LanguageStyle

■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

「何を伝えたいか」と文法は対極に位置する?

2005年10月30日 | 記事
「小学校で英語必修に」 金沢で全国小中学校特区研究大会 早期教育に共感
全国小中学校英語教育特区研究大会inKANAZAWAは最終日の二十九日、金沢市文化ホールでパネル討論と分科会が行われた。討論では、出席者から「小学校の英語教育を必修にすべきだ」「英会話では発音や文法の技術論より、メッセージが大切」など、日本の英語教育のあり方について意見が交わされた。
 河野浩文科省国際理解教育専門官は、全国の研究開発校七十七校と、英語特区四十九自治体で小学校の英語教育を実施していると報告。特区も含め、全国の小学校の九割が導入している正規の科目ではない英語活動は、毎月一回実施が四割、学期または年間で一回の実施が二割とした。
 河野専門官が示した「中央教育審議会の部会が小学校の英語教育などを検討しており、今秋中に方向性が出る」との見通しに対して、実行委員長の石原多賀子金沢市教育長は、日本など二カ国を除いて、アジアでは小学校から英語教育を実施しているが、日本は二十年前から英語の早期教育について議論が前に進んでいないと指摘。「明確な答えを出す時期にきている。子どもに世界と同じ教育水準を与えるのが大事だ」と話すと、共感を示す意見が相次いだ。
 清泉女学院大の渡邉時夫人間学部長は、英語でふるさと教育を行っている金沢市の取り組みを評価。英語をテーマとするテレビ番組に出演しているNHKアナウンサーの松本和也氏、安藤征治岐阜市教育長の出席者は、英語でコミュニケーションをとる場合に必要なのは「何を伝えたいか」であり、文法などに偏った指導を戒めた。コーディネーターの大下邦幸福井大教授は「小学校の英語教育も世界の枠組みの中で考えるべきだ」とまとめた。
 討論に先立つ分科会では、金沢市をはじめ福島県郡山市、大阪府寝屋川市、岐阜市と東京都荒川区が取り組みの事例を発表した。金沢市は、九月に中学校三年生全員を対象に実施した英語能力判定テストで、「英検三級以上の能力がある」とされた生徒が27・1%となり、前年度の22・5%を上回ったことなどを報告した。その他の出席者は「英語教育アドバイザー」の全校配置や、生徒の英検受験費、教員の英会話学校受講費の補助などの取り組みを示した。
 開会式では、石原教育長、山出保市長があいさつし、南部康昭市議会議長、浅田秀雄県教委学校指導課長が祝辞を述べた。


確かに日本以外のほかのアジア諸国においては小学校から英語教育を実施している国が多いようです。韓国では3学年から必修、中国では4-5学年から選択可能、台湾では5学年から必修(台北市では1学年より導入)、マレーシアでは1学年から必修、モンゴルでは5学年からロシア語との間で選択必修、インドネシアでは都市部のみ4学年から自由選択、ネパールでは4学年から必修、ベトナムでは都市部のみ3学年から自由選択、スリランカでは1学年から必修・・・
今、示した国では教員不足やその他の国ごとの諸事情によりこのとおりの開始年齢からきちんと教えられているとは限らないので、ある程度幅を持って見る必要があります。それは前置きとして、このアジアの日本よりも1歩前に足を踏み出している現状はどんな意味を持っているのでしょうか。開始年齢からだけ見ると日本はアジアよりも1歩も2歩も立ち遅れていますが、それはそのままアジア諸国が日本に比べて優位に立っているということをあらわしているのでしょうか。先に先にというアジアの行動は見方を変えれば、彼らの焦りの裏返しともいえるのではないでしょうか。彼らは発展途上の途中でこれらかますます発展を遂げる必要があるし、そうしなければいけません。焦りの気持ちが先行し、英語教育の導入が日本よりも先行している気がします。
また、上記の記事には「逆」だろうと思ってしまう記述があります。
まず、「英語でコミュニケーションをとる場合に必要なのは「何を伝えたいか」であり、文法などに偏った指導を戒めた」とありますが、これはまさに逆で、文法がなければ肝心の「何を伝えたいか」はしっかりと相手には伝わりません。「伝えようという気持ちが大切」だといっても、それは態度の問題であって、英語教育の根本の問題でもありません。これは全ての面で言えることでしょう。英語に限らず、日本語においても伝えようという気持ちが大事なのは当たり前で、それができていないとすればまず日本語でどのように自分の感情なり主張が表現できるのか、それを鍛える必要がるでしょう。文法が悪であるかのような言い方は賛成できません。伝えるべき内容を論理的に伝えるためにはしっかりとした文法が必要ではないでしょうか。批判がなされるべきは、文法指導方法の方でしょう。最初から教師が文法規則を明示的に教えてしまい、文法は暗記でしか学ぶことのできないものであるという偏った認識を与えてしまっています。指導方法が問題なのであって、文法がいらないということではないはずです。
「何を伝えたいか」を持たせるということは大事です。しっかりと学校教育においても鍛える必要があると思います。しかし「何を伝えたいか」ということは思考力ですから、まずしっかりと母語での思考力を鍛えることが「何を伝えたいか」をもつということにつながります。

※ブログランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。
にほんブログ村 教育ブログへ 人気blogランキング