フツーの見方

フツーの論理で考えれば当然だと思うことが、なぜかマスコミでは出てこない。そんな意見を書き残しておきたいと考えてます。

民主主義のコスト(1) ~政権交代の意義

2010-04-27 | Weblog

 昨今のマスゴミ報道や一般人のインタビューを見聞きする限り、どうにもこの国は政治について人任せでしか考えていないようです。いまだに封建主義が染みついていて民主主義は根付いていないということでしょうか。

 民主主義は行政システムとしては非常に非効率です。現在のように世界が大きな変革の時期にある時は国の制度も大きく改革しなければ対応できません。しかし、何を変えるにせよこれまで利益を得ていた集団からは大きな反発を受けます。一方改革によって利益を得るはずの人々はまだ現実化していないのでそれほど強い支援は得られません。従って、茹でガエルの例えのように、徐々に苦しくなると分っていても現状維持の力の方が強いので最後のカタストロフが訪れるまでなかなか行動には移せないものです。特に日本では自ら立ち上がって政治を変えたという経験が薄いために、改革の難しさや痛みというものが分っていないと思います。
(明治維新も戦後の復興もアメリカが支配したために今の対米従属姿勢の遠因になっているのかも。)

 今、中国やドバイが経済発展を遂げているのは独裁的統治者が既存勢力を無視して非常にタイムリーな手を打てた(そして当たった)からに他なりません。
 ただし独裁政治は長く続くといつかは必ず独善におちいり、その際の国民のダメージが大きいというのがこれまでの歴史の教訓で、その結果として民主主義が一番非道くなりにくいという一点で、よりマシな制度と考えられている訳です。
 ただし民主主義が正しく機能するためには、全ての国民が政治に対して本気で向かい合う必要があります。自分の考えを持っていないと、人のウワサ(マスゴミ)に左右されたり、最悪の権利放棄という事になってしまいます。半分近い国民が参加していない様では真の多数決とはなり得ません。政府=統治者に対する最も強い権利を放棄するなんて正気の沙汰ではありません。

 今回の政権交代は日本国民が初めて自分たちで起こした無血革命だと捉えています。ただ実質は自民党からの回避だっただけで、その後は結局人任せ。民主党政権になったからすぐに全てがうまくいくはずもないのに、非難の声を上げるだけで自分たちで考えると言うことを放棄している様に見えます。
 民主党も所詮は既存政党で、既存の利権集団から支援を受けて大きくなった以上、大きな変革などすぐ出来る訳もありません。常に国民が見張っているという緊張感を持たせて、少しはマシな選択を続ければゆっくりでも前に進むのですが、国民が思考を放棄すれば一部利権集団だけが良い思いをする国になってしまうかも知れません。
 自分はこうしたい、という目標がなければ、AがダメだからB、次はC、と変えていっても決して目的地には近づかないでしょう。

 個人的に、今回の政権交代で期待しているのは旧政権+権力機構の過去の悪行を曝くことです。政権交代によって悪事がバラされるとなればそうそう非道いことはできなくなるからです。それから出来る限りの情報を国民に公開することです。(外交では密約もやむを得ない面があります。ただしその決断は歴史の評価=国民の判断を受けなければなりません。)
 極論で言えば新しいことは当面何もしなくても良いとすら考えています。各個人の事情は別として日本全体のシステムとして見れば、まだ数年は大きなカタストロフは起こらないでしょう。政権を取ってわずか半年で大きな変更をすれば道を誤る可能性の方が高いように思われます。(これまでの所、民主党が新しく始めた政策はどうもロクなことがない。選挙狙いがあるからしょうがないとはいえ…。)

 私の知らないところで物事が決まって、それに自分の生活が左右されるのが一番嫌です。全ての情報が開示され、それを元に自分で選んだ結果が間違いだった方がまだ納得できます。それが民主主義の根幹だと思うからです。

 そういう意味では情報公開に関しては少なくとも前進しています。まだ全然不足ですが、自民党政権では絶対出なかったはずの過去の密約が出、司法の誤りが認められ、記者クラブの弊害が少しずつ改善されています。予算の闇もほんの一部ながら明かされつつあります。それと国民の関心を政治に向けさせることが増えた点は、先に述べた真の民主主義への第一歩として評価しています。

