Sue's Blog

クリスチャンでセクシャルマイノリティのSueのひとりごとやGay Lesbian human rightsリンク集

Mad と Dillin

2006-04-21 | ひとりごと
GLBTQのオフィスに出入りするようになって知り合ったゲイのMadとFTMのDillin。20歳近くも歳が若い彼らを見ていて、私もがんばらなくちゃな~と思う。

Madは前にも度々紹介しているがカトリックの信者。彼は昨日キャンパスで「僕はゲイ。でも神様は愛してくれている」というポスターを持って抗議運動を行ってきたという。終わったところでばったりと出会った。

彼曰く、決して好意的な雰囲気ではなかったそうだ。彼の話を聞いていて自分のやるべきことをやったという達成感みたいなものを感じた。ゲイであること、そしてクリスチャンであることに誇りと強い信念持っている。ほんとにすごい。

偉いよ君は・・・ 

私にできるのはそんな彼をHugしてあげることだけだな。いや~逆にHugされてるんだな。きっと・・・・

FTMのDillinには去年の夏にGymで初めて会った。とてもフレンドリーで公の場で初めて声をかけてくれたアメリカ人だ。それからgymで会うたびに言葉を交わすようになった。
彼のほんとうの名前はHeather。でも彼は自分のことをDillinと言い、みんなもそう呼んでいる。大学ではまだ彼を男性として登録はしていない。そして彼自身ホルモンも手術もしていない。でも彼はいつもにこにことしていて、みんなに親しく声をかけ、Pride Weekのイベントの企画などにも積極的に関わっていた。

以前、彼は家族から十分理解されていないと言っていた。家族や学校の関係などいろいろと苦しいんだり、悩んだりしていることもあるだろうと想像できる。

でもDillinはほんとに明るい。私も見習わなくては・・・



Happy Easter

2006-04-17 | ひとりごと
イースターはキリストが復活された日。先日の金曜日から一転して祝!祝!祝!お祝いムード一色の日曜日です。『いや~ めでたい、めでたい。。。。』ってことになるのでしょうか(笑)。でもキリストの復活の本当の意味はTransformation(変容)を象徴しているといいます。

そんなイースターの日に『変わる』ということについて考えてみた。
人間はうまれつき持って生まれたものは変わらないと言う人がいますが、私は人間はいくつになっても変われると思っています。

自分の欠点を変えたい、自分はもっとこうありたいと願うならば、人間はいくつになっても自分を変えることができると信じています。
どんな自分になりたいのかその明確なイメージと、そして自分が必ず変われると信じるかどうか、それが一番重要なのだと思う。
どうせ変わらないと思うならばきっと変わらないでしょう。でも本当に自分が心の底から自分は変わりたい、こうありたいと思うならば、少しずつ、少しずつ変わることができるだろう。

同性愛、TGは今の社会では偏見、差別の対象になっている。だけれども。。。。
同性を好きな自分やTGの自分を否定することなく、自分の生き方に自信を持ってしっかり前を向いて生きていくことが大事なのだと思う。ネガティブな自分からポジティブな自分にきっと変われるはず。

自分が変われば周りも少しずつ変わっていくことを願いながら。。。。

Good Friday

2006-04-15 | ひとりごと
今日はキリストが十字架にかかってなくなられた日。クリスチャンにとってとても大切な日です。

日本では受苦日といいますが、アメリカではキリストの死によって私たちの罪が取り除かれたから”Good Friday”といいます。同じキリスト教なのに、日本とアメリカでこんなにも宗教観が違うのかと初めて聞いたとき驚きました。

さてそんな”Good Friday”に、GayでクリスチャンのMadにキャンパスでばったり出会いました。以前インタビューで一緒になった学生です。ここ

Pride weekのイベントでダンスを披露したMadに「よかったよ~」と伝えたいと思っていたので、この偶然に感謝。
彼も私に「久しぶり~元気?」と親しく声をかけてくれて、「ダンスよかった、すごくよかったよ」って褒めちぎったら、照れながらもうれしそうだった。
いっぱい話しをして「じゃ またね~」って最後にHugしてお別れ。

ほんとにいい子だな~。私が男だったら惚れてるな(笑)

