25時の島

祝!カブ移籍。W杯は雲の彼方に

報告。

2006-07-31 23:29:48 | Weblog
昨日ですが、渋谷のBunkamuraで上演中の「アクロバティック・白鳥の湖」を見てきました。
当日券。5番目に並んでゲットしました!!

おいおい、感想は書いていきますが。面白いですよ。楽し~い作品。お勧めです!!

英国旅行記~仰いで尊い卒業式②~

2006-07-31 00:45:40 | 旅行記
卒業式・本番。ちょっとシリアスに書いてみました


ホールの前方、後方の上部席に座った吹奏楽隊が奏でる音楽で、式は始まった。

音楽に合わせて校章が刻まれた大きな職杖を担いだ赤ガウンの男性が歩いてくる。プログラムによれば、彼はMace Bearerというらしい。

ついで質素な黒いガウン、黒い丸帽子の男性がゆっくりとしたリズムで歩いてくる。役職不明。その後ろには同じ格好の老齢の男性で、同窓会代表とある。

それから学部の主要スタッフに教授、講師など学部の構成員が続く。学位保持者は全員、それぞれのガウンを着ている。これは卒業した母校によって異なる。私の大学の博士用ガウンは赤字に緑のフードなのだが、青、紫とバリエーションは広い。そして名誉学位受賞者。ターバンを巻き、やはり博士号のガウンを着ている。

 しんがりは赤に金のラインの入ったガウンの中年男性、そして黒地に金色の模様の入ったガウンの老人だ。 これが大学総長と副総長。はじめて見た。ちょっと疲れた顔をしている。無理もない。だって連続15回出演ですから。一行はおごそかに中央通路を歩いて前のステージにあつらえられた席につく。

開会の辞は総長によって述べられる。。この一年での大学の成果を簡潔に述べた、短いものだった。
次は日本で言えば、証書授与なのだろうが、どうも書き方が難しい。
一言で言えば、「学長の握手会」。
卒業者は名前を呼ばれ、順にステージに上がり、学長にお声を掛けていただき、握手する。

壇上の出番はそれで終わり。卒業証書は席に戻る途中に設けられたブースでようやく受け取る仕組みになっていたのだ。壇上渡しは時間がかかるから、今の形式に変更したのだろう。

何はともあれ、まずは博士課程卒業者から始まる。先述のとおり博士のガウンは学士、修士と異なる派手な色合いに加えて、帽子もトマス・モアなんかが被っていそうな黒い丸帽子で金の組み紐が縁取っている。年齢層は20代から60代までと幅広い。ついで哲学修士Master of Philosophy。博士課程に進むのに不可欠な学位で、ガウンは黒に緑のフードが付いている。一人80代の女性がいて、夫らしい人に付き添われて壇上に向かっていた。年齢は人を縛らないと思った。

そして修士課程Master of Arts。緊張がピークに向かう。フードが重くひたすらシャツを引っ張って立ち上がる。帽子がずり落ちないかと不安になる。 いよいよだ。名前の確認をして壇上に上がる。学長は顔色が悪くて明らかにお疲れモード。 それでも穏やかに祝福の言葉を述べ、握手をしていただいた。どうにかお礼の言葉をしぼりだして一礼し、壇上を降りた。終わりだ。40秒に満たない動作がとても長く感じた。顔をあげて通路を進む。 保護者席に笑顔の両親が見えた。 親孝行になっているといいのだが。

そして学士過程。ここからいきなり騒がしくなる。なんせ若いので壇上でポーズを決めたり、掛け声をかけたりとノリノリだ。何だか厳粛な感じが薄れてきたぞ。おまけに女の子は「むちむち」を遥かに通り越した体形の子が多くてすごい。博士の人々は全員、ほっそりした体形だったので余計に目立つ。まあ若いしね~。
 
ただ、興味深かったのがヘジャブをかぶったムスリムの女生徒たち。彼女達の何人かは握手をせずお辞儀のみで壇上を降りていった。興味深いのは、黒いヘジャブをかぶった女性よりも華やかなヘジャブの女性に、このタイプが多かった。宗派で違うのだろう。

