Sue's Blog

クリスチャンでセクシャルマイノリティのSueのひとりごとやGay Lesbian human rightsリンク集

家族へのカミングアウト

2006-06-09 | 自分のこと
昨日、久しぶりにLGBTオフィスを訪ねた。たまたま担当者と話をしていて家族へのカミングアウトのことが話題になった。
私は家族が滞在していたときの私の気持ちを話して、心にひっかっかていた家族へのカミングアウトのことがちょっとクリアになって、やっぱりこういうときに気軽に相談できる人がいるというのは大事だなと思う。

さて家族へのカミングアウトだが、家族のあり方が日本と違ってとてもオープンなアメリカでもやはり家族へのカミングアウトが一番難しいという。本人と家族との関係によっても違うだろうし、一度きりの話ですむことでもない。

そして彼が話してくれた言葉で最も印象的だったのは、
「カミングアウトを一度してしまったら、あとはもう二度と引き返せないんだよ。でもカミングアウトしなければ選択肢はまだ残されたままだからね。」

私も彼の考えに同感だ。
カミングアウトしなければ、カードはまだ私の中にある。家族にとっても重大なそのカードを私が隠し持っていることへのうしろめたさがないとはいえないが、それさえクリアできれば家族との関係の中でうまく調整できるのではないかと思う。

カミングアウトするかどうかは、自分がどう生きるのかということと関わることなんだなと改めて感じる機会になった。
すべてをオープンにする生き方もあるし、カードをもったままうまく調整する生き方もある。まああせらずに考えよっと。

カミングアウトは保留

2006-05-31 | 自分のこと
この2週間、日本からアメリカに初めてやってきた両親と観光や買い物に一緒に行き、朝から晩まで1日中家族で一緒に過ごした。こんなに家族と密着した生活は何十年ぶりだろう。

元気で満足そうに日本へ帰っていく両親の笑顔を見て、この2週間を楽しくすごしてくれたのだろうと思うと、何も言わなくてよかったのかもしれない。

家族の滞在中に、もし機会があればカミングアウトしようかと考えていた。
でも一緒に過ごすにしたがって、特に母が強烈に保守的な女性だと強く感じることが度々あった。女性らしさ、男性らしさに非常にこだわる。
そして40を過ぎてもいまだに独身でいる私にこの後におよんで「彼氏はいるのか?」と本気で尋ねる母親に本当のことを言う勇気は私にはなかった。

そして思った。
知らない方がいいこともあるのかもしれないと・・・・

娘が心と身体のセクシャリティの違いに違和感をもっていることや、性的対象が同性というセクシャリティマイノリティであることなど、おそらく想像すらできないだろう。私はジェンダーの境界があいまいな人間。そんなあいまいなジェンダーなど保守的な両親には理解できないのではないだろうか。

おそらく娘が自分のセクシャリティやジェンダーアイデンティティの獲得にどれだけ時間がかかり苦しんできたか、この両親はきっと想像すらしていないだろう。

それならそれでいいような気がする。
知らない方が幸せなこともあるような気がする。今更そんなことを親につきつけてどうなるのだろう。

親にカミングアウトしなかったことで私が変わるわけではない。私は私。
そんな風に冷静に家族と自分の関係を見つめることができただけでもよかったのかなと思う。

カミングアウトは今しばらく保留にしておこう。

抑圧からの解放

2006-05-16 | 自分のこと
やっと自分で気づいた。自分で自分をずっと抑圧してきたことに。
中学になって変わっていく自分の身体を受け入れたくなくて、でも受け入れなくてはどうしようもなくて、どうしようもできない自分のそんな気持ちをずっとずっと心の奥底にしまいこんできた。
奥底に奥底に、自分でも気づかないくらい心の奥に、ほんとうの自分の気持ちをしまいこんできた。
そしてその抑圧は、いつのまにか自分の中で、何をしても何かが違う、もっと何かが他にあるような気持ちへと変わり、何かに怯える子どものようにビクビクしたり、
またあるときは理由のない嫉妬心やねたみ、ひがみとなって私を襲った。

そしてあるとき気づいた。
理由もなく怯えたり、誰へということのない嫉妬心が沸き起こってくる原因が自分がずっとずっと抑圧してきたほんとうの自分の気持ちからだということに・・・。