Pride Weekが終わって

2006-04-14 | ひとりごと
ジェンダーやセクシャリティ関係のイベントがキャンパスで行われていた先週、私もわずかながらGLBTQ主催の催しに参加した。
前回紹介したワークショップの他に、NYの若者の生活をミュージカルにした映画「RENT」もなかなかよかった。そして特に印象に残っているのが、GLBTQの学生たちがステージにあがって自作の詩を読んだり、ダンスをしたり、何かしら自己表現のパフォーマンスをするイベント。彼らの素直な気持ちが伝わってきて感動した。

みんな自分とは何者かを探し求めて、そして今の自分の思いを大切にして生きている。私もがんばろうと勇気をもらえる機会だった。

GLBTを取り巻く今の社会は、GLBTの人権を保護し結婚やシビルパートナシップ制度を制定しようとする動きがあるかと思えば、一方では徹底的な反対運動やホモフォビアが存在する。今の社会はLGBTのあり方に両極の意見が真っ向から対立している。一方は性的志向で差別されることは人権を無視するものだ。もう一方は同性愛は社会に堕落をもたらし、認められるべきものではないという。

政治的な活動に決して関心がないわけではないが、それよりも同性愛と向き合うひとりひとりの思いや悩みに私はどうしても強い関心をもってしまう。社会の保障制度うんぬんで議論をしているこのさなかにも、10代、20代の若者が自分の心と身体の不一致、あいまいなジェンダーアイデンティティや同性を好きになったことで悩んだり、苦しんでいる。

性的志向や認識しているジェンダーが違っても、みんな同じ人間じゃないとやさしく受け入れてくれる場が、もっともっと増えていけばいいのにな~と思う。

ほんとうは『教会』が、そういう役割を果たすべきところのはずなんだと私は思っているのだが。。。

Self-confidence

2006-04-08 | ひとりごと
アメリカに来て、自分のセクシャルアイデンティティに気づいてから、自分がSelf-confidenceのとても低い人間だということに気づいた。

Self-confidence=自信過剰 と英文の辞書にはネガティブな意味が出てくるが、決してネガティブな意味ではなく、自尊心、自分の存在を肯定的に捉えることができるかどうかという意味だ。

そういう意味では、LGBTの私たちはSelf-confidenceを持つことが非常に難しいと思う。なぜなら愛する人を大切にしようと思えば思うほど、自分自身の存在を否定してしまう状況に多々直面するからだ。

自分が女でなければ、自分が男だったら、同性でなければ相手をもっと幸せにできたのに・・・etc

相手を思うがゆえに別れなければならないことほど辛いことはない。傷つかないわけがない。そういう状況で生まれたネガティブな感情がポジティブなアイデンティティの獲得を難しくしていると思う。

同性愛ということをもっともっとポジティブに捉える手立てはないものだろうか。

そんなことをつらつら考えている今日この頃。

Multiple Identities

2006-04-06 | ひとりごと
昨日Pride Weekの一環でおこなれているイベントのひとつに参加した。
トピックはMultiple Identities-人種、ジェンダー、そしてセクシャリティのアイデンティティを形成する社会的、文化的な背景についてディスカッションが行われた。

アメリカは多様な人種が集まる国。肌、目、髪の色、顔形がみんな違う。
中東の国から移民した両親を持つある学生は両親の国の文化や言葉とアメリカで生まれ育った自分の持つ文化と言葉とのギャップに葛藤している。
さらに異なる国から移民した両親を持つ学生はさらに複雑な文化的、社会的ギャップに葛藤しアイデンティティを模索している。
そんな複雑で、他の人と違っていることがあたり前のアメリカでさえ、人と違うということで偏見や差別、不平等が生ずる。
マイノリティであるということは差別や偏見の対象になる。そしてそうした差別や偏見がアイデンティティの獲得に影響する。

だからこそマイノリティのためのコミュニティが必要なのだ。
そこにいけば自分のアイデンティティを再確認したり、自分という存在に確信をもつことができる。

さらにそうしたコミュニティが社会の差別や偏見、不平等に対して平等の権利を主張する。
マイノリティが自分たちの権利を主張するところがアメリカと日本の大きな違いだろう。
日本ではLGBT団体が同性結婚やパートナーシップ制度の権利を主張することは非常に難しいだろう。
しかし少なくともLGBTであるということに不安を感じたり、葛藤している人にとって、LGBTであるというアイデンティティの獲得にとって非常に重要な役割を果たすと思う。

ワークショップのあと、自分自身について考えてみた。
私は日本人であり、レズビアンであり、クリスチャンである。

日本に同性愛者のクリスチャンは一体どのくらいいるのだろう?
クリスチャンもGLBTも日本では強烈なマイノリティだ。
日本に戻ったとき自分のアイデンティティを確認できるような場があるだろうか?

