大河ドラマ真田丸で有名な長野県にある上田城へ行ってきました。
雨が降るかなと思って傘を持っていきましたがずっといいお天気で、風があったせいか多治見よりも涼しく感じました。
上田城は真田昌幸(幸村のお父ちゃん)が1583年に築いた城で、徳川軍の二度にわたる攻撃にも屈しなかった強い城です。
真田氏といえば幸村の名前が最初に出てくると思いますが、幸村って兄貴が二人いたんです。その兄貴たちが戦死したから幸村が家督を継ぐことになったんですが、もし兄貴が生きてたら幸村は今ほど有名にはなってないかも・・・・・・と思います。
人生ってどこで何が起こるかわからないから面白い。
信州上田城、400有余年の歴史を堪能してきましたので、写真をアップしますね。
上田城の詳しい解説はここにあります↓
https://nagano-ueda.gr.jp/uedajo/
上田駅前にある上田城甲冑隊の甲冑と真田幸村の像。
上田駅から城まで徒歩で約10分、途中、真田氏の家紋六文銭のマークが入ったマンホールのふたを見つけました。
この六文銭のマークをいろんなところで見かけたんですが、結婚式場の塀にも入っていたのにはちょっとびっくり。というか、首傾げてしまった。
だって六文銭は三途の川の渡し賃ですよね。
亡くなった人に持たせるお金とハッピーな結婚式場ってなんか組み合わせがよくないんじゃないかな。
う~~ん
でも、まぁ、「結婚は人生の墓場なり」っていうからね👻👻👻😸
虎口(出入口)
城の石垣
最近、「塞王の楯(今村翔吾作)」という本を読みました。それによると城の石垣の組み方にも流派があるそうです。
ただ石を積み上げてあるだけなのに何百年たっても崩れないって、昔の人の技術ってすごいね。
西櫓
真田昌幸の甲冑
甲冑名称
鉄砲狭間(てっぽうざま)
ここから鉄砲を撃ちます。
向こうから敵の大群がわらわら押し寄せてくるのを見て、当時の人たちはどんな風に感じたのかな、そんなことをふと思いました。
六代目上田城城主 松平忠周(まつだいらただちか)の旗指物
黒字に金はかっこいいね。👍👍
本丸のあったところ。
ここ、写真撮影の絶景ポイントと書いてありました。
幸村像
ランチは信州そば。
マツコの知らない世界で紹介されたクルミのおはぎ
ほにゃらっとした噛み応えでちょうどよい甘さ。これはうまかった👍👍😽
上田城下町
旧北国街道
普通のソフトクリームですが、このお店、大泉洋さんはじめ、芸能人がたくさん立ち寄ってる古民家風のスイーツ店です。
平日だったので特急しなのはガラガラ。ゆったり帰ってこれました。でも、歩き疲れて足、筋肉痛😭
私の家族みんな時代劇ファンで、戦国武将ゆかりの地とか城とかふらっと出かけるんですが、お城へ来るたびに思うことがあります。
天守閣に登ると見晴らし最高ですよね。ずっと遠くまで見えます。
当時の武士たちはこの光景を見て、この見渡す限りの土地をみんな自分のものにしたい、そうして天下をわが手にって思ったんでしょうね。
どうしたらそんな風に思えるのかなぁ??
いろんな事情があることはわかりますが、私は、「ああ、きれいな景色だなぁ」って思うだけでそんなにだだっ広い土地が欲しいなんて思わないけど。
それから、お城って広いから一回りするだけでも疲れてしまう。
昔の人は足腰丈夫だったんだよね。
羨ましいです。
だけど、そんな広いとこに住んで認知症になったらお城の庭で迷子になっちゃうんじゃない?
