Sue's Blog

クリスチャンでセクシャルマイノリティのSueのひとりごとやGay Lesbian human rightsリンク集

Pride Week

2006-03-30 | ひとりごと
3月末から4月中旬にかけて、キャンパスではPride Weekと銘打って様々なイベントが開催される。

映画の上映や講演会、ダンスパーティetc.....

楽しいイベントが盛りだくさんだが、GLBTがキャンパスのあちこちでVisibleになる。

「私たちのようなQueerがいるんだぞ~」と、その存在を多くの人に知ってもらうためのイベント。

私はいくつかの映画と講演会に参加してみようと思っている。

カムアウト

2006-03-24 | 考えたこと
最近カミングアウトについて考えていることを書いておこうと思う。
家族や友人にカミングアウトするかどうかということは簡単な問題ではない。

だからカミングアウトが必要でないと自分が思うときには、無理にしなくてもいいのではないかと思う。
なぜならセクシャリティの問題はとってもとってもプライベートなことだから。

でも自分のセクシャリティをカムアウトする必要に迫られるときにはやっぱりした方がいい。
ではどんなときが必要に迫られるときなのか・・・

同性の恋人ができて、その恋人と共に暮らしていきたい、パートナーとして人生を共にしていきたいとなると状況は変わってくる。
パートナーと共に人生を歩むとなると、それは途端にセクシャリティだけの問題だけではなく、家族や社会と深く関わっていくことになる。
セクシャリティというプライベートな問題が、偏見や不平等などの社会的な問題となってのしかかり、政治的な問題にまで広がっていく。

だからカミングアウトの第一歩は、自分のセクシャリティを自分で受け入れることなのだろう。
そこがまだ自覚できていなかったり、たまたま好きになった人が同性だったという認識では公の問題になっていかないような気がする。
好きになった相手が同性で、その人と一生共に暮らしたいと思った時点で、自分のセクシャリティをはっきりと自覚する必要があるのだと思う。

私はそれをしてこなかった。ずっと自分のセクシャリティから逃げてきた。
自分のセクシャリティを受けとめたときからいろんなことが見えてきた。

まずは自分自身にカムアウト。
そこからすべてが始まるような気がする。

LGBTとメンタルヘルス

2006-03-21 | ひとりごと
前回の記事でトランスセクシャルの人の公共のロッカーやトイレの利用が深刻な問題ではないかと書いたら、実際にこんな事件がNYで起こった。
ゲイジャンパンのニュース。まったくひどい話しだ。
これはかなり悪質な嫌がらせで訴えられてあたり前な事件だが、その事件性以前に当の本人の感じた精神的苦痛を思うとくやしくて仕方がない。
LGBTはこのように日常的に大小さまざまな心理的ストレスを受けていることだけはまちがいない。

それゆえ公共の場にでることがおっくうになり、家にひきこもりがちになる。同性愛者はヘテロセクシャルの人に比べて、肥満、喫煙、飲酒などの傾向が高く、不安傾向も高いことが研究で報告されているし、尾辻議員のHPで報告されている議会の報告で尾辻議員が自殺の問題を取り上げられていたが、LGBTのメンタルヘルスの問題は真剣に取り組む必要がある。
LGBTの私たちにも生き生きと暮らす権利はあるのだ。なぜ家に引きこもったりしなくてはいけないのか・・・。そういう社会や人々の偏見こそ変わるべきことで、思春期にそのセクシャリティで悩んだ末に自殺をしたり、今回のNYの事件のような精神的苦痛を味わうことなどあっていいわけがない。

シカゴのGay GamesやモントリオールのWorld OutgamesなどGLBTだけのスポーツ大会が開催されるが、GLBTが安心して競技を楽しむことができるイベントである。ロッカーやトイレも安心して使えるだろう(笑)。またLGBT専用のリゾートホテルではGLBTが心おきなく休暇を楽しむことができる。手をつないだり、腕を組んで歩いても、誰からも変な目で見られることもなく、周りを気にする必要のない環境。そんな環境はヘテロ社会と統合した形では実現するのはまだ難しいだろう。

