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みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

3月15日

2011-03-16 05:34:28 | レオン
3月15日


今日の体温36.9度

朝起きた時の顔がスッキリしていない。

また夜中に何かを悩み考えていたのかな?と思って聞いてみた。

でもハッキリとは言わず、お母さんだってイロイロ考えることがあるの と答えるだけ。

朝食を食べ終え少しした頃、話し始めた。

リハビリをしても、なかなか歩けるようにならない。

もし退院って話が出たらどうすればいいかなぁ、と。

車椅子だっているし、ベッドだって、手すりがあって、

背中や足が上がるような物じゃなきゃ 今の私は生活ができない。

ベッドは 借りることもできるだろう。

でも現実問題で考えて、確かに今の母の体力では、家での生活は厳しいかもしれない。

私は母に言った。

以前主治医から“座っているだけでもリハビリになるんだから 少しでも座ってなさい”と言われたけど、

座っていることが辛く、すぐに横になっていた。

でも今じゃ、座って外を見ているのが楽しいと言って2時間ほど座っている。

私は凄い進歩だと思う。前進してないように見えても 少しずつでも進んでるんだから。

続けていけば、きっと歩けるようになる。

それに、今 急に退院 ということにもならないと思うよ と。

母は、本当だねぇと言って リハビリの進み具合については、そう思うことにする と言ってくれた。

本当に少しずつ。


今日はリハビリで二回立てた。昨日より良かった。

車椅子に乗って 散歩にも行った。




今日もMRIがなかったな と思っていた16時半前、急に今からMRI検査が入ったと言われる。

今週とは分かっていたものの、こんなに急に来るとは。

造影剤の同意書に代理署名するのは、もう何度目だろうか?

同意書を見た途端、検査結果を思うと不安になってきた。

やはり、頭の小刻みの揺れが気になる。

結果は明日だろうか。母と一緒に聞くのか、それとも、また私一人で聞くことになるのか。

不安で怖い。

前回撮った治療前のMRIは、素人の私が見ても 明らかに怖いなと思う物だった。

その時の症状は、一日に1、2回吐き、頭は小刻みに揺れていた。

今は吐いてはいないものの、小刻みに揺れている。

言いたい言葉が出てこないとか、変なことを言うとかはない。


母が検査室に入った時、仕事が休みだった父から連絡が入る。

病室に来たけど、今どこにいる?と。事情を話し検査室に来てもらう。

父もやはり不安そうだった。


検査結果が主治医からの説明ならば、きっと良い風に言ってくれるだろう。

前回撮った時よりも、明らかに症状は軽いのだから。

でも、脳下の先生から言われるなら、不安な事も言われそうで、正直怖い。

あの先生は、優しくもハッキリとした言い方をする人。だから怖い。





今日、お風呂に入りに家に行くと、祖母が 名古屋のアパート代がもったいないんじゃないかと言ってきた。

どれだけの期間かかるか分からない母の看病。

一度解約し、母が落ち着いたら また借り直せばいいんじゃないかと言う。

正直、私もアパート代に関してはもったいないと思っている。

しかしながら、この年齢で(こんな状況だとしても)実家に戻るというのは 次に出ていくことはできるのか?

