Sue's Blog

クリスチャンでセクシャルマイノリティのSueのひとりごとやGay Lesbian human rightsリンク集

トランスジェンダー

2006-04-29 | ひとりごと
最近、自分がレズビアンであるということがあたり前になってきて以前ほど強く意識しなくなってきた。
それでもまだ自分のジェンダーアイデンティティははっきりわからないでいる。今のところ男と女の間くらいというところで落ち着いてはいるが・・・

子どもの頃は男の子になりたかった。立小便がしたかったし、上半身はだかで夏は過ごしたいし、風呂上りはパンツ一丁で過ごしたい。
中学生になると変わっていく自分の身体に違和感があった。体育の時間に水着やブルマ姿になるのも嫌だった。
好きになるのは女の子ばかり・・・。男性を好きになろうと努力も(一応)してみたが無理だった。

そんな自分をふり返るとそれってやっぱ性同一性障害ってことになるのかなと思ったりもして、最近、トランスジェンダー関連のブログなどをのぞいてみたりした。
性同一性障害の人の悩み、苦しみは私の非ではない。女であること、あるいは男であることが耐えられない。そんな思いを抱いて社会生活を送ることは相当苦しいことだと思う。
そしてすでにトランスした人の写真をみてみると、この人はほんとに男性になりたかったんだな~と思う。みんなとても幸せそうな笑顔をしている(そんな人ばかりが選ばれたのかもしれないが 笑)。

私の場合、性同一性障害という言葉をこの歳になるまで知らなかったし、そんな概念があることを知る由もなかった。
自分が女であることへの違和感も年齢や経験を重ねるうちに、私自身は女の身体であることはどうしようもないことだし、女として生まれてきたことは今更変えようがないことなのだと思って受け入れている。

それでも7年間同棲していた彼女と一緒にいたとき、なんで自分は女なのだろうと思ったことも数知れないし、最後に「男性でないとダメ」と言われて別れたときには自分が女であることを恨み相当凹んだ。あのときの喪失感は今でも忘れられない。そんなことも経験し、それでもやっぱり女性しか好きになれない自分が、女として女性を性的志向にしているレズビアンなのだと認識できただけでも、自分自身がかなり救われた。確かに今の世の中では同性を好きになることは認められていないし、差別や偏見の対象になる。
でもそれが自分なのだし、女である自分と女性を好きな自分を大切にしたいと思う。自分自身が自分を大切に思わないで、他に誰が自分をそこまで大切に思ってくれるだろうか。自分自身を大切にできるからこそ、他者を大切にできるのだと思う。

今でも立小便ができたら便利だろうな~。生理なんかなければ楽だろうなと思うこともあるが、だからといって私は男性になりたいとは思わない。
性別を変えるということは、単に身体だけを変えるのではなく、今までの自分とは違うもう一方の性として社会の中で生きていく選択をするということなのだ。
身体を変えるということ自体まだまだリスクが多い上に、別の性としてまた人生をスタートする決心をするというのは並大抵の決心ではないだろうと思う。

だから私は女の身体をした頭の中の一部や行動が男のような中性の人間として生きていければいいかと思う。
どっちつかずの中途半端な人生も悪くないんじゃないかとも思う。きっと凹むことがこれからもあるだろうけれど、生きていく上で男らしくあること、
女らしくあることということが、レズビアンで男のような女としての自分を大切に思うこと以上に重要ではないとも思うから。

でももし私が10代だったら・・・・・
私が見た数多くの情報の渦の中に10代の私がいたとしたら・・・
私はきっと男になりたいという選択をしたかもしれない・・・・まあそんな仮定の話しはどうでもいい。

私が感じるのは今の若い人たちが、女性に惹かれたり、自分の身体に違和感があるということで自分がTGだ、FTMだと安易に思い込む危険性があるのではないかということだ。
特に自分をトランスジェンダーだと安易に思い込んでしまうような状況があるような気がしてならない。
たしかにアイデンティティを確立する上で役割モデルは重要だ。しかしいつもそれがいい結果を生むとは言えないような気がする。性やジェンダーのあり方は多様で人それぞれまったく違う。安易なマスコミからの一方的でステレオタイプな情報ではなく、正しい情報と教育の中からセクシャリティやジェンダーについて自分自身がしっかりとした考えを持ち、その上で自分をしっかりみつめる機会が充分に与えられて初めて自分の性的志向やジェンダーアイデンティティに気づくことができるのではないかと思う。

セクシャリティやジェンダー教育の基盤がまだ定着していない日本で、性同一性障害という言葉だけが独り歩きしているような気がするのは私だけだろうか。
私が見た性同一性障害のブログの中で伊東聰さんのブログだけがそのことをしっかり警告しているように感じた。

Malio

2006-04-26 | ひとりごと
先日、GLBTQのオフィスでMalioにばったり会う。
MalioはSafe Zoneのプログラムで同じグループになり、彼の率直で、歯に衣着せぬ物言いに、私にえらいところにきてしまったと思わせた張本人(笑)

彼も私のことを覚えていて、やあ久しぶりと軽く挨拶。
この日初めてわかったが彼は大学の図書館でライブラリアンをしているとのこと。
今度International Library Conferenceがあるらしく、図書館がLGBTの学生、教員にとってSafe Zoneになるかという話しをするらしい。

彼ならきっとうまく話しをするだろうと思う。
がんばれ Malio!