 私は、ひょっとしたら鳩山首相は希代の名政治家なのかも知れないと考えています。これは全くの買いかぶりかも知れません。世間で言われるようなただの優柔不断なのかも知れません。ただ、この間の党首討論をフルで見たら(要約では大幅にカットされてるのでダメ)鳩山氏の主張は、もし普天間の腹案が私の考えに近いものであれば、非常に理解しやすいものであったからです。
 その真偽はともあれ、ただ非難するだけで、どうするのが最善かを論じない(国民に考えさせない)マスゴミ報道にはウンザリです。八方塞がりと言いますが、では沖縄に新しい基地を造って良かったのか。

 もし自民党政権が続いていれば現地の反対を金で押し殺す方策しか無く、それでも現実に工事を始めてもいなかったので普天間がそのまま継続したのでは無かったかと思います。そして工事をさせない沖縄の人が悪いとでも世論誘導したでしょう。大体沖縄以外では(多分今でも)他人事なのでそれで大きな問題は起こらなかったでしょう。マスゴミも協力して現地の反対運動は無視していましたし。
 実際これまで14年も着工されなかったのは現地で地道に反対活動が継続してきたからです。反対運動は今になって起こったものではありません。そんなニュースは大手マスゴミからはほとんど流れてこなかったでしょう。それが今は毎日ニュースにしている。沖縄国民の意思が大きく報道されるようになったのは望ましいことでは無いでしょうか。自民党政権ではあり無かったでしょう。
 これほど多くの住民が反対なのに、なぜ今までの知事や首長は移転に賛成してきたのか。その方がオカシイとは思いませんか。
 
それにここまで反対運動が盛上がれば、もし政権が変わったとしても沖縄に基地を造ることは困難になったでしょう。どちらが本当の民意に近いでしょうか。

 そもそも普天間問題を半年で解決するなんて無茶な話です。基地なんて国内ではどこだって反対が多いに決まっています。一方、アメリカにとっては自民党案はタダで新しい基地を造ってくれて移転費ももらえる非常に美味しい話なので、それ以上の案がある訳はありません。だから粘り強い交渉によってアメリカに譲歩させるしかないのです。そのためには国民の後押しが必要なのです。全国民が基地は要らないと言わない限り、アメリカは考えを変えないでしょう。
 これまでは沖縄以外では問題意識にも無かったことが、自分の所に来るかも知れないと思えば少しは真剣に考える様になるでしょう。現在、少しはそれに近づいてはいないでしょうか。
 そこで、これからのアメリカとの関係をどうしていくべきか、基地を無くしたらどうなるか、日本の防衛をどうすべきかを国民全体で考えさせる様に大手メディアが持って行ってくれれば良いのですが、今のマスゴミにはジャーナリズムの欠片も感じられません。残念なことです。
 こうなったら、全国各地を移転候補としてぶち上げて全国で反対運動を起こさせるしか国民の目を醒まさせる手はないのかも知れませんね。


PS. いい加減「政治と金」なんてつまらない話題に囚われるのは止めて欲しいものです。小沢氏と鳩山氏ばかりが叩かれていますが、どの政治家も本気で調べれば公に出来ない金があるに決まっています。自民党、公明党は既に何人も疑惑が発表されていますが、他の政党だって大なり小なりでしょう。
 問題にすべきはその金が賄賂等として国民に被害を与えたかどうかです。話題になっている対象は、親の金だったり単なる記載ミスだったりで国民への被害はほとんどありません。マスゴミ(官僚)によって国民が踊らされる構図は全く情けない限りです。
未だに聖人君子が幸福に支配してくれるという幻想を抱いているのでしょうか。
政治家だって自分と同じ人間なのです。重要な問題は何か、自分の頭で考えて欲しいものです。直接もうけになる話でもないのに頭を使うのは面倒かも知れないですが、それが民主主義に払う国民のコストなのです。


(参考)

鳩山首相「私は愚かな総理」の真意 (永田町異聞)2010年04月22日
http://ameblo.jp/aratakyo/
案の定、朝のテレビ番組では「私は愚かな総理」というフレーズだけが飛び交っている。司会者やコメンテーターも、その前後の文脈をオミットして、「愚かさ」の強調に余念がない。

