goo blog サービス終了のお知らせ 

みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

3月24日

2011-03-25 06:33:04 | レオン
3月24日


母の気力が少しダウン。

毎朝、ベッドサイドに足を下ろし、窓の外を見ながら朝食をとっている母。

少し前までは、この態勢でもシャキッと座っていられたし、

食事を終えて、さらに座っていたから、全部で2時間程は座っていられたのに、

昨日今日は、ご飯を食べる時も だんだん後ろの布団にもたれていき、

変な態勢のまま食べていた。

もちろん、食べた後に座って外の景色を楽しむこともできず、

すぐにベッドに上がり、ベッドを起こして座っていた。

母が私に“なんかだんだん悪くなってない?”と言ってきた。

答えに詰まってしまった。確かに、良くはなっていない。

右手のムクミは出てきたし、首回りもむくんできた気がする。

また上半身が重くなってきていて、バランスが悪くなっているのか?


リハビリは続けていて、ベッドの上で自分で運動したりもしている。

でも、今日のリハビリでは立てなかった。

母には全てを話していない。

この後 どうなっていくのか分からないけど、その時々でどう話そうか、悩むと思う。

最初に出たムクミは、タイケルブを飲み始めておさまった。

でも今の体力では、他の抗がん剤は出来ない。

出来たとしても、脳の状態を考えると QOLを下げることになりそう。

また前ほどにパンパンにむくんでしまったときは、なんて話そうか。

母とずっと一緒にいられるのは嬉しいけど、

使える薬、できる治療がなくなった母に 正直に話せないのが心苦しい。

どうかこれ以上むくみが酷くならないようにと願いながら、

毎朝 母の顔を見ている。




今朝の体温36.8度。サチュレーション95。

午前中、いつもより元気がなかった母だったけど

午後からは 看護師さんとの会話でも笑ったりして、少し元気になった。

何気ない普通の会話で笑わせてくれる看護師さんには、ほんとに感謝だ。

3月23日

2011-03-24 04:06:53 | レオン
3月23日


今朝の体温36.4度。サチュレーションは98。

10時、21時 ガーゼ交換。


昼前に叔母と祖父が来てくれた。

昼食、リハビリ、車椅子散歩に付き合ってくれた。

今日も病院の外に出て、外の空気を吸った。

寒かったので少しだけ。



昨日と変わらない一日を、今日も過ごすことができた。

3月22日

2011-03-23 02:07:43 | レオン
3月22日


今朝の体温は36.5度。昨日よりも調子が良さそう。

サチュレーションは95。

10時半、21時 ガーゼ交換。


連休明けのリハビリ。スッと立てたわけでもないけど、何とか2回立つ。

その後は 恒例の車椅子散歩。

今日はお日様も出て暖かそうだったので、病院の外に出て、外の空気を吸ってきた。

ほんの3分ほどだったけど、二ヶ月半ぶりの外の空気。

気分転換になった と母は喜んでくれた。



夕方来た主治医に、突然母は、同病で3日に亡くなったAさんのことを聞いた。

“Aさん、どうしてらっしゃる?”と。

母はAさんが亡くなったことを知らない。

主治医は“退院したよ。おうちに帰られたよ”と答えてくれた。

母のことを思って言ってくれた答えだった。

母はAさんの元気さを、ずっと心の支えにしてきた。

主治医は、そのことをよく知っているので そう答えてくれた。

母は“足が重くて動かないって言ってたけど大丈夫だったかなぁ”と言っていた。


多分、本当の事を知れば 母はガックリと肩を落とすだろう。


娘として、主治医に感謝。




胸の浸出液が増えてきたのか、病衣が濡れることがある。

右腕も少しむくんでいるように思うし、心配だ。




病院食は見飽きた と言いながらも頑張って食べている。

まだまだ食欲もある。食べられているのだから、私も安心していられる。

3月21日

2011-03-22 00:06:27 | レオン
3月21日


今朝の体温37.4度。久しぶりの37度超え。

そのせいか、少しダルそう。

朝食はベッドサイドに座って食べる。昼食、夕食はベッドの背を起こして食べる。

10時半、20時半 ガーゼ交換


休日3日目。

今日も立つ練習をした。

1回目は何とか立てたが、2回目は立てなかった。

