Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

るろうに剣心

2013-01-26 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2012年/日本 監督/大友啓史
(映画館にて鑑賞)


「佐藤健の色気と狂気にノックダウン」



「とりあえず主人公がカッコよくスクリーンに収まっていれば、それでいいじゃないか。」
と、そこまで言い切れる作品は案外少ない。
しかし、この「るろうに剣心」は久々にそう言い切れる会心の出来映えでした。
香川照之邦画に出過ぎ。とか、
音楽はまんま龍馬伝やがな。とか、
須藤元気の役に意味あんのか。とか、
余計なツッコミがその都度浮かんでくるのだが
佐藤健の美しい立ち居振る舞いと流麗な剣さばきがこれらのくだらないツッコミをきれいサッパリ吹き飛ばしてくれる。
とにかく殺陣のシーンがカッコ良くて、爽快。今まで見たことないチャンバラエンタメ。

大人になって、時代劇なんてダサいという考えに囚われていた私だが、
よくよく考えると子どもの頃は「遠山の金さん」やら「必殺仕事人」やら、よく見ていたものです。
中でも一番好きだったのは、 “死して屍拾う者なし”のナレーションが印象的な「大江戸捜査網」。
つまり子どもの頃から慣れ親しんだ時代劇のチャンバラシーンとは、
一種のファンタジーであるということは日本人なら誰もがそのDNAに刻み込まれているはず。
もともとファンタジーであったものが、CGの技術によりさらにパワーアップしてよりファンタジックに見えたとて、
何の違和感がありましょう。むしろ、これが現代のチャンバラなのだという嬉しい驚きばかりが胸に込み上げるのでした。

アクション監督はドニー・イェンともタッグを組み香港でも活躍する谷垣健治。
主演に佐藤健、アクション監督に谷垣健治。
このふたりが決まった段階でこの映画の成功はほぼ間違いなかったと言えるような気がします。
見せ場のひとつである「ナナメ走り」には素直に驚愕いたしました。

佐藤健は身のこなしが本当に美しく、これだけの殺陣をできる若手俳優は他に思いつきません。
もちろん、私も「龍馬伝」の以蔵にハマったひとり。
あちらで免疫付いている観客が多かっただろうに、その期待を超える演技。
ほんとにキレッキレなんですよね。痺れます。
そして、色気がある。これ大事。色気と狂気が共存する俳優、久しぶりだなあ。
いやあますますファンが増えそうだ。
(私生活でもかなりのジゴロらしいですが。笑)
ネタバレになるので詳しく書きませんが、最後の対決で見せる人斬りの本性には、背筋がぞくぞくーっとしてしまいました。

敢えて言うなら、殺陣シーンのカット割りが多くてごちゃごちゃして見えたのが残念かな。
そしてカメラワーク。あのアクロバティックな殺陣シーンをカメラワークでもっと臨場感あふれる映像にすることができたように思う。
でもまあ、いいよ。
佐藤剣心がとにかくカッコ良くスクリーンに収まっているんだから。


八日目の蝉

2012-04-03 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2011年/日本 監督/成島出
(DVDにて鑑賞)(原作は既読)


「一日一日をこどもと生きる」


全くその権威など信用していない日本アカデミー賞でありますが、
昨年は「悪人」、今年はこの作品が受賞してましたね。
こういう社会派に賞をあげときゃいいやって、風潮なんでしょうか。
ベストセラー小説が元ネタってことで、いろんなところを巻き込んで二次利益が出るんでしょう。
そして、井上真央は熱演ですけど、最優秀主演女優かと言われると、
主演はむしろ永作博美では?と思ってしまいました。
しかし「悪人」よりは、良かったです。

この映画で示されるのは、手垢のついたテーマの「母性」。
子供を産めない女性が、ひとたびその手に赤ん坊を抱いた瞬間に母になってしまった、
というもので、永作博美演じる希和子が「毎日、毎日この子と生きられますように」と願うその様には
全ての女性が胸を締め付けられるのではないでしょうか。
そこに、子供を産んだ経験があるかないかは関係ない。

もちろん私は全ての女性は母性を持っている、などと言う
男社会の押しつけ幻想などこれっぽっちも持っていません。

母性とは、子どもを産もうと産もうまいと全ての女性が持っているということでは決してなく、
目の前にある小さな命の一日一日の輝きに目をこらし、一瞬一瞬の営みに寄り添うことで生まれるものだ、と。
誘拐犯の永作博美の演技を見ていて、そう思わされました。

いつ逮捕されるかも知れない日々の中で刹那的に生きる女ですが、
だからこそ、ささやかな幸せの価値を誰よりも知っている。
そんな希和子を演じる永作博美がとても良かった。

