フツーの見方

フツーの論理で考えれば当然だと思うことが、なぜかマスコミでは出てこない。そんな意見を書き残しておきたいと考えてます。

暗黒国家 (2)

2010-02-22 | Weblog

 2/17に原口一博総務相が全省庁を対象に裏金の調査に着手すると述べたそうで、これ自体は全く正当で大いに声援したい所です。ただ、どうやって調査するのかが難しい問題です。自主申告や内部調査では見つかるわけもなく、かえって「検察の裏金の存在を否定した政府答弁書」の様に免罪符にされかねません。果たして対案を持っているのか、要注目です。

 さて、ちょっと調べただけで、“取り調べという名の拷問”の被害報告が山のように出てくる。ここに取り上げたのもごく一部だ。しかも似通っている手口が多い。ということは、単なる個人のヤリスギではなく組織的に伝えられている手法であろうことが推察できる。
 しかし、こういった情報がネットでは大量に流れているのに検察が握りつぶしにかかっていないのは大手マスゴミは取り上げないと“解っている”からとしか思えない。

「神奈川県警」取調室で「拳銃発砲」被疑者死亡の『戸部署事件』から10年 (津田哲也)2007/11
http://news-tag.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/10_28b7.html

 ここに提示された証拠からはどう見ても警察官の仕業としか思えない。警官が殺すメリットは多分薄い(真相は不明)ので冗談半分で銃を向け“自白”を強要している内に暴発したといった様な線が疑われる。密室しかも警察署内で証拠隠滅済とあっては普通手が出ないと思われるのによくぞここまで追究したモノだ。事実は自ずと現れるということであろうか。

NPJ通信 「志布志事件とは何であったのか──“えん罪” の構図とメディアの功罪を問う (上)」 (木村 朗)2008.12
http://www.news-pj.net/npj/kimura/003.html

権力者を処罰せよ。司法改革まったなし (田中けん)2009年06月
http://www.t-ken.jp/diary/20090621

「獄中記」 (戸塚 宏/飛鳥新社 出版部)
第二章 取り調べの日々

http://totsuka-yacht.com/goku3.htm

 有名な「戸塚ヨットスクール」事件の被告側からの記録。
すごいリアルさで「読み物」としては面白いが、自分がその立場になったらと思うと、もうホラーとしか言いようがない。
 勾留といい報道といい正に精神的暴力。"暴行事件"の方の真偽は個人では判りかねるが、これほどの劣悪環境に長期間置かれてなお本人やコーチが頑として罪を認めていないとすれば相当な"信念"があると言わざるを得ない。
 私も当時は報道からまあ多少は暴力もあったろうと思っていた。で、その後は…当然忘れてた。

 私が実際に会ったことのある現場の警察官は大体まじめで、多分に事務的(事件解決より報告書作成のための調査といった印象)ではあったが、悪い人とは思えなかった。報道した記者達も個々人は多分家庭では良識ある大人なのであろう。
 それが組織人になると裏ではこんな弾圧行為に荷担していると思うと暗澹たる気分になる。記事を書いた記者は当然その出所や意図が分かっているはずだ。個人として恥ずかしく思う所はないのだろうか。平気で裏表を切り替えられる様になるのがプロなのか。

福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る~“地獄”から生還できた(上) (日刊ゲンダイ 2010/01/26掲載)
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1198.html
福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る~検察の暴走と恐怖(下) (日刊ゲンダイ 2010/01/27掲載)
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1199.html

 検察のでっち上げと過酷な取り調べの様子は到底法治国家とは思えない。もしこの記事の内容が全くの創作だとしたらすごい想像力だ。十分小説家になれる。
 なぜ標的にされたかと調べたら、佐藤栄佐久元福島県知事はプルサーマルに抵抗していた、かららしい。官僚にとっては国家の方針に反逆する大悪人に映ったのだろう。