ダルそうに見えたので止めるかと思ったけど、車椅子での散歩は行った。


母は 元気だと言うけど、周りから見ていると 元気がないように見える。

兄も看護師さんも 今日は元気がないね と言っていたから、きっと微熱で体がだるいんだろう。


食欲は、朝昼は8割は食べる。夜はおかず5割ほどを残す。

オヤツにシュークリームやアイスクリームを食べていたから、

食欲がないわけではなさそう。



皮膚の転移のこと。

タイケルブを飲み始めて、一旦落ち着いていた皮膚の転移。

一番最初に出来ていた物は、かなりの数がポロポロと落ちてきた。

安心していたのに、また赤いツブツブが多数出てきた。

前は右肩にかけて広がっていたのに、そちらは落ち着いていて、

今は主に右側がお腹に向かうように赤くなってきている。

右腕も、少ーしだけムクミが強くなった気がする。


今は元気だからいいけど、あの酷いムクミを経験しているだけに、

もしまたああなったら と不安になる。

3月20日

2011-03-21 06:54:13 | レオン
3月20日


今朝の体温36.7度。

10時半、21時 ガーゼ交換


休日2日目。

今日も歩行器で立つ練習をした。

私と父の支えもあり、何とか2回立つ。

この後、天気が良ければ少しだけでも外の空気を吸わせたい!と思ったけど、

雨が降ってきたので断念。

いつもと変わらない車椅子での散歩になった。



午前のガーゼ交換のとき、母が看護師さんに小学校の卒業式も終わったんだねと話していた。

娘さんの卒業式に出席したいって人がいたから。

少しの間の後、Aさん 入院してらっしゃる?と聞いた。

看護師さんは、仲良かったんですか?今、病院にいらっしゃいませんよ とだけ言ってくれた。

3月3日に亡くなったAさん。

母の心の支えだった方なだけに、未だ母には言えないでいる。




歩行器を借りに行ったとき、いつも私たち親子を気にしてくれている看護師さんが私に、

この前、一人で説明を聞いて大丈夫だったかと心配してくれた。

一人で聞いてるんだなって、こっそーり見ながら心配してたんだよ って。

もし、お父さんたちも しっかりと話を聞きたいなら、主治医に説明してもらうから、と言ってくれた。

父と兄には、私から先生が言った通りに話したし、私も今、母が元気だから大丈夫 と言って別れた。

母のことだけではなく、私のことも気にしてくれる看護師さん達。有難い。


今日はお風呂に入るため 家に行った。その時にポテトサラダと、野菜を豚肉で巻いたものを作った。

母の食欲が少しでも増すと嬉しいのだけど。

3月19日

2011-03-20 06:25:07 | レオン
3月19日


今朝の体温36.5度。最近、体温は安定。

10時半、21時 ガーゼ交換



今日は病院がお休み。車椅子での散歩は、人が少なくて良い。

でも、休みと言うことでリハビリもお休み。

毎週、休み明けの月曜日のリハビリで立てない事が続き、へこんでいた母。

それならば と言うことで、連休中も 家族2人がいるときに立つ練習をすることにした。

今日は昼に兄が来てくれたから、ナースステーションに歩行器を借りに行った。

事情を話すと、3人の看護師さん達が顔を見合わせ、心配そうな顔で言った。

くれぐれも気を付けて、と。

もし何かあれば、看護師さんたちの責任にも関わるだろうから、

申し訳ない気持ちももちろんある。

でも、希望を持って頑張っている母に リハビリをするなとは言えない。

看護師さん達からは 心配からだろう。止めておけばいいんじゃないか という雰囲気が漂っていた。


立つ練習は 兄と私が支えて 何とか2回立てた。




朝食、昼食共に8割ほど食べていたのに 夜は半分しか食べなかった。

二ヶ月以上の入院。出てくるメニューが同じような物で 飽きてきたようだ。

しかしながら、具合が悪くなる前兆として 食欲が落ちると主治医から聞いている。

家から私が作って持ってきてもいいから、母には食べていてもらいたい。

3月18日

2011-03-19 02:09:00 | レオン
3月18日


今朝の体温36.5度。サチュレーション98。

10時、21時 ガーゼ交換



今日も いつもと変わらない一日だった。

食事、ガーゼ交換、リハビリ、車椅子での散歩。

今日一日、母が元気じゃなさそうなのが気になった。



私が一人で歩いていたとき、主任看護師さんが近づいてきて、こう聞いてきた。

どうですか?あれから眠れてますか?