名宰相それとも暗君? ―― 「黒い勢力」との死闘は続く (二見伸明)2010年03月29日
http://opinion.infoseek.co.jp/article/809
 小沢は、日米関係を「従属から対等」に転換・深化させるキーマンである。党内外から、妬みに狂って「訪米阻止」の動きも出てくるかもしれない。それだけに、マスコミには、重箱の隅を突っつくような視野の狭い、次元の低い問題に執着するのではなく、マスコミに本来的に要求されている、日本の将来を見据えた高い次元の論説・主張・報道を期待したい。

さあ、鳩山政権、ここが正念場(その2) ── 普天間移設問題の結着成るか?(2)
http://opinion.infoseek.co.jp/article/812/2

このページの日米仮想論争が実に的を射ており、面白い。


普天間問題は鳩山政権の試金石だ (喜納昌吉)2010年04月09日

http://opinion.infoseek.co.jp/article/820
 今後民主党政権が注意しなければならないのは、日米軍産複合体によって描かれた図面に取り込まれないことである。日米同盟権益者が与党にも野党にも潜り込み、両方がハンドリングできるように布石を打ってくるはずだ。今は55年体制の自民党・社会党時代に見られた古い体質のアメリカが作ったダブルハンドルを国民の手に取り戻せるかどうか、その攻防なのである。日本の未来のためには同じ民主党議員であっても問い質していかなければならない。

 沖縄の住人ならではの深い洞察。やはり当事者意識があると違う。


米海兵隊は「北朝鮮核」の奪取が使命? ── 馬鹿馬鹿しいにもほどがある (高野孟)2010年04月13日

http://opinion.infoseek.co.jp/article/823
 本論説が繰り返し述べてきたように、これまで、「何のための海兵隊か」と問われれば、答えは一言で「抑止力」。「何に対する抑止力か」と踏み込めば、「北朝鮮の脅威」と「中国の軍拡」。しかし、北朝鮮の脅威とは具体的には何なのか、中国の軍拡が日本にとってどういう危険要因なのかについては、一度たりとも日米間で真面目に議論されたことがなかった。


アジアを読む「動き出した米軍再編」 (NHK 解説委員室)2009年03月11日

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/600/17097.html

 NHKも解説では意外に深い読みを披露しているんですよね。ただ看板ニュースでは全然論じません。まぁニュースは報道で解説がジャーナリズムと考えれば違うのは当然とも言えますが。論説まで読まない国民が悪いということなのか。


普天間の部隊の移転先は辺野古ではなくグアム/宜野湾市長が普天間県外移設 首相に直訴 (どこへ行く、日本。)2009-11-27
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10398128174.html

 これも当事者ならではの追究。


ついに歴代首相・外相を国会召致か?
「核密約」を闇に葬った政・官・メディアの重い責任 (上杉隆)2010年3月11日
http://diamond.jp/articles/-/2646
 一方で「密約」を隠し続け、最終的に2001年、不都合だと思われる外交文書の大量廃棄を行なった外務官僚の罪は重い。「国民共有の知的資源」(有識者報告書)である外交文書を廃棄したことは、歴史の破壊ともいうべき抱唾棄すべき行為だ。それは犯罪的ですらある。当該、外務官僚はいったいどう責任を取るつもりなのか。
(中略)
 本来、ジャーナリズムが機能していれば、とうの昔に判明していたはずの事実を、政治家に代行してもらう恥ずかしさを、筆者も含めて、すべての記者たちがかみ締めるべきではないか。とくに真相究明を行うどころか、逆に外務官僚の手先となって、結果として「国民共有の知的財産」を廃棄することを許した責任のいったんは間違いなく記者クラブにある。

 