区別か?統合か? 人種差別、障害者差別が乗り越えてきた道を私たちは今歩んでいる最中なのだ。

ジェンダークイアの日常再考

2006-03-17 | ひとりごと
Safe Zone Programに参加してもうすぐ2週間。混乱していたあの日から少しずつ気持ちが落ち着いてきている。
落ち着いて考えるとあらためて自分をふり返るいい機会になった。自分のセクシャルオリエンテーションをあらためて確認できたし、ジェンダーアイデンティティはまだはっきり確信できないけど、ジェンダークイアとしての自分に少しずつきづいているような気がする。

このプロセスが自分でもとてもおもしろい。今まで気づかなかったことに気づかされる。

まずは下着について。
私はできればブラジャーをしたくない。締め付けられる感じがしてきらいなのだ。
冬はほとんどつけない。夏もできるだけ付けたくないが薄着になるので仕方なく付ける。でもいまだにスポーツブラ。パンツもできればルーズなものがあればいいが、こればかりは仕方ない。
これまでは単に自分の好みだと思っていたけど、よく考えるとどういう下着を身に付けたいかということとジェンダーアイデンティティは密接に関係していると思う。とても女性的なスケスケとかフリルの付いたような下着を好まないのはジェンダーのせいか?と思っている今日この頃。

それからジムへ行ったときに感じる違和感。女性用のロッカー、トイレへ行くたびに感じる違和感。今まではそれほど違和感を感じなかったのに・・・・。
トイレ、ロッカーへ行くと必ずジロジロと見られる他者の目線については、最近始まったことではないのであまり気にならないが、自分自身がちょっと違和感を感じるようになった。
女性用か男性用しかないんだよね~ 男でもない、女でもないというジェンダークイア。どちらかを選ばないといけないのはちょっと厳しいな~(笑)。生物学的には女性だから当然女性用を使用するのがあたり前なのだが、心理的に居心地が悪い。トランスジェンダー用ロッカーがあれば迷わずそこへ行くのにな~と思ってしまう。
そんなことに気づいてから、トランスセクシャルの人たちはジムとか、温泉とか、公共の場で着替えや裸になるような場へ行くときはどうしているんだろう。さらには病院の検査とか・・・。それって結構深刻な問題だと思う。

こんな日常の何気ない変化。今まで気づかなかったことが見えてきた。
こういうことが意外とおもしろくて自分では結構気にいっている。しばらくそういう日常が続きそうな気がする。

Safe Zone Program5:ケーススタディ

2006-03-14 | ひとりごと
午後は主にGLBTQの学生をサポートする職員のためのプログラムが行われた。
どのように学生をサポートするのか、具体的なケースを取り上げ実際にロールプレイで検討する。お昼休みのおかげで軽いショック状態だった私も午後はとてもリラックスしていた。なぜ午前中あんなに居心地が悪かったのか、昼休みの間に気づいたから・・・・

私の人生の中で実際にこれほど多くのGLBTの人と会って身近にGLBTQの話題について話し合ったことがなかったからだ。それにやっぱりこの国は日本と比べるとGLBTに関する情報がオープンだ。だからたとえ10代の学生であっても、自分がGLBTであることをしっかりと自覚して学生生活を送っている。

一方でアメリカ社会には強烈なホモフォビアが存在する。
だからこそ彼らをサポートするための団体が情報を提供しているし、身近なところにミュニティが存在する。そして今回アカデミー賞でも話題になったように、映画やTVでGLBTが普通に登場するようになったこともGLBTを身近な存在として感じることができる。

ブッシュ政権はますます保守傾向が強くなり、同性結婚を禁止する法律や同性愛カップルの養子禁止など、アンチゲイへの動きがますます強まりつつあるが、そういう話題も含めて、毎日のように新聞、テレビでGLBTが話題になっている。そのような状況そのものが日本とは大きく違う。セクシャルオリエンテーションやジェンダーアイデンティティの獲得に社会のありようが大きく影響する。