私が大丈夫ですと答えると、このまま お母さんには伝えないでおくのかと聞かれた。

本当のことを伝えたとしたら もしかすると 他の過ごし方があるかもしれない。

お母さんから聞いておきたい事はないのかな?とか、もし万が一の事があったら

その後の、娘さんのショックが大きいんじゃないかな?反動が酷いんじゃないかな?って思うんです と。

私は、正解があることじゃないから迷ってるんですけど、希望を持っていて欲しいし、

前より 頑張ろうって気持ちが減ってるような気はするけど、それでも歩く為の努力は今もしている。

悔しい!って努力している、今の姿が母らしいような気がして と答えた。

正直、いつも近くにいる分、全てを話していないことに心苦しさを感じる。

言った時の 母のショックを受け止める自信もないのかもしれない。

もし母が、生きる気力を失ったら と思うと怖くて言えない。

一秒でも長く、母といたいと思っているから。

どうするのが一番いいのかな。




夕方、父と二人になることがあった。

メールでは母のことを伝えたけど、直接は話していなかったから

父が心配で、大丈夫かと聞いた。父は私や兄が思っていた以上に冷静だった。

大丈夫だと言い、こんなことは言いたくないんだけど、黒い服は持ってきているか?

ないなら お母さんのを着てみるか、サイズが合わなければ買っておいた方がいいぞ と言った。

写真も見ているんだけど、なかなかいいなと思う写真がない。

こんなことになってしまって、ママ、本当に可哀想だなぁ。と言った。

万が一の時は、もしかすると一番冷静でいてくれるのかもしれない。

でも、母が一番の父。万が一のときも、その後も、やはり心配だけど。



みんな それぞれいろんな思いを持っている。

母は今、何を思っているんだろう?




今日は昼食にグラタンをリクエストしていた。

少し前、病院食が飽きてきたと言ったら、栄養士さんが来てくれ

食べたい物があれば、リクエストしてください!

平日なら、大体 何でもお出しできますよ と言ってくれた。

病院食に飽きた母。久しぶりに美味しいと言って 食べていた。

3月17日

2011-03-18 02:36:28 | レオン
3月17日


今朝の体温36.5度。

10時半、21時 ガーゼ交換



MRI検査を終え、結果も聞き、母は少し落ち着いたようで 16日の夜はぐっすり眠っていた。

朝 起きたときの顔はスッキリとしていて、ご飯も病院食に加え

ヨーグルトやらリンゴなんかも食べていた。


昨日の夕方主治医が来てくれ、MRIの結果を聞いていた時、確かに返事をしていた母。

でもその時は寝ぼけていたようで、主治医が来たことも、話を聞いたことも覚えていなかった。

それを主治医に話したところ、あんな大事な話をしたのに!会話、成り立ってたけどなぁ と不思議がっていた。

確かに!寝ぼけながらの返事は 母の特技かもしれない。



昼過ぎには 昨日電話で検査結果を伝えた叔母が来てくれた。

今日も変わらずリハビリもして、車椅子で散歩もした。

いつもの休憩場所で、叔母が買ってきてくれたたこ焼きをみんなで食べた。

叔母が足浴をしてくれ、私が足の爪を切った。

いつもと同じ時間が 今日も流れる。



夕方来てくれた主治医。母が今、頑張っていっぱい食べていることを話すと、

あんまり食べ過ぎると、今度は体が重くなって動き辛くなるよ と笑って言われた。

母は“難しいねぇ”と困り顔。

この後、エレベーターを待つ主治医と会い、少し話した。

飲んでる薬が効いてくれればいいなと祈らなきゃね。

調子が悪くなっていく時は、食欲が落ちていくんだよ と言われる。

食欲。今は 足に脂肪も筋肉も付けたいから たくさん食べている。

これがいつか、食欲も無くなるときが来るのだろうか?

