教科書採択を考える会ブログ

愛媛県松山市内の中学の歴史教科書が「育鵬社」版に変わるのを機に発足した会です。教科書比較の学習会も行っています。

第17回 学習会「76戦時下の暮らし」「77戦争の終結」

2017-05-04 11:36:35 | 学習会
こんにちは、事務局Hです。

更新が遅くなってしまい申し訳ないですm(._.)m



第17回の学習会は、4月11日(火)13時から 参加者25名ではじまりました。

学習の範囲は、「戦時下のくらし」と「敗戦」。
呼応する教科書の範囲は以下の通りです。


育鵬社教科書
「76 戦時下の暮らし(p.238-239)」

「77 戦争の終結(p.240-241)」


呼応する範囲で東京書籍
「3 戦時下の人々(p.226-227)」

「4 戦争の終結(p.228-229)」



学び舎
「(10)赤紙が来たー戦時下の国民生活ー(p.242-243)」

「(11)餓死、玉砕、特攻隊ー戦局の転換ー(p.244-245)」

「(12)町は火の海ー本土空襲ー(p.246-247)」

「(13)荒れ狂う鉄の暴風ー沖縄戦ー(p.248-249)」

「(14)にんげんをかえせー原爆投下ー(p.250-251)」

「(15)本土決戦か、降伏かー日本の敗戦ー(p.252-253)」


チューターを引き受けてくださった元中学社会教師のMさんが、冒頭、
「学び舎の教科書を見てください!

戦争がどんなものであったかがすごくよくわかる!