さてケーススタディの内容も日本ではまだまだ考えられない具体的ケースを取り上げていた。
ひとつめは、同性愛の学生がクラスでGLBT関連のディスカッションになったときに、とても居心地が悪かったということをアドバイザーに訴えるというもの。アドバイザーは学生にGLBTQコミュニティの情報を提供し、ドロップアウトしないようにサポートしていく。このケースでは学生を継続してサポートことの大切さを学ぶ。

二番目のケースはGLBTの人が大学の職員募集に応募する際、自分はGLBTで職員になったらそういう学生をサポートしたいと考えているが、履歴書にそのことを書くべきかどうかの相談を教務担当者にするというもの。全体のディスカッションで大方の参加者は書かないほうがいいだろう。まずは職を得てから、少しずつ自分の環境を変えていけばいいということだった。アメリカでもまだすべてがオープンではない。慎重さも必要なのだ。

日本ではまだまだクローゼットの中にいるGLBTが多い。
日本の社会・文化ではとにかくだまって、おとなしくしていればあえてバッシングもされないし、ひっそりと社会の中で暮らしていける。それが良いとも悪いとも私には言えないし今はまだわからない。日本とアメリカを単純に比較することなどできない。とにかく文化が違うのだから・・・。

ただ私が一番気になるのは、だまってひっそりとしている影で、悩み、苦しんでいる10代の思春期の若者たちだ。恋に目覚め、その相手が同性だということで、誰にも言えずにひとりで悩み、苦しんでいるGLBTがたくさんいるのではないだろうか。
そんな若者のためのSafeZoneが身近なところにできるといいなと思う。

Safe Zone Program4:身近なところにSafe Zone

2006-03-11 | GL rights in sport
今回私が参加したプログラムはGLBTQの学生と学生をサポートするセクションに勤める大学職員が参加していた。

16名の参加者全員でディスカッションをしたり、2~3人の小グループで話をしたり、とにかく盛りだくさんの内容。
午前中は主にGLBTQについての基本的な理解を深める内容で、GLBTQ関連の用語の説明やホモフォビアについて話し合った。ホモフォビアがどのような場面でどのような影響を及ぼすか話し合ってみてなんて簡単に言われてしまう。それだけで私は一歩ひいてしまうありさま。情けない・・・・

でもディスカッションをしていきながらホモフォビアが重大な問題をひきこすことに気づく。単に嫌な思いをするだけでなく、暴力を受けたり、殺されることもありうる。それだけでなく自殺さえ引き起こすことだってあるのだ・・・・。社会にひそむホモフォビアは深刻。私たちはそういうホモフォビアとも戦っていかなくてはいけない。だからこそGLBTQの学生や職員が安心して自分を語れる場所”Safe Zone”が必要なのだ。

全体でディスカッションしているときに、ある女性が「私は今妊娠中でユダヤ人でレズビアンだ」と語りだした。するとそれから堰をきったように、「いや~実は私もユダヤ人でパートナーと住んでいて娘がカムアウトしてきたの」と次々に自分のことを話し出す参加者。

私はそのたびに「へっ~ そうなんだ~」と驚きの連続。
そして最初に話した女性が「今ではユダヤ人にもたくさんの同性愛者がいるのよ」という。ユダヤ人コミュニティはキリスト教以上にとても保守的で戒律が厳しいと思っていた。同性愛者がそんなにいるんだ~となぜか心強いものを感じた私。

