教科書採択を考える会ブログ

愛媛県松山市内の中学の歴史教科書が「育鵬社」版に変わるのを機に発足した会です。教科書比較の学習会も行っています。

第8回学習会 「64ベルサイユ条約と国際協調の動き」

2016-07-21 14:35:20 | 学習会


お待たせしました。
7月12日の第8回学習会の報告です。

今回の学習会では、

○第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制について

○中国・朝鮮の民族運動について

元世界史教員のYさんにチューターしていただきました。
参加者は24名でした。



まずは、チューターYさんから押さえておくべき歴史の流れを講義していただきました。

まずは、第一次世界大戦のドイツとベルサイユ条約について。

[レジュメ 1.2]


[資料1.2.3]




○ドイツがどう戦い、
・1914年8月にロシア・フランスに宣戦して国に両側でそれぞれ別の国と戦うことになったこと(「東部戦線」「西部戦線」ということばは、このときのものだと知りました!)
・ロシア革命を経て1918年にソビエトと単独講和になったときは両手を上げて歓迎したこと
・1918年戦争に疲弊した市民により革命が起こり共和国政府によって休戦協定が成立したこと


○日本がどのように第一次世界大戦に関わったか、
・第一次世界大戦に参戦することが国内の不況を切り抜けるチャンスと考えていたこと
・ドイツがもつ権益を目当てに秘密条約を結んで参戦(主に兵士の輸送)したこと

○ベルサイユ条約の中身と欠点について

・「戦争に訴えない」「軍縮する必要がある」との文言があり、「戦争を起こした国への経済的制裁」の規定があること
・国際労働機関の設立、常設国際司法裁判所、国際河川制度など国際法の基礎が確立したこと

・アメリカ・ドイツ・ソ連の主要国は未加入であり、戦敗国(特にドイツ)の賠償によって戦勝国の復興をはかる体制だったこと
・新興8ヶ国(フィンランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー・ユーゴスラビア)の独立は、ウィルソン米大統領の説いた民族自決の原則が認められたというよりはソビエト政権(社会主義)の西進防止という意味合いの方が大きかった(民族自決の原則についてはウィルソン「十四カ条の原則」の他にレーニンの「平和についての布告」も重要な資料となる)こと
[育鵬社教科書 p.214 資料より]

・戦勝国イギリス・フランスの猛反対で、ウィルソン提唱の民族自決はヨーロッパ列強諸国の植民地まで届かず、ドイツ植民地とオスマン帝国支配下にあった中東地域に留められることとなった(これがその後のパレスチナ問題につながることになる)こと
を確認しました。


特に、印象深かったのは、ベルサイユ条約でのドイツの賠償についてでした。
Yさん、「学校で教えていたときは、このときのドイツの賠償額は国家予算20年分の賠償額だったと例えていた」そうです。

払えるはずもない賠償を請求されたとわかりやすいですね!
さらに支払いが終わるまでの担保として生産地帯を占領されたそうで、ドイツ経済はムチャクチャ。ひどいインフレ状態になりました。

自分自身の学生時代にならった教科書では、リュックに札束を押し込んで買い物に行く、当時のドイツ国民の写真が載っていたことを思い出していました。

Yさんが言われた「ヒトラーは簡単だったと思う。」との言葉も納得でした。
『ベルサイユ条約があるからいけないんだ!』とドイツ国民の生活苦を全部ベルサイユ条約のせいにして、戦後の反省を壊すことをしたんですね。


[レジュメ3.4.5.6]





[資料4.5.6]




中国の歴史はよくでてくるものの細切れで、全体像がよくわからないままでしたが、今回のYさんのお話で、中国の専制政治からの民主化(=辛亥革命)と、そこにかかわってくるヨーロッパ列強諸国や日本の圧力がパッとイメージできるようになりました!
いくつになってもわかるとうれしいですね(o^^o)
(資料4ページの辛亥革命からお読みください!)



そして、教科書をみてみましょう!

育鵬社の教科書では、「64 ベルサイユ条約と国際協調の動き (p.214-215)」


東京書籍では、「3 国際協調の高まり」「4 アジアの民族運動」(p.202-205)


学び舎では、「(8)21カ条は認めない-日本の参戦と中国-」
「(9)パンを、平和を、土地を -ロシア革命と平和-」
「(10)独立マンセー-民族運動の高まり-」(p.208-213)



となります。

同じ範囲でも、育鵬社は2ページ、東京書籍は4ぺージ、学び舎は6ページと、記述の分量に大きく差がありました。


では、記述はどうでしょう?
(育鵬社 p.211)

(育鵬社p.214)

なぜ、ヨーロッパ以外で民族自決が実現できなかったのか
なぜ、中国で辛亥革命が起こったのか、よくわかりません。
山東省のドイツ権益を得たことも「引きついだ」とあり、恣意的に動いたことがわからないように書いてあります。

(育鵬社p.215)

三・一独立運動鎮圧以後、「よりおだやかな統治」とありますが、武断政治よりは穏やかになったが、朝鮮人のなかの分断はされた(Yさんレジュメ6ページ参照)ようです。

上の見開きページでわかると思いますが、育鵬社は「五・四運動」「三・一独立運動」の資料が小さく、

資料説明もわかりにくいです。

同じ絵を資料にしている東京書籍(p.204)はこちら。


そして、このコラム。

1919年のパリ講和会議で、日本が「人種差別撤廃」の提案をしたことが持ち上げられていますが、当時の日本人が中国人を差別しているのを忘れていると石橋湛山が指摘しているそうです。(資料2から3ページ)

東京書籍(p.202-205)





最後に、Yさんから聞いて驚きだったのが、育鵬社教科書にはパレスチナ問題の記述がなかったそうです。

東京書籍には詳しい記述はないものの、2箇所(p.255.259)にあります。

学び舎は、単元としてまとめてありました(p.278-279)




次回学習会は、8月9日(火)13時から15時

夏休み特別企画として、愛媛大学の川岡勉先生の講演会を行います。

ぜひご参加ください。



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