私は男の子になりたかったんだ。
小学生のときに母が作ってくれたキュロットスカートでさえ穿いて学校へ行くのがいやで、生理や膨らんでくる乳房が嫌で嫌で仕方がなかった。
スカートの制服より学生服が着たくて、なぜ自分にはチ○チ○がないんだろうとずっと思っていた。

そんな気持ちを私はずっとしまいこんだまま40年近くを生きてきた。

そのことに気づいたとき、そんな気持ちに気づかないまま40年も生きてきた自分のバカさ加減にも呆れつつ、そんな自分がなんて愛おしいんだろうと思った。
よくぞここまでそんな思いをしまいこんだまま生きてくることができたな~と自分で自分を誉めてやった。

こんなに冷静に、そして客観的に自分を見つめることができたのは初めてだった。
そして自分で自分を素直に受け入れ、自分のことを好きになれたのも初めてだった。

これまでずっとずっと何んだかわからないものに怯えてきた自分。
もう怯えることも、おそれることもなく、妬むこともなく、ありのままの自分を見つめて、ありのままの自分で生きていこうと思う。

男になりたいという思いは実現できないけど、今さら男になる気もない。
かといって女らしく生きていくこともできないし、女性という性に属することも好まない(便宜上仕方ないけど・・・)。

これから自分はどう生きていくのか、私は私らしくありのままに生きていこう。
自分らしく・・・・
自分の思いのままに・・・・
私は私なのだから

Safe Zone Program &Academy Award

2006-03-04 | 自分のこと
来週の月曜日がとても楽しみ。

まずは大学で開催される「Safe Zone Program」というワークショップに参加する。
このワークショップはGLBTである自分をみつめ、Self-esteemを高めること、そしてGLBTに関わる教職員がGLBTに対してより理解を深めることを目的に実施される。朝の9時半から4時半までの丸1日のプログラム。
詳しい内容は来週報告する予定。

そしてもうひとつの楽しみはアカデミー賞の発表。

今夜、MTFを取り上げた映画「TransAmerica」を観た。
アカデミー賞にノミネートされているFelicity Huffmanがトランスウーマンの男性を見事に演じていた。素晴しい演技!
シリアスな内容をコメディタッチに描いて明るい映画になっていた。

あの「Brokeback Mountain」はどうなるのだろうか?
そしてFelicity Huffmanは?
Gay Issueがまちがいなく取りざたされるアカデミー賞。

とても楽しみな月曜日・・・ワクワク

GLBTQ Video Interview

2006-02-23 | 自分のこと
昨日、学校のGLBTQ担当者から依頼があったグループインタビューに参加した。GLBTの学生や職員のための教育プログラムに使う目的でビデオを撮り編集して使用するとのこと。

GLBTとしての生活や考え方について学生とディスカッションができとても有意義な時間を過ごすことができた。参加した学生はMTFの女の子(?)ひとり、あと3名はGayの男の子とそして私の5人。

GLBTの学生とこういう形で会うのは初めてだったから、とにかく聞くことすべて「へっ~」と感心してみたり、驚いたり・・・
十人十色の人生があるというけれど、GLBTとひとつにくくられてもほんとに人それぞれ様々な生活があることが浮き彫りになった。

MTFの子はユダヤ人。クリスチャンよりも厳しい戒律の中で生活しながら完全なトランスを模索している。私は最初、彼女に会ったとき女の子だと思っていたので、トランスウーマンと聞いてびっくり。目が一瞬点になりました。

Gayの子のひとりは、お姉さんもお兄さんも、7人のいとこもみんなGayかLesbianだという。「まじ~」って思った。他の子に「お前のところはストレートはいないのか?」と聞かれるくらい、みんなHomosexuality。いや~すごい家族だ。

そしてそこで出会った別のGayの男の子がとても印象的だった。
カトリック信者の家に生まれ、彼自身も自分のセクシャリティと信仰の狭間で苦しんだようだ。ゲイであることに自尊心を保てず、自分がどうあるべきか苦しんだのだろうと思う。インタビューが終わった後、彼に「あなたの話を聞けてよかった」って言われた。文化や生活は違っても感性は同じなんだなと思う。ようは何をどのように感じるかなんだろう。

