フツーの見方

フツーの論理で考えれば当然だと思うことが、なぜかマスコミでは出てこない。そんな意見を書き残しておきたいと考えてます。

長距離道路問題 -参考記事-

2008-02-23 | Weblog

~文字数制限に引っかかってしまいましたので、参考記事を分割しました。~

 

 以下、道路と地方活性の問題への参考記事を挙げておきます。


道路予算は地方を救わない  (宮田秀明)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20080125/145415/
 渋滞による経済的損失は何兆円にも上るという試算がある
 そもそも“道路行政”と考えること自体が間違いと考えるべきだろう。道路ではなく、交通・輸送・環境の行政テーマと考えるべきだ。道路はそのための手段にしか過ぎない。


公共事業だけが地方を救える術なのか (辻広雅文) 2007年10月
http://diamond.jp/series/tsujihiro/2/
 世界でも類を見ないスピードで進む日本の少子高齢化は、地方で先行する。例えば、65歳以上が人口の過半数を占める「限界集落」は全国で7800あり、年間約300増える。税収は少なく、介護保険など年金生活者に負担を強いる。さまざまな制度を維持できない。「暮らしを守れない。安全も守れない。その苦しさは、東京に住むものには分からない」、そう訴える市町長にとって、公共事業は効率悪かろうが、虎の子の所得再配分機能なのだ。
 経済学的に言えば、最も効率がいいのは直接おカネを配ることである。地方に産業構造転換や町興しの努力を迫るとともに、暮らしを脅かされている人々には、「最低保証年金」とでも呼ぶべき制度をつくる。そのとき、増税のみに頼らず、歳出構造を抜本改革し、公共事業から社会保障への転換を宣言することが必須であることはいうまでもない。


 都市と交通機関について政治的判断で、こういう解もあるという例

ロンドン市が自転車と歩行者の町に (日経エコロジー)
http://www.nikkeibp.co.jp/news/eco08q1/561747/


 あと、石油税の参考記事です。いかに多くの税金を払っているかを確認しましょう。

古くて新しい石油の税金の話 2006.6月企画 (垣見裕司)
http://www.kakimi.co.jp/2k6060.htm


ガソリン国会──ガソリン値下げ隊は二酸化炭素増やす隊か? (藤倉良)
http://wiredvision.jp/blog/fujikura/200801/200801251100.html

 環境問題の面から考えてもガソリン税に関してはやはり一般財源化の解に到達するようです。


道路特定財源はもはや不要~「維持」は経済理論のイロハも知らない議論 (高木勝)
http://event.media.yahoo.co.jp/nikkeibp/20080219-00000000-nkbp-bus_all.html


道路特定財源の中の暫定税率の部分が無くなると困るのは、道路を使う国民ではなく、... (Yahoo!知恵袋)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114609436

 ここに寄せられたコメントを読むとまじめに考えている人が結構多いと感じられます。官僚や政治家に遠慮せざるを得ないマスコミの論説よりよほどまともな意見に思われます。それなのになぜ政治家がそれに反する行動をとり続けられるか!、きちんと参政権を行使しない人が多いからでしょうねぇ。自分たちや家族の未来を決めることなのに半数近くが棄権している国では一部の利権だけで進んでしまう。政治家のレベルは国民のレベルに準ずるということも一面の真実です。


民主党は、道路公団民営化委員会に学べ (猪瀬直樹)
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/080226_30th/index.html