エンジェルホームや写真館の描写は、気に入りませんでした。
敢えて、異空間のように見せることで、希和子と薫の世界を際立たせたかったのかも知れませんが、
私はエンジェルホームも写真館も特別な場所ではなく、
ふたりが通過した場所として配置してくれた方がすんなり溶け込めました。

あとは、やっぱり小池栄子。内股の小刻みな歩き方まで役作りしてて、この人はいい。
そして、劇団ひとり。この人、いつもおいしい役過ぎませんか。なんだかなあ。




L'amant ラマン

2011-09-23 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2004年/日本 監督/廣木隆一

「何を撮ってもそこに広がる廣木ワールド」


17歳の誕生日を迎えた少女は、年老いていくことに不安を抱いた。そして、古い洋館を訪れると、そこにいたずっと年の離れた3人の男性と1年間の愛人契約を結んだ。生活感のない部屋で少女は、本名も、何をしているかも知らない男たちに身体を委ねてゆく。いつも優しいA、物静かでミステリアスなB、少し乱暴なC。身体だけの繋がりのはずが、彼らとの奇妙な関係は、少しずつ少女の心を満たしていった…。 


ちょっぴり自意識過剰な女子高生。
10代の女子特有のアンニュイなムード、そしてセックスにまつわるあれこれ。
ワタシはみんなとは違う。誰かワタシを特別に扱って…。

鑑賞後、なーんかどこかで見たことのある余韻だなと感じていたら、
これ漫画が原作なんですよ。
やまだないと。
ああ、やまだないと。さもありなん。いっとき、よく読んでました。
我が家の本棚には「フレンチドレッシング」と「しましまのぶちぶち」ってのが並んでます。
この時代のカリスマ岡崎京子にぞっこんでしたので、その系譜で読んでた。

この手の漫画独特の世界観を崩さないようにしながら、
やっぱりここで繰り広げられているのは紛れもない廣木ワールド。
それが、ワタシには心地いい。
ゆるやかに流れる時間。
少し引いて、人物たちを追いかけるカメラ。
温かく包み込むような視線。

人物たちの懐にぐいぐい食い込むようなことはせずに
少し離れたところで見守っている。

変態を撮る時も、凡人を撮る時も、奇抜な話でも、ありきたりな話でも、
廣木監督はいつも同じ視点で登場人物を追いかけている。
このぶれのなさがいい。

果たして少女は中年男たちとの交わりで何かを悟ったのだろうか。
大人になった少女と子どものようにはしゃぐ男たちを対比させる
ラストシーンはやや狙いすぎに感じるけれども、
アンニュイ漫画をここまで自分の世界に引き込める廣木監督はさすがだと思う。

劇場版 ルパン三世 ルパンVS複製人間

2011-09-21 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 1978年/日本 監督/吉川惣司


「ワルな西村晃の声」


ラストに出現するアレがあまりにインパクト大で、子どもの時に見たのにずっと覚えていた作品。
偶然テレビで久しぶりに見たんだけど、あまりに面白くて大コーフン。
「カリオストロの城」ももちろん見ているけど、私はこっちの方が断然好きだな。

1978年作、ルパンシリーズの劇場第1弾ってことだけど、とても大人向けよね。
ラスト、マモーは宇宙に飛び出し、「新たな精神」となって宇宙の神たらんとする。
ひょー。これは「2001年宇宙の旅」じゃあないですか。
クローン人間が複製を繰り返しているうちに、そのDNAが100%継承されなくなったり、
完全クローンできなかった欠陥人間が生まれたり。
マモーが崩壊するそのプロセスもがっつりSFモード入ってて
ハリウッドでこのまま実写化できるんじゃないのかとすら思える。
で、何だかやたらと深遠なラストの後でルパンと銭形のとっつぁんが肩組んで逃げ回るお決まりの展開。
このギャップがいい。

何より本作に惹きつけられたのはマモーの声を担当する西村晃の「声の演技力」。
彼だったからこそ、本作は傑作になっていると思う。
私は西村晃と言えば「赤い殺意」や「絞殺」など、妻をないがしろにしていたぶるような最低男が頭に浮かぶ。
「華麗なる一族」などの企業物にもよく出演していた。大抵上司を裏切るような卑怯な役どころばかりで。
晩年でこそ水戸黄門だけど、当時は悪役をやらせれば右に出る者なしだったなあ。
そういう彼のダークな面がマモーにそのまま乗り移っていて、すばらしかった。
いくら複製してもいずれは朽ち果ててゆく肉体とは決別し、精神として存在し続けること。
その孤独と哀しみが彼の声色に込められている。
子ども心にマモーは可哀想な存在だと思ったんだけど、それは西村晃の声のせいだった。
もう一回ちゃんと見よう。