さらに信仰の話しにもなり、FTMのAJはカトリックの家に生まれたけど、今はpagan(信仰をもたない人)だという。私は「クリスチャンで、今でもとても保守的な教会に通ってる。レズビアンとして神様に愛されていると信じてるから保守的な教会にいっても全然気にしてないよ」って話をした。すると立て続けに3~4人がそれぞれの経験を語りだす。そこでまたユダヤ人のレズビアンがいることが発覚(笑)。16人中3人がユダヤ人。やっぱユダヤ人多いわ~と納得。信仰とセクシャリティ。同じGLBTQでもいろんな意見と考え方がある。ましてや神様を信じるか信じないかは人それぞれの問題。でもセクシャリティやジェンダーが原因で信仰を捨てなくてはいけないとしたら、それはあまりにも悲しいことだと思う。

GLBTQの私たちが安心して暮らせる場所、安心して自分の思いを語れる場所はすごく少ない。ホモフォビアに怯えたり、ひどい言葉や中傷に傷つけられながらひっそりと暮らしているのはアメリカも同じ。

心おきなく恋人のことや生活のこと、そして信仰、人生などいろんなことを語り合える場所。自分のセクシャリティやジェンダーを気にせず気軽に話しができる場所。そんな場所がGLBTQの学生や職員にとってのSafe Zone。マイノリティの私たちには、自分の経験や思いを共有したり情報を交換する場がすごく必要だと感じた。

Safe Zone Programに参加した人にはステッカーが配られる。それをキャンパスのオフィスに貼ることでGLBTQのSafe Zoneであることがわかる。そんなSafe Zoneを少しずつ目の見えるところに増やしていくこと。それがこのSafe Zone Programの大きな目的だ。

続く

Safe Zone Program3:he or she? ze?

2006-03-10 | ひとりごと
子どもの頃からなんとなく自分のジェンダーに疑問をもち、女性と同棲までしていたのに、ずっ~とクローゼットに閉じこもっていた私。
昨夏にようやくクローゼットから出てきて、少しずつGLBTQコミュニティに顔を出し始めた私にとって、このプログラムはあまりにも刺激的な出来事でいっぱいだった。

9時半から始まったプログラム。ランチタイムが終わって午後のプログラムが始まるまで、私はカルチャーショックでずっと居心地の悪さを感じていた。

今回の参加者は学生、職員など16名。簡単な自己紹介のあとアイスブレーキングの簡単なゲームをすることになった。
席をたって二列になってお互いに向き合い、一人と簡単な話しをして、次の人とまた話して・・・・とちょっとしたお見合い状態。
とそのとき、ラティーノのマリオが突然
「あの~ 男性とこうやって話をするのはちょっと緊張して居心地が悪いんですけど~」とファシリテーターに訴える。

(え?えっ~)たしかにその気持ちはわからなくはないが、まだみんなで会って10分と経ってないのに、なんでいきなりそういうこと言えるんだ~?????
よく考えてみればSafe Zoneなのだから、まったく問題はないのだが、あまりに突然のゲイテイストな発言にびっくり。軽いジョブをいきなり浴びせられた私。
しかしそんなのはまだ序の口だった・・・。

参加者のひとりFTMのAJ。
見た目は男の子。でもしゃべるととてもかわいらしい。
この時私は「あ~AJはFTMなんだ。みかけは男っぽくしてるけど女の子っぽいし・・・」などと思っていた。
ファシリテーターのタミー。
タミーは最初会ったとき、私は女性であると疑わなかった。ちょっと太い声の人なんだな~くらいに思っていた。
あとでMTFとわかってびっくり。目が点。
でもそういわれてよくみると、そうだよねと思いながら、じっ~とタミーを見ていた自分に気づく。

そしてトランスジェンダーを代名詞で呼ぶときHeかSheかという話題になった。
ファシリテーターのリックがAJに「どうやって呼ばれたい?」と聞く。
AJはHeがいいという・・・。さらにAJは本人にどちらで呼べばいいか尋ねてほしい。
HeかSheか自分で勝手に決め付けることだけはやめてほしいという。

私は今まで彼らをHeかSheかどちらで呼べばいいかということを考えたこともなかった。
でもそれはジェンダーアイデンティティと深く関わってくるわけだから彼らにとってはとても重要なことなのだ。