 国交省とのやりとりは生々しく、お役所の言う採算性にもいかに誤魔化しが多いかということを暗示している点は注目です。この辺り筆者の努力は敬意に値します。ただ、なぜ総建設量がなしくずしに復活したのかという疑問解明や、最終的に作ることに対する制限、採算性の規定等に関しての提言に欠けるのが残念ですね。
 そもそも交通量(走行台キロ)の伸びに比例して道路を作るという発想自体がおかしい。単純な交通総量ではなくトラフィックとして捉えるべき問題です。
トラフィックの増加はまず幹線道路に集中するので、地方にいくら高速道路を造っても全体として混雑も利便性も改善しないのは明らかです。総キロ数など全くナンセンス。そういう意味では大都市を迂回する環状線や第二東名などを整備した方が国民にとって有益(採算性が高い)でしょう。無論トラフィックの分散が目的なので無料でなければなりません。基本的に、できるだけ市街地を走る車を減らすような道路設計が望ましいと考えます。この辺りの設計手法はネットワークの世界では盛んに検討されているので交通に関してもすぐに応用できるはずです。まぁお役所や御用学者は分っていてもやらないのでしょうが。
 しかし、オマケで付けてある民営化によってコストダウンできたという落札率推移の図も、民営化直後はともかく徐々に国交省のデータと接近しており、単に法改正で従来の談合がやりづらくなった影響とも読めます。うがった見方では、実態は骨抜きとなってしまった民営化の自賛記事とも取れます…。まぁここまで手強いお役所と戦って一定の譲歩を得た氏の成果は評価すべきだとは思ってますので、今後の戦いにも期待しています。


 

国交省の言う"採算性"算出法についての記事を見つけました。やや旧い記事ですが本質は変わっていないでしょう。


高速道路建設の是非 (岩本康志) 2003年3月
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~iwamoto/Docs/2003/KosokuDoroKensetsunoZehi.html
国土交通省による道路の費用便益分析マニュアルでは,走行時間を節約できる便益,走行費用を節約できる便益,事故を減少させることができる便益の3種の便益が計上される。事業完了後40年間の便益と費用を社会的割引率(4%)で割り引いて,便益を費用で割った値(B/C)が1.5以下の道路は建設しないとしている。

 この採算性計算法ではあまりに道路公団的な視点です。社会的な視点として、トラフィックの分散による一般道への影響を含めて、社会全体の経済活動に対する便益、環境影響、住民における生活密着度、を考慮すべきと思います。こんな基準を元に税金を使うのでは、それこそ道路公団と建設業者、それと一部のドライバーだけが得をすると言われてもしょうがない。また基本的に交通量の少ない地方では"国交省の採算性"は低くならざるを得ず、「採算性だけの論議は地方切り捨て」という声にも一理あります。
 本当に科学的に判断するなら、各道路のトラフィックを測定して新しい道路に予想通りに分散されれば良し、予測より交通量が低ければその道路は無駄だったと言えます。そういったデータを蓄積していけば、どこにどんな道路を造るのが効果的かをトラフィック理論によって予測することができるようになります。こうなれば少しは科学的と言えるでしょう。

 しかし、そのようないい加減な採算性でもこの当時は1.5が基準だったものが、昨今の国会答弁ではこれを1.2から1.0まで落とすということで大もめです。もう無茶苦茶ですな。
 岩本氏はこの算出方法に水増しの余地が多いとして、個別道路の独立採算にする手法を提案しておられますが、これも本質的に地域経済・生活への視点が不足していますので大同小異です。
 それ以前に、どんな計算方法を採用しても事後検証してフィードバックする仕組みが無ければ恣意的な算出を止めることはできないと私は考えます。
 事後検証して事前評価との差異が大きければ、その事前評価を出した担当部局は無能として処断されなければなりません。そうなれば次から裁量は入れづらくなり、精度は徐々に上がっていくでしょう。どんな誤った予測を出しても誰も責任を取らない組織など民間ではありえない。民間シンクタンクが2500億円の売上予測を出し、実際860億しかなかったら、絶対損害賠償を求められます。
 その責任も、組織ではなく個人の評価にまで及ぶようにしなければお役人根性は直らないでしょう。何であれ自分のしたことに対して責任を取るのは社会人として当たり前のことです。
 地方の知事を含めた政治家も、建設推進を叫ぶなら事後評価に対して責任を取る覚悟でやってもらわないといけません。この道路ができれば経済効果がこれ位あり、地域の税収、住民の利便性がこれ位良くなる、負債は十分まかなえる、と公約して予測が外れたら知事と関係部局の職員の退職金で住民に弁済してもらいたいものです。