自分のアイデンティティの確認にGLBTコミュニティの果たす役割はとても大きいのだけど・・・・。
日本にはどのくらいSafe Zoneがあるのだろう?

Pride Week

2006-03-30 | ひとりごと
3月末から4月中旬にかけて、キャンパスではPride Weekと銘打って様々なイベントが開催される。

映画の上映や講演会、ダンスパーティetc.....

楽しいイベントが盛りだくさんだが、GLBTがキャンパスのあちこちでVisibleになる。

「私たちのようなQueerがいるんだぞ~」と、その存在を多くの人に知ってもらうためのイベント。

私はいくつかの映画と講演会に参加してみようと思っている。

LGBTとメンタルヘルス

2006-03-21 | ひとりごと
前回の記事でトランスセクシャルの人の公共のロッカーやトイレの利用が深刻な問題ではないかと書いたら、実際にこんな事件がNYで起こった。
ゲイジャンパンのニュース。まったくひどい話しだ。
これはかなり悪質な嫌がらせで訴えられてあたり前な事件だが、その事件性以前に当の本人の感じた精神的苦痛を思うとくやしくて仕方がない。
LGBTはこのように日常的に大小さまざまな心理的ストレスを受けていることだけはまちがいない。

それゆえ公共の場にでることがおっくうになり、家にひきこもりがちになる。同性愛者はヘテロセクシャルの人に比べて、肥満、喫煙、飲酒などの傾向が高く、不安傾向も高いことが研究で報告されているし、尾辻議員のHPで報告されている議会の報告で尾辻議員が自殺の問題を取り上げられていたが、LGBTのメンタルヘルスの問題は真剣に取り組む必要がある。
LGBTの私たちにも生き生きと暮らす権利はあるのだ。なぜ家に引きこもったりしなくてはいけないのか・・・。そういう社会や人々の偏見こそ変わるべきことで、思春期にそのセクシャリティで悩んだ末に自殺をしたり、今回のNYの事件のような精神的苦痛を味わうことなどあっていいわけがない。

シカゴのGay GamesやモントリオールのWorld OutgamesなどGLBTだけのスポーツ大会が開催されるが、GLBTが安心して競技を楽しむことができるイベントである。ロッカーやトイレも安心して使えるだろう(笑)。またLGBT専用のリゾートホテルではGLBTが心おきなく休暇を楽しむことができる。手をつないだり、腕を組んで歩いても、誰からも変な目で見られることもなく、周りを気にする必要のない環境。そんな環境はヘテロ社会と統合した形では実現するのはまだ難しいだろう。

区別か?統合か? 人種差別、障害者差別が乗り越えてきた道を私たちは今歩んでいる最中なのだ。

ジェンダークイアの日常再考

2006-03-17 | ひとりごと
Safe Zone Programに参加してもうすぐ2週間。混乱していたあの日から少しずつ気持ちが落ち着いてきている。
落ち着いて考えるとあらためて自分をふり返るいい機会になった。自分のセクシャルオリエンテーションをあらためて確認できたし、ジェンダーアイデンティティはまだはっきり確信できないけど、ジェンダークイアとしての自分に少しずつきづいているような気がする。

このプロセスが自分でもとてもおもしろい。今まで気づかなかったことに気づかされる。

まずは下着について。
私はできればブラジャーをしたくない。締め付けられる感じがしてきらいなのだ。
冬はほとんどつけない。夏もできるだけ付けたくないが薄着になるので仕方なく付ける。でもいまだにスポーツブラ。パンツもできればルーズなものがあればいいが、こればかりは仕方ない。
これまでは単に自分の好みだと思っていたけど、よく考えるとどういう下着を身に付けたいかということとジェンダーアイデンティティは密接に関係していると思う。とても女性的なスケスケとかフリルの付いたような下着を好まないのはジェンダーのせいか?と思っている今日この頃。