 有名なリクルート事件も形式的には有罪で終っているが、内容を見ると何が違法だったかハッキリしない。有罪でも執行猶予が付いた判決をもらえば、実質無罪放免と同じで、被告にとってそれ以上争って苦しむ理由はない。当時の「マスゴミによる世論」では無罪で済む風潮ではなかったから当然控訴しないだろう。検察のメンツを守るために出した判決と言って過言ではない。

 無償で株を供与すること自体、江副氏にも賄賂的意図はあったかも知れない。しかし、当時は広く行われていたもので特別に違法に問えるような内容ではなかっただろう。
 民主主義制度ではもともと献金と賄賂に境目はない。間接的にしろ見返り(自分の希望の実現)を求めるから献金するのだ。あえて区別するなら単独で影響力を発揮できるほどの額かどうか程度の違いだろう。本来それが明瞭に定義してあれば犯罪を問えるが、線引きのない当時に行った事を、後からこれは賄賂だと言って取り締まるのは法治国家ではない。(金のかからない政治をどう実現していくかはまた別の項で考えましょう。)

  リクルート疑惑事件
http://www009.upp.so-net.ne.jp/yosi_woods/recruitjiken.htm
 「気が狂うような取り調べで、拷問は今なおあると感じた」。1989年12月の初公判で検察の捜査を厳しく批判。その後、計38回行われた被告人質問でも、「私の意に反する調書が次々と作られた」と無罪を主張し続けた。

 今回、江副被告に執行猶予を付けた山室裁判長は、判決理由の中で「(リ社の政治家や官僚への)接待や贈答は、少なくとも当時は、社会規範を著しく逸脱する行為とは考えられていなかった」と述べた。

リクルート事件の真実 ― 葬り去られた稀代の経営者・江副浩正 ―
http://www.sinkan.jp/special/recruit/index.html

 この中の「司法問題の穴―取調べの真実―」の項に現代の拷問の実態の一部が書かれている。被告側の一方的な著述ではあるが、ここに書かれている内容はとても想像で書けるようなものではない。想像してるだけだと寧ろ大した脅威には思えないからだ。実体験したからこそ真の恐ろしさが書けているのだと思う。
それが自分に行われたら、と少しは想像してみよう。
 全裸や土下座といった行為で相手の人格をまず徹底的に打ち壊して自信喪失させた上で脅したりすかしたりで自分たちの言う通りにさせる、というのは某宗教団体でも行われた洗脳の常套手段だ。こんなのを落としのテクニックなどと考えてもらっては困る。

 「密室の代用監獄」に勾留され過酷な取り調べを受け続けるより、罪を認めて「人権にも配慮された刑務所」に入った方が楽だという刑罰の矛盾が冤罪発生の根本だ。つまり現在では有罪判決を受ける前(推定無罪)の方が過酷なのである。こんな国がまともだろうか。

 こんな無法に対抗するための方法を敢て考えてみる。
 被疑者("容疑者"はマスコミ語)にも当然基本的人権がある。警察官だろうと検察官だろうと被疑者の意に反する命令をする権限はないので、どんな“命令”を受けようと無視して良い。そして、変な“誘導”をされない様に(自分が主張したい点以外は)黙秘を貫くこと位だろうか。
 言うは易いが、取り調べ現場で実行するのは相当勇気が必要だろう。現在の密室取調室内では何が起きても「逃げようとしたから取り押さえただけ」と口裏を合わせられたら証拠は出てこないので“見えない暴行”を受ける覚悟は必要かも知れない。少しでも乱暴行為があったら弁護士を通じて大げさに世間に訴えておくことだ。その後で怪我をすると警察側も疑われるので多少危険が減るだろう。反抗すると危険を増すので無抵抗不服従というのが基本だろう。
 後は狭い密室の代用監獄でも平常心を保てるように座禅や瞑想の訓練でも積んでおくことと、実例にあったように、病気を持っているとまともに治療が受けられず命に関わる(病死なら取り調べとの因果証明は難しい)ので健康は一番大事だ。