追補:暫定税がいかに腐敗の温床になっているかについて、ほぼ同内容のコラムが見つかりました。多分前に読んだものと同一人物だと思います。

 

誰も言わないガソリン税騒動の真因 (藤末健三)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080328/149691/?P=4

 30年以上継続しているものが約30項目もある というのにニュースでは殆ど聞いたことがありません。つなぎ法案に関してもガソリン税以外ざっくり2カ月延長されたというだけで、もっとマスコミが個々の税に関して検証して欲しいものです。今回道路特定税の無駄遣いが次から次へと見つかったように、マスコミが本気で探せばいくらでもネタは見つかると思います。
 そもそも暫定というからには延長は絶対不可とすべきです。たとえ終了時点でさらに必要なものだとしても情勢を勘案した法律を立上げ直すのが筋でしょう。無修正で済むなら相当の長期にわたって使える税ということですから恒久税にすれば良いはずです。


(2008/5/18追記)

 地方首長が道路財源の特定化にこだわる理由については、どうやらこれまでの借金返済のためというのが本質のようです。下の田原氏の記事の他、TVのニュース特集でも取り上げられて、既に全国平均で道路財源の4割は借金返済に消えて行くそうです。つまり入るべき収入を当てにして借金を続ける完全な自転車操業~個人なら絶対破綻に陥るパターン~です。こうなると一般化しても道路以外には回す余裕はないので、一般化によって説明責任を問われるのが嫌だ、という事のようですね。

 なぜ福田政治はわかりにくい? 道路特例法に隠された真実 田原総一朗

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/080515_59th/index.html

暫定税率がなくなると困る本当の理由

暫定税率が25円下がった、上がった、という問題についても、全地方自治体の長たちが下がることに反対したわけだが、この反対の理由を政府は「暫定税率が下がると、地方には道路が作れなくなる」と説明した。しかし、それは嘘だ。地方自治体は新たに道路なんてそれほど作らなくてもよいのだ。

実は、暫定税率の25円には、今まで地方が公共事業、特に道路をつくった際の借金の返済が含まれているのだ。暫定税率が25円下がると、地方が借金の返済ができなくなる。これこそが、地方自治体にとって一番の問題なのである。
 (中略)
「道路がつくれなくなるので反対」ということを言うと、「これ以上道路はいらないではないか」という世論になってしまう。しかし、本当の問題は、道路ではなく、借金返済なのだ。そう説明すれば国民も納得できるのに、官僚に牛耳られている政府はそれができない。

 しかし、理由は分かりましたが、「国民も納得でき」ますか? 私は全然納得できないです。借金ループは何とかして一度リセットしないと、いつかは自己破産しか道はないでしょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長距離道路問題

2008-02-23 | Weblog

 記事をまとめるというのはなかなか大変なので、かなりさぼってしまいましたが、暫定税率問題であまりに酷い政府の論に黙っているのは黙認するも同然で、現有権者として日本の将来に対して無責任と思われます。それに、他にも正論を吐く人の記事も見つかりましたので私も尻馬に乗っかってみましょう。一から議論を立てるのは非常に大変ですが、人の議論をふまえるなら論拠を調べる手間が省けるので書きやすいですから。(でもやっぱり長文になってしまい大変でした)

 なお、斜体部分は引用で、引用元の敬称は略させてもらってます。それと個人の所属はあえて無視してます。著名人の論説でも一市民のつぶやきでも、その内容によってのみ評価されるべきだと考えております。

 


 今の国会等の議論では、暫定税率と、新規道路建設をどうするか、高速道路を無料化すべきか、さらには地方の活性化をどうするか、といった問題が混線しがちですが、これらは分解して考えるべきです。


