定管理者がやるようになってるけど、
どこも安っぽい感じになってますね。
なんで、あんなに文化の香りが薄れていくんだろう。

ハコは立派なんですけどね。


気持ちいい「おじぎ」

2010-05-22 22:05:56 | 地元の話
今日はK庵で総会。その後は近代建築のお話を講演してもらって、それから華の絵コンテストの表彰式をやって、東雲高校の生徒さんたちにハンドベルの演奏もしてもらいました。
この高校生たちがいいんだわ。もう礼儀正しくって準備も後片付けも率先して一緒にやってくれるし。私らが適当に脱いじゃってる靴とかも全部そろえてくれるし。
確かに、ここ数年のこの学校の生徒さんは、気持ちのいい子が多いのですよ。

この実感はかなり衝撃でしたね。実態を知らずに語るとはこのことかもな。
彼女たちはものすごい広報力があると思います。


おじぎも丁寧な感じでしょ。

映画の中の中学生のような子ばかりでもないのです。



庚申庵のノダ藤そろそろ

2010-04-26 23:30:31 | 地元の話
今夜は母と電話。今の世の中の厳しさをダメ押しされました。
今ある枠の中で動こうとすると、きびしい、きびしい。
本当は新しいことがしたい。でも、まだダメだ。

さて、庚申庵と言えば藤の花。

4月25日に行ったとき、5分咲きくらいでした。

でも、その日の夕方見たら、6分咲きくらい。
そろそろ見ごろです。
アップだと綺麗でしょ。


S様も庚申庵を手伝ってるんだけど、
毎日、まかないを楽しみにしてるんだよね。
前日から煮込んでた肉じゃがを超楽しみにしてて、
鍋の周りをウロウロ、鍋番してたらしい。
まだまだ修行中のS様ブログも紹介しておこう。
http://tomo10art.blog44.fc2.com/

で、私は午後から行ったので、
それは食べられなかったんだけど、
夕食頃に筍と鶏の煮物と煎茶の佃煮が。

このお煎茶は、一日中庵でお煎茶のお茶会で使った分です。
100グラム4000円もするお茶なんですよ。
原材料がいいからなのか、とってもおいしかった。

そして26日用に、庵でお抹茶をお出ししてますよ。
って宣伝するボードをS様が書きました。

「抹茶さんが一服してどないすんねん」
ちなみにボードを持ってるのは子分Aです。