[参考] 推定無罪/取調受忍義務/公務員職権濫用罪 (Wikipedia)
判例では、ここでいう「職権」とは、必ずしも法律上の強制力を伴うものであることを要せず、それが濫用された場合、職権行使の相手方に義務のないことを行わせたり、行うべき権利を妨害するに足りる権限であれば十分であるとされる(最高裁判所第二小法廷昭和57年1月28日決定刑集36巻1号1頁)。

 とは言っても、実際には悪事をした覚えのない善人ほど黙秘とか反抗的と取られそうな態度は取れないものだ。その結果、根拠のない“命令”に素直に従い精神的拷問を受ける。
 正直に話せば真実を解明してくれると思うのは間違いで、彼らにとっては一刻も早く“ホシ”を挙げ“案件”を片付けることが出世の早道なのだ。だから逮捕(勾留)された時点で取調官は十中八九犯人として扱ってくる。決して無罪を前提にしてはくれない。基本的に敵だと考えた方が良い。最悪の状況を覚悟して少しは法律の勉強も必要だ。

 社会から見ても問題がある。凶悪犯罪が起きた後、冤罪で無実の人が起訴されれば「真犯人の捜査」は終ってしまう。人々も警戒を解いてしまうだろう。つまり真犯人は安心して(味をしめて)次の犯罪ができる。即ち、冤罪が起きやすい制度というのは真犯人を放任しやすい制度なのである。可視化したら治安を守れなくなると言う人たちは一体何を考えているのだろうか。

足利事件、検察側が無罪求刑「申し訳なく思っている」 (asahi.com)2010年2月12日
http://www.asahi.com/national/update/0212/TKY201002120115.html
 最終弁論後、菅家さんも法廷で「なぜ私が犯人にさせられたのか、原因を説明してほしい。足利事件の真実を明らかにしてほしい」と訴えた。

 そう真犯人は捕まっていないのだ。そして検察は謝罪はしても冤罪の構図を示そうとはしていない。

[参考] 足利事件 (Wikipedia)
・群馬県・栃木県の県境付近では1979年以降、幼女の誘拐事件が起きている。この事件を含め4人の幼女が死亡し、1人が失踪する事件の計5件の事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)が発生したが、いずれも未解決事件となっている。

[参考] 帝銀事件 (Wikipedia等)

 この事件のように冤罪は昔からあった。しかし、ここまであからさまな冤罪でも未だ無罪判決は出さない(誤りは認めない)のが現司法組織だ。

 今回の騒動と同時期に奇しくも神奈川県警の裏金事件が発覚した。

神奈川県警の不正経理、総額13億円超 図書券購入も (asahi.com)2010年2月5日
http://www.asahi.com/national/update/0205/TKY201002050296.html
神奈川県警 裏金など14億円超の不正経理 (日テレNEWS)2010年2月6日
http://woman.excite.co.jp/News/society/20100206/Ntv_20100206005.html

 こっちでは、取りあえず判明した分だけで13億以上の税金が不正に使われてしまったのだ。当然記録も残っていまい。「私的流用は確認されなかった」=毎度のことだが、本気で調べていないから無かったとは言えない訳だ。これの前に発覚した県職員の不正経理事件では私的流用が“発覚”しているし、こちらだけ無いわけもあるまい。

 福祉郵便不正利用事件でも厚労省元部長が取り調べ時の証言を翻すというニュースがまたタイムリーだ。いかに取り調べがいい加減かが分る。

 また同時期に、埼玉の結婚詐欺&連続不審死事件についてのニュースが流れている。これも別件逮捕から 5か月近い長期勾留で取り調べが続いているらしい。その後の進展が乏しい中、マスゴミによって"関係者"の談話や"容疑者"の人格攻撃的な報道が行われている。
 こちらは関わった男性がことごとく不審に死んでいる等、あまりに不自然な状況証拠からクロの印象を持たざるを得ないが、それでも、今回とそっくりなマスゴミリークが続くと、これらの報道も何か裏がありそうで信用できないと思えてくる。それに長期勾留が人権侵害であることは同じだろう。
こうなるとむしろ捜査側が人権侵害になっていないことを裁判員に証明するため可視化を必要とするのではないだろうか。

