教科書採択を考える会ブログ

愛媛県松山市内の中学の歴史教科書が「育鵬社」版に変わるのを機に発足した会です。教科書比較の学習会も行っています。

愛媛新聞の投稿欄まとめ

2016-04-05 00:38:42 | 事務局日記
松山市教育委員会が2015年8月11日に育鵬社の歴史教科書を採択してから、9月から10月にかけて愛媛新聞に教科書採択に関する投稿が載りました。

年齢も立場もそれぞれの市民が意見を書いています。

あなたの意見はどれに近いでしょうか?

また、よくわからなかった教科書採択について、見えてくることがあるかもしれません。

ぜひご一読ください。

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2015.9.7付

「戦争美化 教科書採択に怒り」 松山市 団体職員(53)

 来年度から、松山市立中学校で育鵬社の歴史教科書が使われることが決まった。「新しい歴史教科書をつくる会」の流れをくむこの教科書には、過去の戦争を反省することは自虐的だという考えを基に戦争を美化する一面がある。

 私は10年ほど前、特攻出撃の直前に終戦を迎えた方の話を聞く機会があった。その方は「教育によって戦争に協力する人間がつくられた過去」と「現在も戦争できるようにするための歴史教科書が作られ、子どもたちに使わせようと画策する人たちがいることへの危惧」を繰り返し話されていた。

戦後70年を迎えて、「戦争法」とも呼ばれる安保法制が国会で議論されている今、そんな教科書が採択されたことに恐怖と怒りを感じる。

 私は武力に頼らず外交努力や海外支援、民間交流など、知恵と友情で70年間平和を守り続けてきた日本に誇りを持っている。戦争が必要だったかのように記述してある教科書を子どもたちに使わせないでほしい。


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2015.9.13付

「教科書採択 現場の声無視」 松山市  無職(63)

 松山市で先月行われた公立中学校の歴史教科書採択の審議を傍聴した。配布資料では学校報告書も採択委員会の意見も「東京書籍への支持が多い」と記載されていた。当然、東京書籍に決まると思ったが、育鵬社が採択された。

 学習内容についての議論はほとんどなく、無記名投票で4人が育鵬社を選び多数決で決まった。後日、情報公開請求をして学校報告書を調べると、育鵬社を選んだ学校はゼロでぼうぜんとした。私は元小学校教員だが、教科書採択時期の教員は学期末の成績処理や個別懇談で忙しい。

放課後や勤務時間外に教科書展示場へ出かけ、各社の教科書を読み比べて報告書を書くのだ。

教科書を熟読して授業に臨むのは現場の教師で、教育委員の方たちではない。

 今春の文部科学省の通知は、「(教科書採択は)教育委員会その他の採択権者の判断と責任により、綿密な調査研究に基づき、適切に行われる必要がある」としている。

今回の採択は現場教師の声を完全に無視していると思う。


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2015.9.20付

「子どもの将来重視し採択を」 松山市  塾講師(41)

 松山市の公立中学の歴史教科書が従来の東京書籍版から育鵬社版に変わることになった。非常に喜ばしい。適切な判断がなされたことに、一人の市民として関係者に感謝の言葉を述べたい。

 読んでみないと分からないだろうが、育鵬社版と東京書籍版の内容はかなり違う。後者はいわゆる自虐史観が貫かれた教科書だが、全社は日本人として生まれてきたことに誇りを持てる教科書である。

私は、松山の子どもたちは育鵬社の教科書で歴史を学び、一人の日本人として郷土や国家のために尽くせる人材になってほしいと願っている。それゆえ、今回育鵬社版をえらんでいただいたことに大いに感謝をしている。

 先日、本欄に教科書採択が現場教師の声を無視しているとの批判の声が寄せられた。採択でも最重要視されるのは子どもたちであって現場の教師ではない。

教科書採択はいつでも子どもたちの将来を考えたものであってほしいと思う。

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2015.9.20付

「教科書 教師の評価で選んで」 新居浜市  無職(77)

 来年度から県内の公立中学校で使用する教科書の採択が終了した。歴史教科書は育鵬社版と東京書籍版が競り合い、その様子が詳しく報道され興味深く読んだ。

結果は育鵬社版が県と4市町となり、昨年より増えた。

 採択の過程で気になることがあった。一つは採択の参考資料として重要な各学校の教員の評価結果が覆された自治体があったこと。

また、全国では育鵬社版の普及を呼びかける集会で「採択を」と国会議員の支援発言があったこと。

ある企業では育鵬社版の教科書を称賛する文書が配られ、社員が各地の教育委員会に採択を呼びかけるよう求められたという。

育鵬社版の採択を支援する大きな黒い影を感じるのは私だけだろうか。

 教科書は子どもにとって知識、思想の源泉となる資料集で、学習活動を助ける手引書でもある。指導するのは教師だ。

従って採択に当たっては教科内容を熟知し、子どもの実態をよく理解している教師の評価を重視してほしい。


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2015.9.28付

「教科書採択理由 説得力なし」  松山市 無職 (69)