「握手会」が終わったところで次に名誉学位Doctor of Universityの授与式とスピーチ。今回はシーク教のグル(指導者。間違っても某カルトとは異なるものであることを広言したい。)が選ばれた。彼のスピーチは非常に興味深いものだった。バーミンガムにおける宗教の歴史の話で、キリスト教の各宗派の教会設立の歴史に始まり、第二次大戦前夜におけるイスラム・モスクの設立、そして現在の宗教間対話への取り組みについて語っていた。 このご時勢ゆえの背景事情もあるのだろうが、面白いものだった。 
そしてまた、別のスピーチがあったような・・・短いものだったのではや忘却。

 
そして英国国歌が流れる。といってもメロディーだけ。 歌わない。ありがたいことだ。だって私達は歌えないもの。今の日本のように押し付けるのでなく、さらりとやってくれたのがニクイ。本当の愛国心、もしくはその国を尊敬する心ってこういった「押し付けがましさの排除」から生まれるものではないだろうか。

やがて式終了の辞が述べられ、来たときと同じ順番で学長一行が退場していく。
次に卒業生。のたのたと歩いて出て行く。後ろがすぐに詰まってしまうので、芝生までいっきに突き進む。太陽がまぶしい午後三時。

そうして、卒業式はシンプルに幕を閉じた。

英国旅行記~仰げば尊し!?卒業式①~

2006-07-28 23:36:28 | 旅行記
日程では、5,6日目になるのですが、やはり今回の旅の目的は卒業式!イギリスで卒業とくれば、映画などでおなじみ、あのハリポタのような「スコラーズ・ガウンScholar's Gown」に角帽姿!やってきましたよ~。
いや、でも色々な意味で濃い出来事で…。ははは。


通っていた大学は街で一番のマンモス大学なので、卒業式は学部ごとに行われていました。
それも7月第二週の月~金曜日、朝、昼、夕の三交代で計15回に分けて行われるのだ!!
なんだか某少年アイドルグループの興行のようですが、事実です。
毎回出なくてはいけない、学長と副学長はお疲れモードでした。

私が出たのは7月12日。史学、演劇、宗教学などの文系学科の全過程(博士、修士、学士)の授与式で、午後1時45分の回。

まず生徒は午前11時半に指定の場所に赴かなければいけません。
予め予約していた、ローブと帽子を受け取らなくてはいけないから。

指定時刻ぴったりにキャンパスに到着し、受け取り場所に赴くと、すでに長蛇・・・でもなく流れ作業でローブ受け取り+着用が行われていました。

まずガウンが山と詰まれた受付で名前と学位を告げると、一式が渡されます。結構重い。黒地の厚手布で出来ていて、学部を表す薄いブルーのフードのようなものが別に付いている。はっきり言って、この時点で着方は不明です。何だか不思議なちゃんちゃんこ風といいますか。戸惑います。

その一式を持って180度回転してみると、5人くらいのお姉さん達が待機していて、着付けをしてくれたのです。
着方は実は簡単。ちょうど振袖を着るように、前身ごろを開いて袖を通す。袖は幅が広くて長いのでやはり重い。次にフード状の物体を被る。背中を覆うように大きいのでどうしても前の部分が後ろにずり落ちてしまう。だからブラウスのボタンで留めるように輪ゴムが付いている。面白い工夫だな。
もっとも、ブラウスの前が釣り上がるという欠点もあるのだけれど・・・おかげで始終前を引っ張らなくてはならず、緊張し通しでした。

ちなみに、ガウンの下は「きちんとしたブラウス、シャツに黒スカートかズボン」と決められていたのですが、学部生には普段着のぼろジーンズを履いている子も少々いました。さすがに修士以上は、スーツ、もしくは民族衣装でした。サリー姿もちらほらいました。

また、興味深いのはムスリムの女の子でヘジャブの上から角帽を被っていた。ちょっと素敵。この雑多さがほっとする。

そしていよいよ、帽子なのだが・・・事前に予約したサイズでは入らなかった

お姉さん「あら、すこし小さいみたいね。」
1サイズ上げてみる。
う~ん、でもやっぱり入らない。

お姉さん「すこ~し小さいわね!」
ありがとう、でもだいぶ小さい、というか私の頭がでかい!?
いいのです。だって丈夫だもの。

とりあえず2サイズ上げてもらってようやく納まった。そして房は左にたらす。これは必ず左でないといけないらしい。どうしてかは不明。

いずれにしても、こうしてガウンと帽子を身に着けると気分は盛り上がってくる。心はハリー・ポッター!?
しかし、ガウンは重い。ハリーも肩凝らなかったのだろうか?