 尚、検察側がリークしたとしてもそれを記事にした時点でマスゴミ側の責任である。情報の真偽を検証するのがジャーナリズムの責任なのに現状はそれを果たしていない(検察とタッグを組んでいるのだろう)としか思えないのがマスゴミ問題なのだ。

 少なくとも関係者談の、~を自供した、というニュースは一切無視する方が良いという事実は解った。マスゴミの信用失墜は迅速で最も入手しやすい情報ソースを受け手側が検証しなければならないということで国民にとっても大変な手間となる。それなら新聞は要らないという人が増えたら情報を集めるプロが養えなくなるので社会としても損失だろう。それに大手マスコミが消えてインターネットだけになったら今より官僚のやりたい放題になるのは間違いない。木鐸には大きな力も必要だ。
 私は大手マスコミが原点に戻って再生してくれることを希望している。

 取りあえず自供は証拠として採用しないのが一番早道かも。冤罪のほとんどが自供頼りの捜査(操作)であった。取り調べで自供しても公判で否定できるのだ。誘導尋問も、記憶違いや思い込みも、ありうる。そんなあやふやなものを証拠として判断されたらかなわない。まして裁判も経ずに誤報道で社会的に抹殺されるのは冗談ではない。

 小沢氏の"責任"について毎度マスゴミ世論調査も発表されているが、おそらく設問にもバイアスがかかっているので数値にあまり意味はない。ただ自分の周囲を見てもマスゴミに踊らされている人もまだまだ多くいるということは確かで、日本の民主主義もまだ道半ばだ。インターネットを通じて情報を得ることに通じた一部市民が目覚めたレベルなのだろう。

 インターネットの情報が改革を早めた切っ掛けではあるが、今回の民主革命の本質は、国民経済が疲弊してきたために従来の官僚依存主義体制を支えるための甘い汁を負担しきれなくなったことが主要因だと私は考えている。
 だから最初はゆっくりだろうが大きな流れは止められない。
例え今回小沢氏が失脚して一時的に揺り戻しがあったとしても旧い官僚主権は遠からず崩壊せざるを得ない、と考えていた。その先に本当の国民主権が根付くのか、別の他力本願が生まれてくるのかは国民の自覚次第だ。

国民の敵 (田中良紹)2010年02月
http://opinion.infoseek.co.jp/article/754

トヨタのリコール問題と、「New Normal」の到来
「成熟期からピークアウト」のサインが点灯した (立田博司)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100208/212673/?P=4

 

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暗黒国家 (1)

2010-02-15 | Weblog

 ネタは一杯あるので月一ぐらいで更新したいと思ってはいるのだが、なかなか書き出せない内にずいぶん経ってしまった。
 今は世界的には産業革命に匹敵する情報革命の最中であり、さらに日本では民主革命とでも言われるべき大動乱期にいて、後世の歴史教科書に太字で記述される様な時代だと考えている。大事件が次々と起こり、考えるべき問題もいくらでもある。その割に平和ボケしている人が多いが、過去の歴史上の大変革のさなかも大多数の民はそれとは関係なく日常を過ごしていたはずで、当事者意識を持たなければこんなものかも知れない。
せっかく歴史の生き証人になっているかも知れないので、こういった駄文でも、残しておいたら市井の落書き程度の歴史資料にはなるかも知れない、というのが当Webの狙いでもある。

 正月頃は普天間問題について書こうと思っていた。最近はあまりに暴走する検察とジャーナリズムを欠くマスゴミ報道に対抗して、小沢氏の行動原理について一つ冷静に考えてみようと思って書き始めたのだが、調べてたら、日本ってこんなに人権を無視した恐ろしい捜査がまかり通っているのか、と分かって心底驚いたので小沢氏の論評はさておいて、まずそちらを論じてみたい。