暫定税率、論戦三つどもえ それぞれの「言い分」 (河北新報社)

http://news.goo.ne.jp/article/kahoku/region/20080211t71023.html


 まず、暫定税率・特定予算が正しいやり方なのかどうか。
 昔の車が少なかった時代ならともかく、現代で車に頼らず生活している人がどれだけいるか。自分で運転しなくても物流を通してほとんどの生活用品は車で遠方から運ばれている時代です。ほぼ全国民が利便を受けているなら最早自動車税は"特定"ではありえないでしょう。
 ましてや全国民の生活に関わる税を"暫定"と冠して特に議論もせずまた何年もずるずる続けようと言うのが、政治家の姿勢として正しいのでしょうか。
 これに関しては、


租特法で2倍になったガソリン税 (HAB Reserch & Brothers Report)
http://www.yorozubp.com/9802/980211.htm

 この記事に書かれているように、"「当分の間」が実は政治家にとっても官僚にとってもうまみのある制度となっているのだ。"ということに尽きますね。
 残念ながら元のURLを失ってしまったのですが、ある議員(元自民で民主へ移籍した人だったと思う)がどこかのニュースサイトの連載コラムで、百科事典並の分厚い法律書が何のためにあるかということに関して、「献金額を元に法律の適用範囲を細かく変更できるように指定業種リストが細分されているのだ」、と言うような内容を語っていたものがありました。一般庶民の感覚からすれば、どう考えても賄賂の構図ですが、当人は自覚もないので図らずもホンネを出してしまったということでしょう。(→どうやら告発的な意図で記述していたようです。後述の追補コメント参照)


 しかしながら暫定税の分は従来払えてきたものだから税金はまず払える人から払ってもらうべしという考え方で、暫定の特定財源でなく一般財源化するのはありだと思います。


「応能税」か「応益税」か (辻広雅文)2007年10月

http://diamond.jp/series/tsujihiro/1/
 そもそも5兆6000億円の道路特定財源のうち、揮発油税、自動車重量税など3兆円強は国税なのである。実は、その揮発油税は1953年に特定財源化される前は、一般財源だったことは知られていない。多くの人が誤解し、政府もあえて説明していないのだろうが、「揮発油税は道路整備のために創設された目的税」ではない。戦前から存在していた国税であり、目的税ですらない。道路が未整備だった当時、田中角栄らによって緊急の立法措置がなされ、特定財源化されただけなのである。

 ガソリン代の高騰が問題視されておりますが25年ぐらい前は150円/lだった時期もあり、ガソリンに関しては全く無茶な価格とは言えないはずです。ただし、ガソリン税にも消費税をかける二重課税はどう考えてもヘンです。これはガソリン代とガソリン税と分けて表示し、ガソリン代だけに消費税をかけるのが本来の筋です。税額を明示したくないという姑息な行政指導自体がこの税の胡散臭さを増強しています。
税金は取る以上は明示すべきです。消費税の内税化や源泉徴収も本来すべきではありません。ついでに言えば"納税"ではなく"払税"と称すべきで、払った税金の使い道を国民がしっかり監視しなくてはなりません。そのためにも税額はハッキリ意識すべきなのです。
 なお本論とは少し外れますが、灯油に関しては当時と比べても高すぎる気がするので、生活に必要な暖房費分だけは補助する仕組みは必要な気がします。単に灯油料金を補助金などで下げると灯油を軽油に転用するような問題が絶対起きそうな気がしますので、世帯or人数当たりで地域別に補助金を出せるようにするのが良いでしょう。
 一方、重量税や取得税は軽減した方が良いと思います。これは都会と違い公共交通機関が不足する田舎の方では車が生活必需品となっていることが多いから必要経費控除に相当します。


道路特定財源にかかわる2つの極論、悪しき流れ (猪瀬直樹)

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/071204_19th/index2.html

この記事では、
 地方はクルマ社会だ。一家に1台ではなく、2台、3台があたり前。地方税である自動車取得税の減額などは自治体税収に大きく響く。
 と税収の方を重視しておりますが、住民の負担軽減の方を重視すべきでしょう。「生活必需品」にはなるべく税金をかけるべきではないからです。税収の配分問題は国と地方の役割分担として全体で考え直すべき話です。

