静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

ところで、きょう指揮したのは?

2022年02月02日 15時40分57秒 | 

訂正・・・文中、秋山氏の実演を聴いた回数を「3回」と書いていますが、4回の間違いでした。大阪フィルとの「惑星」他を聴いたのを忘れておりました。
https://blog.goo.ne.jp/lbrito/e/d57685387a34ed54d21cdead3f9f5c5e


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ところで、きょう指揮したのは?
秋山和慶回想録 ー



指揮者の振り様って、オーケストラ奏者にとっては、それは大事なものでしょうが、聴き手にとってはほぼ「どうでもいい」ものです。カッコ良かろうがダサかろうが、実際に音を出していない指揮者の見た目なんて演奏の良し悪し(印象)に関係ありません。目を閉じて聴いてることが多い私には特に。
と、今だから言うものの、子どものころからずっと指揮者には憧れがあり、いわゆる「シャドウ・コンダクティング」なんかしょっちゅうやっていましたね。かっこいい指揮者はカッコ良くて(?)やっぱ憧れたものです。

そして、振りがカッコいい指揮者の最右翼、私にとっての筆頭株が秋山氏でした。
最近は(TVで観る限り)、往年のあのキレッキレな指揮ぶりから穏当で省エネっぽい振りに変わられたように思いますが、実際はどうなんでしょうね?
いやはや、70年代の秋山氏、ホンマにカッコ良さハンパなかったです。
実演は3回。最初は76年の大フィル定期。曲はオネゲルの交響曲第3番。もう圧倒されてメロメロでした。その頃の私(大学1年)は、目を閉じるどころか、ほとんど指揮者だけを凝視していたと思いますが、音楽そのものを体現したような雄弁さ、譜面台の下に潜ってしまうかのような大きな動きでも全くの自然さがありました。
二度目は(たぶん)東響の伊勢公演。交響曲第5番をメインとしたチャイコフスキー・プログラムでした。あのときも秋山氏の指揮に思いっきり魅了されました。
TVでは、N響との「ローマの祭」、チャイ4、バーンスタインの「不安の時代」などが印象に残っています。
三度目の実演は、ずっと後になって90年代後半か2000年代早々の東京フィル津市公演でした。この時もチャイコフスキー・プログラムで、この時、楽屋口でサインをいただきました。

氏の造り出す音楽は一見(一聴)淡白なようで、その実はかなりパッションに満ちているという印象です。これは、氏の弟子筋に当たる飯森範親氏、下野竜也氏にも感じるところであり、秋山氏の特質だと思われます。表面的な味付けよりは、楽曲の奥底にあるもの、作曲家が「そこをなぜそう書いたのか」という点に向き合い、そこからフレージングやバランスを形成していくのでしょう。録音で聴くとちょっと薄味かと思えたりもしますが、逆になんでもないようなほんの一節がゾッとするほどの意味深さを感じさせたりもします。

本書は、地方新聞への連載から大きく書き膨らませたもので、当人の回想と新聞社勤めである冨沢佐一氏との共著となっています。
華々しい活躍から修羅場の一時期まで、まるで氏の造り出す音楽のように淡々と綴られており、あっという間に読了しました(広島での佐村河内作品絡みのトラブルにも触れています)。
求められれば可能な限り地方の中学や大学へも指導に出かけると思えば、ベルリン・フィルからの招待を「すでに東響との予定が入っている」との理由で3度も断るなど、「音楽を利用して自分の名声を高めようとしてはならない」と強く自戒される潔さも文章の随所から感じられます。
読み終えて、最近の演奏をもっと聴きたいとの想いを強く持った次第です。

秋山和慶・冨沢佐一/著
アルテスパブリッシング㈱刊





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