余命

2010-09-19 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/生野慈朗

「ひとりで決める女」

難病ものなどまったく食指の動かないジャンルですが、何気なくスカパーで見始めたら、これががっつりハマってしまったのです。主人公、滴(以下、わかりづらいのでひらがなで表記)の行動をどう捉えるか、賛否含めていろんな女性に見てもらいたい作品です。

<以下、重要なネタバレを含みます>
世の中には様々な難病ものの作品がありますが、本作の特徴は既婚女性である主人公しずくが生死に関わる重要な判断を「全て自分の判断だけ」で遂行してしまう。この1点に尽きるでしょう。そして、私はしずくの行動に胸を打たれ、激しく共感してしまったのです。夫に何も告げず、自分の命が短くなろうとも出産する、という決断に。

しずくは外科医であり、家計を支える存在として描かれています。夫は目指していた医者にはならず、カメラマンを選ぶ。厳しい世界で働く女性が常々美徳としているもの、それは「自分で決断する」ということではないでしょうか。医者ならなおさらでしょう。誰かに頼らず生きていく。重大な決断は自分で行う。いや、行わねばならない。それが、働く女性を奮い立たせるものだと、私は思っています。もちろん、そうではない、という人がいることも重々承知はしています。あくまでも、これは私見。

自分の運命は自分で決め、自分の過ちは自分で背負い、自分の道は自分で切り開く。これくらいの、気概がないとやっていけないんですもの。誰かに甘えればいい、という考えがよぎった時点で心が折れるんですもの。これまで、様々な作品で書いてきました「働きマンのツッパリ」がこんなに悲しいカタチで描かれている作品もそうそうないでしょう。心配した親友が「なぜ私に相談しなかったのか」と詰め寄るシーンがあり、この親友の気持ちも十分理解できて、さらに悲しさ倍増です。

真相を知った夫は妻から受け継いだ命をしっかりと育てます。しずく亡き後のシークエンス。大抵、この手の作品はこういうシチュエーションは蛇足シークエンスになりがちなのですが、本作はすばらしいです。まっすぐに生きてきた息子の澄んだ瞳、医者として島に貢献する夫の力強い意志がスクリーンを満たし、しずくが遺したものがかけがえのないものであると、証明されるのです。

夫との会話やラブシーンが多く、そのせいでやや尺が長く感じられます。しかし、ツッパリ妻と優しすぎる夫のストーリーなんだと思えると、その点は目をつぶってもいいかも知れません。
ただひたすらに残念なのは、その余韻に浸る間もなく、まるで不釣り合いなジャパニーズ・ラップがエンディングに流れてくること。なんなんでしょうね、これは。ミュージシャンには責任はありませんよ。どういう経緯でこの曲の採用になったんだか。静かなピアノ曲でも流していただければ、間違いなく5つ星でした。



笑う警官

2009-12-01 | 日本映画(や・ら・わ行)
★☆ 2009年/日本 監督/角川春樹
「酷すぎて絶句」

あんまりお粗末な作品だったので、特に書くことはないです。
なーんて、言い切り。
これほど酷いと思った作品はいつ以来でしょうね。しかも、映画館で。

演出が古いとか、新しいとか、
そういう時代性とは何の関係もないですね。まるで素人。
とにかくのっぺりとした絵ヅラで、
ただ役者が順番に台詞を言ってるだけ。

サスペンスとしてのスリリングは皆無です。
24時間内に殺人事件を解決しなければならない緊張感、まるでナシ。
しかも、話の辻褄が合っていない脚本。
原作と違うワケのわからない改変。

とにかく全てが駄目ですから、
一つひとつ取り上げてダメ出しすることもないでしょう。
字数の無駄です。

それより、悲しいのは、本作品に出演したことで
大森南朋は割りを食ったなあ、ということです。
それに尽きます。
今年は「ハゲタカ」が評価を受けて、一躍有名になった彼。
ベストセラー本の主演ということで注目も大きかった作品なのに、
こんな仕上がりじゃ、可哀想すぎます。

数限りない映画作品に出演し、
どの作品においても希有な存在感を放っていた彼が、
こんな凡庸でヘタクソで全く魅力的に見えない役者に
撮られてしまうなんて酷すぎます。
誰か角川監督に助言する人はいなかったんでしょうか。
大森くん、この仕事のことはサッサと忘れてしまうんだよ。ねっ。

