和全は1823年生まれで幼名仙太郎。1843年に保全の隠居に伴い、21才で12代を継いだ。若い頃から保全も驚く技術を持っていたという。
和全の制作年代は善五郎(1843‐71)、善一郎(1871‐?)、和全(?-1896)の3期に区分されるが、作陶生活によって以下の4期にも区分される。
また明治4年(1871)、戸籍法の制定に伴って「永楽」と正式に改姓したのも和全である。和全はこれを期に家督を長男常次郎(得全)に譲り、自らは善一郎と称した。
①嘉永5年(1852)、野々村仁清ゆかりの御室仁和寺門前仁清窯跡に登り窯をひらいた。この土地は義弟宗三郎の所有地で、和全の作陶にはこの義弟の協力が大きかったと言われる。この時期を御室窯時代という。
②慶応2年(1866)から明治3年(1870)、加賀の山代に五年間滞在して近代九谷の発展に尽力し、この時期を九谷窯時代と呼ぶ。
③明治5年、三河の豪商鈴木氏の求めで岡崎に移り、甲山で窯を開いた。明治維新によって時代が変わり、西洋的な金襴手と色絵の懐石製高級食器(コーヒー碗やスープ皿)や赤絵染付も手がけ、神社仏閣での献茶や大寄せ茶会の為の華やかな茶道具も作り出し、永楽家の様式を確立した。この時期を岡崎窯時代と呼ぶ。
④明治15年(1882)、高台寺の菊渓川のほとりに居を構え、作陶。菊谷窯時代と呼ぶ。この時期の作品は粗い胎土に薄く透明釉をかけて簡略な絵付けをした民芸風の雅味のあるものが多い。また、菊谷の繭印が使用され、特に菊谷焼と呼ばれている。
和全の作品は華やかなものから侘びたものまで幅広い。たくさんの交趾の香合もあったが、鮮やかな発色ではなく、渋めの色だったのが印象的だった。
永楽家の金襴手は和全の頃から金箔を使うようになり、傷がついてもわびた趣になって茶人は和全の金襴手を高く評価しているのだそうだ。また、和全の交趾写は保全より色の鮮やかさに欠けるが本歌に近く、茶室には合うと言われているとの説明もあった。和全が本歌をふまえつつやや崩して写したのに対し、保全は忠実にきれいに写す差が見られるとか。
それぞれの代で徐々に変化しながら17代まで脈々と受け継がれてきた技、すごいですね。
和全の制作年代は善五郎(1843‐71)、善一郎(1871‐?)、和全(?-1896)の3期に区分されるが、作陶生活によって以下の4期にも区分される。
また明治4年(1871)、戸籍法の制定に伴って「永楽」と正式に改姓したのも和全である。和全はこれを期に家督を長男常次郎(得全)に譲り、自らは善一郎と称した。
①嘉永5年(1852)、野々村仁清ゆかりの御室仁和寺門前仁清窯跡に登り窯をひらいた。この土地は義弟宗三郎の所有地で、和全の作陶にはこの義弟の協力が大きかったと言われる。この時期を御室窯時代という。
②慶応2年(1866)から明治3年(1870)、加賀の山代に五年間滞在して近代九谷の発展に尽力し、この時期を九谷窯時代と呼ぶ。
③明治5年、三河の豪商鈴木氏の求めで岡崎に移り、甲山で窯を開いた。明治維新によって時代が変わり、西洋的な金襴手と色絵の懐石製高級食器(コーヒー碗やスープ皿)や赤絵染付も手がけ、神社仏閣での献茶や大寄せ茶会の為の華やかな茶道具も作り出し、永楽家の様式を確立した。この時期を岡崎窯時代と呼ぶ。
④明治15年(1882)、高台寺の菊渓川のほとりに居を構え、作陶。菊谷窯時代と呼ぶ。この時期の作品は粗い胎土に薄く透明釉をかけて簡略な絵付けをした民芸風の雅味のあるものが多い。また、菊谷の繭印が使用され、特に菊谷焼と呼ばれている。
和全の作品は華やかなものから侘びたものまで幅広い。たくさんの交趾の香合もあったが、鮮やかな発色ではなく、渋めの色だったのが印象的だった。
永楽家の金襴手は和全の頃から金箔を使うようになり、傷がついてもわびた趣になって茶人は和全の金襴手を高く評価しているのだそうだ。また、和全の交趾写は保全より色の鮮やかさに欠けるが本歌に近く、茶室には合うと言われているとの説明もあった。和全が本歌をふまえつつやや崩して写したのに対し、保全は忠実にきれいに写す差が見られるとか。
それぞれの代で徐々に変化しながら17代まで脈々と受け継がれてきた技、すごいですね。
これは永久保存版!
この知識はどこから・・・?
色んな書物をお読みになってるんでしょうね!
初心者向けにお茶の事、お道具の事などお勉強しようとする方向けのお勧めの本がありましたら教えて下さいませ。
渋い色合いってのに惹かれます。
永楽関係の知識は全て三井記念美術館です。今回は時系列的に作品も並べられて詳しく説明されていましたのでそれをメモしてきました。受け売りで申し訳ないのですが、こうしてまとめて書くと勉強になります。
初心者向けのお茶の本、点前も書いてあって基本知識を網羅しているなと思って愛用しているのは、主婦の友社発行、鈴木宗保・宗幹先生の”裏千家茶の湯”でしょうか。
あとは本屋さんの茶道コーナーで気のむくまま目に付いたものを購入して読んでいます。
年齢と共に徐々に作品も侘びてくるのですよ~。
年を重ねると作品に気負いがなくて重みが出てくる気がします。やっぱり経験ってすごいなと思いました。
私もそろそろまた京都に行きたくなってきました!
茶道については素人なので、m-tamagoさんの記事を読んでから行けば良かったです・・・。ちょっと、失敗しました・・・。
展示されていた作品の中で、僕がとても気に入ったのは、保全の狐と狸の可愛い掛け軸です。
和全の乾山写しと仁清写しの前でも、思わず足が止まりました。作者からすれば、あくまでも「写し」なのでしょうが、「写し」を超えた、素晴らしい作品でした。
僕には、茶道の知識はありませんが、個々の作品の美しさは、そうした知識がなくても、どれも心惹かれるものがありますね。
前の記事から読ませて頂いて、色々納得するところがありました。
私も狐の狸の掛物はかわいいと思いました!
写しといってもそれを精巧に写すのもまたすごい技だと思いますね。
知識はなくてもどれも心惹かれる、それが本当だと思います。
できれば、まず自分の心で見て楽しんで、もう一度見に行って説明を読んで納得するというのがいいと思うんですけど、なかなか時間もないので。。。。結局今回は作品より説明に専念してしまった気もして、反省。