こんな状態だから、いつでも母のことは心配だし、90を超えた祖母も心配。そして父のことも。

父も、母のことがかなり堪えている。家が綺麗になっても、母のいない家じゃ 楽しくもない と。




お風呂に入りながら、不安やら心配やら、いろんなことを考えると泣けてきた。

自分で思ってた以上に張り詰めていたみたいで、久しぶりに泣いてしまった。

自分では大丈夫なんだけど、検査結果が心配なのと いろんな不安と。

とにかく今は、検査結果が怖くて仕方がない。





10時、20時半 ガーゼ交換

MRIを受け、母も疲れたようで 夕食は7割ほど食べて終わった。

3月14日

2011-03-15 06:42:00 | レオン
3月14日


今日も母のことを記録として。

今朝の体温36.6度
サチュレーションは96。

週の頭だからか、リハビリをするも 二回目が立てない。

車椅子に乗って 散歩には行く。



胸のこと。やはり、勢いのありそうな 赤い粒は増えてきている。

なんとなく足の甲のムクミも気になる。

あごのあたりと首元が、また少しむくんでいるようにも思える。

また前ほどむくまなきゃいいけど。


10時半、21時 ガーゼ交換
食事もしっかりと食べた。

3月13日

2011-03-14 06:33:50 | レオン
3月13日


こんなときに母のことを書くのもなと思いますが、記録として。

今朝の体温36.7度
サチュレーションは98。

食事の量は、各食事9割は食べる。

歩けないこと以外、最近は安定している。

胸の様子。前に、がんが取れた場所のことを、

サラサラの砂にビー玉を置いたような穴が出来たと書いたけど、

あの後 ポロポロと剥がれたけど穴が増えることはなかった。

内面に入り込むことなく、表面にくっついてただけみたいで

ポロリと剥がれ落ちてきた。

しかしながら、またしても元気ながんが活動しているようで、

最近赤い粒が増えてきた。


小刻みに揺れていた頭のこと。

この2日程、そう揺れているようには感じなかった。

今週はMRI。結果を知りたいような、不安なような。




10時半、21時 ガーゼ交換

3月12日

2011-03-13 06:48:46 | レオン
3月12日


今回の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

被災された皆様にお見舞い申し上げます。


今日もテレビを見つめることしか出来なかった母と私。

一体 どれだけの命が奪われたのだろう。

余震と言えど、震度3だったり4だったり。

普段なら、その震度でも不安になるくらいの大きさの余震が続いている。

“津波に巻き込まれたかもしれない息子を探しています”と、市役所で情報を求める女性。

“主人と子供二人が生き埋めになっている。呼んでも返事がないんです”と泣き崩れる女性。

テレビを見れば見るほど、被害が拡大している。

茨城、長野、新潟でも地震が続いている。


福島第一原発一号機での爆発。

もう本当にテレビで見守ることしか出来ない

これ以上、被害が増えないように。





母に関しては、今日も変わらず。

朝の体温は36.1度。

11時、21時 ガーゼ交換

今日来てくれた叔母は、ガーゼ交換に立ち会った。

久しぶりに見る胸の様子に驚いていた。

3月11日

2011-03-12 07:19:12 | レオン
3月11日


14:46以降、母と私はテレビの向こう側の光景を見つめることしかできませんでした。

私が病室で、下の棚の中を覗き込んでいた時、ぐわーんぐわーんと少し横に揺れるのを感じました。

嫌な揺れ方の地震だなぁと思い、携帯のサイトで地震情報をチェック。

震度を見て驚き、慌ててテレビを付ける。

どこのチャンネルを見ても、凄い地震があり、津波に注意してください と伝えている。

本当に酷い地震。

東京でも火災が起きている。従姉妹にメールを送り、無事を確認する。

茨城でも地震が起き、そして強い余震も続く。


夜が進むにつれ、信じられないような映像が増える。

車が、家が流されている。津波に飲み込まれている。

日本の広い範囲で大変なことになっている。

これは日本か?これは映画ではなく現実か?

22時過ぎ、横浜の友人から返信メールが来る。

『会社のビルが倒壊するかと思った。死ぬかと思ったけど大丈夫でした。』



12日4時前、新潟県中越でも。長野でも 震度6弱。

こちらの地域も少し揺れる。


宮城をはじめ、あちこちに被害が拡大しています。

これ以上、ひどい揺れが起こらないで!津波もこないで!と祈ることしかできません。



被害にあわれた方々が 安心して眠れる日が 一日でも早く訪れますように。

行方不明の方たちが、早く元気な姿で見つかりますように。

今回の地震は、本当に酷すぎる。




10時、21時 ガーゼ交換

母は変わりなく元気です。
朝の体温 36.4度




今 テレビで上空からの撮影がされていて、助けを求める人たちがたくさんいらっしゃいます。

早く助けてあげて欲しい。

3月10日

2011-03-11 06:43:13 | レオン
3月10日


今朝の体温は36.6度。

ガーゼ交換は11時。


今日も元気な様子。

リハビリもいつも通り。


良くもならないけど、そう悪くもなっていない。

母にとっては、良くならないことが不安なことなんだけど。


夕方、おしっこがしたいと言うのでズボンを下ろすと、お腹の辺りにデキモノの塊があった。

こんな所にまで出来ていたっけ?と驚いてよく見てみると、

どうやら起き上がったときに、胸のデキモノの塊がお腹に落ちてきたらしい。

そのツブツブの塊の大きさは5センチほど。

夜のガーゼ交換の時に見てみると、朝まではあった塊の一部がなくなっていた。

出血も痛みもないみたいだし、少し安心。





11時、21時 ガーゼ交換


私の気になる二点は相変わらず。

頭の揺れに関しては やっぱり揺れているように思うし、

皮膚転移に関しては、一枚剥がれた皮のところに

小さなツブツブが出来ている。

今の薬では、完全にがんの勢いを止めることはできないのか?

