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taddy // graphic designer / artist / poet

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2009-11-11 | cafe_monologue

「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ。」

「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている。」


今月10日に高野山・金剛峯寺を訪ね、「全日本仏教会」会長と会談したときの小沢幹事長の発言です。
彼の発言には2つの点で大きな問題があります。


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1) 偏見
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「●●教は●●的だ」という考え方は、短絡的な考えであり、偏見です。
そんな単純な方程式など存在しません。

キリスト教であろうが、仏教であろうが何であろうが、排他的な人たち、独善的な人たちはどこにでもいます。

キリスト教は、二千年前から「敵を愛せ」と教えてきています。
「愛」というものを具体的に教えた初めての宗教と言われています。
ところが、実際、クリスチャンが住む社会の歴史はそうではない側面もとても多い。

なぜか?
宗教自体が問題なのではなくて、人間のエゴが問題なわけです。
そういう意味で、宗教が権力に利用されてしまうことは悲しいかな、多々あります。
それが話を複雑にしている部分もあります。
たとえば、「イスラム思想=テロリスト思想」なのではなく、テロリストがイスラムの看板を利用しているだけなのです。

古来、日本では、「神道」や「仏道」と、信仰のことを「道」と表現してきました。
英語の「religion」も「(神と人の関係、人と人の関係を)再びつなげる、繰り返しつなげる」という意味です。
どの宗教はもともと「人が人として生きていくための道」を示すものなのです。

そのことを理解しないで、「●●=●●」と決め付け、こういう偏見的な発言が出てくることの方が問題であり、排他的です。


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2) へつらい
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1)よりもこちらの方がはるかに悪質かもしれません。
小沢氏は、何も考えず単純にリップサービスで今回のような発言をしたのかもしれません。
しかし、一方を持ち上げるために、他方をおとしめることは、人としてどうでしょう?
そういう言動、ボクは軽蔑します。


個人的には、「全日本仏教会」の会長は小沢氏との会談を辞退すべきだったと思います。
なぜなら、この会談は、来年の夏の参院選に向けた全国行脚の第一弾だったからです。
宗教は政治にかかわってはいけないと思います。
宗教が政治と一体化したとき、権力に利用されてしまうことは、歴史が物語っています。


個々人がどのような意見を持つのも自由です。
しかし、公人の立場の人がこのような発言をすることは非常に問題です。
かつて、森首相が「神の国」発言をして問題になりましたが、それ以上に悪質な発言だと思います。


民主党政権には、常識に欠けた方が多いようです。
オバマ大統領が来日するのに、彼がまだ日本のいる間、鳩山さんはASEANの会議に飛び立ってしまいます。
「アジア重視」の姿勢を見せるためだそうですが、客人を置いて行くとは、外交儀礼上、失礼極まりありません。


政治献金問題でも、国会で「違法性」を感じると彼は発言していますが、「違法=犯罪」です。
けれども責任を取る様子はまったくありません。
今日は新たに5億円の申告漏れが発覚しましたし・・・。


普天間の問題にしても、常識的にはありえない話です。
たとえば、A社とB社が長い間協議して、契約を結んだとします。
ところが、契約後、A社の内部事情で担当者が変わり、その担当者は契約を白紙にもどすと言いました。
これって、一般企業ではありえない話ですよね。
A社を日本、B社をアメリカと置き換えて読み直してみてください。


小沢氏にしても鳩山氏にしても、人としていかがなものかと思います。
こういう言動を日本人としてとても恥ずかしく思うばかりです。




taddy