Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち

2008-07-15 | 外国映画(は行)
★★★★ 2003年/アメリカ 監督/ゴア・ヴァービンスキー
「シリーズ1から見通してみて思うこと」



シリーズ中、このパート1が一番好きだという人も多い。その気持ちもわかります。でも、私は海の荒らくれどものやりたい放題のイメージが定着してしまったので、このパート1は、むしろうまくまとまり過ぎているとすら思えるんですね。全く、不思議なもんです。

確かに物語はコンパクトで見やすいです。エリザベスを中心に観れば、非常にオーソドックスなお姫様物語のようにも感じられます。幼い頃から心を通わせる男との身分違いの恋。そこに、親の決めた許嫁と突如現れた魅力的な不良男。不良男に惑わされるのは、まるでマリッジ・ブルーに陥った女の迷い心のようでもあります。しかし、最後には、自分の思いを再確認して彼と甘―いキスを交わす。物わかりのいい許嫁は身を引き、風のように現れたアイツは海賊船と共に海の彼方へ去っていくのでありました。めでたし、めでたし。

このようにエリザベス目線で考えると、なるほどディズニーらしい映画なのかも知れません。何せ元ネタがアトラクション。よくぞここまで膨らましたな、と感心します。しかし、ヒットしたおかげでパート2を作ることとなった。主人公のふたりはキスして一件落着となった物語を、再び解体しなければならない。そこで、予想外に人気となったジャック・スパロウから物語を広げてやろうということになったんでしょう。

善人か悪人かわからないジャック・スパロウというキャラクターが注目されたのは時代の必然でしょう。悪い奴がいて、ヒーローが退治する。その構図に、もはや小学生ですら嘘くささを感じ取っています。それほど、世の中の善悪の判断基準は曖昧になっている。悪いことをしても罰を受けるわけでもなく、平然とのさばる大人はごまんといます。でも、一方でそんな世の中だからこそ、映画の中では善悪がはっきりしていて、悪い奴が懲らしめられる方がスッキリするのだ、と言う人もいるでしょう。しかし、その虚構の世界はスッキリしても、映画鑑賞の喜びの一つである余韻を味わえない。ジャックという人間が抱える混沌、善も悪も呑み込んでしまう海の底の不気味さの方に私はリアリティを感じます。

おそらく、その根拠は「正義」の不在でしょう。海賊に正義なんてない。それが、見ていて気持ちいいんですね。だって、どっちにも寝返っちゃうんですから。「アラバマ物語」じゃありませんが、性善説に基づく正義を振りかざされることに、私は飽きてしまったし、昨今の映画の正義の表現に作り手が敢えて注入したい何らかの意図を感じ取ってしまう。誰の側にもつかない。ただ海に生きる。そのスタンスは、まるで西洋中心の経済システムから全く離れて存在する少数民族の姿のようでもあり、何が善で何が悪かわからない世の中を生き抜くしたたかさを感じるのです。海賊、バンザイ!

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