さて、着付けが終わって部屋を出るとホールには、フル稼働していた。この部屋は4階にあり、螺旋階段を中央にして取り囲むようなホール、そして二方に会議室が仕切られているのだが、会議室の一つがローブ+角帽コーナー、もう一つは卒業記念のにわか写真スタジオ(笑)になっていた。ホールには数個のブースが作られ、それぞれ式典出席者へのチケット配布コーナー、式典撮影DVD予約販売コーナー(式典の個人撮影は厳禁)、写真と証書を収めるための額縁販売コーナー、今年度卒業生の名前入りTシャツ販売コーナー、さらにお茶コーナーまである。

わーい、祭りだ祭りだ

って違うがな!

当然ホールは大賑わいだが、配置が上手いのか、人員整理のスタッフがもうな慣れているのか、人の流れが滞ることがない。
恥ずかしながら、記念にと写真撮影を予約していて、混雑と長時間の待機を覚悟していたのだが、写真撮影コーナーでは6,7人のカメラマンがフル稼働していて、長い列もスムーズに解消されていく。

写真撮影も面白かった。担当してくれたのは小柄な女性カメラマンだったのだが、カメラの前に立たせると、いきなりねじの打ってあり、赤いリボンを巻いた白いプラスチックバトンを渡された。なんだこれ?

カメラマン「ねじのアタマのところに前身ごろのゴム輪を引っ掛けて、胸の前で持ってみて。」

そうすると・・・あら不思議、ローブがずり下がらなくなる!って・・・なんともアナログでいいですね。わはは!

思わず、へらりと馬鹿笑いしていたときにシャッターが切られて、馬鹿笑いが記念ショットになってしまった。ははは、私の人生、コメディーだわ。

そんな感じで写真撮影が終わり、式典会場の座席指定チケットを渡される。ホールが狭いので、着席できるゲストは卒業生一人に付き二名までと決まっている。我が家は両親が来たが、家族総出で来ている生徒も多かった。

この時点で、未だ前の回の式典が行われているので会場に入ることは出来ない。したがって一時間は待つのだが、結構楽しい。本館前の芝生にも売店が出されて、ビールとイチゴ、それにアイス、サンドイッチが売られている。とりあえずイチゴを買って食べつつ、友人と感激の再会をしたりなどしているうちに、あっという間に前の回の卒業生(医学部・薬学部だった。)が式典を終えて、外に出てくる。いよいよだ。

そして1時に開場。席に着くが、ここから先は退出は控えなくてはいけない。暇つぶしに周囲と話したり、見渡したりと漫然と待つ。
そして45分。扉が閉ざされ、音楽が鳴り響いた。


続きます
     

おかしいぞ、CNN!

2006-07-28 00:14:01 | Weblog
ブログのテーマからは大幅にそれますが、(というかすでに逸れ過ぎとも言えますが・・・)ちょっと言わしてください。

イスラエルのレバノン侵攻に対するアメリカCNNの放送姿勢に疑問があります。

我が家、CS入るので、ニュースを一時間ほど見ていたのですよ。
こんな事態になったのでCNNもずっと「中東の危機」と言っているのですが。。。

気持ち悪いまでにイスラエル寄りのニュース。

中継場所はイスラエルの国境沿いの村。
インタビューしているのはヒズボラの攻撃で避難を余儀なくされた人たち。
アメリカ育ちながら、イスラエルで兵士として働く若者とその家族。
死亡者の発表はイスラエル側のみ、専ら強調。

一応、レバノンにも中継を入れているものの、そちらは殆ど映らない。


ここで比較対象を。
BBCニュースではレバノンの街から中継していた。
しかも録画中に爆撃が始まって、砂埃にまぎれて逃げ惑っている場面も流れた。
取材先は、学校を緊急改造したベイルートの野戦病院。
映っていたのは、血にまみれたレバノンの民間人。
住民が去り、空っぽになった悲しいほど綺麗な町並み。(潅木がきちんと植えられた、本当に綺麗な街なのだ。