これまでトランスかな?と思う人を見かけたとき、男か女かのどちらかに自分で勝手に区別していた。
しかも元々の性別を・・・ だからAJはSheになるし、タミーの場合は最初から女性と疑っていなかったらSheのように・・・

AJを初めてみたときの自分の勝手なきめつけ。
だからAJのいうように聞いてほしいといわれてハッとした。私はあまりにも配慮にかけていた。
私はみかけだけで自分で勝手に判断し、多分男だろう、女だろう、FTMだろう、MTFだろうと・・・・と決め付けていた。
ジェンダークイアやマルチジェンダーやノージェンダーだっているのだ。

頭が混乱した。
自分で勝手に他者をこういう人と思い込むこと、みかけだけで判断してしまうことがどれだけ相手を傷つけるかということを・・・

He?She?
どうやって呼べばいいの?

さらにプログラムのファシリテーターをしてくれたマローン。
休憩時間にちょっと話をしたマローン。家族はアラブ諸国に住んでいてマローンはひとりでこちらに暮らしているという。
いまだに私はマローンが男性?女性?トランス?なのかよくわからない。
マローンに今度会ったらどう呼ばれたいか聞いてみようと思っている。
私の勝手な思い込みや想像ではなく、はっきりとたずねることが彼女(彼?)に対する配慮でもあるわけだから・・・
そういうことにもっとsensitiveになることが大切だと思い知らされた。

最近では10代のトランスジェンダーがHeでもSheでもなく、zeという代名詞で呼ばれることを好む人もいるという・・・
Ze・・・か・・・知らなかったよ~
ますます男であるとか、女であるという区別が意味をもたなくなる。

そしてsensitiveになるには、自分が他者の多様性をいつも心にとめておく必要があるということ。
自分勝手な思い込み、決めつけはしたくない・・・・
相手を尊重するってそういうことなんじゃないかな。

続く

Safe Zone program2:私ってトランスジェンダー?

2006-03-08 | ひとりごと
私は自分をレズビアンだと思っていたし、今でも自分のSexual orientationはレズビアンだと思う。

これまで自分のジェンダーアイデンティティについては、あまり深く考えてこなかった。
なぜならジェンダーは男と女の2つの選択肢しかないと思っていたから。
だから私は女であり、女性に対して性的志向をもつレズビアンなのだと思ってきた。
しかしこれまでずっと女性であるということに違和感がなかったわけではない。
どちらかというと中性という枠があればいいのにな~って思ってきた。
”女らしさ”とか”女らしく”ということがとても苦手だったし、今でもユニセックスな服装が好きだし、髪はショートだし・・・。
子どもの頃は男の子としか遊ばなかったし、男の子になりたいって思っていた。

約40年、あえて男か女かどちらかしかないのならば女性の方がしっくりくると思って生きてきた。そしてそれは変えようがないことだし、どうしようもないことだと思ってきた。
だからトランスセクシャルであるとは思っていないしこれからもないだろう。
トランスジェンダーという枠組みが、FTM,MTFというトランスセクシャルしか頭になかった私には、私はトランスジェンダーではなく、レズビアンだと思うことで、なんとか自分の気持ちをある枠組みの中におさめてきた。
そして自分のジェンダーアイデンティティは違和感を感じながらも女性だと思ってきた。

しかし・・・・

月曜日のワークショップでトランスジェンダーという枠組みはとても大きくて、その大きな傘の中にトランスセクシャルも、クロスドレッサーも、インターセックスもあり、そしてマルチジェンダーやら、ノージェンダーというカテゴリーもあることを知った。さらには私自身がもっともしっくりくるジェンダークイアというのもある。

つまりジェンダーという概念がただ単に男か女というふたつの選択肢しかないとおもっていた私にとって、トランスジェンダーの枠組みがもう目からウロコ、頭をガ~ンと叩かれて、今までの自分のアイデンティティがガラガラと崩れて、私はトランスジェンダーかもしれないと思ったのだ。