 普天間の情勢分析、小沢氏の背景については下記のサイトの方が私よりよほど内情に詳しいので、そちらを読めば参考になるだろう。ただ「アメリカが日本を守ってくれる」等という外国のエセ性善説を信じている人がいるかも知れないので、いずれ外交論も含めて論じたいと思う。

Electronic Journal ~小沢一郎論
http://electronic-journal.seesaa.net/

官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転 (田中 宇)2009年12月
http://tanakanews.com/091210okinawa.htm

 さて小沢氏の行為が国民にとってプラスかマイナスかはまた別項で論じるとして、その取り調べ&報道過程はまるで戦前並の暗黒国家と言わざるを得ない。この問題の方が国民にとっては深刻かつ重要な問題だ。
 警察や検察が犯罪を犯したら、国民の権利を一体誰が守ってくれるのか。そのための社会の木鐸ではないのか。それなのに例によってマスゴミの検察側への追求はほとんど見られない。これでは一心同体なのだと考えるより無いであろう。

 何より驚いたのが、日本では取り調べに弁護士が同席することが許されないことだ。
全面可視化に取り調べ側が反対していることは知っていたが、ここまで非人道的だとは知らなかった。
テレビドラマでよく見る「弁護士が来るまでは何もしゃべらない。」というセリフは海外の話で日本では成立しないらしい。(万一逮捕されたら言ってみようと思っていたのだが。)
 なぜ弁護士が同席できないのか理由を調べたがネットでもヒットしなかった。可視化に関しては紛い物なりに反対理由が上がっていたが同席に関してはサッパリだ。一体どうなっているのだ。
被疑者に余計な知恵を与えるからいけないと言うのだろうか。被疑者が自己防衛するのは当然の権利だ。多数の取り調べのプロに対して法律知識のない素人がたった一人で立ち向かわなければならない、というのは不公平以外のなにものでもない。一般人にとって警察官に囲まれて罪を問われる、というのはそれだけで精神的な拷問に等しい。味方を呼べなくてどうしろというのか。
ひょっとして、弁護士がマスコミ操作のため被告に有利な情報をリークするからダメだとでも主張するのだろうか。

 それに加え、長期の勾留、代用監獄の利用、自白偏重で強圧的な取り調べ手法は戦前とほとんど変わっていないことも判った。
 大体人間の記憶なんて非常にあやふやで、本人だから覚えているなんて保証はない。一昨日食べたランチだって結構忘れているものだ。あの時おまえはこうしたんだ、と言われ続ければ、そうだったかも知れないと記憶が作りかえられてしまう程度のものだ。
 真犯人でも自分のした事を本当に忘れている者もいるかも知れない。あまりに強い刺激は記憶を蒸発させてしまう事もある。こうなると本人はいくら責められても、例え本人が自白しようとしても、供述できない。だからといって、取り調べで記憶を作り込んで良いことにはならないだろう。
 要するに、日本では肉体的拷問だけは禁止されたが精神的拷問に関しては全く配慮されていないということだ。肉体的拷問だって取調室の中では闇に葬られるという可能性は常にある。されないのは捜査官のお慈悲でしかないという訳だ。
 現実には警察官も普段は穏当な捜査をしているはずで、悪意のある取り調べはよほどの大事件(官僚の威信にとっての)でなければ犯らないのだろうが、それができる土壌を残している事に何より問題がある。司法システムは性善説よりは性悪説に立ち、最悪でも人権は守れる様に作るべきだ。

日米の刑事事件取り扱いの相違
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nitibeikeijijikenn.htm

 日米の違いについて記述されているが理由は書かれていない。

弁護士が同席しない日本の取り調べは信用できない (日刊ゲンダイ)Jan. 2010
http://eritokyo.jp/independent/gendai-col1003.htm

国民の敵 (田中良紹)2010年2月
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/02/post_207.html