屋根裏の散歩者

2009-06-10 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 1992年/日本 監督/実相寺昭雄
「覗き男はいつまでも覗き男」

本作は映画館で見ましたが、田中版が傑作なので、今一度見比べ鑑賞。これはこれで、面白いです。実相寺監督お得意の斜め構図炸裂ですけど、違和感なく座りがいいですし、旅館の住人たちが大変個性的な魅力を放っています。最後の寺山俳優、三上博史が覗き野郎という皮肉なキャスティングも面白い。

階下の部屋から籠もれ入る光が交差する屋根裏が大変幻想的。迷宮の入口のようです。光に導かれて、今日はどの穴を覗こうかと毎夜徘徊する。そりゃこれだけ淫靡な世界が展開しているんだったら、毎日覗きたくもなります。ちょっと残念なのはエロが強すぎて、殺人事件が薄れてしまっていることでしょうか。どんなセックスを覗き見ようとも、自分の手で人を殺すことを決断したら、それは強いリビドーを引き起こすものだと思います。しかし、住人たちの倒錯ぶりにやや押され気味なんですよね。

殺人を犯した郷田はこちらの世界に降りてきて、淫乱作家とセックスもどきの遊びをするけど、やっぱり面白くも何ともない。人を殺しても何も変わらない。郷田の抱える虚無がラストにもっと際立ってもいいのになあと思います。が、何ともゆるく終わってしまう感じこそ、この作品の持ち味なのかも知れません。



ユリイカ

2009-04-21 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2000年/日本 監督/青山真治
「3時間37分」


<story>九州の田舎町で起こったバスジャック事件に遭遇し、生き残った運転手の沢井と中学生と小学生の兄妹。3人は凄惨な現場を体験し心に深い傷を負う。2年後、事件直後、妻を置いて消息を絶っていた沢井は再びこの町に戻ってきた。同じころ、周辺では通り魔の犯行と思われる連続殺人事件が発生し、次第に疑惑の目が沢井にも向けられるようになる。兄妹が今も二人だけで生活していることを知った沢井は、突然兄妹の家に行き、そこで奇妙な共同生活を始める。心に深い傷を負った人々の、崩壊と再生への旅を描く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


セピア調の映像、少ない台詞、じっくりと映し出す人々の心象風景、そして総尺3時間37分。これで、飽きない、退屈しないというところが凄い。カットに無駄がないし、カメラがすばらしくいいんですね。私はこれに尽きると思います。

一見して、哲学的、観念的と捉えられそうな小難しい作品の様相です。これは、多分に同名の雑誌の影響もあるかも知れません。しかし、物語の構造としては、大変シンプル。心の傷を癒す物語です。そして、その傷は深ければ深いほどに、癒えるには時間がかかるのだということを本作は我々に示してくれています。映画の尺が長いのは、それだけ「時間をかけなければ傷は癒されない」という本質と全く呼応しているのだと思います。

物語の進行上において「Helpless」の続編にはなっていません。しかし、同じ人物が出てきます。秋彦です。前作以上に、秋彦の存在は重要です。秋彦を演じる斉藤陽一郎は、傷を負う者と傍観者(観客を含めた我々)の橋渡しとしての役割を見事に演じています。沢井は「秋彦くんがいてくれて良かった」と最初は言うのですが、終盤不用意なひと言を放つ彼をバスから放り出してしまいます。あれだけ秋彦が旅に付き合い、3時間37分という時間をかけても、それでもなお両者の溝が埋まることはないのです。しかしながら、エンディングは絶望ではなく、やっと踏み出した一歩であり、ほんの微かな希望です。陳腐と言われても仕方のないくらいのわかりやすいエンディングなのですが、それも3時間37分に渡って追いかけた3人の終着地点だからこそ、見事なラストに変貌していると思います。

「Helpless」でも書きましたが、青山監督は冒頭の描き方が実に巧いと思います。「何かが起こる予感」の表現力です。本作では、真夏の熱を帯びた舗装道路の向こう側からバスが徐々に見え始め、バス停でバスを待つ兄弟、高台から手を振る母、そして運転席からの眺めへと移ってゆく。物語を動かす突破口であるバスジャックが始まらなくとも、すでにスクリーンに引きつけられて仕方がないです。

その後、物語は静かに進み、情緒的な表現はほとんど用いられませんが、そんな中、沢井と妻が別れるホテルのシーンがとても心に響きました。人は人をいたわり、思いやり、見守り合う存在です。しかし、男女に生まれる愛情は、それらとは異質なものであることを示しているような気がするのです。「別れてしまう」という結論において、男女の愛情が人間愛より劣るということでは決してなく、むしろ、より男女間の愛情の特殊さが伝わってくる、という感じでしょうか。