今の母を見ていると、そんな気がしない。




今日も一日、楽しく過ごせた。

今日も良い一日だった。

私の気持も 一昨日と同じくらいの感じ。

3月16日

2011-03-17 17:17:14 | レオン
3月16日


父と兄にMRIの結果をメールし、叔母(母の姉)に電話をした。

その直後、しばらく部屋を空けている私に 母から電話が来た。

その時私は、泣いてしまっていたので ホールで気持ちを落ち着かせていたところだった。

看護師長さんと主任看護師さんが 私のそばにいてくれた。

母の用件を聞くと、大便がしたい というものだった。

こんなことでも、母はいつも私に言ってくる。

便意があるときは、差し込み型の便器をおしりの下に当ててもらうんだけど、

何度か オナラと尿が出ただけで終わり ということがあった。

それ以来、わざわざ看護師さんに来てもらうのは悪いと言っていた。

でも今日ばかりは仕方がない。目と鼻を赤くした私が行くわけにはいかない。

代わりに看護師さんが行ってくれた。



検査結果を聞いた直後しばらくは、泣き止んでもまたすぐに涙が出てきて仕方がなかった。

1月に、もうサイバーナイフでの治療ができないと分かった時も涙が出たが、その時は母に叱られた。

“私も泣いてないのに、泣いちゃダメ”って。

今日も泣きながら、その言葉を思い出した。


主治医からの説明を聞いていたときは、少し涙が流れたけど、冷静でいられた。

でも 説明が終わり部屋を出たとき、主治医にポンと肩を叩かれ、

“涙を拭いて戻りなさいね” と言われてから泣けてきた。

説明をしてくれていた時の主治医は、いつもの優しい顔だけではなく、

少し言いにくそうな感じで、でもしっかりと、優しい口調で私に伝えてくれた。



涙が少し落ち着いた頃、今日が祖母の外来の日だったことを思い出し、

部屋に戻り、母に“どこを探しても ばあちゃんがいなくってさ”と嘘をついた。

母からは、また大便が空振りだった、だから電話したのに すぐに来てくれなかった と言われた。

午前中、涙が出そうになると、ばあちゃんを見てくる と言っては部屋を出た。

少しして 祖母が部屋に来た。何も知らない祖母が元気な声で“元気そうな顔やね”と言ってくれたので 私も救われた。

午前中いっぱいは、母の顔を見て喋れなかった。

特に母に変化があるわけではない。

今日、結果を聞いたから、この先の不安が増したからと言って、何かが急に変わるわけではない。

まだまだ 話せて、食べれて、笑える母がいる。

これからの一日一日を、母と笑って過ごそうと思えた。



夜に 兄と、いつも以上の元気さを出した父が来た。

父も、いっぱいいっぱい頑張っているんだろう。



16日の就寝~17日にかけて、この入院で初めて というくらい、母はグッスリと眠っていた。

前日までは、検査結果が心配だったのと、いつ退院と言われるかが心配で 眠りが浅かった と言っていた。

母には グッスリと眠ってもらいたい。

不安はなくならないだろうけど、出来る限り 不安も取り除いてあげたい。

17日。今日も いつもと変わらず、同じような一日が過ぎている。

3月16日

2011-03-16 17:16:15 | レオン
以下、父に送ったメール。


題名:お母さんの状態


昨日撮ったMRIの結果を聞きました。

小脳の塊の腫瘍には効果があったけど、脳の表面の腫瘍には あまり効果がなかったみたいです。

今は米粒大だけど、治療前より増大している。

治療は 放射線ではできる治療はなく、本人と家族の望みをつなぐためにも
今飲んでいる薬 タイケルブを続けると言っていました。
副作用も少ないし吐いてもないから。

もしまた水頭症になって、脳のどこかが詰まると、突然吐いたり痙攣したり、
でも そうなると 脳の腫瘍というのは、本人は苦しいということは分からないそうです。
いつそうなるかは正直、分からないけど、意識がしっかりとある時間が どんどん貴重な時間になる。

もし暖かくなって お母さんの体調がいいなら、介護タクシーに乗って
車椅子でお花見に行ってもいいし、ドライブしてきてもいいし、と。

怖かったけど、時間も聞きました。
一般的に言うと月単位で。4月末とかGWとかも、正直 ハッキリとは言えない と言われました。

もしも、良い結果だったら 退院の方向も考えていたんだけど…と言われたんだけどね。

お母さんには“脳の大きい腫瘍には すごい効果があって吐かなくなったんだけど、
全ての腫瘍がなくなったとは今言えないから、タイケルブを続けるって言われたよ”とだけ伝えました。

今 電話をもらってもお母さんもいるから話せません。

お母さんに会いに来るときは、暗い顔は厳禁。
暗い顔になるなら来ちゃダメだよ。私も堪えてるから。
ばあちゃんには言ってない。言わない方がいいかも。
Aおばちゃんには、仕事が休みだと思い、電話しました。
Bおばちゃん、Cおばちゃんにも伝えてないけど 伝えたらみんな頻繁に来そうだから、
それも嫌だし迷ってます。お父さんにお任せで。

お昼に辛いメールでごめんなさい。

涙みせないように会いにきてね。






これが今の母の状況です。

もしも自分が母の立場なら、数ヶ月という期間を知りたいだろうか?

昔、こんな状況じゃなかった時は 私なら絶対に知りたい!と思っていた。

でも実際、今の母の状況を見ていると分からなくなった。

母は希望を持っているから頑張れている。

立とう、歩こうとリハビリに励んでいる。

期間を知らせて、もっと穏やかに過ごした方が良いのだろうか?

でも、頑張っている母の方が、これまでと変わらない母で“母らしい”と私は思う。

今まで病院で入院した期間以上 母と一緒に過ごせるように。

リニアックを受ける前、去年のMRI画像を見た脳外科の先生は、

よく一年間頑張ってこられたと思いますと言っていた。

だから、また母が頑張ってくれるという気がして仕方がない。

また先生達を驚かせて欲しい。

まだまだ母と共に、家族と親戚と共に、頑張りたいと思う。

私にとっては、今日からがまたスタートだ。