明後日の25日は、レナード・バーンスタインの誕生日。生誕88周年である。
というわけでレニーの指揮した音盤を聴く。
ロイ・ハリス:交響曲第3番(AMERICAN MASTERS)
指揮:レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1961年
このAMERICAN MASTERSというアルバムには他にランダル・トンプソンの交響曲第2番、ディヴィッド・ダイアモンドの交響曲第4番が収められている。
いずれも私には不案内な作曲家。
20年以上前に買った「音楽大事典」(平凡社)には、ハリス以外の2人の記載はない。
しかし、現代作曲家でありながら3作品とも調性を基盤とした親しみやすい作品。
ハリスの3番はDGへの再録音もあるが、こちらの方がテンポが速く非常に活き活きとした快演。
単一楽章の曲である。
冒頭の弦からかなり気合が入った弾きっぷりで、17分余りを飽くことなく一気に聴いてしまう。
途中で速さや拍子が変化しているがスコアも解説も手元にないから、そのへんはよく分からない。ただ、変化に富み親しみやすい曲の面白さと、尋常でない集中を伴った演奏ということは感じられる。
いろいろと変化する景色を楽しみながら浸っていたら、いつの間にか深刻な雰囲気のフィナーレに到達していた。
ロイ・ハリス、交響曲は15曲作ったという。他に交響的序曲「ジョニーが凱旋するとき」とか、「勇気ある人J=F=ケネディへのエピローグ」など、聴きたくなるような名前の曲もある。
トンプソンの曲も、「どこかで聞いたっけなぁ?」と思わせる懐かしく親しみやすい曲。「映画音楽」っぽい感じ。もちろん、バカにしているという意味ではない。ジャンルの違いと芸術としての次元の違いを同一視してはいけない。目を閉じると、なんとなく映画のオープニングとかエンドロールが思い浮かんだので言ったまで。特に第2楽章冒頭は郷愁を誘う。
こういう曲を聴いていると、ジャンルの壁とかのボーダーは無いってことを実感する。バーンスタインがNYPを振って録音し、ディスクになって、今、聴いていたわけだが、さっき言ったように仮に映画に使われたってぴったし来ただろうし、誰かが歌詞をつけたら魅力的なポップスになるかと思われる。
私はまだよく知らないけども愛すべきアメリカの作曲家の作品たち。それを親しみと愛情をこめて振って私たちに紹介してくれたレニーに感謝。
というわけでレニーの指揮した音盤を聴く。
このAMERICAN MASTERSというアルバムには他にランダル・トンプソンの交響曲第2番、ディヴィッド・ダイアモンドの交響曲第4番が収められている。
いずれも私には不案内な作曲家。
20年以上前に買った「音楽大事典」(平凡社)には、ハリス以外の2人の記載はない。
しかし、現代作曲家でありながら3作品とも調性を基盤とした親しみやすい作品。
ハリスの3番はDGへの再録音もあるが、こちらの方がテンポが速く非常に活き活きとした快演。
単一楽章の曲である。
冒頭の弦からかなり気合が入った弾きっぷりで、17分余りを飽くことなく一気に聴いてしまう。
途中で速さや拍子が変化しているがスコアも解説も手元にないから、そのへんはよく分からない。ただ、変化に富み親しみやすい曲の面白さと、尋常でない集中を伴った演奏ということは感じられる。
いろいろと変化する景色を楽しみながら浸っていたら、いつの間にか深刻な雰囲気のフィナーレに到達していた。
ロイ・ハリス、交響曲は15曲作ったという。他に交響的序曲「ジョニーが凱旋するとき」とか、「勇気ある人J=F=ケネディへのエピローグ」など、聴きたくなるような名前の曲もある。
トンプソンの曲も、「どこかで聞いたっけなぁ?」と思わせる懐かしく親しみやすい曲。「映画音楽」っぽい感じ。もちろん、バカにしているという意味ではない。ジャンルの違いと芸術としての次元の違いを同一視してはいけない。目を閉じると、なんとなく映画のオープニングとかエンドロールが思い浮かんだので言ったまで。特に第2楽章冒頭は郷愁を誘う。
こういう曲を聴いていると、ジャンルの壁とかのボーダーは無いってことを実感する。バーンスタインがNYPを振って録音し、ディスクになって、今、聴いていたわけだが、さっき言ったように仮に映画に使われたってぴったし来ただろうし、誰かが歌詞をつけたら魅力的なポップスになるかと思われる。
私はまだよく知らないけども愛すべきアメリカの作曲家の作品たち。それを親しみと愛情をこめて振って私たちに紹介してくれたレニーに感謝。
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