2/17に原口一博総務相が全省庁を対象に裏金の調査に着手すると述べたそうで、これ自体は全く正当で大いに声援したい所です。ただ、どうやって調査するのかが難しい問題です。自主申告や内部調査では見つかるわけもなく、かえって「検察の裏金の存在を否定した政府答弁書」の様に免罪符にされかねません。果たして対案を持っているのか、要注目です。
さて、ちょっと調べただけで、“取り調べという名の拷問”の被害報告が山のように出てくる。ここに取り上げたのもごく一部だ。しかも似通っている手口が多い。ということは、単なる個人のヤリスギではなく組織的に伝えられている手法であろうことが推察できる。
しかし、こういった情報がネットでは大量に流れているのに検察が握りつぶしにかかっていないのは大手マスゴミは取り上げないと“解っている”からとしか思えない。
「神奈川県警」取調室で「拳銃発砲」被疑者死亡の『戸部署事件』から10年 (津田哲也)2007/11
http://news-tag.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/10_28b7.html
ここに提示された証拠からはどう見ても警察官の仕業としか思えない。警官が殺すメリットは多分薄い(真相は不明)ので冗談半分で銃を向け“自白”を強要している内に暴発したといった様な線が疑われる。密室しかも警察署内で証拠隠滅済とあっては普通手が出ないと思われるのによくぞここまで追究したモノだ。事実は自ずと現れるということであろうか。
NPJ通信 「志布志事件とは何であったのか──“えん罪” の構図とメディアの功罪を問う (上)」 (木村 朗)2008.12
http://www.news-pj.net/npj/kimura/003.html
権力者を処罰せよ。司法改革まったなし (田中けん)2009年06月
http://www.t-ken.jp/diary/20090621
「獄中記」 (戸塚 宏/飛鳥新社 出版部)
第二章 取り調べの日々
http://totsuka-yacht.com/goku3.htm
有名な「戸塚ヨットスクール」事件の被告側からの記録。
すごいリアルさで「読み物」としては面白いが、自分がその立場になったらと思うと、もうホラーとしか言いようがない。
勾留といい報道といい正に精神的暴力。"暴行事件"の方の真偽は個人では判りかねるが、これほどの劣悪環境に長期間置かれてなお本人やコーチが頑として罪を認めていないとすれば相当な"信念"があると言わざるを得ない。
私も当時は報道からまあ多少は暴力もあったろうと思っていた。で、その後は…当然忘れてた。
私が実際に会ったことのある現場の警察官は大体まじめで、多分に事務的(事件解決より報告書作成のための調査といった印象)ではあったが、悪い人とは思えなかった。報道した記者達も個々人は多分家庭では良識ある大人なのであろう。
それが組織人になると裏ではこんな弾圧行為に荷担していると思うと暗澹たる気分になる。記事を書いた記者は当然その出所や意図が分かっているはずだ。個人として恥ずかしく思う所はないのだろうか。平気で裏表を切り替えられる様になるのがプロなのか。
福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る~“地獄”から生還できた(上) (日刊ゲンダイ 2010/01/26掲載)
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1198.html
福島県前知事・佐藤栄佐久氏が語る~検察の暴走と恐怖(下) (日刊ゲンダイ 2010/01/27掲載)
http://octhan.blog62.fc2.com/blog-entry-1199.html
検察のでっち上げと過酷な取り調べの様子は到底法治国家とは思えない。もしこの記事の内容が全くの創作だとしたらすごい想像力だ。十分小説家になれる。
なぜ標的にされたかと調べたら、佐藤栄佐久元福島県知事はプルサーマルに抵抗していた、かららしい。官僚にとっては国家の方針に反逆する大悪人に映ったのだろう。
有名なリクルート事件も形式的には有罪で終っているが、内容を見ると何が違法だったかハッキリしない。有罪でも執行猶予が付いた判決をもらえば、実質無罪放免と同じで、被告にとってそれ以上争って苦しむ理由はない。当時の「マスゴミによる世論」では無罪で済む風潮ではなかったから当然控訴しないだろう。検察のメンツを守るために出した判決と言って過言ではない。
無償で株を供与すること自体、江副氏にも賄賂的意図はあったかも知れない。しかし、当時は広く行われていたもので特別に違法に問えるような内容ではなかっただろう。
民主主義制度ではもともと献金と賄賂に境目はない。間接的にしろ見返り(自分の希望の実現)を求めるから献金するのだ。あえて区別するなら単独で影響力を発揮できるほどの額かどうか程度の違いだろう。本来それが明瞭に定義してあれば犯罪を問えるが、線引きのない当時に行った事を、後からこれは賄賂だと言って取り締まるのは法治国家ではない。(金のかからない政治をどう実現していくかはまた別の項で考えましょう。)