宮崎あおいの透明感がすばらしい。引き続き、続編に当たる「サッド・ヴァケイション」を見ましたが、この梢の透明感はそのままでした。「篤姫」に毒されることはなかったんですね。とてもいい女優だと改めて思わされました。





欲望

2009-03-26 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2005年/日本 監督/篠原哲雄
「乳房に語らせろ」

日活ロマンポルノがなくなり、裸と言えば過激なAVばかりが世に流通されている今、ごく一般的な邦画の撮影現場において、女優の乳房にきちんと向き合っていない、または、どう向き合えばいいのかわからない、そんな状況なのではないかと危惧してしまう。もちろん、それは、それだけ女優が裸になるという機会に恵まれていないことも大きいのでしょう。

別にせっかく脱いでくれたわけだから、美しく撮ってあげるべき、ということではない。ラブシーンは常に官能的であるべきでもない。しかし、剥き出しになった乳房はスクリーンの中では、女の情念、孤独、悶え、打算、ありとあらゆる感情を代弁する。幾多の映画の中で、そのような瞬間に対面し、映画でしか味わえない快感を味わってきた。ましてや、本作は「欲望」というそのものに切り込む映画。昔の男に思いを馳せながら妻子ある男に抱かれる時。肉体的には交われぬと知りつつ、それでもその男を受け入れる時。板谷由夏演じる類子の裸身から、女の心の奥の奥にある感情が沸き立ってこなければならないと思うのだが、悲しいかな、その乳房はいつまで経っても居心地が悪そうに、恥ずかしそうに存在しているだけなのだ。

もし同じ脚本でヨーロッパ人が撮ったら、もっと味わい深い作品になったんじゃないか。篠原哲雄監督は決して嫌いじゃないだけに、そのような思いがチラリとかすめてしまうことがとても残念。オゾンが「まぼろし」で見せたシャーロット・ランプリングの乳房は本当に雄弁だったなあ。

一方、物語進行もやたらとヌルい作品だ。さすが女・渡辺淳一(と勝手に私が命名した)小池真理子。三島に心酔していたとなると、正巳の取った行動もわからなくはない。しかし、いっぱしの文学青年ならば、男女の交わりがそれだけではないこと、むしろ、そこを乗り越えた肉の交わりに他人には決して味わうことのできない快感が潜んでいることなど、わかっているだろうに。ヘタレ過ぎる。とまあ、原作に言及しても詮無いことですな。

最後に一つだけ。書庫って、大変エロティック。それは、活字に埋められた作家の息づかいが満ちているからだろうか。はたまた、澄まし顔で整然と並んだ本たちが我々を見つめているからだろうか。それとも、その静けさと整列を乱すことに快感を覚えるからだろうか。類子は、できない文学青年正巳を、書庫で導けば良かった。そうしたら、悲劇にならなかったかも知れない、と勝手にエンディングを脳内改編してみたりして。

私は二歳

2008-11-03 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★★ 1962年/日本 監督/市川崑
「あの時の甘い記憶が蘇る」


これだけ鑑賞前の予感が外れる作品は他にはないんじゃないか、そう思う逸品です。二歳の子ども目線で団地夫婦の日常が描かれる。何だか人を食ったような、文部省推薦作品もどきかと思いきや、さにあらず。私自身で言えば、すでに息子は小学校高学年。二歳の記憶なんてとうに過ぎていますが、心の底から嗚呼!子育てって本当に楽しかった、こんなに暖かい気持ちの毎日を過ごしていたんだと、あの時の「甘美な気持ち」が湧きに湧いて、幸福感に包まれました。

働きマン派の私など、高度成長期の団地の奥さまの生態だなんて、ほんとは拒否反応出まくりのはずなんですが、山本富士子がとても艶っぽい。これが、とてもいい。義理の姉役として渡辺美佐子も出てくるのですが、汗だくになっておむつを変えるその姿もこれまた、非常に艶っぽい。脚本の和田夏十女史のたおやかで優しい女性像と市川監督の女の艶やかさを引き出すカメラワークのすばらしいコラボレーション。子育て中の女性をセクシーに見せるなんて、やっぱり市川監督は粋な人です。