 共に実に端的な意見。


 今回の構図は検察Vs小沢氏という表向きのものだけでなく、旧い権力機構Vs国民主権の戦いであると捉えている。
検察の敗北と同時にマスゴミ報道も偏向していてマトモに自浄作用も働かないということが白日の下に晒されたという意味で、後世に残る事件となるかも知れない。

 これまでは検察という官僚の最強権力+マスゴミ集団がタッグを組めば、“無知な民”は簡単に洗脳でき、政治家なんて簡単に失脚させられる、世論はコントロールできる、というのが定石だった。国民の方も官僚に任せて安心してきた感もあり、正確には官僚依存主義だったと言うべきかも知れない。

 正直私も、「ロッキード」「リクルート」「ノーパンしゃぶしゃぶ」といった事件では、報道はかなり一面的だけど半分位は真実だろう、と単純に信じていた。
 今回ネットで得られる色々な情報を元に改めて考察すると、どうやらほとんどが(少なくとも起訴事実に関しては)でっち上げだったという感想を持たざるを得ない。
事実、上級審では検察の騒ぎ立てた主張の大半は否定されている。
 そんな事件がこれだけ並ぶと、検察の取りあげた重大事件は全てでっち上げで、特捜部は官僚のためにしか働いていない、とさえ考えさせられる。官僚+マスゴミ自身は官僚支配体制を守ることで国がうまくいくと信じ、「正義感」に燃えている可能性すらある。これは特高+大本営と何も変わらない。
 しかし国民にとってこんな組織が必要だろうか。警察同様に検察の調査費流用もあったとしか思えない。直接的証拠は検察が握っているので表には出てこないだろうが状況証拠は真っ黒だ。何としても解明しなければならない。

権力闘争の構図 (田中良紹)2010年01月
http://opinion.infoseek.co.jp/article/739

 これまで一般市民が入手できる情報は、大マスゴミと週刊誌程度しかなかったために、それらがすべて同じ論調で発信すれば真実と思わされてきた。
所がインターネットという誰でも情報発信と簡単な情報検索ができるシステムが手に入ったことで初めて裏の仕組みが分かってきて、改革が始まってきた。
 これは現在進行中の情報革命の一環であり、日本においては官僚主権からようやく国民主権に移ろうとしていると捉えることができる。官僚と大マスゴミはまだあらがっているが、大きな流れには逆らえない。
 東京新聞の場合、一面はまだ記者クラブ的記事が支配しているが投書欄や特報部(非主流派?)では検察・マスゴミ批判の声も一部載るようになった。投書欄の記者コメントでは圧倒的に批判の投書が多いとか。
 こういった声は情報が開示されるようになったからこそ生まれるものだ。全てを理解できる人間はいないが、全ての情報を開示しておけば解る人が問題を指摘してくれる可能性が高まる。それを元に議論を始めればよい。誰かが取捨選択して情報を流布するのでは必ず歪みが生ずる。
 また過去の事件報道を検証する事も必要だ。今回の検察報道に関して過去の類似事件報道の検証記事が出ても良さそうなものだが、大手マスゴミからはついぞ見た事がない。過去に対して責任を取らない姿勢は正に官僚そのものである。弁解・謝罪どころか、不起訴になっても「証拠はないが限りなくクロだ」と言うに至ってはどこに法治国家があるのだろうか。

 今までは国民の意見など全く無視してきた大マスゴミだが、ここに来て偏向報道に関しての弁明をする所も出てきた(NHK等)。その内容は、情報源秘匿の必要性とか、報道の自由とか、的外しなゴマカシばかりで、なぜ小沢氏だけで総額はずっと多い自民党議員を"地道な調査"で記事にしないのか、なぜ検察の違法行為の疑惑を追究する所がないのか、には全く答えない有様だが、弁明せざるを得ない所に追い込んだのはネット側の勝利だろう。