ジェンダーアイデンティティは社会や文化の枠組みの中で形成されるもので、限られた情報しかなければ、その中で自分自身をそこに存在する枠のどこかに入れて理解しようとする。
その枠組みが多様でいろんなカテゴリーがあれば、ジェンダーアイデンティティを見つけ出すのにたくさんの選択肢の中から考えることが出来る。
わずかな選択肢しかなければ、そこに自分を無理やり押し込めるか、あるいは自分でつくりだすしかない。

ワークショップでファシリテーターをしたMTFのTammyさんが、自分はこのトランスジェンダーやセクシャルオリエンテーションの枠組みの中でゲイ、MTFなどいろんな呼び方をされる。
それはそれで相手がTammyさんをどういう人か理解するために必要ならばそれでいいと思っている。でも自分はそのどれにもあてはまらない。
私は「Tammy」なのだからと言っていた。TammyさんはTammyさんなのだ。あえてラベルをつけるとすれば、MTFで、性的志向は男性で・・・・などといえるかもしれないが。そんなことになんの意味があるのだろう。

セクシャルオリエンテーションやジェンダーアイデンティティは、人によってほんとに様々。
それを男か女か、トランスセクシャルかと考える必要はまったくないし、一番自分がしっくりくるジェンダーアイデンティティを見つければいい。

だから私はレズビアンであり、ジェンダーは女性と男性の真ん中の、でもちょっぴり女性寄りに位置するトランスジェンダー。
あえてラベルをつけるとすればジェンダークイアというのがいいかななどと今は思っている。

男か女かというたった2つのジェンダーではなく、男と女の両極のジェンダーの間に多様なジェンダーアイデンティティがあるんだということ。
それがわかっただけで私は今回のワークショップに参加してよかったと思う。
そしてこれまで自分自身が一番、自分のアイデンティティをある規制の枠組みの中にあてはめておきたかっただけなのかもしれない。
でもそんな必要はまったくないし、そんなことはまるで意味がない。私は私なのだ。

ワークショップに参加していた人の多様性も、その理解に大いに役立った。
ゲイ、レズビアン、トランスセクシャル・・・・。クリスチャン、ユダヤ人・・・・
アジア人(私)、ラティーノ、アフリカンアメリカン・・・・
10代、20代、30代、40代・・・・
16人の参加者の多様さにも驚いた。

この続きは次回に

Safe Zone Program

2006-03-07 | ひとりごと
今日は大学のGLBTQオフィスが主催するSafe Zone Programに参加した。朝9時半から4時半まで、丸1日のワークショップでちょっとくたびれています。

カルチャーショックというか、あまりにも多くのの情報量に困惑しています。今までの自分の世界があまりにも狭くて、自分のジェンダーアイデンティティがガラガラと崩れてしまったように思います。

だからもう少し頭と気持ちの整理をしてから、詳しい内容を報告しようと思う。


Safe Zone Program &Academy Award

2006-03-04 | 自分のこと
来週の月曜日がとても楽しみ。

まずは大学で開催される「Safe Zone Program」というワークショップに参加する。
このワークショップはGLBTである自分をみつめ、Self-esteemを高めること、そしてGLBTに関わる教職員がGLBTに対してより理解を深めることを目的に実施される。朝の9時半から4時半までの丸1日のプログラム。
詳しい内容は来週報告する予定。

そしてもうひとつの楽しみはアカデミー賞の発表。

今夜、MTFを取り上げた映画「TransAmerica」を観た。
アカデミー賞にノミネートされているFelicity Huffmanがトランスウーマンの男性を見事に演じていた。素晴しい演技!
シリアスな内容をコメディタッチに描いて明るい映画になっていた。

あの「Brokeback Mountain」はどうなるのだろうか?
そしてFelicity Huffmanは?
Gay Issueがまちがいなく取りざたされるアカデミー賞。

とても楽しみな月曜日・・・ワクワク