反発し合っていた姑と、あることをきっかけにタッグを組む嫁。はい、はい、はい!と膝を打ちたくなるようなその展開に、いつの時代も子への愛は同じなのだと満ち足りた思いが占める。全ては子供かわいさゆえ。しかし、全編に渡りそれが親の身勝手やワガママに見えないのはなぜでしょう。一生懸命。悪戦苦闘。日々子どもの成長を見守るという当たり前の生活の中にこそ、幸福は潜んでいる。愛あふれる夫婦の姿が、微笑ましくて微笑ましくて、終始にやけっぱなしなのでした。

容疑者Xの献身

2008-10-14 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/西谷弘
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「今回ばかりはフジテレビの我慢ぶりを称えたい」


なんと、なんと、出来映えは、予想以上。ちょっと意外なほど。確かにドラマ『ガリレオ』の様式は残していますけど、かなり原作を重んじました。これ、大正解。今回、フジテレビはずいぶん我慢したんじゃないでしょうか。

冒頭、ドラマ同様、犯罪を立証する大がかりな実験から幕を開けます。これは、もろドラマファンサービス。でも、つかみとしてはアリでしょう。非常にワクワクします。以降、物語が動き始めてからは、石神(堤真一)と花岡靖子(松雪泰子)のふたりの関係に完璧にシフトします。冷静になって考えると、いくらドラマがヒットしたとはいえ、直木賞受賞作の映画化。もしかしたら、観客の比率は原作ファンの方が多いかも知れません。原作をいじれば、読者からの反発は大きかったでしょう。

それにしても。この映画の主役は、堤真一でしょう。この役、彼じゃなかったら、どうなってただろうと思います。確かに原作の石神はルックスの冴えない醜い男として描かれていて、堤真一とはギャップがあります。しかし、もしこの役を原作通りの見た目の俳優が演じていたら、それこそイケメン福山雅治ひとりが浮いてしまって、ドラマ的軽薄さが増したでしょう。あくまでも、福山雅治とタイマンを張る俳優ということで、堤真一にしたのは、とても賢い選択だったと思います。原作読んでるのに、ラストシーンは、かなり泣いてしまいました。また、松雪泰子もとてもいいです。最近多くの話題作に出ていますけど、「フラガール」より「デトロイト・メタル・シティ」より、本作の彼女の演技の方が引き込まれました。。

映画館を出てから息子に「あのシーン、なかったなあ。あの、ヘンな数式、その辺に書き殴るヤツ」と言われて気づきました。確かに。小学生の息子がヘンだと言うのですから、あれを映画に入れていたら台無しだったでしょうね。湯川先生(福山雅治)と内海(柴咲コウ)の関係にしても、あのフジテレビですから、ほんとは恋愛関係に持って行きたいところじゃないかと思います。しかし、我慢しましたね。「友人として」話を聞いてくれ、と湯川先生に言わせて、それをはっきりと表明しています。まるで「このふたりのキスシーンは我慢しました」というフジの製作者の無念の声が聞こえてくるようです(笑)。

結局、原作の力が大きいのです。そして、それは良い原作なのだから、それでいいのです。個人的には東野作品は「白夜行」のような重い物語の方が好きです。「容疑者Xの献身」が直木賞を取ったときも、正直これより前の作品の方が面白いのあるじゃん、と思いましたしね。でも、映画化ということで考えれば、この作品は向いているのかも知れません。数学VS物理の天才、という構図だとか、アリバイのトリックとか。確かに見終わって、あのショットがとか、脚本が、といういわゆる映画的な感慨もへったくれもないわけです。ただヒットドラマの延長線上で作った、というノリは極力抑えようとしたことが良かった。よって、ドラマファンの息子はもちろん大満足、そして東野ファンのオカンもそこそこに満足、という両方のファンをそれなりに納得させたことにおいて、今回ばかりはうまくフジがバランスを取ったな、と思います。 1本のミステリー作品としても、秀作ではないしょうか。

黄泉がえり

2008-10-04 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2002年/日本 監督/塩田明彦
「したたかな塩田監督」



本作は、純愛だとか、ファンタジーとか、そういうカテゴリーのものでしょうか。多分にそれは、主演が竹内結子であったり、柴崎コウのライブシーンと共に無数の光が夜空を流れるようなシーンがラストを飾るためであり、正直私はこれはホラーだな、と強く感じたのです。だって、実に気味の悪い演出がそこかしこに見受けられますから。まず主演の草薙剛の存在がとても不気味です。死んだ人が蘇ると言う現象に対して何の驚きも見せず、淡々と調査を続けます。色白で頬のこけた草薙剛が焦点の合わない目線でぼんやりを何かを見つめるようなカットが多々あり、まるで彼が幽霊のように見えます。スクリーンに誰もいないというシーンも多いですし、カメラの並行移動もじっとりとしています。哀川翔が再び死後の世界に引きずられるCGでも、顔がぐにゃりと変形する様にぞっとしました。