私自身、今はなかなかセクシャリティやジェンダー関連のことに関われないでいるが、どうしても気になっていることがある。Gay Japan Newsにお知らせの載っているInternaiton Days Homophobiaのプロジェクト→コチラ 

日本も少しずつ変わっていくことを心から願う
私もそろそろ行動しないとな~

Mad と Dillin

2006-04-21 | ひとりごと
GLBTQのオフィスに出入りするようになって知り合ったゲイのMadとFTMのDillin。20歳近くも歳が若い彼らを見ていて、私もがんばらなくちゃな~と思う。

Madは前にも度々紹介しているがカトリックの信者。彼は昨日キャンパスで「僕はゲイ。でも神様は愛してくれている」というポスターを持って抗議運動を行ってきたという。終わったところでばったりと出会った。

彼曰く、決して好意的な雰囲気ではなかったそうだ。彼の話を聞いていて自分のやるべきことをやったという達成感みたいなものを感じた。ゲイであること、そしてクリスチャンであることに誇りと強い信念持っている。ほんとにすごい。

偉いよ君は・・・ 

私にできるのはそんな彼をHugしてあげることだけだな。いや~逆にHugされてるんだな。きっと・・・・

FTMのDillinには去年の夏にGymで初めて会った。とてもフレンドリーで公の場で初めて声をかけてくれたアメリカ人だ。それからgymで会うたびに言葉を交わすようになった。
彼のほんとうの名前はHeather。でも彼は自分のことをDillinと言い、みんなもそう呼んでいる。大学ではまだ彼を男性として登録はしていない。そして彼自身ホルモンも手術もしていない。でも彼はいつもにこにことしていて、みんなに親しく声をかけ、Pride Weekのイベントの企画などにも積極的に関わっていた。

以前、彼は家族から十分理解されていないと言っていた。家族や学校の関係などいろいろと苦しいんだり、悩んだりしていることもあるだろうと想像できる。

でもDillinはほんとに明るい。私も見習わなくては・・・



Happy Easter

2006-04-17 | ひとりごと
イースターはキリストが復活された日。先日の金曜日から一転して祝!祝!祝!お祝いムード一色の日曜日です。『いや~ めでたい、めでたい。。。。』ってことになるのでしょうか(笑)。でもキリストの復活の本当の意味はTransformation(変容)を象徴しているといいます。

そんなイースターの日に『変わる』ということについて考えてみた。
人間はうまれつき持って生まれたものは変わらないと言う人がいますが、私は人間はいくつになっても変われると思っています。

自分の欠点を変えたい、自分はもっとこうありたいと願うならば、人間はいくつになっても自分を変えることができると信じています。
どんな自分になりたいのかその明確なイメージと、そして自分が必ず変われると信じるかどうか、それが一番重要なのだと思う。
どうせ変わらないと思うならばきっと変わらないでしょう。でも本当に自分が心の底から自分は変わりたい、こうありたいと思うならば、少しずつ、少しずつ変わることができるだろう。

同性愛、TGは今の社会では偏見、差別の対象になっている。だけれども。。。。
同性を好きな自分やTGの自分を否定することなく、自分の生き方に自信を持ってしっかり前を向いて生きていくことが大事なのだと思う。ネガティブな自分からポジティブな自分にきっと変われるはず。

自分が変われば周りも少しずつ変わっていくことを願いながら。。。。

Good Friday

2006-04-15 | ひとりごと
今日はキリストが十字架にかかってなくなられた日。クリスチャンにとってとても大切な日です。

日本では受苦日といいますが、アメリカではキリストの死によって私たちの罪が取り除かれたから”Good Friday”といいます。同じキリスト教なのに、日本とアメリカでこんなにも宗教観が違うのかと初めて聞いたとき驚きました。

さてそんな”Good Friday”に、GayでクリスチャンのMadにキャンパスでばったり出会いました。以前インタビューで一緒になった学生です。ここ

Pride weekのイベントでダンスを披露したMadに「よかったよ~」と伝えたいと思っていたので、この偶然に感謝。
彼も私に「久しぶり~元気?」と親しく声をかけてくれて、「ダンスよかった、すごくよかったよ」って褒めちぎったら、照れながらもうれしそうだった。
いっぱい話しをして「じゃ またね~」って最後にHugしてお別れ。

ほんとにいい子だな~。私が男だったら惚れてるな(笑)

