
”チャーチル、その4”ブログにコメントが届いた。
私が異常なまでにチャーチルを気嫌う様に、第31代大統領フーバーもチャーチルを辛辣に批判してたという。
”チャーチルが書いた「第二次世界大戦」は、表現力と語り口こそ魅力だが、偏見に満ち、都合の悪い事実は伏せ、自身に不都合な事実を隠蔽してる”
その上、”自身を気どって見せようと記録を捻じ曲げ、事実誤った引用も多い。私はチャーチルの語る事実や主張や結論を信用しない”と語ってる。
チャーチルはノーベル文学賞を受賞してます。しかし、その真相は狂った論説や腐った陰謀とは裏腹に、煮え滾る様な”説得力あるインチキ”に過ぎなかったんですね。
そこで今日は、第二次世界大戦を詳細に徹底的に検証した、フーバーの”回顧録”でもある「裏切られた自由」の紹介です。
第二次大戦の闇を暴いた回顧録
様々な情報にアクセスできたアメリカの最高権力者が、20年の歳月をかけて完成させた”第一級の史料”との触れ込みですが、フーバーは自身の感情を抑え、可能なかぎり”資料に語らせる”事を心掛け、”裏切られた歴史”を書き上げます。
しかし、彼が原稿を書き残し90才で亡くなるまで、この第一級の回顧録は日を見る事はなく、死後47年の2011年にして、ようやく米国で刊行され(翻訳版は2017年)、米国は元より世界中で大きな議論と反響を呼びかけています。
ヒトラー、チャーチル、ルーズベルト、スターリン、悲劇の元凶はいったい誰だったのか?
上下巻合わせて1400頁を超える大書ですが結論から言えば、第二次大戦はルーズベルト大統領が”景気回復”の為に起こした戦争という事ですが。欧州での様々な戦争と国家侵略、そして最大の焦点となる”旧ソ連の世界的赤化工作”が、大戦開戦前に既に重要な要素となってる事が赤裸々に綴られてるのも驚きです。
でも、これだけの回顧録が日本人にはあまり知られてない事を考えると、如何に多くのチンケな”偽戦争伝説”が日本列島を支配してるか、悲しい限りです。
そういう私も今、初めて知った程ですが(悲)、歴史の真相を知るのに遅すぎる事はない。
バカ正直に解説するとブログでは収まりきれないので、諸々のレビューや解説を参考に簡単に?紹介します。
フーバーが眺めた第二次世界大戦
「裏切られた自由」は、米国32代大統領フランクリン•ルーズベルトの前の大統領であるハーバード•フーバー(1874−1964)が、多くの一次資料に基づき執筆した著書「FREEDOM BETRAYED」(2011)の渡辺惣樹氏による翻訳本である。
フランクリン•ルーズベルトは、1933年3月4日から1945年4月12日まで3期と1ケ月に渡り、米国大統領を務め、イギリスとオランダと共に日本の外国資産を凍結します。その上、石油やその他の資源の日本への輸出を禁止し、日本を経済的に締め上げ、蒋介石を支援して支那事変の和解を困難とした。
その上、米国からの宣戦布告とも言える”ハルノート”を突きつけ、日本を開戦に至らせた最大の戦争責任者である。
勿論、フーバーの言い分ではあるが彼は、ルーズベルトの戦争責任を追求し、この3年8ケ月に渡る”不毛な日米戦争”は、ルーズベルトという”たった一人の狂人”が引き起こしたと語る。つまり、彼がいなければ第二次大戦は避けられたと。
米国は、共産主義革命を世界に拡散するソ連を長年承認していなかったが、ルーズベルトは大統領に就任する(1933)とソ連を承認し、ソ連のスパイや共産主義者を側近に置き、スターリンに対し、全くの無警戒というか、むしろハル国務長官と共にスターリンに憧れていた(ハル回顧録)という。
フーバーは、スターリンと手を結ぶ容共主義者ルーズベルトの政権中枢への共産主義者の浸透と、スターリン独裁下のソ連の脅威に警鐘を鳴らしていた。それに、開戦半年前からルーズベルトの参戦の企てに反対し、”米国が参戦すれば国民の犠牲の下にスターリンを助ける事になり、欧州はソ連の支配下になる”と警鐘してたのだ。
つまり、ルーズベルトの大罪の一つはこの”容共姿勢”にあったのだ。
戦争目的が”不明”な第一次大戦が終結し、”1919年の不正義”とも言うべきベルサイユ条約により、ドイツは過大過酷な戦争補償を課せられ、ドイツ領が削減された。
その1つが戦後チェコに侵入されたズデーテンであり、他の1つがポーランドに編入された住民の90% がドイツ人であるダンツィヒである。
故にヒトラーは、この飛び地のダンツィヒを回廊と共に、ドイツへ失地回復する事をポーランドと交渉したが、英仏とルーズベルトが干渉し、ポーランドに独立保障を与えた。
故に、ポーランドが頑なになり平和的解決ができなかった。本来ドイツの地であり、ポーランドに割譲を迫っても良かったが、これをせずにポーランドに独立保障を与えた事もルーズベルトの2つ目の大罪である。
ルーズベルトの最大の罪
ドイツは元来、日本と同様に共産主義に強い警戒をしており、犬猿の仲であったドイツとソ連は、第一次大戦の結果のベルサイユ条約により削減された領土を回復するという、唯一の共通目的を有していた。