リクルート疑惑事件
http://www009.upp.so-net.ne.jp/yosi_woods/recruitjiken.htm
「気が狂うような取り調べで、拷問は今なおあると感じた」。1989年12月の初公判で検察の捜査を厳しく批判。その後、計38回行われた被告人質問でも、「私の意に反する調書が次々と作られた」と無罪を主張し続けた。
今回、江副被告に執行猶予を付けた山室裁判長は、判決理由の中で「(リ社の政治家や官僚への)接待や贈答は、少なくとも当時は、社会規範を著しく逸脱する行為とは考えられていなかった」と述べた。
リクルート事件の真実 ― 葬り去られた稀代の経営者・江副浩正 ―
http://www.sinkan.jp/special/recruit/index.html
この中の「司法問題の穴―取調べの真実―」の項に現代の拷問の実態の一部が書かれている。被告側の一方的な著述ではあるが、ここに書かれている内容はとても想像で書けるようなものではない。想像してるだけだと寧ろ大した脅威には思えないからだ。実体験したからこそ真の恐ろしさが書けているのだと思う。
それが自分に行われたら、と少しは想像してみよう。
全裸や土下座といった行為で相手の人格をまず徹底的に打ち壊して自信喪失させた上で脅したりすかしたりで自分たちの言う通りにさせる、というのは某宗教団体でも行われた洗脳の常套手段だ。こんなのを落としのテクニックなどと考えてもらっては困る。
「密室の代用監獄」に勾留され過酷な取り調べを受け続けるより、罪を認めて「人権にも配慮された刑務所」に入った方が楽だという刑罰の矛盾が冤罪発生の根本だ。つまり現在では有罪判決を受ける前(推定無罪)の方が過酷なのである。こんな国がまともだろうか。
こんな無法に対抗するための方法を敢て考えてみる。
被疑者("容疑者"はマスコミ語)にも当然基本的人権がある。警察官だろうと検察官だろうと被疑者の意に反する命令をする権限はないので、どんな“命令”を受けようと無視して良い。そして、変な“誘導”をされない様に(自分が主張したい点以外は)黙秘を貫くこと位だろうか。
言うは易いが、取り調べ現場で実行するのは相当勇気が必要だろう。現在の密室取調室内では何が起きても「逃げようとしたから取り押さえただけ」と口裏を合わせられたら証拠は出てこないので“見えない暴行”を受ける覚悟は必要かも知れない。少しでも乱暴行為があったら弁護士を通じて大げさに世間に訴えておくことだ。その後で怪我をすると警察側も疑われるので多少危険が減るだろう。反抗すると危険を増すので無抵抗不服従というのが基本だろう。
後は狭い密室の代用監獄でも平常心を保てるように座禅や瞑想の訓練でも積んでおくことと、実例にあったように、病気を持っているとまともに治療が受けられず命に関わる(病死なら取り調べとの因果証明は難しい)ので健康は一番大事だ。
[参考] 推定無罪/取調受忍義務/公務員職権濫用罪 (Wikipedia)
判例では、ここでいう「職権」とは、必ずしも法律上の強制力を伴うものであることを要せず、それが濫用された場合、職権行使の相手方に義務のないことを行わせたり、行うべき権利を妨害するに足りる権限であれば十分であるとされる(最高裁判所第二小法廷昭和57年1月28日決定刑集36巻1号1頁)。
とは言っても、実際には悪事をした覚えのない善人ほど黙秘とか反抗的と取られそうな態度は取れないものだ。その結果、根拠のない“命令”に素直に従い精神的拷問を受ける。
正直に話せば真実を解明してくれると思うのは間違いで、彼らにとっては一刻も早く“ホシ”を挙げ“案件”を片付けることが出世の早道なのだ。だから逮捕(勾留)された時点で取調官は十中八九犯人として扱ってくる。決して無罪を前提にしてはくれない。基本的に敵だと考えた方が良い。最悪の状況を覚悟して少しは法律の勉強も必要だ。
社会から見ても問題がある。凶悪犯罪が起きた後、冤罪で無実の人が起訴されれば「真犯人の捜査」は終ってしまう。人々も警戒を解いてしまうだろう。つまり真犯人は安心して(味をしめて)次の犯罪ができる。即ち、冤罪が起きやすい制度というのは真犯人を放任しやすい制度なのである。可視化したら治安を守れなくなると言う人たちは一体何を考えているのだろうか。
足利事件、検察側が無罪求刑「申し訳なく思っている」 (asahi.com)2010年2月12日
http://www.asahi.com/national/update/0212/TKY201002120115.html
最終弁論後、菅家さんも法廷で「なぜ私が犯人にさせられたのか、原因を説明してほしい。足利事件の真実を明らかにしてほしい」と訴えた。
そう真犯人は捕まっていないのだ。そして検察は謝罪はしても冤罪の構図を示そうとはしていない。
[参考] 足利事件 (Wikipedia)
