Sue's Blog

クリスチャンでセクシャルマイノリティのSueのひとりごとやGay Lesbian human rightsリンク集

カムアウト

2006-03-24 | 考えたこと
最近カミングアウトについて考えていることを書いておこうと思う。
家族や友人にカミングアウトするかどうかということは簡単な問題ではない。

だからカミングアウトが必要でないと自分が思うときには、無理にしなくてもいいのではないかと思う。
なぜならセクシャリティの問題はとってもとってもプライベートなことだから。

でも自分のセクシャリティをカムアウトする必要に迫られるときにはやっぱりした方がいい。
ではどんなときが必要に迫られるときなのか・・・

同性の恋人ができて、その恋人と共に暮らしていきたい、パートナーとして人生を共にしていきたいとなると状況は変わってくる。
パートナーと共に人生を歩むとなると、それは途端にセクシャリティだけの問題だけではなく、家族や社会と深く関わっていくことになる。
セクシャリティというプライベートな問題が、偏見や不平等などの社会的な問題となってのしかかり、政治的な問題にまで広がっていく。

だからカミングアウトの第一歩は、自分のセクシャリティを自分で受け入れることなのだろう。
そこがまだ自覚できていなかったり、たまたま好きになった人が同性だったという認識では公の問題になっていかないような気がする。
好きになった相手が同性で、その人と一生共に暮らしたいと思った時点で、自分のセクシャリティをはっきりと自覚する必要があるのだと思う。

私はそれをしてこなかった。ずっと自分のセクシャリティから逃げてきた。
自分のセクシャリティを受けとめたときからいろんなことが見えてきた。

まずは自分自身にカムアウト。
そこからすべてが始まるような気がする。

It is a personal journey

2005-08-16 | 考えたこと
自分のsexual orientationを自覚してから、ずっとずっといろんなことを考えてきた。
自分のこと、家族のこと、友達のこと・・・・

そして自分がもっとも自分らしくあるためにはどうすればいいんだろうかって・・・

大阪府の女性議員がカミングアウトという本を出版したと知り、すごく感動。
ほんとにすごい。

まだComing outできない私には、ほんとにすごいことだと思う。
でも私自身も少しずつ自分を見つめながら、カミングアウトに向けて準備を進めていこうと思っている。

アメリカでもカミングアウトはとても難しい。
だからカミングアウトのためのガイドブックなどが支援団体から発行されている。
日本との違いは確実だけど参考になる。

それを読んでみると、アメリカといえどもカミングアウトはとても繊細で慎重さを要することが解る。
そして最も印象的だったのが、自分のセクシャリティをカミングアウトすることは、結局、自分自身が
どう生きていくかを見つめ、これからの人生をどのように歩んでいくかということをしっかりみつめることが
大切だということ。It is a personal journey。

たった一度、カミングアウトしてしまえば何もかもすっきり、うまくいくというものではなく、
結局はこれからの自分の人生をセクシャルマイノリティとしてどのように歩み、どのように皆と関わって
生きていくか、あるときは傷つき、ある時は勇気をもらいながら、ずっと考えながら一生を歩んでいくことなのだ。

カミングアウトはセクシャルマイノリティとしての人生を歩む初めの第一歩。
その初めの一歩を踏み出した後も、セクシャルマイノリティとしての自分の人生、自分のあり方を模索することになるだろう。
そうやって自分の人生を作り上げていくことなのだと思った。
だからカミングアウトは間単にできるものではないし、じっくり時間をかけて少しずつ歩めばいいのだ。

ガイドブックには、さらにbut one you need not travel alone.とも書かれている。
少しずつ世の中は変わりつつある。同性愛者のネットワークも広がりつつある。
悩みながら、でも決して一人だけで悩むことはない。

死ぬときに「セクシャルマイノリティの私の人生はいい人生だった」と
思える生き方ができればいいと思う。

Dignity

2005-07-30 | 考えたこと
同性愛関連のWebをチェックしていると、必ず目にする言葉がある。

”dignity"

人はその人らしくありのままに生きる権利があり、
いかなる理由があろうとも、誰も他人の人間としての尊厳をふみにじることはできない。

たとえ教会であっても、神のもとに人間はみな平等なのだから、sexaul orientation
を理由に差別などできないと私は思う。

世界中で同性愛者の権利を主張し、同性愛者をサポートする団体が増えてきた。
それだけまだ差別や偏見が多いということの裏づけでもある。

差別、偏見に屈することなく人間としての尊厳を守り、権利を主張するために立ち上がる
多くの人がいる。

私はまだそれを見守ることしかできないでいる。
何か自分にできることはないだろうかと模索している。

保守的なクリスチャンの中で生活する私は、まだ何も言えないでいる。

私の周りにいる人からすこしずつ変えていくことなんだろうか・・・

このままだまっていれば、別段何の問題もない・・・・

でもそうしていたら何も変わらない・・・・

人間の尊厳

だまって与えられるものではなく、戦って勝ち取るものなのかもしれない。

ひとりで生きる

2005-07-27 | 考えたこと
これまでのブログを見るたびに、
なんかさみしい女のひとりごとになっているな~と思うけど、
それもまた自分の一部であるので、残しておこう。

一人になってみて、ようやくいろんなことに気づくなんて・・・。
ほんとにどうしようもない自分。

でもふたりでいるときは、ふたりでいることしか考えてなかったし、
もっと自分たちのあり方や生き方を話しあうことが大事だったんだな~
と思う。

結局、ふたりでいることに慣れて、お互いに一緒にいようとする努力を
怠ったたのだろう。

もしまた誰かと出会うことになったら、ふたりで一生懸命に考えようと思う。
ふたりでいるのか、それとも一人でいるのか・・・。

同性同士の結婚がいくつかの国で認められてきているけれど、結婚を望む
同性パートナーの選択の幅が広がるという意味でとても重要だと思う。

でも自分自身の行き方を考えてみて、結婚できるけど、結婚しないと
いう選択もあるよな~思ってみたりする。

お互いに一人でいるという選択もあるだろう。

残す財産もないし、残したいもののもないし・・・。
でもそれは一人で死ぬという選択だから、それなりに覚悟しなくちゃね。

一人でどうやって生きていくか・・・・・。