この目的の為にドイツは、フィンランドとバルト三国の支配をスターリンのソ連に認め、ポーランドを独ソで分割するという密約をソ連と締結した。そこでドイツは、この密約を含む独ソ不可侵条約を1939年8月23日に締結した上で、9月1日ポーランドに侵攻。
この瞬間に、英仏は利害関係がないに拘らず、ドイツに宣戦布告。
これが第二次大戦の勃発である。ソ連も密約に基づき、9月17日にポーランドに侵攻、続いてバルト三国とフィンランド、東欧地域に侵攻した。
しかし、ドイツと同じ事をしたソ連を何とルーズベルトは批判しなかった。この第二の”容共姿勢”も彼が起こした3つ目の大罪である。
以後ルーズベルトは、”ニューディール政策の失敗”から経済を回復させる為、中立法を改正して武器を交戦国に輸出し、武器貸与法を成立させイギリスや支那を支援し、局地戦を拡大させ、”参戦の準備”をした。
米国民は直接的には、国益には関係のなかった欧州での第一次大戦に参戦し、多くの米国兵を死傷させた事から、参戦には絶対反対であった。この為、ルーズベルトは米国民を参戦に賛同させる必要に迫られた。
フーバーは、”ドイツが米国に攻めてくると国民を煽動し、国民を戦争へと導くルーズベルトの干渉主義"を痛烈に批判した。
ソ連の東欧への侵攻に我慢のならないヒトラーは、必然とも言うべく1941年6月22日にソ連を攻撃し、スターリン独裁の共産主義国家ソ連を民主主義を標榜する英米側に追いやった。
これを機に、ルーズベルトはソ連を民主主義国家といい、実質上の”米ソ同盟”によりソ連を支援し、”ファシスト対民主主義”の戦いであると戦争目的を慫慂した。
ドイツのソ連攻撃は最も大きな転換点である。そこでアメリカはソ連との暗黙の同盟関係を結び、ソ連を支援した。フーバーはこの”米ソ同盟”こそがルーズベルトの最大の大罪であると。
ルーズベルトによる日米開戦
ルーズベルトは、1941年7月には日本を完全に経済封鎖し、蒋介石を支援し続け、支那からの米国爆撃機による日本空爆計画に署名していた。
彼は、1941年9月の近衛首相の和平提案(満洲を留保する以外は米国の提案を飲む)と、近衛から申し込まれた日米首脳会談を拒否したが、この事こそが太平洋戦争を引き起こし、満洲をソ連に与えようとしたのではないかとフーバーは言う。
更に、ルーズベルトは11月、日本からの3ヶ月の冷却期間の提案を拒否し、日本を挑発し続け、日本が到底飲む事ができないのを知りながら、宣戦布告ともいうべき最後通牒”ハルノート”を日本に突き付けた。
因みに、このハルノートは米国議会には知らされてなかった。フーバーはこれらの真珠湾攻撃以前の、日本に対する”宣戦布告なき開戦行為”をルーズベルトの大罪という。
更に、カサブランカ会談での無条件降伏要求宣言、モスクワ宣言及びテヘラン会談時のソ連のバルト三国などへの侵略、ヤルタ会談におけるモンゴル及び満洲のソ連支配容認の密約と、和平を探求していた日本に対して使用した原子爆弾の非道徳性などをルーズベルトの大罪に挙げてる。
フーバーのこの極論?とも思える指摘は、共和党ハミルトン•フイッシュの「ルーズベルトの開戦責任」や「日米開戦の悲劇」、東京裁判弁護人ローガンとブレイクニーの「東京裁判の正体」、パール判事の「パール判決書」、ヘレン•ミアーズの「アメリカの鏡•日本」、そして、東條英機の「東條英機宣誓供述書」の指摘と同一である。
つまり本書は、莫大な量の一次資料に基づき、詳細に欧州戦争に至る経緯を明らかにした。ルーズベルトが英国とソ連を支援して参戦を望み、そして遂に日米戦争を起こさせた歴史体系を実に鮮明に映し出してたのだ。
1933年はルーズベルトが大統領に就任し、ヒトラーが首相に就任した年であり、その前年は満洲国が建国された年である。
本書にを読みながら、日本はこの時どうしたのか?他に選択はなかったのか?を考えると、そこには、ルーズベルト、チャーチル、ヒトラー、そしてスターリンの思惑と、荒波に翻弄される日本の苦悩の姿が浮かび挙がる。
黒幕としてのスターリン
戦争が終結し、英国は大西洋憲章(英国の植民地維持)に反して全ての植民地を失い、オランダもフランスも全ての植民地を同様に失い、米国は目的とした大陸での権益を得る事はできなかった。
これに対し、スターリンのソ連が勢力を拡大し、共産国が広範に形成され、毛沢東の共産党が満洲と支那本土を支配するに至る。
容共の米国に反し、日本は戦前から一貫してソ連と共産主義を警戒していた。
その日本は、内戦と住民が抑圧された混沌とした状態にあった無主の地の満洲に、満人•漢人•蒙古人•日本人•朝鮮人の5族協和による近代国家を建設し、平和と人民の安寧をもたらせ(「見果てぬ夢〜満洲国外史」星野直樹著)、世界で初めて人種差別の撤廃を主張し、アジアを西欧の白人支配の植民地から開放し独立させた。
しかしその日本は、混沌とした支那本土においては、共産党や蒋介石国民党により仕掛けられた盧溝橋事変と上海事変の挑発により、戦争にずるずると巻き込まれ、日本の真意を理解しない英米の蒋介石への軍事•経済支援により、巻き込まれた戦争の解決ができなかったのだ。
米国は何の目的で日本に戦争を仕掛けたのであろうか?