BBCが世界一公平だ、と言うつもりはない。結構、独断的な面もあるし。

だがCNNは凄まじいほどに作為的だ。
残骸だらけのレバノンの一角が映ったとする。
これはNHKでも、BBCでも使われた映像で、我々はそれがレバノンだというアナウンスを受ける。
ところがCNNはここにイスラエル側の被害のアナウンスをするのだ。

何だこれ。

怒りとか嘆きより、呆れてしまった。逆に笑えるよ、本当に。

最高だったのが、イスラエルに滞在中の取材チームの紹介コーナー。
乗っていた黒バンに白いガムテープで「TV」という文字がでかでかと張られていたのだ。それも二箇所も。

この人たちは、テレビ取材だといえば、戦闘機も避けると思っているらしい。
おいおい、戦闘機はそんなもの見ないよ。

「おやテレビだ。よし爆弾を落とすのをやめてあげよう♪」なんてメルヘンな思考を、ボルテージ上がったパイロットがすると本当に思っているのだろうか?

いや、面白い。

実に面白い。

そして一言。

あほか!

レバノンとイスラエルに関する問題はあまりに複雑で、しかも多数の国を巻き込む問題なので、安易なことはいえません。
ただ、言いたいのです。

おかしいぞ、アメリカ。

英国旅行二日目~フラワーショウとGuys And Dolls~。

2006-07-22 15:42:20 | 旅行記
朝7時起床。凄い頭痛が発生。もっともこれは珍しいことではない。

私の場合、長時間飛行の翌朝は、大抵頭痛がする。これが不思議なことに1時間ほど二度寝すると治るのだ。今回も例にもれず、全快した。

ついでに朝のニュースを見る。BBCが誇るSFドラマ「ドクター・フー」の今シーズン最終回が今日の夜7時だという。今回でヒロインが降板するので、ちょいと番組を盛り上げたれ、という感じでちゃっかり自社のニュースで宣伝しているんだな。まるで朝のワイドショーみたいだ。
去年放送されたシリーズが結構面白かったのと、現ドクター役が大好きなデヴィッド・テナントだったので、見たいな~と思ったが、今日を逃すと「ガイズ・アンド・ドールズ」を見に行くのはほぼ不可能になる。しかもアダム・クーパーの出演は9月までで、替えはきかない。・・・ごめん、テナントさん。私は生のクーパーさんの方が大事。
(註・幸運と言うべきか、「ドクター・フー」は今年の9月からNHKのBS-2で放映されることが決定した。まあ、クリストファー・エクルストン(映画『アザーズ』でニコール・キッドマンの夫役だった人)主演の第9シリーズからだけど、楽しみだ。世の中捨てたものじゃないね♪←大げさ+大バカ)


今日の目的は、母が以前から行きたがっていたハンプトン・コート・フラワー・ショウ。チェルシーと並びイギリスの二大フラワーショウである。朝食後の午前10時半頃、電車に乗ってウォータールー駅から30分ほど離れたハンプトン・コートを目指す。


駅を出て右手に向かうとテームズ川があり、これを渡ると赤いレンガづくりの大きな宮殿が見えてくる。それがチューダー朝時代の王宮、ハンプトン・コートだ。お妃を6人取り替えたヘンリ八世が住んだことでも有名で、一説ではここからテムズ川によってロンドン塔で処刑された二人の王妃(アン・ブーリンとキャサリン・ヘイワード)の幽霊が出るとか何とか。イギリス人ってばブラッディな歴史が好きよね。

もっとも今回の目的地はさらにその先。距離があるので4ポンドのボートに乗ってのったりとテームズを流れる。
赤い煉瓦塀の城、そして庭園が尽きたところに巨大テントがいくつもできている。船着場を降りて左手に仮設トイレのような当日券売り場、その隣に前売りチケット受け取りカウンターができている。前売りで買ったのだが、チケット買ったときの証明書は?ときかれ、いきなりうろたえる。持ってきてないよ~。大丈夫!郵便番号を言えば住所が確認できるのだ。ようやくチケットを手に入れる。ブルーの大判で右上に王立園芸協会「RHS」のマークが入っている。全てに「王立」を入れるのが英国っぽい。
そのまま左手に行くと、そこがフラワーショウの入り口だ。本来はここも城の庭園の一部なのだが、階段をかけていて堂々と塀を乗り越えていくことができる。城に向かう道は二重の金網が張られていて入れないようになっている。だがフラワーショウに来た人にとってそれはあまり重要ではない。だって今日の目的は無数に作られた小型庭園と種類豊富な園芸グッズ販売店なのだから