また、音楽が少ないことで、ラストの柴崎コウのライブシーンが生きているわけですが、それが本来の目的ではないような気がします。やはり、前半部の気味悪さは、圧倒的な物語の省略から生まれているのですが、音楽を入れないことも、その省略の一環だと思えるのです。

ゆえに、これだけミーハーな俳優陣を集めてもなお、自分らしい演出を貫いた塩田監督に映画監督の気骨を感じました。ジャニーズ絡みで、テレビ局資本の大作で、おそらく妥協しなければならない部分は多かったと思いますが、それでもなお、しっかりと監督の個性が生きていますし、一方以前の塩田作品なんぞ見ていない人々にとっても「ファンタジー感動作」としてのカタルシスはちゃんと与えられているのですからね。これは、凄いことだと思います。この辺のファンタジーテイストのうまい取り込み方は、脚本が犬童一心ということも大きいのかも知れません。自分の撮りたい作品と、ヒットさせねばならない大作物。その両者の間をうまく泳いでいますね。「ありがとう」を撮った万田監督もしかりでしょう。

闇の子供たち

2008-09-13 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2008年/日本 監督/阪本順治
<京都シネマにて鑑賞>
「考えて欲しい、という強い思い」


救いがないとは聞いてはいましたが、これほどとは思いませんでした。それは、やはり原作を改編したという、主人公南部の秘密があまりに強烈で。これから、ご覧になる方もいると思いますので、内容は控えておきます。何かがあると聞いてはいたのですが、私はこれは全然予測できませんでしたので、余計に呆然となりました。

この改変については、賛否が分かれることでしょう。しかし、私は阪本監督が並々ならぬ意思を持って、このエンディングにしたという決意を感じました。「我々観客=幼児売春、臓器売買などやってはいけないというモラルの持ち主」は、後半に行くにつれ、その思いを主人公南部に託します。なんとかしてくれ、と。それが、あのエンディングですから。これは、その思いを人に託すな、自分の意思で行動せよ。というメッセージだと私は受け止めました。

非人道的な臓器売買が行われるのがわかっていながら、どうしようもできない。しかし、南部は「俺はこの目で見るんだ」と繰り返し言います。まさしく、この言葉こそ我々観客にとっては、「私たちは今このスクリーンでそのどうしようもない事実を自分の目で見るのだ」という行為につながっているように思います。

そして、ラストカットがすばらしいのです。ああ、なのに。流れてくるのは桑田のかる~いサウンド。苦々しい余韻が吹っ飛んでしまいました。あれは、ないでしょう、ほんと。

阪本作品は人情悲喜劇が好きなのですが、本作では笑いを誘うようなセリフや間など全く存在せず、ひりひりと痛い2時間が過ぎていきます。私が感銘を受けたのは、作品のほぼ9割ほどを占めるタイでのロケです。人々がごったがえす街中や、暗い売春宿など、まるでそこに居合わせているようなほど、リアルな情景が続きます。ロケハンを始め、現地スタッフとのやりとりなど、苦労が多かったろうと思いますが、見事に報われています。そして、子供たちの演技がとても自然です。阪本監督は子供たちへの演技指導、そして演技後のケアにとても力を注がれたと聞きましたが、彼らの無言の涙とスクリーンを見つめる目に胸が締め付けられました。

この事実をひとりでも多くの日本人に伝えたい。本作の存在意義はその1点に尽きると思います。江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡。もしかしたら、別のもっと堅実な俳優陣が出演していた方が、作品としてはもっと落ち着きのある重厚な感じに仕上がったかも知れない。それは、否めません。しかし、彼らのような有名俳優が出演していることによって、より多くの観客動員が見込めるのなら、そちらを選択する、ということではないでしょうか。現在の観客動員ももしかしたら「篤姫」効果かも知れない。それでも、いいから見て欲しい。そういうことではないでしょうか。そういう意味において、周防監督の「それでもボクはやってない」と立ち位置の似た作品かも知れないと感じました。

八つ墓村

2008-07-16 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 1977年/日本 監督/野村芳太郎
「隅から隅まで野村作品」


これは、横溝シリーズの一遍ではなく、「砂の器」「鬼畜」に並ぶ紛れもない野村芳太郎作品。本作の主要テーマは、辰哉という青年の過去を取り戻す旅です。そこには、過剰なおどろおどろしさも、同情すべき犯人もいません。死んだ母を思い出し、自分の汚れた血に思い悩むショーケンに大きなスポットが当てられるその姿は「砂の器」の加藤剛を思い出させます。そこに、芥川也寸志 のメロディアスな旋律がかぶさり、横溝ならぬ野村ワールドが広がります。やたらと夕暮れのシーンが多いのも、印象的ですね。すごく陰鬱な感じが出ています。

