静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

マーラー「嘆きの歌」を聴く

2009年07月19日 02時00分22秒 | マーラー
マーラーの初期の名曲「嘆きの歌」を久しぶりに取り出し、全曲聴いた。


マーラー/カンタータ「嘆きの歌」


チェリル・ステューダー(S)
ヴァルトラウト・マイヤー(MS)
ライナー・ゴールドベルク(T)
トーマス・アレン(BR)
合唱:晋友会合唱団(指揮:関屋晋)

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団


指揮:ジュゼッペ・シノーポリ


録音:1990年、東京、ライヴ



この曲は、シノーポリ盤とシャイー盤しか持っていない。
ずっと以前、ロジェストヴェンスキー盤を持っていたけど、対訳もなくて手放してしまった。
今、思うと惜しいことをした。


テキスト大意

第1部《森の物語》

誇り高く美しい王女を得るために、騎士の兄弟は一輪の赤い花を探しに森へと入る。
善良な弟は、その赤い花を見つけ、それを帽子にさして眠る。
嫉妬に狂った邪悪な兄は、眠る弟に向けて剣を振り下ろす・・・・。
兄は笑い、殺された弟の顔は夢見るようにほほ笑んだまま・・・・。
誰も見ていない惨劇、しかし、森中の木々がじっと見つめているようでもあった。


第2部《吟遊楽人》

騎士が眠る木の傍らを、ひとりの楽士(辻音楽士)が通りかかる。
森の大気と花々の間を泣き声が通り抜けて行ったかのような、その道で、楽士は一本の光る骨を拾った。
彼はそれを手にとり削って笛を作った。
その笛が奏でる歌は悲しみに満ちていた。
笛は、兄に殺された弟の無念を悲しく歌った。
楽士は、その骨を携え、国王(兄)の城へと向かう。


第3部《婚礼の場》

岩の上の城では、女王の婚礼の日を迎えて歓喜に沸き立っていた。
しかし、当の王は何故か沈黙し青ざめている。
美しい女王を見ようともしない。
それは、なぜなのか?
そこへ、一人の楽士が戸口に現れる。
彼の笛は、王の秘められた悪事(弟殺し)を歌いだす。
王は憎悪の表情で楽士から笛を奪い取り、自ら笛を吹き始めるが、笛が語るのは、やはり恐ろしい死の物語。
王女は倒れ、居合わせた者達は逃げ去り、そして、ついに王の城も崩れ去ってしまう。


・・・という、なんとも陰鬱なストーリーであるが、若きマーラーの音楽は、時にはワーグナーのように、時には後年の作品の断片をちらつかせるようにしながら、この物語を語っている。
「子どもの不思議な角笛」や交響曲第2番「復活」、第10番などの切れ端が時々、聴こえてくる。
最後の悲劇的な幕切れは、第1交響曲の終楽章の不吉な半音階進行がそのまま出てくるかと思えば、最後の最後は6番との共通点も感じさせる。
また、マーラーが好んで用いるバンダによる劇場的演出も頻繁に出てくるし、親しみやすい民謡風のメロディに乗って、実はそれとは裏腹などす黒い内容のテキストが歌われるなど、その面白さに一気に聴かされてしまう。
第1部での弟が殺される部分では言葉による描写はないが、その分、管弦楽の響きが、その血生臭い惨劇を暗示して、かえって恐ろしいリアリティを出している。
まるで、古臭い映画でのラブシーンのように、かえって想像力をかきたてられるのである。
また、第3部での婚礼の喜びの場面では、華やかな中で一人、王(兄)は青ざめている、その心中を表すかのように「死」のモティーフを重ねてくるあたりもゾクゾクしてしまった。

先に書いたように、以前に持っていたロジェストヴェンスキー盤は、国内盤であったが廉価でもあり対訳も付いていなかった。
当時は、聴いてもなんだかピンと来ず、結局手放したが、数年前にシャイー盤、そして、このシノーポリ盤を入手。
また、前後して村井翔氏の著書も買ったりして、この曲について少しはスタディをした結果、その魅力(魔力)にかなり「とりつかれて」いる。

作曲者自身の改訂もあって、いくつかのバージョンがあるようだが、所持している2種はいずれも1902年の改訂稿(2部、3部のみ)に作曲者の死後、発行された1部を足した版によっている。
初稿による初演は1997年とのことで、ディスクはケント・ナガノ盤があるらしい(村井氏の著書による)。そっちの方も聴いてみたいものだ。

シノーポリ盤は1990年、東京でのライヴであり、これはこの時、彼らが行ったマーラー・チクルスの一環。
そう言えば、ウチにある「一千人」のヴィデオも、その時の演奏ではなかったか?
シャイー盤とあらためて比較していないけど、シノーポリ盤には、より強い緊迫感と一気に聴かせる説得力を感じた。




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