新聞の「説明責任」を問う (江川紹子)2010年02月
http://www.egawashoko.com/c006/000316.html
『週刊朝日』が東京地検特捜部の捜査のあり方に重大な人権侵害、法令違反があると指摘した記事に関しては、どこのメディアも追いかけなかった。石川議員の女性秘書が、押収品を返還すると言われて地検に赴いたところ、10時間にわたって監禁され、小沢氏と石川議員の共謀について供述するよう迫られた、という内用{←内容}だった。

 この取り調べの詳しい経緯を書いた記事がこちら。

地検特捜部、小沢不起訴と暴走大メディアによる小沢氏名誉毀損問題を徹底検証する! (青山貞一)Jan. 2010
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col14891.htm

 これが事実なら、とんでもない"人権侵害"だ。検察側は"違法行為(特別公務員職権濫用罪)"があったと告発されたようなものだから、違うなら「抗議」ではなく「名誉毀損」で訴えるべきだ。個人名で特定されたのだからこの民野健治氏は当然その権利がある。検事なら知らない訳もない。

マスコミはなぜ真偽を追求しないのか。これだけの“事件”を全く報道しないのは変だろう。

明日は我が身と思えば国民にとって他人事ではない。事件当事者でなくても、秘書や経理の人ですらターゲットにされかねないのだ。

「小沢幹事長不起訴」国民をなめきって暴走続ける特捜部 (さとうしゅういち)2010年02月04日
http://www.janjannews.jp/archives/2534430.html

 その「抗議」のかけ方の見本。と朝日新聞の腰抜けぶり。しかしtwitterですぐばれるようなウソを書かせるのは"報道機関"としては自殺行為のはずだ。最早その自覚もないのか。

続報 東京地検からの出頭要請 ⇒「出頭はしない」そして上杉隆氏が東京地検へ「厳重抗議書」を逆送付!。 (父さんの日記)2010年2月 6日
http://rightaction.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-a592.html

 週刊朝日の反撃。出頭要請は任意なので拒否しても問題ない。上杉氏の場合任意出頭したらそのまま勾留される可能性も極めて高い。検察が不満なら逮捕状を請求することになる。さてできるかな。

【オムニバス】日和るな週刊朝日 (徳永基二)2010年02月09日
http://www.janjannews.jp/archives/2573964.html

 ちょっとガッカリな感じの顛末。自分で読んだわけではないので本当に日和ったかどうかは断定できないが。

 なお青山氏や先の田中氏の記事でも混乱が見られるが、「拘留」と「勾留」は法律上は全く別なので書く時は注意が必要。判決前は勾留。拘留は刑罰の一つ。だが、実質的には勾留の方が運用が恣意的でよほど過酷らしい。

ホリエモンが吠えた「検察にこれだけは言っておきたい」 (神保哲生)2010年01月23日
http://www.the-journal.jp/contents/jimbo/
 また、現在問題にされている捜査の可視化や弁護士の立ち会いなどは必要だが、それだけでは不十分だと堀江氏は指摘し、自身の経験では、検察の力の源泉は任意捜査にあると言う。堀江氏によると、ライブドア事件を立件するために、検察は周囲に広く捜査の手を広げ、堀江氏に不利な供述をした人は罪に問わなかったり、罪を軽減するなど、事実上の司法取引が行われている。それが検察の最大の武器だと堀江氏は言う。事件に巻き込まれる恐怖から、本人が言ってもいないことを聞いたとか、やってもいないことを見たと証言する人が出てくるからだ。

 94日間に及ぶ勾留とある。先の日米比較記事では最長23日(これでも長過ぎる)のはずだが…。Wikipediaによると、「勾留」は請求の日から10日間が限度だが延長可能。そして起訴の日から、何らの手続を経ることなく、当然に被告人の勾留(2か月)が開始される。(被疑者勾留から被告人勾留に移行)
裁判所は、特に継続の必要があるときは、勾留期間を1か月ごとに更新することができる(勾留更新)。
 ということで、これらの複合で可能だったのだろう。これに対して、刑罰である「拘留」は最長29日。何じゃこりゃー。