それからジムへ行ったときに感じる違和感。女性用のロッカー、トイレへ行くたびに感じる違和感。今まではそれほど違和感を感じなかったのに・・・・。
トイレ、ロッカーへ行くと必ずジロジロと見られる他者の目線については、最近始まったことではないのであまり気にならないが、自分自身がちょっと違和感を感じるようになった。
女性用か男性用しかないんだよね~ 男でもない、女でもないというジェンダークイア。どちらかを選ばないといけないのはちょっと厳しいな~(笑)。生物学的には女性だから当然女性用を使用するのがあたり前なのだが、心理的に居心地が悪い。トランスジェンダー用ロッカーがあれば迷わずそこへ行くのにな~と思ってしまう。
そんなことに気づいてから、トランスセクシャルの人たちはジムとか、温泉とか、公共の場で着替えや裸になるような場へ行くときはどうしているんだろう。さらには病院の検査とか・・・。それって結構深刻な問題だと思う。

こんな日常の何気ない変化。今まで気づかなかったことが見えてきた。
こういうことが意外とおもしろくて自分では結構気にいっている。しばらくそういう日常が続きそうな気がする。

Safe Zone Program5:ケーススタディ

2006-03-14 | ひとりごと
午後は主にGLBTQの学生をサポートする職員のためのプログラムが行われた。
どのように学生をサポートするのか、具体的なケースを取り上げ実際にロールプレイで検討する。お昼休みのおかげで軽いショック状態だった私も午後はとてもリラックスしていた。なぜ午前中あんなに居心地が悪かったのか、昼休みの間に気づいたから・・・・

私の人生の中で実際にこれほど多くのGLBTの人と会って身近にGLBTQの話題について話し合ったことがなかったからだ。それにやっぱりこの国は日本と比べるとGLBTに関する情報がオープンだ。だからたとえ10代の学生であっても、自分がGLBTであることをしっかりと自覚して学生生活を送っている。

一方でアメリカ社会には強烈なホモフォビアが存在する。
だからこそ彼らをサポートするための団体が情報を提供しているし、身近なところにミュニティが存在する。そして今回アカデミー賞でも話題になったように、映画やTVでGLBTが普通に登場するようになったこともGLBTを身近な存在として感じることができる。

ブッシュ政権はますます保守傾向が強くなり、同性結婚を禁止する法律や同性愛カップルの養子禁止など、アンチゲイへの動きがますます強まりつつあるが、そういう話題も含めて、毎日のように新聞、テレビでGLBTが話題になっている。そのような状況そのものが日本とは大きく違う。セクシャルオリエンテーションやジェンダーアイデンティティの獲得に社会のありようが大きく影響する。

さてケーススタディの内容も日本ではまだまだ考えられない具体的ケースを取り上げていた。
ひとつめは、同性愛の学生がクラスでGLBT関連のディスカッションになったときに、とても居心地が悪かったということをアドバイザーに訴えるというもの。アドバイザーは学生にGLBTQコミュニティの情報を提供し、ドロップアウトしないようにサポートしていく。このケースでは学生を継続してサポートことの大切さを学ぶ。

二番目のケースはGLBTの人が大学の職員募集に応募する際、自分はGLBTで職員になったらそういう学生をサポートしたいと考えているが、履歴書にそのことを書くべきかどうかの相談を教務担当者にするというもの。全体のディスカッションで大方の参加者は書かないほうがいいだろう。まずは職を得てから、少しずつ自分の環境を変えていけばいいということだった。アメリカでもまだすべてがオープンではない。慎重さも必要なのだ。

日本ではまだまだクローゼットの中にいるGLBTが多い。
日本の社会・文化ではとにかくだまって、おとなしくしていればあえてバッシングもされないし、ひっそりと社会の中で暮らしていける。それが良いとも悪いとも私には言えないし今はまだわからない。日本とアメリカを単純に比較することなどできない。とにかく文化が違うのだから・・・。

ただ私が一番気になるのは、だまってひっそりとしている影で、悩み、苦しんでいる10代の思春期の若者たちだ。恋に目覚め、その相手が同性だということで、誰にも言えずにひとりで悩み、苦しんでいるGLBTがたくさんいるのではないだろうか。
そんな若者のためのSafeZoneが身近なところにできるといいなと思う。