何回か書いている「萬」をまた書いてしまった。この字には造形的な面白さを感じている。つまり字の意味に私はそれ程興味を持っているわけではない。そのことが、良い事なのか悪いことなのか、それとも、どうでも良い事なのか、判断がつかない。が、以前の私の書道感からすれば是でとは言えないだろう。
それでも、何でも試してみる。そんな気持ちに少しづつ変わってきた。
名古屋と東京の二重生活。現実のその状況に何時か対応できるのだろうか。今までは頭の中でそうするべきだと考えてきた。今はそのことで、少しだけ心が歪んでいるような気がする。
梅雨は明けた。私は・・・。自然に触れよう、そう思った。
それでも、何でも試してみる。そんな気持ちに少しづつ変わってきた。
名古屋と東京の二重生活。現実のその状況に何時か対応できるのだろうか。今までは頭の中でそうするべきだと考えてきた。今はそのことで、少しだけ心が歪んでいるような気がする。
梅雨は明けた。私は・・・。自然に触れよう、そう思った。
自然に触れたいなどと思いながらも心はネガティブ。図書館に行って少しだけ風に吹かれる。風に吹かれてもボブディランの様な強さは生まれてこなかった。
せめて食事だけは作ろう。そんな事を思う。
昼食前にエクササイズ。汗まみれなのでシャワー。きっといつか罰が当たる。八百萬の神がお許しになるはずもない。
引っ越してくる前は銭湯が近かったので、3時に仕事を終わらせて、湯に行っていた。そんな家業の人は少ないのでしょう。いつも決まった人だった。
何となく自堕落。
明日は早起きして仕事を始めよう。きっと・・・。
近年になって消えてしまったものの一つに万能の神が挙げられています。それが、人々に理屈では語れない不安感を与えているという説もあります。
私も自分が無力だと思うことが多々あります。それが真実かどうかはどちらでも良いので、万能の神を信じることができていれば、楽だったろうと思います。でも、開かれてしまったパンドラの箱はもう元には戻りません。
信じない者は救われないのかな?
lazyさん、事情も知らずにこんなコメントすると叱られるかな。東京と名古屋の二重生活でも、奥様とずっと一緒に暮らせるようになったら、きっと心がゆがまないでいられるのでしょうね。早くそうなるといいですね。
以前の「萬」も好きでしたが、今日の「萬」は、ちょっと首をかしげた虫のようで、愛嬌がありますね。
萬、万。と書いて、
「森羅万象」等と連想してしまいました。
土着の信仰である、「八萬の神々」。
山に向かって手を合わせ、天を仰いで恵みを祈り、土にひれ伏し、川の流れに身を託す。
自然に触れたいと、私も思いました。