 13日付本欄「教科書採択 現場の声を無視」を読み、急いで育鵬社版の歴史教科書を購読して松山市議会の傍聴に出かけた。

 3人の議員が採択の経過をだたしていたが、中心は「市内の中学校29校全てが選ばなかった育鵬社の教科書をなぜ採択したのか」にあったと思う。

教育委員会の答弁は「郷土の人物が取り上げられている」「総合的な判断」などというものだった。「郷土の人物」は他の教科書にも掲載されており、また、どのようなことを「総合的に判断」したのかも示されておらず、説得力がないと感じた。

全ての中学校の教師が選んでいない教科書を採決するのなら、よほどの理由が必要だ。

 20日付本欄には「採択で最重要視されるのは子どもたちであって現場の教師ではない」とする意見が寄せられた。

いささか現場の教師に失礼ではないだろうか。現場の教師はいつでも子どもたちの将来を考えて多忙な毎日を送り、教科書を選定しているのだ。


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2015.10.5付

「松山市の教科書採択に落胆」  松山市  主婦 (34)

 8月の教科書採択で、学術的評価が低く歴史認識に問題があるとされる育鵬社の歴史教科書を、松山市の市立中学校が使うことになった。

私は転出したい気持ちでいっぱいだ。採択の結果も不満だったが、その経緯にはもっと不満がある。

 市内29校中の多くが従来教科書を選び、教員による調査部会でも従来教科書への評価が高かったようだ。保護者と有識者らでつくる委員会でも従来教科書を推す声が多かった。

そして、「重視されるべきは現場の声」というルールがあるにもかかわらず、教育委員5人の多数決によって決定した。

9月市議会で、教育委員会はまともな理由も言わず、採択のやり直しも念頭にないという態度で、権限ある者の責任が全く感じられず、心底からがっかりした。

 この問題に関心がある層は少ないかもしれないが、見ている人は見ている。教育と名のつくところで仕事をするからには、子どもたちに見せても恥ずかしくない行動をとるべきだと強く思う。


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2015.10.5付

「教員に選択を委ねるのは酷」 松前町 公務員 (59)

 小中学校の教科書は税金で賄われる。負担するのは結局住民であり、その採択の最終的な責任は納税者に選出された者かその意向を反映した者が負わなくてはならない。

 本欄で「教科書選定の重点を現場教員や子どもに置け」との意見を散見するが、筋が違うのではないか。

教員は住民の選挙意思を体現していない。「日々教科書を使用するのは教員だからそれを優先させるべきだ」との声もあるが、それなら「安保法制には自衛官の声を反映させよ」という理屈になろう。

一般の教員は教科書審査に携わる委員の教員を選んだ覚えもなければ、誰が委員なのかすら知らされていない。教員意思を代表しているとは言いがたい委員の意見は参考程度にとどめるべきだ。

 特に歴史教科書は国益に深く絡む宿命を帯びている。善意ではあっても現場の狭い世界しか知らない教員にそのような選択を委ねるのは酷としか言いようがない。

ちなみに私も中学校で社会科を教える立場にいる。


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2015.10.9付

「教科書採択 教員意見参考に」  伊予市 無職 (67)

 5日付本欄「教員に選択を委ねるのは酷」はいささか乱暴な意見だと思う。確かに教科書を採択するのは教育委員会だ。だからといって採択にあたり現場の教員の意見を無視してよいということにはならない。

教科書採択に限らず、今の教育委員会は現場の声をないがしろにする傾向があるために教員が委縮し、学校現場でいろいろな問題が起きているのではなかろうか。

 私は育鵬社の歴史教科書がどのようなものか知らない。ただ、一部の政治家などが独善的な歴史認識を絶対的なものとし、強引に教育現場に押し付けようとするのは容認できない。

教育に求められるのは安定性と中立性だ。このために教育委員会がある。首長が代わるごとに歴史教科書が替わったのでは教育現場も子どもも混乱する。

 教育委員は教科書採択にあたって、首長の思惑を忖度(そんたく)したり、自らの主観によってはならない。現場の教員の意見を大いに参考にして決めるのは当たり前のことだ。


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2015.10.12付

「教科書採択に教員は不可欠」 東温市 無職 (70)

 教科書採択について、5日付本欄「教員に選択を委ねるのは酷」との意見を拝読した。社会科教員の経験から反論したい。

 曲がりなりにも教員はその教科の専門家であり、どのように教えれば生徒が理解しやすいかなど、部活動や事務処理に忙殺されながらも日々研修に励んでいる。

その研修を基礎に、その教科書が良いか各教科の教員で相談し、より良いと思う教科書を選ぶのだ。

他方、決定権者の教育委員には9教科の専門家はあまりいないのが実態だ。100冊以上になる9教科の教科書を、文部科学省通知のとおり「綿密に調査し、判断する」ことなど、ほとんど不可能ではないかと思う。

 国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)は「教員は教科書採択にあたって、不可欠の役割を与えられるものとする」と勧告し、文科大臣もそのことを国会で認めている。

また、世界をみても多くの国で教科書採択は学校または教員に委ねられている。