とても柔らかくて、感じやすい心を持っているアメリカ人に初めて出会った。うれしかった。Hugすればよかったな~

うれしい出来事

2005-09-22 | 自分のこと
先週ドキドキしながらGLBTオフィスにいた時のこと。

ばったり知り合いに会ってしまった。
障害を持つ学生のサポートをしているWinさん。
入学当初から仲良くなり、入学当時はご飯を食べに行ったりしたこともある知り合いだが、もちろん彼は私のセクシャリティなど知るよしもなく、GLBTオフィスにいた私を見て、ちょっとびっくりした様子。

「どうしたの?」とちょっと怪訝そうな顔で尋ねられた。
「別に」と答えたが、彼がオフィスを出たあと私はちょっと凹んだ。
「彼はきっと私がレズビアンだってわかったよね。だからびっくりしたんだよね」
と担当者のRicさんに言うと、

「彼は僕の友達だから大丈夫。それにここにはいろんな人がくるんだから・・・」
といわれたものの、
今度会ったとき、私はどう接すればいいんだろう?彼はどんな態度で接してくるのだろうってちょっと心配していた。

そして昨日、ばったり彼に会うと、
私の顔を見るなり、「ハグさせて」って言って、
思いっきりハグしてくれた。

とってもうれしかった。
カムアウトしてよかった。
ありのままの自分を受け入れてくれた人がここにもいた。

今日彼に会ったので、今度は私が「ハグさせて」ってお願いした。

旅のはじまり

2005-09-17 | 自分のこと
今日、やっとスタートラインにたったような気がする。
これからセクシャルマイノリティとしての新たな旅が始まるんだ。

大学のLGBT担当者はとてもFreindlyな男性だ。もちろん彼はゲイ。
これまで誰にも語ったことがなかった私のプライベートなことを全部話せた。
子どものときから違和感を感じて生きてきたこと、彼女と暮らしてきたこと、別れたこと、クリスチャンとレズビアンの狭間で悩んできたこと・・・。

そのすべてを理解してくれた。
こんなに楽に話せたのは初めてだった。辛かったことなどを語りながら思わず泣いてしまった。そして思いきっり泣いたからか、すべてを受け止めてもらった気がして吹っ切れた。

ひと通り話し終わると、彼はさっそく私に年代が近くゲイをオープンにしているスタッフを紹介してくれた。
さらにいろんな情報を教えてくれて、今夜5時と8時に「Trans Generation」という映画会をやるから来ないかと誘われた。
もっとたくさんの人を紹介してあげられるよって言われたけど、あれよあれよという間にいろんな人に会ってちょっと困惑気味の私はその場で「Yes」と言えなかった。

でもしばらく時間が経って冷静になると、ちょっと行ってみたい気になった。せっかくの機会だし、どんな人たちが来るのか行かなきゃわからんと思い立った。

夜8時からの映画会、すでに25~6名の学生、スタッフが集まっていた。
映画は4人のトランスセクシャルの学生のドキュメンタリー。家族や友人との関係を背景に彼らのつらい思いや悩み、そして彼らの決断がひしひしと伝わってくる内容だった。集まっているメンバーもみんな何がしか同じような思いや悩みを抱えているからこそ映画の中の主人公の思いに共感できる。

そして映画が終わったあとにまた別のスタッフを紹介してもらう。
こうやってひとりまたひとりと新たな人たちに会って、少しずつコミュニティの中に入っていくのだろう。

始めての集まり。でも私はここにいていいんだと実感した。
それだけでとても気持ちが楽になった。
私はこのコミュニティにいていいんだと・・・

今日から私のあらたな旅がはじまる

LGBTオフィス

2005-09-15 | 自分のこと
昨日、大学のLGBT担当者に面会のアポをとるためにちょっと立ち寄ったLGBT
オフィス。

少しずつだがクローゼットから外の世界へ一歩を踏み出したような実感。
オフィスへ立ち寄ることにもそんなに違和感を感じなかった。何かが吹っ切れたのか?