当時も認知症の武士っていたと思うし。
そういう人はどうしたんだろうね。
だんだん妄想の世界に入ってしまうんで、今日はこの辺で。
雨が降るかなと思って傘を持っていきましたがずっといいお天気で、風があったせいか多治見よりも涼しく感じました。
上田城は真田昌幸(幸村のお父ちゃん)が1583年に築いた城で、徳川軍の二度にわたる攻撃にも屈しなかった強い城です。
真田氏といえば幸村の名前が最初に出てくると思いますが、幸村って兄貴が二人いたんです。その兄貴たちが戦死したから幸村が家督を継ぐことになったんですが、もし兄貴が生きてたら幸村は今ほど有名にはなってないかも・・・・・・と思います。
人生ってどこで何が起こるかわからないから面白い。
信州上田城、400有余年の歴史を堪能してきましたので、写真をアップしますね。
上田城の詳しい解説はここにあります↓
https://nagano-ueda.gr.jp/uedajo/
上田駅前にある上田城甲冑隊の甲冑と真田幸村の像。
上田駅から城まで徒歩で約10分、途中、真田氏の家紋六文銭のマークが入ったマンホールのふたを見つけました。
この六文銭のマークをいろんなところで見かけたんですが、結婚式場の塀にも入っていたのにはちょっとびっくり。というか、首傾げてしまった。
だって六文銭は三途の川の渡し賃ですよね。
亡くなった人に持たせるお金とハッピーな結婚式場ってなんか組み合わせがよくないんじゃないかな。
う~~ん
でも、まぁ、「結婚は人生の墓場なり」っていうからね👻👻👻😸
虎口(出入口)
城の石垣
最近、「塞王の楯(今村翔吾作)」という本を読みました。それによると城の石垣の組み方にも流派があるそうです。
ただ石を積み上げてあるだけなのに何百年たっても崩れないって、昔の人の技術ってすごいね。
西櫓
真田昌幸の甲冑
甲冑名称
鉄砲狭間(てっぽうざま)
ここから鉄砲を撃ちます。
向こうから敵の大群がわらわら押し寄せてくるのを見て、当時の人たちはどんな風に感じたのかな、そんなことをふと思いました。
六代目上田城城主 松平忠周(まつだいらただちか)の旗指物
黒字に金はかっこいいね。👍👍
本丸のあったところ。
ここ、写真撮影の絶景ポイントと書いてありました。
幸村像
ランチは信州そば。
マツコの知らない世界で紹介されたクルミのおはぎ
ほにゃらっとした噛み応えでちょうどよい甘さ。これはうまかった👍👍😽
上田城下町
旧北国街道
普通のソフトクリームですが、このお店、大泉洋さんはじめ、芸能人がたくさん立ち寄ってる古民家風のスイーツ店です。
平日だったので特急しなのはガラガラ。ゆったり帰ってこれました。でも、歩き疲れて足、筋肉痛😭
私の家族みんな時代劇ファンで、戦国武将ゆかりの地とか城とかふらっと出かけるんですが、お城へ来るたびに思うことがあります。
天守閣に登ると見晴らし最高ですよね。ずっと遠くまで見えます。
当時の武士たちはこの光景を見て、この見渡す限りの土地をみんな自分のものにしたい、そうして天下をわが手にって思ったんでしょうね。
どうしたらそんな風に思えるのかなぁ??
いろんな事情があることはわかりますが、私は、「ああ、きれいな景色だなぁ」って思うだけでそんなにだだっ広い土地が欲しいなんて思わないけど。
それから、お城って広いから一回りするだけでも疲れてしまう。
昔の人は足腰丈夫だったんだよね。
羨ましいです。
だけど、そんな広いとこに住んで認知症になったらお城の庭で迷子になっちゃうんじゃない?
当時も認知症の武士っていたと思うし。
そういう人はどうしたんだろうね。
だんだん妄想の世界に入ってしまうんで、今日はこの辺で。
上田城、とてもステキですね!!
leelinさんが丁寧に旅の様子を見せて下さったお陰で、
まるで私もご一緒しているような気分になりました♪
私も大河ドラマ『真田丸』を観ていましたので、
いろんな俳優さんのお顔がチラつきました 笑
石垣の魅力、最近つくづく昔の人はすごいと私も思うのです。
石垣を積む職人さんを穴太衆(あのうしゅう)と呼ぶそうなんです(歴史番組で聞きました)
その人達の腕の良さ勘の良さに感心してしまいますね。
あ、leelinさん『塞王の楯』を読まれたのでそのことはきっと書かれたあるのでしょうね。
いつか読んでみたいです。(最近読むのが遅くなって来たので悲しい( ・ั﹏・ั)
「認知症でお城の周りを・・・」のところ、笑ってしまいました。
あの頃の武将の方々はそうなる前に、戦でお亡くなりになるのでは・・・?
そして、常に敵にやられることを気にして緊張続きだからのんびりする間もないし、とツッコミを入れてしまったり(^_^;)
旅をしながらいろんなことを想像するのは楽しいですよね♪
楽しい旅日記をありがとうございましたm(__)m
コメントありがとうございます😽😽
写真を楽しんでもらえて良かったです。
コロナ禍のこともあり心配でしたが平日で人も少なくゆっくり見学できました。
ほんとに昔の人の技術、知恵には驚きますね。今のような便利なものは何もなかったのに。
お城に行くとそれを強く感じます。
認知症の武将ですが、戦の多かった時代はたしかにたしかに、緊張の連続だからそうですよね😸
納得です👍
私もこの頃は本を読むスピード遅くなってきました。
おまけに読んだ内容、すぐに忘れるし😂
これも老化現象のひとつとあきらめてますが(笑
はい、穴太衆、この本に出てきます。
主人公が穴太衆の石垣職人でした。
直木賞受賞作も当たり外れがありますが、この本は楽しめました。
ぜひおすすめします👍😺
大河ドラマの年度は
ドラマ館までたてて 大賑わいでしたが
今はコロナもあって なんとなく人出が
落ちていますね。
https://blog.goo.ne.jp/tsakaegoo/d/20160301
コロナが不安でしたが思い切っていってきました。
ドラマ館もあったんですね。
見てみたかったです。
旧北国街道も趣があってよかったです。
コロナがもっと収まってきたら、また行ってみたいです。