 根本的に目的税というのは本当に短期で一気に巨額の資金を集めるレアなケース以外では弊害ばかりです。わざわざ予算の使い道を限ってしまえば弾力的な運用ができなくなるだけで施政者としての知恵を絞る余地が減り、何もメリットがありません。得をするのは固定化された利権にありつく者だけです。大体、特別とか暫定というのは通常ではないこと、というのが本来の言葉の意味です。
 同様に消費税を福祉目的税にするというのも同じくナンセンスです。その分の一般会計が他に転用されるか、福祉という看板を掲げた箱物や道路ができるだけでしょう。福祉関連公務員用宿舎、福祉用途リゾート、福祉リゾート用自動車道、公務員の福祉用マッサージチェア&ゴルフクラブ、等々、いくらでも思いつきます。


 次に、新規道路建設をどうするかです。これは明瞭で、必要な道路は一般会計で作るべきです。
 暫定税問題に関連して福田首相が「必要な道路を造る予算がなくなる」と言っていますが、官僚がこう言うならともかく政治家の発言ではありませんね。
 税というのは国民が必要とする施策を実行するために政府に信託しているものです。当然予算には限りがありますから、実行すべき施策の重要度を計って重要なものから予算を配分していくのが政治家の仕事です。従って道路の必要度が高ければ当然予算から使うべき、それによって他の施策が実行できなくなったとしても、重要度が低いのであれば仕方がない訳です。否、それも絶対重要なので実行すべきだ、と言うのであれば予算が足りないのですから増税を計らなければなりません。絶対国民にとって重要だと言えるならば増税を説得できるはずです。増税を言えば選挙に負けるから言いだせない、と言うのであれば、それこそがポピュリズムです。ましてや今福祉を切り捨てておいて、福祉のための消費税増税という名目でごまかして提案しようとするのはほとんど詐欺師のやり口です。
 一方で、「特定道路財源があれば作れる道路」というのはどうでしょう。これは言い換えれば「一般財源からでは建設できない道路」すなわち国民にとって必要度の低い道路、に他なりません。
 つまり首相の発言は、いかに特定財源というのが無駄であるかを証明しています。

 「本当に作るべき道路」に関しても、なぜかすぐに"高速道路(高規格道路)"の話になってしまい、採算性を元に規制すべきと言う論者もいます。例えば、先の猪瀬氏の記事には、

 費用対効果にもとづいて適正にコストを見つめれば、ほんとうに必要で国益にかなった道路をつくることはできる。だが明らかに無駄と思われる道路はつくるべきではない。

 とあります。しかし、この費用対効果を評価するのは誰か。これまでも事前評価はあったはずで作る前には"必要な"道路だという書類が積み上げられていたはずです。問題はむしろ作った後の無駄を評価する仕組みがない点でしょう。あるいは"採算性"を重視するあまり料金を高めに設定したがために使われない道路も多いはずです。アクアラインも四国の橋も無料ならもっと使われるはず(3つもあるのは明らかに無駄だが)、膨大な税金を投入して、しかも国民に使わせないようにしているというのは一体どういう了見なのでしょうか。
 さて、無料で使われて国民の役に立っている場合の"効果"はどう採算性で評価するのか。田舎の集落への一本だけの道などの場合を考えれば単に交通量の多寡では評価できないはず。そういう評価の明確な仕組みがない以上、費用対効果で規制するというのは絵に描いた餅でしかない。お役人の裁量の発揮しどころとなって思うつぼでしょう。(国交省の言う"採算性"に関しては後述)
 …と裁量で体裁ぐらいは取り繕うかと考えてたのですが、お役人は予想以上に厚顔無恥でした。