担当者とは金曜日にもう少し詳しく話しができそうだ。ちょっと楽しみ。
時間の約束をして、さて帰ろうかしらと思ったら、

「ちょっと練習だからみんなに会ってみない?」と言われ、

ここまで来てそのまま帰るのもなんだしと思って、オフィスの奥にいくと・・・。

5~6人の学生がいた。そして自己紹介。

なんかすごい違和感。
なんなんだこれは・・・・


年齢差
みんな若い。二十歳前後。
そりゃそうだ、学生なんだから・・・

そして懐かしい学生時代の部室のような雰囲気。


私、すごいおばさんなんですけど・・・

はっ~ 違う意味ですごい凹んだ。

これからどうなることやら、私のカミングアウト

最初の一歩

2005-09-02 | 自分のこと
自分のセクシャリティについてカウンセラーと会って話すようになって3週間がたった。そろそろ最初の一歩を踏み出してみようと思う。

私が最初にカウンセラーに相談してみようと思ったきっかけは、ある意味カミングアウトの練習みたいもの。
それまで私は誰にも自分のセクシャリティについて話したことがなかった。日本でもアメリカでもクローゼットの奥の奥のずっ~と奥にいた。
でもいろいろ考えるようになって、どうすれば自分のセクシャリティをオープンにできるのか相談するには誰がいいだろうと考えたときに、思いついたのが大学のカウンセラー。

カウンセラーに自分のことを話すようになって、これまで自分がどんなことで傷ついてきたのか。またこれから自分がどうしたいのかが整理されてきた。

アメリカでは同性愛者が自分たちの権利を主張するようになり、ようやくここ10年くらいに同性愛がオープンになってきたという。
もちろんまだ理解のない人もたくさんいるが・・・
それでもTVや映画でもゲイのキャラクターは普通にでてくるし、クラスでも当たり前のようにゲイについての話題になる。
オープンになることがかえってつらかったりした。
クラスや友人との会話で同性愛が話題になるたびに、自分自身を隠して発言したり、ホモフォビアの意見に対して反論できず悲しい思いをしたり・・・

そんなことをカウンセラーに話していくにつれ、そろそろクローゼットのドアを開けてみようかなと思うようになった。そして何かあったらカウンセラーに相談すればいいと、私のカミングアウトをサポートしてくれるという。そういう点ではアメリカでカミングアウトする方が楽かもしれない。

ようやく一歩を踏み出す決意ができた。
ほんとの意味でのカミングアウトはまだまだだけど、まずは学校のLGBTオフィスの担当者に会う。
そして同じセクシャリティの学生たちと会って話しをすることなる。
それが私にとっての最初の一歩。
そうやっていろんな人と会って話しをして、問題を共有できるといいなと思う。

そして少しずつ周りの友人にカミングアウトできればいいなと思っている。

私という存在

2005-07-25 | 自分のこと
私は私であって、他の誰でもない。私という存在は私しかないのだ。

人と違う自分を隠すために自分を押し殺してきた結果、誰かに何か言われるたびに”自分自身”が揺らぐ。
人に合わせることが習い性となっていたのだろう。

そんな自分にself-efficacy(自己効力感)やself-esteem(自尊心)なんか微塵も存在しなかった。
何かをするときに自分はできるんだと思えるわけがない。自分自身が自分を信じることができるわけがない。
自尊心なんかこれっぽちもなかった。

でも今はちょっと違う。
私という存在を認めることができるようになってきた。
違うなら違うでいいじゃないか。そんな自分もありだよ。
人になんと思われようと、自分は自分なのだから・・・。

日本にいるときは、自分を隠して周りとうまく歩調を合わせ、自分と周囲とのかかわりに適当な間隔をおいておけば、
何の問題もなく生きていけた。

でもアメリカではそうはいかない。
”自分”を主張していかないとやっていけない。”自分”のことは”自分”で守らないと・・・。
人とのかかわりの中で否が応でも”自分”を見つめさせられる。
違うなら違うでいいから、自分を主張することを求められる。

自分を認めて、信じること。

そんなことがどうして今までできなかったのだろうと思う。

自分が他の人とちょっと違う存在であることを認めると、社会の方が違って見えてくる。
それは社会の方がおかしいんじゃないの?って。

マイノリティであっても生きる権利、人間の尊厳があるのだから。