とにかく楽しい。あらゆるタイプの庭園、植物を見ることができる。優秀な小庭園とバスケットには金・銀・銅の各賞が贈られ、それを示すプレートがつけられる。因みに日本のRHS支部の作品がバスケット部門銀賞を受賞していた。日本のガーデニング趣味もここにきわまれり。
会場内には英国各地から参加した園芸店の屋外ブースと4,5棟の大テントが張られていて様々な展示、即売も行っている。販売されているのは、苗、種、土、シャベルなどから風見、門のプレート、はしご、あずまや、温室まで売っている。

釣り鉢用水コケを売る店に人だかりが出来ていたので、覗いてみると、おじさんが「美しい釣り鉢を作る秘訣」について熱弁をふるっていた。釣り鉢に水コケを敷き、苗を斜めに植えること!そうやってボスッと音を立てて実演してくれる。と、そこへ質問が。なんと日本から来た女性で「これ国に帰っても使えるかしら?」と熱心そうだ。
それに対しておじさん「いやあ~俺日本のこと知らないからな~。ここだったら大丈夫なんだけど。」と困惑しながらもきちんと答えてあげていた。

大テントの中にあるのは、デリケートな植物群。盆栽も無数にある。異彩を放っていたのが「食虫植物コーナー」。綺麗なアリ地獄などが植わっている。横には「危険ですので、お手を触れないでください」のプレート。 怖いっす。
デイリー・メイル誌主催のテントには可愛らしいコテージが据えられ、その周囲を「英国の四季」を彩る花々が飾られている。ついでにくじも行われていて、一名様にコテージが、2,3名にはシボレー(だったと思う)が当たる。ぐぐっと心が動いたが、当たっても家を置く場所はない。とりあえず写真だけ撮った。

お昼はいくつも並んでいる屋台からフィッシュ・アンド・チップスを一個買って二人で分けた。なぜなら以前、一人一個を食べてその晩は地獄だったからだ。しかし、そんな我々の前にいる素敵なお婆さん三人は大盛りのチップスを一人一個ずつ抱えて、きゃっきゃっ言いながら食べていた。その胃袋には敬服します


とにかくそんな感じでフラワーショウを満喫。4時に帰路に着く。帰りはリッチモンド経由ヴィクトリア駅行きのオープン二階建てバス(二階部分がオープンになっているタイプのバス)に乗ったのだが・・・気づくべきだった。通常、オープンカーに乗っている人々が厚着だと言うことを
最後部に乗った我々を待っていたのは凄い突風と街路樹の枝。そして木の下にいる虫の大群だった・・・・

いやはや。楽しかったけどね♪

5時、ヴィクトリア駅到着。駅すぐそばのアポロ・シアターでは、以前「サタデーナイト・フィーバー」を上演していたけれど今はあき状況になっている。ううむ、やっぱりロングランは難しかったか。お向かいのアポロ・ヴィクトリアでは「ビリー・エリオット」が大盛況だ。もっと日程に予定があれば見に行ったのだけれど・・・。もっとロングランしてくれると嬉しいな。


そのままピカデリーへ直行し、Guys~の上演されているDonmar劇場へ。入り口に主要キャストのパネルが張り出されているのがファンとしては嬉しい。早速、記念撮影。ボックスオフィスで当日券をゲット。結構ギリギリだったが取れるという。ラッキー。でも高い!結局二回サークル席にする。一度ホテルへ戻って休養後、7時に劇場に着く。

パンフレットを買って二階席へ。が!急な階段がらせん状にぐるぐる続く。絶対これはバリアフリーというものを考えてないわね!!と怒るが、まあしょうがない。
ミュージカルはとても面白かった。ただ、台詞がとても早口でリスニングに相当苦労した。ぜえぜえ。

ミュージカルは1920年代のアメリカを舞台にした、大物賭博師と真面目な救世軍の女性、そして賭けの胴元と、彼と14年間(!!)婚約しているダンサー二組のカップルを中心に繰り広げられるコメディ。映画が元ねただそうで、MGM黄金期のミュージカル映画を髣髴とさせる感じもあった。でもダンスは切れがあって面白かった。

ギャンブラー役のアダム・クーパーはやっぱりかっこよくて、20年代風のスーツが似合うこと!