高速道建設に「抜け道」 1850キロは審議不要 (asahi.com)

http://www.asahi.com/national/update/0219/TKY200802180488.html

 このニュース記事によれば国会審議すらなしで作ってしまう気のようです。こうなるともうまともな評価などあるわけがない。さすがに朝日が報じたので大臣が一応諮問会議にかけるという方針に転じたようですが、騒がれなければ素通りしていただろうということは容易に想像できます。お役人に全く自浄作用は期待できません。諮問会議も人選は役所が握ってるでしょうから形式で終わるでしょう。


 正直言って地方に有料の高速道路など必要でしょうか。県間や都市間をつなぐような長距離の自動車専用道路はあってしかるべきと思いますが、無料でなければ、特に交通量の少ない地方では誰も使わないでしょう。
 まず生活道路として使われる一般道の建設・整備の必要性に関しては、完全に地方自治に任せて事後評価の制度を取り入れるようにするのが良いでしょう。
 他方、長距離の道路に関しては、基本的にトラフィックと経済効果の視点で重要度の評価ができると思います。その場合も日本全体の流通を見通して"必要な道路"は無料であるべきです。金を取れるのは生活に必要でなく普通以上に贅沢なもの=必要ではないものだけです。
 後で知ったのですが、道路特定財源からの支出は主に大規模工事に限られ、地方の小規模な道路の整備には使えないという事です。生活密着なのはどちらでしょう。生活道路の補修をそっちのけで高速道路を作る意味があるのでしょうか。なお、補助を受けるために必要性を度外視して道路を高規格にしている例もあるようです。もう無駄も極まれりですね。


 ということで、高速道路の無料化の問題に入りますが、一番しっかり論じていると思えるのはこちらの連載ですね。


高速道路は無料化すべき (山崎養世)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070925/135842/

 基本的に無料化に賛同します。無料化のメリットはむしろ地方に多く、波及する産業分野は膨大、全国民に益するはずです。
 この記事でまだ欠けていると思うのは、"高速道路"と呼ぶ時点でまず罠にはまっているということですね。上述のように県をまたぐ自動車専用の道路は本来は長距離(遠距離)道路と呼ぶべきです。そして、道路網全体を見渡して日本の流通がうまく流れるようにするためにはどうすべきか、という観点で論じなければなりません。
 物流として考えた場合、人間の血流と同様、太い大動脈/大静脈があってそれから個々の細胞への毛細血管へ分岐していくというのがもっとも自然な環境でしょう。したがって長距離用の自動車専用道路があり、そこから一般道(短距離道路)へ流れていく、あるいはその逆、の流れを見通して構築するのが自然です。こう考えれば長距離道路を通るのに一々金を取る方が異常だというのは明白でしょう。
 現状では大動脈への流れを通行料金によって制約している訳で、そうなれば全身の流れがおかしくなるのは当然です。遠方へ行きたい自動車が本来なら通る必要のない一般道を通ることによる渋滞、交通事故、騒音、排気ガスの増加、これらによる国の損失は経済価値にしたらどれほどになるでしょうか。絶対高速料金収入より多いと思います。
 さらに、これは遠方に住む家族と自由に会う権利を経済的に制約しているのも同然で、昔の封建制度ならいざ知らず、転勤や単身赴任等で活動拠点の分散している現代の日本の核家族文化には合わないものです。

 地方にこそ道路が必要で道路ができれば人や企業が来る、というのは一面では真実だと思います。ただし、長距離を移動するのにコストが高いということでは結局地方分散より消費者の多い都心集中の方が経済メリットが大きい訳で、いくら立派な道路があっても地方は栄えるはずがありません。
 つまり地方こそ長距離道路の無料化を訴えるべき、そのためには道路網というのは一部利用者の負担でなく、全国民の税金で作るべきものだという観点でなければなりません。道路"特定"財源では、利用者だけが賦課を負うものだ、という理屈に勝てないのです。
 なぜこう論じる地方の政治家が出てこないのか実に不思議です。(これについては後述の辻広氏の記事が一つの解釈でしょうか。)
 地方の繁栄は都会に住む者にとってもメリットなのです。人口の分散によって住環境や交通渋滞といった問題は緩和されますし、田舎で住む人が増えることによって様々な自然環境も守られ、たまに旅行するだけでも癒やされます。
 また話が逸れますが、田舎と呼ばれるのを嫌う人もいるようで、政治的には「地方」という呼称でくくられているようですが、都会の人間にとっては田舎はある意味で憧れの地、ステータスと考えても良いのではないでしょうか。地方のみょうちくりんなテーマパークに行くより「田舎」の雰囲気に浸りたい人の方が多いはずです。地方活性には田舎を住みやすくすることの方が工場誘致より余程役立つのではないでしょうか。そのためにはとにかく交通の便、特に都会と行き来をしやすくするというのが一番だと思います。遊ぶのは都会が良いが住むのは地元の方が良いと考える若者も多いはずです。