Pride Weekが終わって

2006-04-14 | ひとりごと
ジェンダーやセクシャリティ関係のイベントがキャンパスで行われていた先週、私もわずかながらGLBTQ主催の催しに参加した。
前回紹介したワークショップの他に、NYの若者の生活をミュージカルにした映画「RENT」もなかなかよかった。そして特に印象に残っているのが、GLBTQの学生たちがステージにあがって自作の詩を読んだり、ダンスをしたり、何かしら自己表現のパフォーマンスをするイベント。彼らの素直な気持ちが伝わってきて感動した。

みんな自分とは何者かを探し求めて、そして今の自分の思いを大切にして生きている。私もがんばろうと勇気をもらえる機会だった。

GLBTを取り巻く今の社会は、GLBTの人権を保護し結婚やシビルパートナシップ制度を制定しようとする動きがあるかと思えば、一方では徹底的な反対運動やホモフォビアが存在する。今の社会はLGBTのあり方に両極の意見が真っ向から対立している。一方は性的志向で差別されることは人権を無視するものだ。もう一方は同性愛は社会に堕落をもたらし、認められるべきものではないという。

政治的な活動に決して関心がないわけではないが、それよりも同性愛と向き合うひとりひとりの思いや悩みに私はどうしても強い関心をもってしまう。社会の保障制度うんぬんで議論をしているこのさなかにも、10代、20代の若者が自分の心と身体の不一致、あいまいなジェンダーアイデンティティや同性を好きになったことで悩んだり、苦しんでいる。

性的志向や認識しているジェンダーが違っても、みんな同じ人間じゃないとやさしく受け入れてくれる場が、もっともっと増えていけばいいのにな~と思う。

ほんとうは『教会』が、そういう役割を果たすべきところのはずなんだと私は思っているのだが。。。

Self-confidence

2006-04-08 | ひとりごと
アメリカに来て、自分のセクシャルアイデンティティに気づいてから、自分がSelf-confidenceのとても低い人間だということに気づいた。

Self-confidence=自信過剰 と英文の辞書にはネガティブな意味が出てくるが、決してネガティブな意味ではなく、自尊心、自分の存在を肯定的に捉えることができるかどうかという意味だ。

そういう意味では、LGBTの私たちはSelf-confidenceを持つことが非常に難しいと思う。なぜなら愛する人を大切にしようと思えば思うほど、自分自身の存在を否定してしまう状況に多々直面するからだ。

自分が女でなければ、自分が男だったら、同性でなければ相手をもっと幸せにできたのに・・・etc

相手を思うがゆえに別れなければならないことほど辛いことはない。傷つかないわけがない。そういう状況で生まれたネガティブな感情がポジティブなアイデンティティの獲得を難しくしていると思う。

同性愛ということをもっともっとポジティブに捉える手立てはないものだろうか。

そんなことをつらつら考えている今日この頃。

Multiple Identities

2006-04-06 | ひとりごと
昨日Pride Weekの一環でおこなれているイベントのひとつに参加した。
トピックはMultiple Identities-人種、ジェンダー、そしてセクシャリティのアイデンティティを形成する社会的、文化的な背景についてディスカッションが行われた。

アメリカは多様な人種が集まる国。肌、目、髪の色、顔形がみんな違う。
中東の国から移民した両親を持つある学生は両親の国の文化や言葉とアメリカで生まれ育った自分の持つ文化と言葉とのギャップに葛藤している。
さらに異なる国から移民した両親を持つ学生はさらに複雑な文化的、社会的ギャップに葛藤しアイデンティティを模索している。
そんな複雑で、他の人と違っていることがあたり前のアメリカでさえ、人と違うということで偏見や差別、不平等が生ずる。
マイノリティであるということは差別や偏見の対象になる。そしてそうした差別や偏見がアイデンティティの獲得に影響する。

だからこそマイノリティのためのコミュニティが必要なのだ。
そこにいけば自分のアイデンティティを再確認したり、自分という存在に確信をもつことができる。

さらにそうしたコミュニティが社会の差別や偏見、不平等に対して平等の権利を主張する。
マイノリティが自分たちの権利を主張するところがアメリカと日本の大きな違いだろう。
日本ではLGBT団体が同性結婚やパートナーシップ制度の権利を主張することは非常に難しいだろう。
しかし少なくともLGBTであるということに不安を感じたり、葛藤している人にとって、LGBTであるというアイデンティティの獲得にとって非常に重要な役割を果たすと思う。

ワークショップのあと、自分自身について考えてみた。
私は日本人であり、レズビアンであり、クリスチャンである。

日本に同性愛者のクリスチャンは一体どのくらいいるのだろう?
クリスチャンもGLBTも日本では強烈なマイノリティだ。
日本に戻ったとき自分のアイデンティティを確認できるような場があるだろうか?

自分のアイデンティティの確認にGLBTコミュニティの果たす役割はとても大きいのだけど・・・・。
日本にはどのくらいSafe Zoneがあるのだろう?