歌もいい。人によっては高音部を「あ゛~」とイガってしまう人もいるけれど、彼はしっかりと歌うし、上手い。立ち姿もさまになるしね。
ただあまり踊らないのがちと悲しい。賭博のシーンや救世軍教会、ハバナでの群舞、レビューでのシーンがとても楽しかったのだけれど、ここでアダム踊らないかな~と思ってしまうことが結構あった。

踊ってくれよお~アダム~。欲を言えばロイヤル時代に踊る彼を見てみたかった。ゲスト出演してくれないだろうか?ロイヤルは男性ダンサーが慢性的に不足しているし・・・。演技できるダンサーはもっと少ないし・・・。

しかしないものねだりをしても意味はない。とりあえずアダム氏にはこれからもがんばってまた日本に来てほしいな。この出演も絶対プラスになっていると思うし。
ファンは貴方を待ってます。

劇場からピカデリーに向かうと、なにやら結構な数のグループがイタリアの旗を振ってわめいている。ワールドカップの決勝戦が近いのね。そんな感じでホテルに帰る。

予断ですが、今日7月22日はクーパー氏35回目の誕生日です!!とりあえずおめでとうございますだ


英国旅日記~一日目~。

2006-07-18 23:58:41 | 旅行記
卒業証書を受け取りに英国へ出発しました。

7月7日。某英国航空会社機にて成田を朝出発。
機内は4割くらいで中央はほぼガラガラ状態である。それをいいことに通路を置いて隣席だったお兄さん、ハングルのTシャツを着たブリストル在住のフランス人は4席占領してごろ寝していた。
私の席は窓際だったため、そこまで独占はできなかったが、同行した母が空席に移動したので、らくらく二席を独占してだらりと座ることにした。何せ半日、密閉空間なのですもの。開いているスペースは活用したい。

さて機内のプログラムをチェック。英語、日本語、アラビア語、北京語、広東語といくつかバージョン違いのプログラムがあるが、何割かは重複している。日本語には邦画として、「NANA」、「春の雪」、「タッチ」があったが、どれもぱっとしないのでパス。
やはり外資系。英語版の方が充実している。リスニング修行だ、がんばろう、と英語プログラムを選択。するとテレビプログラムとして、日本未放映の「CSI:5」シーズン最終話、「Grave Danger」が入っているではないか。タランティーノが監督した2時間スペシャル版である。

そりゃあもう、CSIファンを自認するならば、見過ごすなどもってのほか。
たとえ専門用語がちんぷんかんぷんでもがんばるもんね。

ってなわけでがんばった。言葉が分からなくて、同じ場面を何度かリピートしたけれど

感想は別記事で書くけれど、かっこよい話だった。タラさんらしく、悪趣味全開な面もあったけど。グリッソムかっこいい~。ヒゲでもクマさん体型でも好きだ~。


そんなわけで3時間が経過。眠くなったので音楽を聴く。ポール・ウェラーやロビー・ウィリアムスがあるのがとっても英国的。ゴリラズもあったぞ。
とりあえず王道でビートルズを久々聴いた。「サージェント・ペパーズ」。やっぱりこのアルバムはいいね。コンセプトがちゃんとしていて、ばらけてなくて、捨て曲がない。特に「With A Little Help from My Friend」が好きだ。

そうこうしているうちに睡眠も少し取れていつのまにかヒースローへ。時刻は午後3時。
入国管理局のブースにいたのは60代のおじさん。目的は?ときかれ、「観光。バーミンガムへ。」というと、なんで?と厳しく突っ込まれた。
バーミンガムは観光都市じゃないってか。まあ事実だけどさ。

「大学の卒業式に出る。」と言うと、いきなり明るく「Congratulation!!」と3回言われた。 卒業っていいことなのね。素直に嬉しい。

親子揃って疲労が激しいので高いけれどエクスプレスでパディントンへ。そのままバスに乗って宿に着く。

宿で見た新聞のトップは去年の爆破事故追悼記事だった。タイムズ紙では過激派の犯人と被害者の一人である若い女性の写真を並べて黒枠で縁取ったものだった。なぜか?理由は簡単だ。二人とも移民家系のブリティッシュ・ムスリムだった。
犯人は自己のルーツを探ろうとしてあの道に入り込んだ。
被害者は金曜日の礼拝にちゃんと出る信心があって、銀行で働いて、ブランドも好きな、本当にどこにでもいそうな女の子だった。
彼らを抱える英国はまだ悩み続けている。なんとも言いがたい気持ちになった。


夕飯はふらふら歩いて見つけた韓国料理屋さん。とりあえず色々な国のご飯が食べられるのがイギリスのいい所だよね!?
えい、開き直ってやる。でも英語メニューなので頼んでみたら想像と違うのが出た。ビビンバだと思ったら味付けが辛いの。でも美味しかったから良し。

そのままふらふらと宿へ直行。午後11時睡眠。

続く

最近の徒然

2006-07-05 01:13:32 | Weblog
ここ一週間は特にドタバタしてきているあびです。
それがですね。イギリスに再び行きます。
といっても十日ほどですが…。半年遅れの卒業証書を取りに行って来ます。
残念ながらバレエはオフシーズンですが、絶対「Guys and Dolls」は見に行きます!!
ついでにスコットランドも足を伸ばす予定なので楽しみです。

そんなわけで準備中なのですが、この時期に就職しました。
思いもかけない事態で驚いています。世の中、動けば何とかなるもんやね

とりあえずがんばるです。

そういえば「CSI:5」、グレッグが昇格しましたね。ひゃっほー!シャーロック・ホームズねたで興味深かったです。


読書感想「闘う白鳥」

2006-07-01 12:43:11 | 読書感想
バレエ通なら誰でも知ってる、ロシアの大プリマ、マイヤ・プリセツカヤが96年に出した自伝。

プリセツカヤの名前を知ったのは小学生のころ。
ようやく我が家に来たビデオデッキで母親が録画していたのが、彼女のドキュメンタリーだった。インタビューに加えて、「瀕死の白鳥」、「子犬を連れた貴婦人」(ビデオでのタイトルは『子犬を連れた奥さん』)の舞台映像が入った、今考えてみると結構見ごたえのある番組だったような気がする。あのビデオはどこに行ったのだろう?

その時点でプリセツカヤはすでに60過ぎだったが、子供心に凄い人だな、と思った記憶がある。長袖ドレス風の衣装で踊る「子犬」の映像が印象的で理由もわからずドキドキした。

年を経て、なお美しく。同年代のバレリーナ、ダンサーがほとんど引退している中で今でも踊りを続ける姿は凛として美しい。彼女を見ていると自然に背筋が伸びてくる。

でも彼女の半生は、想像するだけで背中を丸めてうずくまってしまいたくなるほど重い。簡潔な文章でつづられたこの自伝、はそれを淡々と書き出している。

ソビエト社会主義共和国連邦という、現実が理論とは全くかけ離れたものだということを見事に証明してしまった国家体制に生まれ、あらゆる規則と搾取、不当な扱いを受けながら、あきらめないで渡り合う日々。
ソ連の中でバレエダンサーという職業は、一応国家補償があったというのは知られているけれど、反面、いかに政府(特に共産党)がダンサー達に暗い影を落としていたのか、よく分かる。
名声を勝ち得ながら、その言動、親戚がアメリカにいるから、等、理不尽な理由で海外公演に行かせてもらえない焦燥感。創作の上演が禁止される不条理などなど。

そんな闘いの日々の一方で、夫シチェドリンとの絆、ようやく赴いた海外公演先での交友の楽しさ。ロバート・ケネディと同じ誕生日だというのも始めて知った。


面白くてあっという間に読んでしまった。
今は2006年。プリセツカヤを苦しめたソ連が崩壊して久しい。
それでもまだ彼女の人生、そして舞踊への闘いの日々は終わらない。
読み終えた後、いつも丸めてしまう背筋を伸ばして外へ飛び出したくなった。
そんな力を与えてくれる本です。