 一つ気に掛かっているのは、小沢氏の不起訴である。ここまでの検察の暴走ぶりからして私は絶対起訴すると予想していたので実に意外な感じであった。起訴してしまえば無罪判決が出るのは大分先になるので、後はどうなれの悪あがきをすると踏んでいたのだ。
実際、リクルートの江副氏は実質無罪判決なのにその後の報道が少ないので多数の国民は今でも有罪の印象を持っているのではないだろうか(私も調べるまでそう思っていた)。西松事件も石川議員も供述以外の物証は乏しく、単純記載ミス以上の判決は望めないと思われる。それなのに断固起訴している。ならば小沢氏を起訴しても同じ事のはず…。
 で、ひょっとして二回目の事情聴取の時、検察側の希望人事を承認するとか裏取引していたのではないかという疑いがもたれる訳だ。
 今の検察首脳部にとっては、これまで通りの順送り人事(順当なら大林宏東京高検検事長)を実現するのが第一目的らしい。そのための実行部隊が、佐久間達哉東京地検特捜部長、谷川恒太東京地検次席検事、大鶴基成最高検検事のラインだそうな。しかし、いずれも(Wikipedia参照)実質敗訴&冤罪となった検察大失態事件の責任者である。そして今回の事件。これで順当人事は常識的にはあり得ないだろう。で、そのために裏取引をしたという可能性は大いにあり得そうだ。
 これに関して我々は結果を見るしかないが、逆に結果を見れば明らかでもある。

もし従来通りの順送り人事が実現してしまったら裏取引があったとして民主党にマイナス評価を付ける事は当然だろう。

 鳩山首相の「検察に圧力を掛けると疑われるのが嫌だから可視化法案を出さない」という発想もオカシイ。かえって、検察が嫌がる事をしないから手心を加えろと言っている様なものだ。むしろ、国民の関心事なのだからこそ全面記録をして裏取引等の不正がない事を後世に証明することが優先されるべきだ。
 本来、国民にとって利益かそうでないかで法律を定めるべきで、手足である検察の意向など聞く必要はない。参考意見として、本当に実務上の問題点を上げさせるだけで良い。

 とにかく、最低限取り調べの全面記録と弁護士の同席は実現されないと一市民として安心できない。
 全面記録といっても全面公開ではなく記録は厳重に管理して、被告側の要求or承認で初めて証拠として提示されるべきだろう。争点にならなければ開示する必要はない。取り調べの記録に反対する理由は、全面可視化=話した内容が外部に漏れるという前提で論じているのがほとんどだ。原則公開されないなら記録すること自体については問題は無いはずだ。警察に暴力団の内通者がいて記録が漏れるからダメだ、と言い出すのだろうか。そんな組織管理自体大問題だが、暴力団の報復の場合、別に確たる証拠が無くても、内通者の伝聞だけでも処分されるだろう。わざわざリスクを犯して証拠ビデオを盗み出したりする必要もあるまい。自供が得にくくなるというのは自供に頼る捜査自体が問題視されている以上、理由にならない。
反対論の根本は、犯罪抑止のためには多少の冤罪が起きてもしょうがない、という理屈で成り立っているように感じられる。刑法は例え犯罪者を見逃すことがあっても無実の罪人を生んではならないというのが原則のはずだ。

 弁護士同席に関しては、上述の通り反対理由が全く見つからないので直ちに実現すべきと考える。

 検察+マスゴミは民主党の復讐だとなじるだろうが、国民にとって正義なのだからやった方が良いに決まっている。
 あと、検察トップはしがらみのない民間人を入れて過去の調査費流用、職権濫用の犯罪者をあぶり出すべきだろう。内部の犯罪者すら摘発できないようでは私は司法を信じられない。司法が機能しないでは正に暗黒国家だ。

  ~~字数制限のため分割します~~

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