 話を戻して、自動車専用道は環境の観点でCO2削減にも大きく役立つはずです。自動車からのCO2排出量は主に新車の燃費改善により台数増の割に増加が少ないと言われています。だとしたら、市街地を走るのに比べ自動車専用道を走る時の燃費の向上はずっと大きいはずです。石油消費量の削減にも役立つでしょう。
 交通事故を減らすにも、自動車と歩行者を分けること、交差点をなくすことは一番の有効策です。その街に用のない車は歩行者と隔離するためにも長距離道路を走ってもらいたい、そのためには金を取っていては駄目でしょう。
 あと、自動車専用道路の保守費用はドライブイン等の営業収入から主に回収すべきでしょう。どうしても独占的な営業になるので公平な競争でない以上社会への負担は負うべきです。保守に役立つと思えば利用者も多少割高な料金でも納得して払えると思います。嫌ならトイレ以外は使わなければ良いのですから。今のように道路公団の外殻団体に収益が集まっているのに道路料金を上げようと言う首都高は全く時代に逆行するものです。ETC(これにも道路特定財源から支出があるらしい)など国交省の利権になるだけで本来の自動車交通を考えれば無料化した方が社会的コストはずっと安くすむはずです。

 ただし単に長距離道路を無料化するだけでは物流が車に偏り、環境上良くないというなら、そこで炭素税やトラック保有税のようなものを導入して国としての物流バランスを考えるというような判断をするのが政治の本筋でしょう。なぜそういう観点がないのか。ネットで"長距離道路"を検索して出てきたのはドイツの政策ぐらいでした。日本では考えられてもいないのでしょうか。
 唯一ヒットした国内のサイトは下の記事ですが、長距離道路交通への具体的施策、とあっても主に高速道での自動運転化に関する論文(これも将来ぜひ実現して欲しいと思いますが)でトラフィックの観点ではありませんでした。

真の新交通システムたるガイドウェイ高速道路(誘導付き高速道路)を整備・建設すべし! (半田利弘)
http://wwwb.dcns.ne.jp/~toshi..h/policy/highguide.html

 なお、大きな変革はいきなり断行すると弊害も多いので当然時間をかけ段階的に移行していくべきものと思います。でも今時10年もかかっては遅すぎるでしょう。


 最後に、道路建設が地方活性に役立つかですが、既に述べたとおり無料の自動車流通網の整備は地方の活性化への可能性が高いと思います。しかし、今の国交省の道路整備計画で"有料高速道路"をいくら整備しても一過性の建設業の潤いと、その後の膨大なメンテ費用の負債が残るだけで地方の活性化にはならないでしょう。
最近、下の記事のように地方の零細業者や生産者自身が従来の流通経路でなく、ネット通販に活路を見いだしたという話は良く聞きますが、そこではネット環境だけでなく配達する物流の力も絶対必要です。それが燃料費高騰や高速代値上げで送料も値上げになれば通販の競争力が弱くなってしまいます。物流コストの低下は地方の方が切実なはずです。


インターネットが加速した過疎地の再生 (宮嶋康彦)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080213/147198/?P=1

 

  ~ 字数制限に引っかかってしまったので続きは分割しました。 ~

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする