フツーの見方

フツーの論理で考えれば当然だと思うことが、なぜかマスコミでは出てこない。そんな意見を書き残しておきたいと考えてます。

政治家の資質 ~本音編

2009-08-31 | Weblog

選挙はお祭りじゃな~い。相変らず、開票速報に明け暮れたマスゴミ。
 お祭り好きの日本人は何となく票が開いていく経過がワクワクするようなので受ける(視聴率が取れる)のだろう。国民が少しでも政治に興味を持ってくれるなら良いのかも知れないが、熱狂するとすぐ冷めてしまうものだ。ワンパターンの万歳三唱(恥ずかしい)もこれで終わった感を促進する。実際は政権が決まってから後の方が、国民の監視が大事だ。選挙速報は盛上げないように当日の報道は禁止にした方が良いかも。
 少なくともこんな選挙速報のために人手や金をかけるより、「噂の!東京マガジン」で問題提起していたような過疎地での投票所の集約を止めさせることを優先すべき。(なぜかTBSのHPにこのネタは載っていない。ムダな噴水よりずっと重要なのに。)
 前にも書いたが、投票権は国民にとって最大の権利。制度的な問題によって投票権が行使できないのは憲法違反で論外だ。

さて本題。

 結果として民主党の大勝=過大な期待になったことで、むしろ遠からず人材不足が明らかになると思う。今の政治家に難しい課題を解決できるとは思えない。政治経済は心理的な影響が大きく単純なモデル化では予見できないからやむを得ない面もあるが、その‘本質的に正答が無い’ということが理解できているかどうか。真の問題点がどこにあるかすら分かっていないんじゃないかな。
 マスゴミも民主党マニフェスト(モドキ)の細目の追っかけばかり。これからの政治に必要な人材をどう集めるかが鍵なのに。

 日本のトップに立つべき政治家の適性について具体的に考えてみよう。
 現在のマスコミ論調やインタビューを聞いている限り日本人は政治家に対して聖人君主信仰を持っているとしか思えない。
 すなわち、金など欲しがらず、全ての国民のために、裏表無く、自分の身を犠牲にして尽くす、そんな人=正に聖人を望んでいるとしか言いようがない。自分ならできると考えているのだろうか。

 立候補するだけで基本的に仕事は辞めざるを得ず、当選できたとしても給与は大企業の部長程度で抜群に高いわけでもない。頑張って成果を出せば人より破格のボーナスがもらえるということもない。
 企業献金は禁止、かといって個人献金もしない。身分が固定するのはいけないので世襲は禁止。財産は全て明らかにし、資産が増えることは許さない。
 一方で、選挙区の住民の陳情は必ず聞き、あちこちの付き合いにも顔を出す。
 首相や大臣にでもなればスケジュールはぎっしり埋められ、オフでもマスコミには常に追いかけられ心の安まるヒマもない。国際情勢から国内の些末な問題まで質問攻めに合い、うっかり失言すれば袋だたきにされる。
 海外へも頻繁に出張しなければならず(時差は心身にこたえる)、そこで海千山千の各国指導者と渡り合わねばならず、丸く収めるため嘘も方便と思っても、やたら"正義"を口にするマスゴミと国民性から非難される。
 4年に一度は失職の危険があり、選挙活動では多くの議員が借金してまかなうと言われるぐらい巨額の費用が必要である。それで、もし落選した日には窓際どころか完全失業者として一から仕事を探さねばならない。
 そして下手をすれば、というより頑張って成果を上げた方が危険性は高いが、命すら狙われることもある。

 こんな役職を本当に頭の良い人が引受けたいと思うだろうか。ちょっと知恵があれば今の日本、合法的な金儲けの種はいくらでも転がっている。余程の非常事態(戦争とか超大災害)にでもならなければ、政治体制がどうなっても頭の良い人は切り抜けられるし、生活に困るようなことはないだろう。だとすれば、自分が大きなリスクを負ってまで国民のために働こうとは考えない、のが普通だ。(政治家の批判をするだけで自分は何の責任も取らないコメンテーターでもTVで顔を売って政治家より多額の収入を得ている人も多い。)
 となれば、この情勢で政治家になろうというのは、若くて志に燃えているがまだ知識も経験も少ない青年か、後援会という利益団体に祭り上げられウマミを吸うルートのある議員の後継者とか元役人、権益を持つ組織に守られた団体関係者(あやつり人形)、あとはとにかく人の上に立っていばりたいだけの自惚れの人か、知名度で担ぎ上げられ自分ができる気になってしまう有名人(名前で再就職が可能な人)、位になってしまうだろう。現場での実績はほとんどない人ばかりだ。
 そして当初は志で燃えていた人も金に困れば誘惑に負け、利権組織に取り込まれてしまう危険も出てくる。国民としては少なくとも政治活動に必要な資金は使途開示を前提に潤沢に与え、選挙は金がかからないようにネット活用を進めることは必要だろう。

 うーん、まともな政治家育成を望むならイギリスのように完全な政党選挙にした方がよいかも知れない。つまり政治家個人ではなく政党の方針だけで投票するわけだ。政策および政治家育成に関しては政党内で切磋琢磨して練り上げてもらうことを期待する。選挙は政治家個人はどうでも良く、犬でも当選できるといわれるシステムだ。
 政党の活動資金は基本的に税からまかなわれる。政治家個人が不正を起こしたら徹底的に叩いて辞めさせても良い訳だ。ただし集団運営は画期的なアイデアや抜群の指導力は生まれにくく、全般に効率は低くなる。
 それに今の日本の政党はそれほどの独自色を持っているわけではない。それは日本人自体が明確な主張(キリスト教で言えばカトリックとプロテスタントのような)を持っているわけでもないし、対立も少ない。政党選挙が育つためには議員が明確に政党に帰属しなければならない。曖昧な政党色では、議員もある時はこちらだが別の政策ではこちら、となると政党選挙が成り立たない。どこに政党の立脚点を見つけるか、実際に今の少数政党は苦労しているようだし。
 個人的には外交方針(主に米国との距離感)に違いを見つけてはどうかと思っているが明確な方針を打ち立てられる人材が今の政党にいるかな。

 アメリカ式に個人の資質に期待するなら、清濁併せ持つ有能者をリスクに見合った高額報酬で呼び寄せなければならないだろう。国民がその報酬を税金から払うのが嫌なら、その分は企業にまかなってもらうしかない。当然見返り無しに企業が金を出すことはありえない(社長が個人的な思いだけで会社の金を使えば株主に対する背任行為になる)のでその企業寄りの政策も打たねばならない。しかしトータルで見て、それで社会的にプラスだと国民を納得させれば支持が得られるはずだ。近視眼的に不平等は一切許さないという姿勢では成り立たない。
 アメリカや韓国の例を見ても政府が企業の後押しをするのは当り前となっている。自由主義貿易国の大企業では国内より海外との戦いの方がウエイトが高い。負ければ国の富が海外企業に流れるわけだから政府が支援することも国民に利の方が大きいという訳だ。当然国内での競争を阻害してはならないのでバランスが求められる。国民がヤリスギと考えれば政治家を変える、それが民主主義。

 いずれも、今の中途半端な日本の制度よりはましな人材が集まりそうな気がするが、どうだろうか。今のまま"政治の刷新"を進めると、もうタレント議員と組織関係者しか存在できなくなりそうだ。(あるいは、何のかんの言っても権力を握りさえすれば陰でウマイ汁を吸えるという策謀を持つ人とその手下。)
この先、日本でどうやって政治家となる人材を集める(育てる)のか。
 タレントに政治家を目指して勉強してもらうのが早道か?
 あるいは国営で政治家養成スクールでも作ってそこで人材をプール&育成するか。落選中はそこで講師でもしてもらうわけだ。この場合、大きく分けて政治家という職種に就職するということとなり、他の職種とは転職という感じで人材交換も計ることになる。潔癖な日本人が認めてくれるかな。

 残念ながら、政治家を育成する妙案はあまり思いつかない。元々必要となるジャンルも広いし現場を知らなければ机上の空論しか出せないので、下手に育てるより既に第一線で実績を上げている人材に政治の方へ来て貰う方が良いのだが、有能な人材ほど所得が減ったり不便が増える方が多いので、やりたがらないというジレンマだ。いっそ徴兵制のように無理矢理徴用する仕組みでも入れるか…やはり嫌々よりは喜んで働いてもらいたいから報償や待遇を良くする必要性が分かるだろう。

 議員報酬を上げるといっても今のように全員一律ではモチベーションが湧かない。人数あわせでかき集められたような人(イギリス式政党優先という意味で私はこういう議員の存在意義も認めて良いと思う)とこれまでの実績のある人の間で報酬に差を付けてもいいのではないだろうか。ということで議員にもボーナスや昇給を入れるのはどうだろう。問題は評価だが、一票の価値を全国均一にした上で、得票数に比例+通算年数+役職手当、のような感じで恣意的にならないようできるだけ機械的に査定する。…という案も思いついたが、議員のランク分け=選んだ有権者の格差と言われかねないので"何でも平等"が好きな日本ではやはり難しいかな。

 ともあれ、議員の汚職を防ぐには、陰で甘い汁を吸っているのがばれて表の報酬が得られ無くなったら割に合わないと思える程度の報酬は必要だと言うことである。
それで、こんなダメ議員に何で高額報酬払うんだ~と思ったら自分が立候補すれば良い。候補者が増え競争が起これば徐々にレベルアップが期待できるはずだ。そのために立候補の敷居はなるべく低くすべき。供託金没収という縛りを残しておけばあまりいいかげんな候補者もそんなに出ないだろう。民主主義の原則として、候補者の選別は公選法でなく有権者の手に任せるべきである。
 少し矛盾するが、同じ選挙区からの立候補には制限を設けた方が良いのかも知れない。現状あまりに地元還元を功績とする風潮がある。国会議員は本来国のために働くべきでちょっと間違ってる。ただ地方自治が進めば国の事業自体が減るので問題は無いかも知れないが。

 高額報酬を与えるといっても当然働きに見合う物でなければならない。今回のように2日在職しただけで一月分支払うというのは国民の常識とかけ離れているし、かえって意欲をそぐ。民間では当たり前の日割りにすれば良いだけで、民主党がそれすら出来ない様では先行き自浄効果は期待できないだろう。


 私は今の日本の政権でもっともハードかつ重要なのは外交だと考える。内政問題も多々あるが利益が日本の内にある限りはいつか挽回の可能性もある。外国にむしられたら戻ってこない。
 外交とは直接的な武器を使わない戦争である。きれい事じゃ済まない資産の奪い合いがその本質~情報操作や裏工作も当り前。相手が言った言葉には必ず裏があると考え真意を見抜き、先回りして逆に利用する~それが外交での戦争。
 イラク等の戦争支援、原油等の天然資源、CO2排出権、思いやり予算、etc. 本当の知恵者が当たらないとどんどん国益が海外に流れてしまうばかり。
 厳しい世界情勢の中で日本の利益を守っていくためには、日本の最高の頭脳を舵取りに充てる必要がある。

 ここ一世紀近く、日本発の技術や産業は世界中で認められ広く使われている。それでなぜ日本が世界の富の集積地になっていないのか。国民は今も貧しいウサギ小屋生活、それどころか最近はそれすらままならぬホームレス層まで増えてきている。結果が物語るのは、政治能力の差としか考えられない。
 世界初・世界一だった産業が他国にお株を取られ斜陽化している例も多い(メモリー類、パソコン、携帯電話、青色LED/LD、薄形テレビ、等々)。これら国の資産がなぜ守られていないのか。少なくともこれまで通りの米国言いなり政策を続けるようでは絶対浮上できない。日本独自の立ち位置を主張し相手にも譲歩させることが必要だ。外交では沈黙は金ではなく、相手の言いなりとなってしまう。

 ひょっとして、日本人は謙譲の美徳で、自分たちが栄えるより世界の発展に貢献できれば精神的に満足できると考えているのだろうか。ボロは着ててもココロは錦。…本当にそれでいいのかな。

(余談)
 特に不思議に思うのは経済の常識からは外れるゼロ金利政策が日本では長く続き、さして不満の声も高まっていないこと。選挙の争点にもなっていません。実質、国民資産の吸上げなのにスゴイことです。
 今でも少しはましな利息を取る手段はあります。ネット系の銀行なら1年定期で1%位の金利を提示しています。もし都市銀行やゆうちょ銀行(年0.15%)に定期を作っているなら、こういった銀行に移し替えるだけで100万につき8千円は差が出ます。振込手数料もバカになりませんが、ネット系では月数回は無料の所もあります。一回に数百円は、利息と比較すれば無茶苦茶な高率です。細かいようですが面倒だからと諦めるなら多分いつまでも金は貯まらないでしょう。
 ちなみにリターンには必ずリスクが伴います。金利が高いのは一般にその銀行の信用度が低いというリスクの反映でもあります。しかし預金保険機構に入っている限り1000万までは補償されるので破綻しても損はしません。ただ破綻後しばらくは自由な引き出しができない可能性程度ですから余裕資金であれば十分低いリスクと言えましょう。
 サラ金の宣伝で「ご利用は計画的に」と言ってますが、計画的に考えられる人ならサラ金で借りるという解はまずありえません。昨今の判例で低くなったとは言え10~15%と預金金利と比べたらべらぼうな利息です。借金を我慢してその分10%利息の預金をしたと考えればスゴイ金利商品だと分かるでしょう。
 クレジットカードのリボ払いも同レベルです。一括払いにしないと大損ですよ。
 こういったことの組合せだけでも年に数万円は違うのではないでしょうか。

 資産運用ではリスクとリターンは大体比例します。しかしそれは、勉強して自分が取れるリスクの程度を理解できればそれに見合ったリターンを得ることもできると言うことです。また勉強することで"大体比例"の中でも多少有利なモノを選択することもできます。何も考えないのが一番ハイリスクです。


(参考)

Electronic Journal ~「オバマの正体」シリーズ~
http://electronic-journal.seesaa.net/

 オバマ氏も聖人君主じゃない。それでも国益という意味では日本よりはるかに有能な政治家だろう。ただアフガン問題の方針に関しては完全に見誤っていると思う。どう考えても勝ち目が薄い。続ければアメリカ自体の衰退のキケンもあり得る。大丈夫だろうか。

寺島実郎・日本総合研究所会長に聞く
「戦後外交」との決別を (杉山 俊幸)2009年8月

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090820/203028/

【今こそ異説異論】 体重計のタニタの会長が語る「ニッポン税金ダイエット」 (篠原 匡)2009年8月
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090825/203262/

新政権は米国と対等に付き合える外交力を磨くべきだ (森永卓郎)2009年9月
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090831/177671/

いつもの恫喝が始まった (田中良紹)2009.9
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0909_001
 アメリカと敵対する事は全く愚かなことだが、言いなりになる事はそれ以上に愚かである。世界最先端の少子高齢化を迎える日本には真似をすべきモデルがない。これからは全て自分の頭で考え、生き残る知恵を出さなければならない。


※これら筆者の方々も多分(麻生氏のような金持ちは別として)大多数の政治家より高収入じゃないかな。

 

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今回は歴史の分岐点!政治を考える絶好の機会

2009-08-28 | Weblog

 いかにも末期のあがきという感の自民党内ドタバタ騒ぎは麻生氏の押し切りで終りました。
 政治の名門を自負する麻生氏としては、選挙の勝ち負け以前に、総裁から引きずり降ろされる不名誉は我慢できなかったでしょうし、何としても自分の手で解散して名前を残したかった、ということで本人としては勝利のつもりでしょうね。これに関しては下記の記事が的を射てるかな。
まぁ国民にとっては、自民党の人材不足の実態を世間に晒した点と政治を考える時間をやや長めにくれたことは貢献だったかも知れません。

<麻生首相>「じいさん」の無念晴らした? 7月22日 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090722-00000044-mai-pol
 「じいさん」の無念を晴らした格好だが、その結果は世論の支持も党内の求心力も失った「最悪の時」(金子一義国土交通相)の解散・総選挙となった。(故人は敬称略)

 二大政党下での選挙というのは基本的には単純で、前政権に満足できれば与党、不満なら野党に投票するだけのことです。今回はこれまでの長期政権に対する国民の不満が貯まりに貯まっているので、もう放っておけば民主党政権実現は間違いない雰囲気でしょう。
しかし、例によってマスゴミが300議席間違いないだとか無責任な煽り記事を流しています。報道は事実のみを伝えれば良いのであって無責任な予想など必要ありません。予想を外したら責任を取る覚悟があるのでしょうか。国民も一党に議席を与えすぎる害は身にしみているでしょうから、圧勝と言えば逆バイアスがかかるだろうということで与党応援の意図でしょうかねぇ。

 とはいえ断然有利な情勢で鳩山氏も何を焦っているのか、党にとっても国民にとっても利のない発言をするのは不思議です。
 例えば、マニフェストが実現できなければ政権を降りるというような発言は、国民の判断を仰がず途中で放り出すと言っているに等しく、かえって無責任でしょう。
 "霞ヶ関解体"一つ取っても一期で完遂出来るとは思えません。取りあえずやらせてみるというのが現在の大多数の国民の心境だとして、次期も任せるかどうかはその時点での国民判断に依るべきで、やってみて簡単には出来なかったらもう止める、のかと言う印象を与えます。

政局LIVEアナリティクス (上久保誠人)
◆マニフェストで迷走する民主党は「脱官僚」の単一争点で勝負すべし
http://web.diamond.jp/rd/m418393
 史上最長の「総選挙前哨戦」の中、民主党は様々な批判を受けてマニフェストの修正を繰り返している。私は、民主党はこれらの批判に過敏に反応せず、むしろ「脱官僚」の単一争点選挙に持ち込むべきだと考える。

 一方で、麻生氏も相変らず失言が多いようですが、この時期にわざわざ国民を敵に回す意見を本気で言う訳もなく、所詮言葉を大切にしていない政治屋の放言に過ぎないので一々ニュースで揚げ足取りする価値も無いように思います。聞き流してあげましょう。
年寄り世代は仕事しか能がない、という意見もそれなりに理解できます。要は人にとっては生き甲斐を持つことが大事なので、いわゆる"趣味"を持たない高齢者にとっては"仕事"こそが生き甲斐になることも多く、仕事を続けさせてあげることも幸せではないか、と私も思います。
 同じ内容でもうまく伝える演説の技が政治家の真骨頂のはずなんですが…。


 さて各党の単に政策をリストアップしただけで理念を語らないマニフェスト(モドキ)は実現性を保証されている訳でもないのであまり議論しても意味がないでしょう。一説には自民党のマニフェスト(モドキ)は大半が前回と同じ内容だとか…。それで"実行力"を主張するとは心臓だけは強いようで。

 本来のマニフェストは細かい政策を縛るものではなく、長期にわたる大きな方針、政治理念を語るべきものです。その理念実現のための具体策は、その時点で最適な案を施政者が考えて実行すべきものです。将来の世界情勢など予測できるわけもなく、個々の政策を今の時点で縛ってしまっては諸外国に足元を見られるだけです。

 マニフェストの具体例として、大前氏が2003年に書いたというマニフェストを公開してました。一度は読んでみて下さい。

「わたしのマニフェスト」を一挙公開 (大前研一)2009年8月11日
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090811/173831/
 マスコミや識者があたかもマニフェストを政党による公約集であるかのごとく縦横斜めに切り刻んで解説しているが、全く意味のない作業である。制作する政党自体(あるいは委託された広告代理店など)にとってマニフェストとは「思いつきアイデア集」、あるいは所属有力議員の「持論集(民主党は表紙にINDEX2009と書いているが、このタイトルではまさに索引、見出し、と自ら認めているようなものだ)」にすぎない。全体を貫く思想も哲学もないし、日本をどういう国にしたいのか、あるいは国民生活のどこにどのような問題があり、それをどうしようとしているのか、が見えない。

 基本理念の記述は実にすばらしい。それに私が考えてもいなかった細かい具体策まで詳細に書いてあります。一方、具体策ではいくつかの異論や書き過ぎじゃないかと思える点もあります。でも大筋では賛同できます。
 こんなマニフェストは今の政治家には思いつくことも出来ないし、フォローも出来ないでしょう。(小泉氏が読んでいないと言ったのは方便で、自民党で通る訳がないので諮るまでもなく没にしたのでしょう。)
 国民側でも旧い体制にはまっている人には受け入れ難い案だし、実行段階に於いても旧い体制を改革していくためには抵抗に負けない有能な人材が多数必要になるのが難関でしょう。
現在の政治家にそのような人材が不足していることはみんな感じているようです。

民主第一党でも不安。人材不足が最大の問題
シリーズ「政界ガラガラポン」(2) (吉田鈴香)2009年7月
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090713/199907/?P=2
 選挙期間中に、全省庁の局次長以上、省庁の地方の出先機関のトップ、大使も含め、具体的なポストを提示して公募する。いわゆるポリティカル・アポインティーだ。

 現状に不満があり、それを改革しようとするなら、理想となるビジョン+現実の把握+ビジョン実現の行程表、それらをまとめて考えておく必要があります。
 私としては、とにかく理想の実現には新しい政治家、本当に智慧のある者達に政治に参加してもらう必要がある考えます。
 従って、まずやるべきことは本当に頭のいい人達が政治家になれる道を拓くこと、また、なりたいと思える仕組みを整えることが第一歩です。今回の選挙は最低限それが実現できれば十分とさえ思います。
 その上で、国民の正しい選択により、旧い政治屋集団から智慧のある政治家の集合に権限を移行させ、その人たちに改革を実行してもらう、という手順になります。
 非常に長い道のりになりますが今まで国民がサボってきたのだから仕方がない。民主主義とは基本的に非効率で時間がかかる、国民にとって負担の大きい制度なのです。だから有能な専制君主が統治してくれると国民は一番楽できるのですが、有能な専制君主は続かないのは歴史で証明済です。日本ももはや国民が政治家を育てる努力をすべき所に来たと考えます。

 国家の指導者を誰もが尊敬していないどころか自分より頭が悪いと思っている、そんな国が厳しい世界情勢の中で生き残るのは不可能です。日本の舵取りを委せるのだから日本の最高の頭脳を充てるのは当然でしょう。
 漢字の読み間違い程度を非難するつもりはないですが、失言を発して誤解を招いたので訂正する、なんてのは言葉を売り物とする政治家としては最低です。つまり誤解を招く可能性のある表現に気付く頭が無かったと証言している様なものですから。本当に智慧のある人なら原稿はブレーンに任せたとしても事前に十分下読みで調べるでしょうし、自分の知らない単語は修正させるでしょう。

 ということで、私が今回の政権に期待しているのは、とりあえず公選法の改定です。選挙改革は現行議員にとっては手がけ難い項目ですが、今は極めて流動的で誰もが次の選挙で落ちる可能性があるため、ひょとしたら改革すれば自分に有利かも知れないと思ってくれたら実現可能性もあると思います。各党がヤル気を見せているネット規制の解除等はその一歩です。
 逆に、民主党の言う比例区定数削減は党のエゴで、国民としては間違いだと思います。現時点ではむしろ政治家の定数は増やす方がましだと考えます。
 狙いは、智慧のある人材が政治家になりやすくすること、国民の一票の価値を等しくすること、です。
 そのためには議員給与は日本でも最高給レベルが必要ですし、政治活動費は大幅に認めるべきです。政治家の給料なんて国家予算が正しく使われるためなら僅かな投資です。
 それに人間一人が理解できる分野なんて限られます。国のあらゆる問題に対して自分なりの判断をするためにも政治家にはブレーンや事務スタッフも必要です。国の総予算の1%位は予算の監督・管理のための費用として議員歳費に充てても問題は無いでしょう。ただし透明性は絶対必要で、使った活動資金の使途は全額報告は当然のことです。

 とにかく有能な人材が立候補しやすく、金や後援会が無くても当選できる体制が必要です。サラリーマンや自営業者が会社を辞めないでも(休職のような形で)議員になれること、女性比率が増えること、が必要です。真の国民の代表なら国民の縮図になるべきで、サラリーマンや主婦の意識を持った人がいない方が不自然です。
 大体、会社を辞めないと自社に有利な判断を下すからダメというのは選択する国民をバカにした話です。一部企業や団体だけに利益誘導しているとか賄賂を貰っていると国民が判断したら落選させれば良いのです。企業献金も法律で禁止すべきものではありません。個人献金の環境が整っていない日本では政党助成金のようなバカな話になってしまいます。これこそ政党政治家と個人政治家を差別するもので憲法違反ではないでしょうか。あえてやるなら得票数比例で落選した候補にも配分する方が国民の意思に沿うはずです。
 世襲の禁止というのも党則で決めるのは勝手ですが、被選挙権は憲法上の権利でもあり、法律で規制するものではないはずです。これも本人に能力がないと思えば選挙で落とせば良いだけの話。ただし、現状のように金や地盤を子供が引き継げるのは不公平競争になるので、世襲に限らず同一選挙区からの連続立候補禁止のような規制はあっても良いと思います。

 そもそも民主主義とは利益誘導が基本です。あくまで自分たちにとって利益になる政治家を国民が多数決で選んで代理として働いてもらう(そのために寄付=資金援助もする)ものです。最終的に金より票がモノを言うので企業(法人)より国民(個人)が優位に立つ仕組みになっています。もし金で票を売買したら違法ですから警察が摘発すれば良いことです。同時に罰として選挙権/被選挙権の停止もありでしょう。
 このように、投票権は国民にとって最大の権利ですから公平性も自動的に担保されるべきです。票の価値に差があれば多数決の原則を歪めてしまいます。現状、定数削減では話が進まないというなら、一時的に定員増であっても、まず公平性を確保すべきです。
 最終的に賢明な政治家が増えれば効率を良くするような仕組みに移っていくでしょう。今の所、道州制が有望そうですが今後の知恵者次第です。道州制自体が目標ではありません。

 政策の正否は、その結果が社会全体としてプラスになるかどうかです。どんな政策にも必ず得する人と損する人がいるでしょう。全ての面でプラスになる政策はあり得ないと思います。マイナス面を含めて、進めた方が社会全体として良くなると過半数が考えたらOKというのが多数決による民主主義です。
過半数が賛同すれば大体正しい選択になるという前提なので、国民レベルが低ければそのまま日本の沈没につながります。政治家の甘言やマスゴミに騙されないよう国民も常に勉強が必要です。政治に興味がないとか棄権するなんて論外です。民主主義はすぐには変われません。でも長い目で見れば国民の意思が反映されます。ビルマ(ミャンマーは軍政の呼称)や北朝鮮でない事を幸せと考えましょう。


(参考記事)

「マニフェスト選挙」を叫ぶインチキ (田中良紹)2009.8.3
http://news.www.infoseek.co.jp/special/shuinsen2009_j-is/commons08_002

総理一年の使い捨て (二見伸明)2009.7.13
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0907_013.html
 「麻生おろし」は、自民党内の、なんとか自分だけでも生き残りたいというご都合主義に他ならない。首をすげ替えれば、支持率が急上昇するという考えほど、国民を愚弄するものはない。

 自民党の発想の救い難さは、日本国の大黒柱のはずの総理大臣を、タレントと同質の「選挙の顔」としてしか認識していないことである。裏を返せば、国民の声や、最近では希少価値になりつつある政治家の見識など、受け付ける気の毛頭ない強固な「霞ヶ関軍団」が一から十まで面倒を見てくれるから大丈夫という依存心と安心感があるということだ。

 「霞ヶ関改革」と「地方分権(=地方主権)」はセットである。キーワードの一つは「補助金」である。「霞ヶ関」は補助金をちらつかせて地方自治体を支配下に置き、自民党議員は「中央から補助金をとってくる」ことで、選挙地盤を維持してきた。小沢一郎の持論「補助金制度を廃止し、地方の自主財源にする」は「霞ヶ関改革」の真髄であり、地方分権のエンジンである。

政治とカネの本当の話 (田中良紹)2009.3
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0903_007.html
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0903_011.html
http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0903_021.html

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BSドキュメンタリーを観ましょう

2009-08-15 | Weblog

 これまでも散々書いてきたように大手マスコミの報道にはガッカリさせられることが多く、つい最近でも「裁判員裁判」の不必要なライヴ実況とか酒井法子夫妻の過剰な報道とか、NHKですら総合ではニュースがワイドショー化している有様を観て、やはりマスゴミはどうしようもないと感じてます。
 国民の興味半分と真のニュースバリューを区別するのが報道者のセンス(品格)だと思います。そして、ただ情報を垂れ流すのはむしろ無責任で、報道には何か訴えたいモノがあるべきです。そういう意味で完全に中立な報道はあり得ないと思います。…下手にやると政府から横槍が入るから難しいでしょうが。

 それにしても終戦の日だというのに NHK以外の放送がほとんど戦争に触れないのが今の日本の状況なのでしょう。つまり戦争話では視聴率が取れない=国民の関心が向いていないとしたら、将来の不安の種です。
 戦争を起こしたのは一部の軍部だけの責任ではなく、国民全体の潜在的な意志~国民が本気で嫌がれば止めることが出来たものと考えてます。そう言う意味で、戦争で死んだ人も全く罪のない犠牲者とは言えないと考えています。実際多くの戦士を(他者および自己の)殺人に向かわせたのは万歳で送り出した人々の力でもあります。(過去に向き合い反省し続けることは被虐史観とは違います。戦勝国だって多数の殺人の罪が免責されないことも当然です。大事なのは未来にどうつなげるかでしょう。)
 ただし国民に冷静な判断を下せる情報が無かったとも考えられ、情報を提供してこなかったどころか誤った情報を流し続けたマスコミには重大な責任があるはずです。視聴率が取れないからと言って報道をしないマスゴミに社会の木鐸の資格は無いでしょう。

 一方で、NHKもBSになるとまるで治外法権かのように、良質ドキュメンタリーや報道特番を放映しているので感心させられます。(政治家や官僚はBS観てないのか、視聴者が少ないと黙認してるのか。)
 淡々と体験者の発言を並べる構成は、単なる善悪論ではくくりきれない戦争を振り返る方法としてはオーソドックスながら、十分考えさせられます。
 ただ、こういった放送をBSや深夜枠だけで放送しているがもったいない限りです。どうせ答えのでない妙な討論会より、事実の冷静な積み重ねこそ報道だと思うのですが、これが今の国民レベルなのかなぁ。

 あと、やはりBSで放送された戦時中のフィルムをカラー化したドキュメンタリーはスゴイ出来で、まるで映画の一部から取ってきたのではないかと思われる鮮やかな映像は驚きでした。ヒトラーの映像や日本軍の映像もカラー化され、感覚の方が追い付いていかなくて、どうしても違和感(作り物じゃないか?)が残る程。フランス共同制作なのでヨーロッパ中心のまとめ方でしたが当時の状況がリアルな映像と相まって分かりやすくなっていたと思います。特に、映像で観るとどこの国の兵士も(ヒトラーでさえ)個々の生きている人間なんだと感じられるんですよね。それが次の瞬間には平気で銃を撃ち、あるいは爆撃で傷ついたり死んだりする、、、文字や写真では伝えきれない情報量があります。
 観られる機会があればぜひ観てみると良いと思います。こういったモノはやはり大手のマスコミでないと作れない。日本も頑張って欲しい。いい加減バカエティにも飽きてイイ頃だと思うのですが。

 今や、私も含め大多数の日本人は戦争を体験していないと思いますが、世界ではまだ戦争は現実です。
 とにかくどんな形でも過去の体験を風化させちゃダメですね。

※実は「戦争」という言葉が甘いのかも知れない。しばしば、戦争だったから仕方がない、と言われます。相手に個人的な恨みもないのに殺したり殺されたり…個人にとって何が仕方がないのでしょう。
 例えば、大量殺人による国家間(あるいは集団間)の紛争解決手段、と言い換えたら少しは実態が伝わるかも知れない。「戦争に勝った」というのは、相手より大量(効果的)に殺人して屈服させた、と置き換えよう。それが事実です。


PS. 終戦記念日に、加川良の『教訓Ⅰ』 を流すぐらいの度量とウイットがある局があればほめてあげたい。

PPS. 酒井事件がNHKで報道された件について興味深い記事がありました。

【由利太郎のディープインサイド】vol.13
"のりピー"異例の追跡報道は「押尾学=政界ルート」のスケープゴート!?
http://www.cyzo.com/2009/08/post_2546.html

 まぁネットのニュースは話半分ですが、パチンコ業界が警察の天下り先というのは有名な話ですから、あったかも知れないと思わせる話です。大体警察がギャンブル業界に天下るのは庶民感覚からするとやはりオカシイですよね。

◎紹介したドキュメンタリーの再放送があるみたいです。
 BS1 8/19~21、ぜひ観てみましょう。NHKオンデマンドでも観られるようですが。

シリーズ戦争と平和 よみがえる第二次世界大戦~カラー化された白黒フィルム~
http://www.nhk.or.jp/frontier/warandpeace/0816.html

 第3回に関しては衝撃的な映像が頻出します。アウシュビッツ映像は多分わざとモノクロのままになってますがそれでも十分キツイです。覚悟して観て下さい。  しかしこれらは事実だったのです。

オマケ。
 NHKでは教育テレビで深夜でたまに観る高校講座も大変面白いです。特に地理・歴史・理科が秀逸で、適宜リアルな映像が挟まれるので非常に分かりやすいです。文化の背景もつかめるので国際ニュース理解の参考にもなります。
実際の高校でこんな授業やってくれてたら私も苦手にならなかったかもなぁ。
 (数学・英語は平凡でイマイチ。 …個人の感想です。)
 ちなみに、英語で感心したのは「ハートで感じる英文法」のシリーズ。英語を使う人は一度は観るべき。授業で絶対流すべきだと思う。
 I have a pen. のナンセンスさが理解できます。

コメント
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