教科書採択を考える会ブログ

愛媛県松山市内の中学の歴史教科書が「育鵬社」版に変わるのを機に発足した会です。教科書比較の学習会も行っています。

第20回学習会報告

2017-08-30 17:06:14 | 学習会
第20回学習会は、2017年7月11日(火)13時より、参加者22名で行いました。

今回の学習範囲は、「朝鮮戦争と日本の独立回復」(育鵬社P.258-259)について。


☆GHQは、日本が再び戦争を引き起こすことがないよう、民主化と非軍事化政策をすすめていったが、この時期、GHQは日本の民主化と非軍事化を徹底することをせず、
右旋回をすることになった。いつ、どうして右傾化していったのかが学習の中心となった。


1. 冷戦がまず大きく影響した

 戦後間もなく、連合国としてともに戦ったアメリカとソ連が、それぞれの勢力を広げ資本主義陣営と共産主義陣営という形で激しく対立するようになった。
戦火をまじえた戦いではなかったので、冷戦と呼んだ。この冷戦の間に、日本のまわりで大きな変化が現れた。

中国では、中国共産党が国民党に勝利し、中華人民共和国を樹立した。朝鮮では、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が樹立した。
アメリカは、中国をアジアの協力者にと考えていたが、共産党政権が樹立したため断念した。そこで、中国に代わって日本をアジアの同盟者にと考えるようになっていった。


2.二・一ゼネスト

1947年2月、賃金値上げ・生活向上などを求めて、数百万の労働者がゼネストを打とうとするが中止させられた。これ以後GHQの政策が大きく右旋回する。
これを機に日本の反共の防壁にとか、再軍備させるとかの声明が、アメリカ政府から発せられ、共産党員や共産党支持者が組織や団体から追放された。
その一方で、岸信介ら戦争協力者たちの釈放が行われた。また、同じく公職を追放されていた人たちが解除となり、政財界の指導者として活動を始める。


3.朝鮮戦争

 1950年、朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本の再軍備化をめざし、警察予備隊(約7万人)をつくるよう指令した。
(警察予備隊は1952年には「保安隊」、1954年には「自衛隊」に名称変更した)


4.サンフランシスコ平和条約

 1951年、サンフランシスコ平和条約を結び、日本は独立を回復した。
しかし、同時に結んだ日米安全保障条約により、アメリカ軍はそのまま日本に駐留し、基地を自由に使用することができた。
日本の民主化は中途半端に終わり、アメリカは冷戦体制の中で、日本をアメリカの従属的同盟国にしていった。



☆二・一ゼネストの中止命令以降、民主化・非軍事化とは反対の政策がとられることになったが、このゼネスト中止命令についてどの教科書も記述がない。
この点に疑問を感じると参加者からも指摘があった。


☆学び舎教科書は、朝鮮戦争の悲劇や、この戦争にアメリカの指示で参加させられ犠牲になった日本人のことも書いてある。

また、サンフランシスコ平和条約は、全面講和ではなく回復できなかった国があったこと、そのため現在も北朝鮮とは国交が開かれていないなど詳しく書かれている。

 

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