LUSTYHOUSE

まだ、もう少し作ること、動くこと、想像すること、楽しむこと。気ままに、思うことを書いてます。

海難事故

2008年06月24日 | ぼやき

 イージス艦と漁船が衝突した海難事故で、久しぶりに記事が出た。二人の当直士官が送検されたという。広い海で大きな船と小さい漁船が正確に同時刻一点で出合う。あり得ないような確率だと思うが、しばしば海難事故は起こる。片や様々なハイテク機器を装備した軍用艦、乗組員も多数おり見張りさえ何人もいる。一方の漁船はベテラン漁師だが、暗い海で軍用艦は見えにくいだろう。あんな大きな船が目前に迫ったときの恐怖は計り知れないものがある。瀬戸内海でも潜水艦や軍用艦をよく目にする。これまで軍用艦との海難事故もいろいろ起きている。自分もプレジャーボートに乗るので巨大船はまことに恐ろしい存在だ。人影も無く、こちらに気づいているなど考えられない。この事故は自分がボートを買ってから起こったので、いろいろなシーンでついつい思い出す。とりわけ印象深い。
 世の論調はイージス艦の方に分が悪い。当然だろう。空の場合だったらどうか、どんな小さな飛行物でもパイロットは見逃しはしないだろう。いずれにせよ大きい方が有利、被害は小さい方に甚大だ。イージス艦は軍事用の船舶。小型船舶での攻撃に備えた訓練もあるはずで、ぶつかるまで分からないで、務めが果たせるとは思えない。見張りが不十分だったということのようだが、それくらいでいちいちぶつかっていてはたまらない。動くモノには常に危険が伴う。以前は交通事故死者が1年間1万人を突破していて、交通戦争と呼ばれていた。現在は6千人代にまで減少しているという。しかし、まだまだ多いと思う。危険運転事故も報道されている通りだ。
 教訓。想像力で危険を認識すべき。危険は早めに察知すべき。無用な危険は回避すべき。自分が現在、存在している確率は天文学的な数字になるという。想像してみてください。単細胞だった生命から、私になるまで何世代か計算は出来ないが、1回も生の営みがとぎれなかった。私の祖先だった生き物は補食者にただの一度も食われたことがないのだ。アフリカからはるばる歩いて日本列島に来て、数々の戦争や病気をくぐり抜けてきた。この年になれば人生は短いと言える。早すぎる死を何人も見てきた。命と時間を大切にしよう。早く死ぬことはない。どうせあと数十億年で太陽の表面温度が上がり我々も地球もろとも無くなるんだから。