市川版における主役とは、犯人であり、金田一です。犯人にはいつもやむにやまれぬ動機があります。しかし、本作はどうでしょう。財産目当てというストレートな動機で、犯行が見つかったら般若の顔に一変し、ついでに尼子の怨念までしょわされています。原作とは全然違う。金田一だって、徹底的に影の存在です。物語が幾重にも重なる横溝作品。それらの中で最重要位置を占める、犯人と金田一への思い入れを本作はあっさりと捨ててしまっている。しかし、その分、戦国時代の落ち武者の殺戮シーン、そして要蔵の32人殺し。いずれの回想シーンも恐ろしさが際だっています。

市川版では、毒を盛られた人は口の端からつーっと血を流したりするんですけど、野村監督は容赦なく吐瀉物を吐かせたりするんです。別に殺しの美学なんて、どうでもいいって感じ。ひとえにこの気味悪さこそ、本作のもう一つの見どころと言えます。特に、頭に懐中電灯を付け走って行く山崎努を土手から捉えたシーン、あれは夢に出てきそうなくらい怖い。落ち武者の怨念から始まった呪いの連鎖を多治見家の消失でもって終わらせ、ラストに辰哉の生きる希望を見せる。橋本忍の脚本も完璧じゃないでしょうか。

ともかく、スポットの当てどころと落ち武者の怨念のケリの付け方など、原作を変えたことで作品としての深みは俄然増しています。でも、でも。シリーズファンとして、金田一の存在があまりにも薄いことが悲しい。この寂しさは、作品のクオリティの高さとは、また別物なんです。縁の下の力持ちどころか、ぶっちゃけ、いなくてもいいくらいのポジション。渥美清が金田一らしいかどうかと言う前に、この金田一のポジションの低さが本作品を諸手を挙げて褒めきれないもどかしさを生んでいるのです。

やわらかい生活

2008-07-06 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2006年/日本 監督/廣木隆一
「やわらかく行くのはムズカシイ」


廣木監督は、しのぶちゃんを好きになってしまったのかしら?と思えるくらい、寺島しのぶが愛らしい。躁鬱病を抱える袋小路な女としては、ちょいとカワイすぎるんですよ、導入部。人生行き詰まった女に対しては、監督はもっとサディスティックに行った方が、面白いんだけど。とか思いつつ観ていると、タイトルが「やわらかい生活」でした。そう、きりきりしないで、何とかほんわりやって行こうと、がんばっている女の物語。ほんわりの向こうにあるのは、薬漬けのどうしようもない自分。その辺が、少しずつ、じわりじわりと透け始めてくる。そしたら、優子という女がだんだん愛おしく見えてくる。

本当は蒲田という場所に馴染みがあれば、もっと楽めるんだろうな。だけど、タイヤの公園とか、蔦の象さんの家とか、なんだこりゃ?みたいな異質なものが街に馴染んでるでしょ。それが優子にとって、とっても居心地いいんだろうなっていうのは、伝わってきた。それって、すごく大事なんだよね。昔、「ざわざわ下北沢」って映画を見て、下北沢なんて行ったことのない私は、とっても内輪なノリですごくヤな感じだったの。好きな人だけで盛り上がってちょーだい、みたいな。

寺島しのぶは、同性を何となく納得させちゃうようなものを持ってる女優だな、と思う。人物設定として、自分の好き嫌いはあっても、見ているうちにその人物が抱えるものがわかってくる。不思議な女優です。豊川悦司のあの足の長さは、作品によっては裏目に出ませんか?もちろん、ファンとしては大きな魅力の一つなんだけど、この作品で言うと、久しぶりのショートヘアでしょ。余計に足の長さが目立って、目立ってしょうがない。その足の長さがね、どうも気のいい博多弁の従兄弟というイメージを遠ざけてしまう。スタイル良すぎるのも罪ですね。カラオケフルコーラス歌ってまして、意外とキーが高いのでビックリ。しかも、お上手。このただ歌っているだけのシーン、だんだん2人の距離が縮まるのが感じられてなかなかよいです。

原作の絲山秋子、「沖で待つ」を読みましたが、働く女のしんどさをひりひりと感じさせる作家です。描写はとても生っぽいんだけど、主人公の内面はとても乾いている感じで、独特の作風でした。この元ネタの「イッツ・オンリー・トーク」も読んでみようと思います。