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その後のマスゴミ

2010-04-03 | Weblog

 惰性でTVをつけていたら NHKでマスメディアの未来を憂える討論番組がやってました。全然マークしてなかったのでホントに偶然ですが、blogの記事とも関連しそうなので一応視聴しました。
 新興ネット企業のトップとネットビジネスについて到底理解しているとは思えない新聞の古株ではまともに議論がかみ合わう訳もなく、記者クラブによる情報カルテルで報道が均質化し、相互批判もしない、といったマスゴミの真の問題点を議題に上げる訳もなく、まぁ残念な結果(究明も提言もナシ)になったのは仕方がないでしょう。とりあえず NHKに特番をやらせたというだけでもネット世論の効果でしょうか。
 どこまで本気かは不明ですが、危機感を持ち始めたのなら良いことです。まず自分に問題があると気付かなければ改善もありませんからね。

放送記念日特集
激震 マスメディア ~テレビ・新聞の未来~ (NHK)2010年3月22日(月)

http://www.nhk.or.jp/special/onair/100322.html

【テレビ】3/22(月)NHK総合でテレビ・新聞の未来に関する討論番組…ネットの爆発的普及で、若者を中心としたテレビ離れ・新聞離れが懸念
http://blog.livedoor.jp/video_news/archives/1346761.html

 上の Netの匿名意見の方が見事なフォローですね。

 また何となくTVを付けていたら、 3/27 TV東京「奪われた17年半~足利事件の“罪”~」という番組もたまたま観てしまいました。やはり問題意識を持っていると情報にぶつかる機会も増えるのでしょう。

http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/newtitle/2010/03/053027.html

 これは当然過去の報道に対する検証番組か、と期待したのですが…。
 結局マスゴミ報道側の問題解明もなく、冤罪の構図に対する踏み込みもなく、何が言いたかったのか全く意図不明なものでした。土曜の昼間、ほとんど宣伝もないようだし、局としてのヤル気も感じられない。
 時々映し出された取材メモがリアルなので、報道側もどういう情報をどこから得て菅家氏がクロだという確証を得たのか、その辺りのメモを見せてくれれば参考になったのに…。おそらく記者クラブからの情報だから出せない、ということなんだろうね。
 と言うわけであまり中味のない菅家氏の近況だけでした。途中の展開から邪推すると、拘置所を見て怒りに震えるとか墓参りをさせて涙ぐむ(絵になる)シーンでも撮りたいという狙いだったのか。
 それでも映像ならでは、菅家氏のリアルな表情やしゃべり方から語らない想いが伝わるという感はありました。本当にフツーのどこにでもいるオッサンという印象でした。それが検察垂れ流し報道で極悪人のイメージを作り上げられ、一家離散した訳です。
 まぁ、ニュース以外では全く“その後”に触れようともしない他の民放マスゴミよりは100倍マシでしょうか。無罪になったことで自分たちの誤報の罪を忘れ去ろうとしているのか。日本にはジャーナリズムは存在しないのか。

4/2 警察&検察の自己総括が発表されました。これ自体異例のことなので一歩前進という気はしますが内容はほとんど予想通りの言い逃れと言った感じでしょうか。当然、菅家氏が訴えた“暴力行為”は認めていません。

足利事件 警察庁・最高検が総括 「DNA型鑑定 過大評価」 (産経新聞)2010年4月2日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100402-00000048-san-soci
 警察庁は「犯人でなければ重要凶悪事件を自供するはずがない」との思いこみから、「(取調官が)期待する供述が得られるまで繰り返し質問したりする取り調べが虚偽供述につながった」と結論づけた。最高検も「(秘密の暴露などの)客観証拠による裏付けが得られなかったのは、菅家氏が真犯人ではなく、虚偽自白をしているからではないかといった点からの検討が必要だった」と総括した。

裏付け不足…「DNA型鑑定を過大評価」 警察庁、足利事件の捜査検証結果発表 (産経新聞)2010年4月1日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100401-00000545-san-soci

地方紙の方が詳しいです。地方紙も簡単にサーチできるのはインターネットのおかげですね。

「DNA鑑定 過大評価」 警察、検察が足利事件検証 (下野新聞 SOON)4月2日
http://www.shimotsuke.co.jp/special/ashikaga-jiken/20100402/303827