結局、米国は戦争目的を達成しえなかった。現在の大半の日本人の歴史観からすると、日本の”負の歴史”は1945年の終戦を境に断絶してる。
しかし、現実の”真の歴史”は連続してる訳で、日本人は米国の占領期における洗脳から目覚め、日本人の戦前の行為を自ら一方的に断罪する”操られた”史観から脱却し、真実の歴史を見つめるべきだ。
「裏切られた自由」は、真実の歴史観を養成するに非常に有益な、今の日本人が是非とも読むべき大書である。
以上、Amazonレビューから抜粋&編集でした。
フーバーという人
フーバーは大恐慌の時に有効な手立てを打てなかったので、”何もできなかった”大統領としてのイメージが強い。事実、”何もしなかった?”事が吉と出た。
”第二次大戦の張本人”とフーバーに批判されたルーズベルトもフーバーが大統領になる前は、”彼の下なら喜んで働きたい”と発言した程である。
つまり、歴代大統領は揃ってフーバーを高く評価していた事が解る。
しかし、”何もできなかった”のは間違いで、フーバーは技師や経営者としては非常に優秀であり、目立つ事を嫌っただけである。
事実、世界恐慌時には、鉄道公社の救済や失業者に無償で資金を出すなど様々な対策を行い、最悪の事態を免れたのだ。
一方、Fルーズベルトは両足が不自由で、弱者の味方であるイメージが彼の強みだったが、”やりすぎた”事が裏目に出た。
しかし、歴代アメリカ大統領の人気ランキングでは上位5傑に入るなど、現在でもアメリカ国民からの支持は根強い。
ニューディール政策と第二次大戦への参戦によるルーズベルトの”戦時経済”は、アメリカを世界恐慌のどん底から回復させたと評価されるが、実際はニューディール政策は失敗し、参戦による経済回復を狙っただけだった。
ただ、フーバーが語る様に、第二次大戦の全ての責任をルーズベルトに押し付ける訳にもいかない。しかし、ドイツとイギリス、ドイツとロシアの間に入り、休戦協定を結ぶ事は十分に可能だっただけに、”不毛な戦争”と言われた太平洋戦争は避けられた筈だ。
そういう所がフーバーにとっては口惜しい所だろう。
ただ、原爆投下や日米開戦に関しては、チャーチルの陰謀やトルーマンの無能に起因する所も多いから、ルーズベルトだけに責任を押し付けるのは少し早急過ぎるだろうか。
最後に
大まかな紹介ですが、少し読んだだけでも、フーバーとルーズベルトの有事や戦争に関する立ち位置が極端に違うのが理解できるであろう。
ただ、フーバーが2期続けて大統領になってたら、100%第二次大戦はなかっただろう。それに、ロシアや中国は今ほどには強大にはなってなかったろうか。
そう思うと、やはりフーバーの偉大さは凄いものがある。
つまり、”何もしない”という事は、追い詰められて”何か行為を起こす”という事よりも、ずっと勇気のいる偉大な行為なのだろうか。
さっさと降参してたらとも思うが、”負けたが勝ち”は本当か?
全ては悲しき結果論かも知れませんね。
日本はドイツと手を組んで
ソ連を攻め落としたかった
日本もドイツも
反共では一致してたからな
チャーチルも基本は反共だから
でも中途に中国に攻め入ったから
抜け出せなくなった
やめるならこの時だったかな?
あの昭和の妖怪がアヘンを中国に売り込み大金を掴んだが故に、傲慢になった。
岸信介とチャーチルさえいなかったらと
思うのは私だけ?
#114さんコメントどうもです。
原爆投下はチャーチルが策謀し
そのボタンをトルーマンが押したって事よね
そして一番おいしい思いをしたのがスターリンだったって事?
だから第二次世界大戦の勝者は旧ソ連て言われてるの?
でも結局は、ルーズベルトのシナリオ通りに事が進んだのよ。ううウ~ンウ~ンうん^^;
原爆投下はルーズベルトのシナリオでもないんですが、それ以外はほぼシナリオ通りなんですかね。
アメリカが戦争を捏造する悪い癖は、すでにこの頃から出来上がってたんです。これが事実だとすればアメリカは終わってる筈ですが。歴史って残酷ですね。
ではバイバイ