強い抗がん剤を使うだけの体力もないし、毎日の変化を見ている私としては、

これ以上 悪い物が増えないようにと祈るだけ。

悪いことは考えない、考えたくないと思いつつも、

これまでの母の症状を見てきているから、この後、どんな風になると良くない

という判断は 自分でも驚くほど冷静に 頭の中では出来ている。

これまで見てきたこと以上の想像は出来ないけれど。

今、母は自分で食べられるし 話しもできる。

だから一緒に過ごしていても 私が不安に押し潰されることはない。

むしろしゃべって笑って、楽しく過ごしている。

こんなときは、大きな不安を抱えるよりも、今、母と楽しく過ごそう。

3月9日

2011-03-10 09:52:38 | レオン
3月9日


起床時の体温は37度。昼前は36.6度。

昨日までは、朝起きてもあまり話さず元気なかったけど、

今朝は話もするし、少し元気そう。

朝来てくれた主治医にも、今日の母は少し元気そうだと話すと、

母の口から、元気出して生きなきゃね という言葉が出てきた。

いつも穏やかそうに過ごしている母だけど、やはり感情の波はある。

ここ2、3日のモヤモヤとした不安の波が、今日は少し穏やかになったようだ。

そのおかげか、今日はリハビリでも 比較的うまく立てた。



今日は気になることが二つ。

ちょっと前から書いている頭の小刻みの揺れと、今日見た胸の腫瘍のこと。

頭はやはり揺れているような気がする。少し揺れるというか、“微”揺れくらいか。

今日は兄も夜来た。起き上がっている母と話していたけど、気付かなかったけどなあと言っていた。

しかしながら去年も、そして今回のリニアック前にも、頭が揺れていることがあったから、

兄も不安げだった。来客時は、ほとんど寝ている母。

横になっていると分からない。私の思い過ごしならいい。



胸の腫瘍のこと。皮膚にできた腫瘍は、日一日とポロポロと剥がれてきている。

でも昨日気付いたんだけど、一皮剥けた所に、1ミリほどの赤いツブツブがあるような気がした。

こちらも、私の気にしすぎだったらいいのだけど。




10時半、21時 ガーゼ交換

今日は平日だというのに、昼前から夜までの間に 叔母が3人、兄、父が来た。

みんなが気にしてくれている。ありがたいことだ。

今日はたくさん食べた。

ご飯以外にも、お見舞いのケーキやプリンも食べていた。

3月8日

2011-03-09 06:01:31 | レオン
3月8日


今朝の体温は36.8度だったかな?

それも忘れちゃうくらいに、体調的には良い一日だった。

でも、朝からあまり話さず元気なさげ。

体調が悪いのかと思い、聞いてみても そういうわけでもないと言う。

この元気のなさは きっと心配事だろうと思い聞いてみる。

やはり、歩けないことが一番の不安であり、

胸も、皮が一枚剥けていると聞くと怖くなった、と話してくれた。

でも胸の方は、薬を始めてからの変化で、良い方向に向かっているから起こっている変化だと母も知っている。

ただ、歩けないことが本当に不安なようで、このことを毎日、毎晩考えていると言われた。

私も答えようがなかった。歩けるようになるよ!と言ったものの、

きっと私の不安も、その言葉の中に入っていただろう。

ただでさえキツイ状況の母に、これ以上言うのもなぁとためらったけど、

“そうやって悩んでる間に、足を一回上げてトレーニングした方が歩けるようになると思うよ”

と母に言った。母は笑っていたけど、不安な顔をしながらも足を上げていた。



午後、いつものように車椅子散歩に行く。

病室に戻る途中、亡くなったAさんの部屋の前を通った。

母が“あれ、Aさんの名前がなくなってる”と私に言った。

上手い嘘も出ず“ほんとだね”とだけ返して、後は何も言えなかった。





10時、21時 ガーゼ交換

入院時から出来ていた、右胸にできていたブツブツも、少しずつ取れてきた。

取れた後が、窪みになっている。

サラサラの砂を平にして、そこに一つビー玉を置いて取ったみたいな穴が、

ポコリと出来ている。これからもっと取れてくると、ポコポコと窪みができるのか?