 しかし、何度も「やってない」という自供を無視し、精神的拷問にかけておいてよく言うもんですね。虚偽供述とか菅家さんの性格への留意が欠如していた、なんて完全に責任押しつけの表現です。気が弱くて嘘を付いたのを見抜けなかった事(だけ)が失敗というニュアンスです。しかも、これに乗じて 「適正捜査推進管理官」(既設) なんて無駄な役職を増やしている。内輪で監視して何になるのか。
 自白の信用性なんていくら心理学者(御用学者)を連れてきても他人の心の中までは分りっこありません。最低限、無茶な取り調べで強要等はしていないという証明のために録画を残す、と言う方が論理的な結論でしょう。
 そして裁判では自白そのものは証拠と認めない とすれば解決する話です。
探したら地方版のニュースで近いコメントがありました。

足利事件:検証報告書 「自白のみ求め」 県警が責任に言及 /栃木 (産経新聞)2010年4月2日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100402-00000098-mailo-l09
 氷見・志布志・足利事件の共通項として、「虚偽自白」が挙げられる。村岡教授は、これまでの警察・検察の捜査報告書が「あたかも虚偽自白をした側に問題があったかのような分析」と批判。足利事件の報告書については「警察の捜査が虚偽自白に追い込んだ」と責任を明文化した点で、「視点の切り替えが行われており、一歩前進した」と評価する。
(中略)
 だが一方、「一度(容疑者が)黒だと判断したら、それを覆せない不動の岩盤のような警察の体質を変えるのは容易でない」と指摘。再発防止策が取り調べの適正化や高度化に重きを置いている点にも懸念を示す。報告書は「客観証拠に基づいた捜査力の向上」を掲げ、証拠に占める「自白」のウエートを下げることをにおわせているが、「自白が証拠の王様という信仰は根強い」と述べる。
 代用監獄が廃止され、全面可視化(録音・録画)が実現したとしても、「自白は客観証拠を補完するだけのものであるべきだ。それは世界的なすう勢」と強調する。

 次は、警察&検察発表を検証もせずに(ここが報道の仕事だろう)そのまま流し続けたマスゴミも自己総括して欲しいものです。果たして何社がやるでしょうか。

【4/5追記】

 4/4の東京新聞社説で「新聞やテレビへの世論の激しい反発」があったことを明記していたので紹介します。
 “社説”で書いた以上、これまで大手新聞紙面ではほとんど載ったことがない“批判意見”が多数あった事を公式に認めた見解と見て良いのでしょうかね。とは言っても相変らず弁明ばかりで、どこが問題(新聞の敗北)だったのか具体的な総括にはなっていないので道は遠い。

週のはじめに考える 権力監視と未来の提言 (東京新聞)2010年4月4日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010040402000072.html
 メディアにとってことし最大の事件は、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる検察捜査とこれを報道した新聞やテレビへの世論の激しい反発と批判でした。
(中略)
 確かに政治資金規正法は罰則が禁固五年以下で、形式的とも軽微な法律ともいえません。しかし、核心の陸山会の四億円の土地購入資金が小沢幹事長の記者会見での説明通りの家族名義の私的資金だったとしたら、現職衆院議員を逮捕して罰するほどの悪質性があるかどうかは疑問です。
 購入資金のなかにゼネコンからの裏献金や水谷建設役員が供述したとされる一億円のヤミ献金が混じっていてこそ特捜部捜査の公正、公平の大義が保てるというものです。メディアに公判を検証する義務が残りました。
(中略)
 権力との関係で新聞の敗北の歴史は少なくありません。情報操作の危険性を自覚しつつ、取材力を磨き、見識を高めていくしかありません。それが汲(く)むべき教訓でしょう。わたしたちは何より読者に情報の「真実」を伝えなければならないからです。

 ということで、公判の検証は是非ともやって欲しいものです。どれほど重罪に問えるだけの証拠があったのか興味深い所です。
 報道に問題があった点を曖昧ながら認めたのは一歩前進ですが、改善策がいかにも取って付けた精神論だけで具体性を欠くのは情けない限り。最後は唐突に話題転換されているし。社を代表する論説にしては文章もお粗末…ワザと分りづらくしてるのか?

※冤罪報道の罪を追究したルポルタージュ記事が見つかったので参考に揚げておきます。

検証・甲山事件報道 思い込みで作られた「犯人視」
 警察と一体化する報道の罪 (大岡みなみ(=池添徳明))1999年
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/kabutoyama.html

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