私は、今日の学習会はこの教科書の記述を読むだけで充分だと思うくらいです。

“中学生に何を知らせたいか”という点でも、他社とは全然違います!」という発言から始まりました。




Mさん作成の資料は、学習範囲の年表を中心のものでした。



Mさんの指摘した教科書記述は3点。

①東京書籍と育鵬社は4ページで扱っている範囲を、学び舎は12ページに渡っている。

この単元の学習内容こそが歴史学習の目的であるという認識の上に立っていると感じ取れる。

また、学び舎では、政府は終戦まで国体維持の一点にこだわったことや、米国の原爆投下の理由についても書かれている。



②育鵬社では、天皇が「自分がどうなろうとも国民の命を助けたい」ので、終戦の裁断を行なったという資料(p.241)を載せている。

しかし、終戦工作をしているときに「もう一つ戦果を挙げてから…」という天皇の発言もある。

また、p.241に「敗戦当日、皇居前に集まった人々」という写真資料の下に

「多くの人々が戦争に敗れたことを天皇におわびしている」とあるがらいずれも一面的な資料の載せ方である。



③学び舎は、太平洋戦争がアジアに多くの惨害をもたらし、教育勅語の忠君愛国思想のもと多くの兵士が戦死し、

沖縄戦、空襲、原爆で多くの国民を死に至らしめたことを描けている。




意見交流の時間では、以下のような意見が出されました。

●2017.3.26付の朝日新聞の天声人語は、沖縄戦について書いてあった。

学び舎・東京書籍には「集団自決」について書かれていたが、育鵬社にはなかった。

日本軍の影響で引き起こった惨劇についてきちんと書くべきだと思う。



●数年前に対馬丸生存者の話を聞く機会があった。

“生きる力”について考える機会となったのでとても印象深く覚えているのだが、学び舎の教科書は、

その講演会を思い出すような具体的な記述だった。

「なぜあそこまで徹底した平和主義の日本国憲法ができたのか?」につながる悲惨な戦争の中身を

中学生にしっかりと学んでもらいたい。



●育鵬社のp.241⑦の資料は問題があると思う。

育鵬社は、日本軍の問題について一切かかれていない。

たとえば、p.239の17行目は自ら志願・従軍・自決したような記述がされているが実際は脅されていた。

東京書籍にはp.229の3行目「日本軍は…動員して…」

8行目には、「日本軍によって集団自決に追い込まれた住民…」とはっきり書かれている。



●育鵬社p.239⑤の特攻隊の写真は、初めて見るもの。

戦争を美化する材料にされがちな“特攻隊”には違和感を感じる。

戦艦大和も特攻隊のようなものだった。「沖縄は捨て石」と方針を決めた御前会議で、

天皇の「海軍は何もしないのか?」という発言から、海軍は片道分の燃料だけの特攻隊を考えた経緯を知ってほしい。

当時国民のいのちは粗末に扱われてた根底には教育勅語があることも同じく知ってほしい。



●学び舎を読んで思い出したのが、子どもの頃の思い出。

戦争中清潔にできないためシラミがたくさん出て、指で潰してた。敗戦のあと、DDTの薬が入ってきて消毒できるようになった。

「のらくろ」も当時、子どもたちのあいだで流行っていた。二等兵から上等兵に出世していくのを覚えている。

子どもに戦争を植え付ける材料になっていたと思う。

支那兵=ゲリラ(便衣兵)として描かれていたり、燃えている中国人にガソリンをかける描写を覚えている。
 


●育鵬社の教科書は、淡々と被害者目線で書かれていてひどいと思った。加害を全く認めていない。

育鵬社p.239の3行目からの記述は、

「爆撃は軍の施設や軍需工場だけでなく、国際法で禁止されている商業地、住宅地にも無差別に行われるようになり…」

とあるが、国際法で禁止されている無差別爆撃を最初にやったのは日本であることには全く触れていない(1939年 中国の重慶)。

「仕方ない」「貧しくても耐えた」「お国のために死んだ」とこういうことばかり書いている“日本人美徳の物語”のようで、

この教科書で学んだ子はどうなるのか?と不安に思う。




●育鵬社p.242の島田叡(しまだあきら)沖縄知事の記述は、物語性が強いと感じた。

当時、本土からきた官僚などは出張などと名目をつけて沖縄から逃げ出していた中で逃げなかった人であるが、

物語には光と影のどちらもが必要だと感じた。




●育鵬社のp.241資料⑦昭和天皇の発言について、「私は自分がどうなろうとも国民の命を助けたい」とあるが、

これはマッカーサーとの対談のときにも同じように書いてあり

(『マッカーサー自伝』:マッカーサーが年とってから自身の名誉回復のために書いたもので史実と異なる部分が多く、歴史研究では参考にできない本)、

史実として疑わしいと思っている。史実に基づいていない資料を載せている教科書を検定に通すとは何事か、という思いがある。


『実録 昭和天皇』を読んでみると、昭和天皇は天皇制を護持するとを目的としており、国民の命は二の次という人柄がうかがえる。

己の保身のために「沖縄を50年占領してもいい」と発言していたり、

敗戦国の天皇として、戦勝国イギリスの英国王へ手紙を出そうとして英国大使に止められている資料もあるようだ。



●育鵬社p241⑤の写真資料はみたことがあるが、「多くの人々が、戦争に敗れたことを天皇におわびしている」という資料説明はおかしい。

戦争に負けたことを天皇にお詫びする…という表現は、長く生きてきたが(笑い:80歳代の参加者の発言です)初めて。こじつけでは?と感じる。



●「ポツダム宣言」の資料の扱い方、育鵬社(p.240資料②)は大事な箇条が抜けてる。

日本国は生産を許されるが、軍事生産は一切ゆるされない…という箇条があり、そこが今の日本国憲法の平和主義、9条として残っている部分。

学び舎には資料として書かれている(学び舎p.252)が、東京書籍にも記載がない(東京書籍p.229資料⑤)。

(上:学び舎 下:東京書籍)


ビラを配布しました

2017-05-04 10:25:11 | 事務局日記


2017 5.3愛媛憲法集会にて、教科書採択を考える会のビラを配布させてもらいました。


森友学園問題について入学式のときに配布したビラを、デザインを少し変えてつくったものです。


思い返すと、裏面の「教育勅語」の原文の入力と、ふりがなをつける作業が一番手間だったのですが_:(´ཀ`」 ∠):、

入力しながら(間違えないように)何度も何度も声に出して読んでいる中で思ったことがいくつかありました。


ひとつは、漢文を読むと国語力が上がった気になるなと思ったこと。

ふたつめは、漢文表現は普段使わない表現が多く、大人でも理解しづらいということ。

みっつめは、理解していなくても暗唱はできるようになるということ(口に出していたら子どもの方が早く覚えていてびっくりでした)。

よっつめは、何度も何度も読んでいるうちに最初に感じていた違和感がわからなくなるということ、でした。



10年ほど前だから、一昔前になるのでしょうか。
齋藤孝先生の『国語力』に注目が集まり、漢文や有名な文学作品の一部を暗唱することが流行しましたね。

そのことをふっと思い出しました。

某子ども番組では、子どもたちが難しい文章など暗唱する姿が見られました(去年同じ番組をちょっとみたとき、一頃より難しさが和らいだ印象を受けました)。

暗唱している子は意味がわかっているのかいないのかは、画面をみている私にはわからないことですが、すらすら言える子がすごいなと思いましたし、暗唱している子どもからは一生懸命さと自信に満ちた表情を感じました。

何回も何回も練習して、言えるようになったんだなぁと思います(おしごとだったとしても大変だったことでしょう)。


私は専門家ではありませんが、この番組から
「子どもたちに語彙に溢れていた時代の日本語に触れてほしい」
「子どもたちに、ことばでの表現の幅を広げてほしい」
という意図を感じていました。

一昔前の子どもの暗唱ブームは、こういった想いから大人が主体で流行したものだと考えています。



同じ漢文表現でも、「教育勅語」が当時注目されなかったのはなぜか?を考えてみました。


たぶん、「表現を模倣できる文章では無いから」が理由ではなかろうかと思います。

何かを習得するときはまず模倣から、といいますが、
漢文的な表現をする際も覚えた表現のストックから
自分の表現に合うものを探してあてはめていくということからはじめると思われます。


でも、「教育勅語」の表現からは学べるところが全然ない。

だって、「教育勅語」は天皇陛下から少国民への業務命令なんですから。

私たちが「朕」という一人称をつかうことは、たぶん人生の中で一度も無いでしょう。


「教育勅語」の暗唱ができるようになった子どもたちも、達成感で自信に満ち満ちていたかもしれません。

でも、それが自分の表現能力を高めることにもならず、
大人のいうことをきくための道具になったり、
自分の自由を制限するものになってしまうのは、とてもかなしいことだと思います。