静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

クーベリック、1975年のマーラー9番(加筆)

2012年03月10日 06時48分19秒 | マーラー
引越しエントリ御免の日々は続くよ、終わるまで・・・♪。

今日は2007年5月19日にアップした記事。これはダイジェスト版を当ブログにも上げていました。



昨日はマーラーの命日だった。
何を聴こうかと棚を見渡し手に取ったのがクーベリックの振った9番(1975年、東京ライヴ)。
この演奏は、当時、ちょっとした話題になったもの。

私は、そのときの名古屋公演を聴いているが、その名古屋公演に向かう途中で、東京公演の初日を聴いた知人に会い、その素晴らしさを聞かされた。
日比谷公会堂での、その公演は演目がマーラーから急遽変更になり、キャンセル者もたくさん出て空席が目立ったということだったが、演奏はとてつもなく素晴らしく、知人は変更になったマーラーの日のチケットだけでなく、当初は行く予定になかった大阪公演にも行くと興奮気味に語ってくれたのだった。

(そのプログラム変更についてのいきさつは海外オーケストラ来日公演記録抄にも詳しく記されています。)

さて、その9番の演奏だが、クーベリックの、あの独特の音は録音では十分に再現されていないと思う。
私が聴いた名古屋公演の、あの艶やかで深い響きは、当時オンエアされた大阪公演や東京公演のNHK収録では全然聞かれなかったから・・・。
きっと当夜の東京文化会館で鳴っていた音は、こんなものではなかったはずだ。
逆に、金管の響きなどには心持ち「疲れ」が感じられ、そういう「粗さ」のようなものだけが大きく残ってしまったかも知れない。
実際、その東京公演を聞いた知人の報告では指揮をしているクーベリックの姿にも疲労の色がありありと見えたという。

そんなことを割り引いても、しかし・・・しかし、なんとすばらしい演奏だろうか。

これは暖かさと厳しさが同居した演奏。

終楽章の冒頭、弦の各パートの鳴り様は、ほとんど「普通」のようでありながら「違う」のである。非凡なのである。
11小節からのファゴット・ソロと共に鳴っている第1ヴァイオリンの変ニ音のすごい実在感。
クーベリックの演奏では、時々、こういう場面に出会い身震いさせられる。
ディスクでの「復活」でも、そんな場面があったと記憶している。
当夜の東京文化会館でも、きっと金縛り状態の聴衆がたくさんいたことだろう。

117小節あたりからの渾身の指揮ぶりは目に見えるようで、オケも最後の力を振り絞ってものすごい残照のような音楽を奏でている。
久しぶりに9番を堪能。
感動でした。


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