小刻みに前後に揺れていると感じた 母の頭。

やはり時々、揺れているような気がする。

今月半ば過ぎに、リニアックの効き目をみる検査をすると言われた。

リニアックは効果があったと思う。でもまた嫌なことが起こってないか、それもまた心配だ。

3月7日

2011-03-08 06:42:23 | レオン
3月7日


今朝の体温は36.9度。

今日も特に変わったは事なく過ぎる。

11時にガーゼ交換。


母の今の不安。

それは、歩けないこと。

リハビリを続けても歩けない。それどころか、立つこともなかなか出来ない。

今日も車椅子散歩に行ったのだけど、

そこでポツリと一言“私、退院できるのかな?”と言った。

私は“歩けるようになればねぇ、退院できるのにね”

と言ったのだけど、母を喜ばせるような言葉でもなく、それ以上は何も言えなかった。




最近良く思うことなんだけど、病院のスタッフの皆さんに、母も私も本当に助けられている。

今日も車椅子散歩から戻ると、看護師さんが優しく普通と変わらず接してくれた。

母と私、二人だけだったら変わらなかったかもしれない 落胆の空気。

そんな暗さを看護師さんが癒してくれた。

尿や便をお願いしたり、処置をしてもらい、不安な気持ちを聞いてもらう。

どこまで頼ってんだ!と我ながら思うけど、本当に心強い。

以前、緩和病棟に関するインタビューを受けたときに要望を聞かれ、

その時私は“家族だったり、親戚だったり、そんな気持ちを少し持ちながら接してもらえると嬉しい”と答えた。

でも今思うに、私みたいにアタフタしてしまう家族が増えると困る。

ほどよい距離で、冷静に接してくれる看護師さんの存在に助けられてるんだ、と思うようになった。

本当に有難い。



夕方来てくれた主治医。

どうしたら歩けるようになるのかなあ?と聞いてみた。

主治医も困ったように“普通なら、考えなくてもできることやからなぁ”と言っていた。

今の母の足は、筋肉も脂肪も落ちて、棒みたいになっている。

落ちた筋肉を付けるのは本当に大変なことで、なかなか思うように進まない。

私も、母が歩けるようになるのか心配している。

去年と比較しても意味のないことは分かってはいるけど

入院期間だけを考えると、あと10日ほどで去年は退院だった。

今年は10日後に退院できるとは思えない。

脳の進行具合の不安と歩けない不安、今年は不安だらけだ。




休み明けの今日は、薬剤師さんも来てくれ、薬の提案をしてくれた。

・痛みの出る(モーズ)軟膏を止めてみる。

・軟膏を、痛み止を使いながら、一日一回使い続ける。

・状況を見ながら、浸出液が増えたり出血があれば、軟膏を使う。


毎日痛いのも嫌なので、最後の方法でお願いした。

この薬剤師さんも良い方で、変わった事が少しでもあると、すぐに話を聞きに来てくれる。

そしていろいろ教えてくれたり 提案してくれたりする。

じっくり話を聞いてくれるし、母も私も信頼している。





11時、21時 ガーゼ交換

ガーゼ交換も、一日二回でも大丈夫な程になった。

胸の浸出液は、以前から比べると減っている。

最初に右胸の辺りにできたブツブツも、少しずつ取れてきたり

取れたがっている様子で、洗浄でお湯をかけたり ガーゼで触ると動いたりしている。

3月6日

2011-03-07 06:30:51 | レオン
3月6日


昨夜21時半にガーゼ交換をしてから、次に交換したのが今日の15時。

明け方は、ガーゼが汚れてなかったので交換せず。

昼前に交換に来てくれたのに、お見舞いの人がいたので午後からにしてもらう。

でも、これだけの時間置いても病衣が汚れたりしていないのだから、浸出液は減っているのだろう。


今朝6時半の体温37.1度。10時の体温37.8度。

熱はないんだけど、いつもより元気がないように見えるのは気のせいか?

朝ご飯のとき、時々頭が小刻みに揺れているように見えたのは、気にしすぎているからか?

午後、昼寝から起きて、オヤツを食べようかって時の会話で、イチゴ大福を食べたいと言った母。

今日のお見舞いの人が持ってきてくれた物なのに“昨日来た叔母が買ってきてくれたイチゴ大福”と言っていた。

もしかすると、本当に勘違いしていただけなのかもしれないけど、

少しでも変わった事を言うと、不安になってしまう。


今日は それ以外には特に変わったこともなかった。

20時の体温36.4度。





15時、21時半 ガーゼ交換