・群馬県・栃木県の県境付近では1979年以降、幼女の誘拐事件が起きている。この事件を含め4人の幼女が死亡し、1人が失踪する事件の計5件の事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)が発生したが、いずれも未解決事件となっている。
[参考] 帝銀事件 (Wikipedia等)
この事件のように冤罪は昔からあった。しかし、ここまであからさまな冤罪でも未だ無罪判決は出さない(誤りは認めない)のが現司法組織だ。
今回の騒動と同時期に奇しくも神奈川県警の裏金事件が発覚した。
神奈川県警の不正経理、総額13億円超 図書券購入も (asahi.com)2010年2月5日
http://www.asahi.com/national/update/0205/TKY201002050296.html
神奈川県警 裏金など14億円超の不正経理 (日テレNEWS)2010年2月6日
http://woman.excite.co.jp/News/society/20100206/Ntv_20100206005.html
こっちでは、取りあえず判明した分だけで13億以上の税金が不正に使われてしまったのだ。当然記録も残っていまい。「私的流用は確認されなかった」=毎度のことだが、本気で調べていないから無かったとは言えない訳だ。これの前に発覚した県職員の不正経理事件では私的流用が“発覚”しているし、こちらだけ無いわけもあるまい。
福祉郵便不正利用事件でも厚労省元部長が取り調べ時の証言を翻すというニュースがまたタイムリーだ。いかに取り調べがいい加減かが分る。
また同時期に、埼玉の結婚詐欺&連続不審死事件についてのニュースが流れている。これも別件逮捕から 5か月近い長期勾留で取り調べが続いているらしい。その後の進展が乏しい中、マスゴミによって"関係者"の談話や"容疑者"の人格攻撃的な報道が行われている。
こちらは関わった男性がことごとく不審に死んでいる等、あまりに不自然な状況証拠からクロの印象を持たざるを得ないが、それでも、今回とそっくりなマスゴミリークが続くと、これらの報道も何か裏がありそうで信用できないと思えてくる。それに長期勾留が人権侵害であることは同じだろう。
こうなるとむしろ捜査側が人権侵害になっていないことを裁判員に証明するため可視化を必要とするのではないだろうか。
尚、検察側がリークしたとしてもそれを記事にした時点でマスゴミ側の責任である。情報の真偽を検証するのがジャーナリズムの責任なのに現状はそれを果たしていない(検察とタッグを組んでいるのだろう)としか思えないのがマスゴミ問題なのだ。
少なくとも関係者談の、~を自供した、というニュースは一切無視する方が良いという事実は解った。マスゴミの信用失墜は迅速で最も入手しやすい情報ソースを受け手側が検証しなければならないということで国民にとっても大変な手間となる。それなら新聞は要らないという人が増えたら情報を集めるプロが養えなくなるので社会としても損失だろう。それに大手マスコミが消えてインターネットだけになったら今より官僚のやりたい放題になるのは間違いない。木鐸には大きな力も必要だ。
私は大手マスコミが原点に戻って再生してくれることを希望している。
取りあえず自供は証拠として採用しないのが一番早道かも。冤罪のほとんどが自供頼りの捜査(操作)であった。取り調べで自供しても公判で否定できるのだ。誘導尋問も、記憶違いや思い込みも、ありうる。そんなあやふやなものを証拠として判断されたらかなわない。まして裁判も経ずに誤報道で社会的に抹殺されるのは冗談ではない。
小沢氏の"責任"について毎度マスゴミ世論調査も発表されているが、おそらく設問にもバイアスがかかっているので数値にあまり意味はない。ただ自分の周囲を見てもマスゴミに踊らされている人もまだまだ多くいるということは確かで、日本の民主主義もまだ道半ばだ。インターネットを通じて情報を得ることに通じた一部市民が目覚めたレベルなのだろう。
インターネットの情報が改革を早めた切っ掛けではあるが、今回の民主革命の本質は、国民経済が疲弊してきたために従来の官僚依存主義体制を支えるための甘い汁を負担しきれなくなったことが主要因だと私は考えている。
だから最初はゆっくりだろうが大きな流れは止められない。
例え今回小沢氏が失脚して一時的に揺り戻しがあったとしても旧い官僚主権は遠からず崩壊せざるを得ない、と考えていた。その先に本当の国民主権が根付くのか、別の他力本願が生まれてくるのかは国民の自覚次第だ。
国民の敵 (田中良紹)2010年02月
http://opinion.infoseek.co.jp/article/754
トヨタのリコール問題と、「New Normal」の到来
「成熟期からピークアウト」のサインが点灯した (立田博司)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100208/212673/?P=4