今年のアカデミー賞で主演女優賞を取った作品。王室ものというとソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」があるが、あちらがお伽噺的な面を強調した作風だったのに対し、こちらは現代史であるせいか、非常に淡々とした作品になっている。
ただ、面白いことに両者を見ていると同じ感想が出てきた。「女王である事は、何て難儀なことなのだろう。」と。(マリー・アントワネットは王妃だ、と言われそうだが、英語だとQueenなので見逃してくだされ。)
今回は結末まで書いてありますので、知りたくない方はここから先を読まれない方がよいと思われます。
1997年初夏。大英帝国君主エリザベス女王(ヘレン・ミレン)は18年ぶりに政権を握った労働党新首相トニー・ブレア夫妻(マイケル・シーン、ヘレン・マクロイ)と初対面する。改革に燃える若き首相夫妻にとって、女王に背中を見せてはならず、形式ばった礼儀を強いる王室は奇妙で時代遅れに映る。
1997年8月31日。離婚して一年、公私に渡って華々しい生活を送っていたダイアナ元妃が自動車事故で死亡する。「元皇太子妃」の死という前例のない事態に皆、動揺するばかりだが、女王は敢えて沈黙を守り、母の死にショックを受ける孫たちのために静養先のスコットランドにとどまる。遺体を引き取りに行くためにチャールズ皇太子(アレックス・ジェニングス)が単身、パリに向かう。
一方でロンドンの首相官邸では、首席報道官アラスター・キャンベル(マーク・ベイズリー)が首相の演説原稿に「人民の王女(People's Princess)」というフレーズを入れ、これが大々的に報道されて、大衆のダイアナ妃への追悼は熱狂度を増していく。政府はダイアナの「国葬」を発表し、バッキンガム宮殿前にはおびただしい献花が積まれる。
ダイアナをあくまで「私人」として密葬するという女王の対応は歴代の君主のやり方としては理に適っていても、感情にはやる人々には冷たく映る。生前のダイアナのインタビュー、映像が繰り返しテレビに流れ、大衆は王室に不満を募らせる。皇太子は個人秘書を通じて首相にすり寄る姿勢を見せ始める。断固として王室としてのあり方を通すことを主張する母エリザベス皇太后(シルヴィア・シムス)に夫エディンバラ公(ジェイムズ・クロムウェル)、対抗するように声高に王室を批判するメディア。ブレア首相は改革派でありながら、あまりにも一方的なメディアのバッシングに違和感を抱き、この事態を収拾するために女王にロンドンへ戻るよう電話する。
一週間後、王室一家はロンドンへ戻りダイアナの「国葬」が遂行される。
一ヵ月後、定例の会合のために訪れたブレアに女王は告げる。自分はずっと女王であることが第一で、私人は二の次であるべきだと思い、そう振舞っていた。でも時代は変わってしまった。世間は感動や涙をすぐに求めたがるのだ。自分の評判は「あの一週間」から完全に復調することはないだろうと。そしてこうも告げる。大衆の意見は恐ろしいほど変わってしまうもの。貴方もいつか分かるだろうと。ややあって、彼らは当初の目的だった今後の改革案について話し合い、物語は終わる。
実在の人物、しかも現役の先進国君主のエピソードというタブーに近い作品を作り上げたことにまず拍手。そして、とても素晴らしい作品だったことにスタンディング・オベーション
。104分という上映時間が短く感じられるほど、展開がよく、見る側の思考力を喚起させる作品でした。
基本的な事項はリサーチに基づいているそうだが、それ以外はすべてフィクションとして見てよいと思う。王室一家で出てくるのは女王、エディンバラ公、皇太后、皇太子だけで、アンドリュー王子やアン王女、マーガレット王女など他の王室メンバーは思い切り良く出てこない。
感想を書くにあたり、他の方のブログやサイトを巡ってみたが、意外にも夫君と皇太后への評価が低くて驚いた。また、彼らが悪く書かれているという指摘もあった。だが個人的には、悪玉/善玉という観点は持てなかったし、持つものではないと思うのだ。皇太后は80年近く夫と娘、二人の王を支えていた自負のある女性で夫君は…まあ実際に失言の多い人(
Wikipedia参照)らしく、多少頑固だが60年妻の影に徹してきた男という感じがした。チャールズが気弱なずる男に見える節は無きにしもあらずだけど、「ダイアナは問題はあったけど良い母親だったよ、いつも子供のことを考えていたし。」と幼少時から女王としての仕事を優先し、自分をあまり省みなかった(多分)母君に対して微妙に当てこすりを言ってみたり、と見ているこちらが苦笑してしまう所があったりするのがうまい。
強いて言うならばシェリー・ブレアとアラスター・キャンベル(後の戦略・報道局長)が、王室をバカにする面が強調されすぎている気もするけれど、これはむしろ個人へのあてつけというより、あの一連のダイアナ元妃死去報道に逐一反応していた私達聴衆の投影なのではないかな、と思える。この作品は「決めつけ」を行うのではなく、歴史ある国の君主になった女性の苦悩や、それを取り巻く人たちを通じて、感情的なニュースに一喜一憂する我々とは何なのか、伝統というものが人に及ぼすのは何か、そして君主という所業の重さについてこちらに一石を投じてくるものだ。
ここからはちょっと各論。
うまいなあと思ったのが「場面の対比」。場面の移り変わりに、格調高い宮殿と実務一辺倒の官邸。騒がしいロンドンと静寂に包まれたスコットランド。優雅で格調高いバルモラル城(女王私邸)と子供の玩具と落書きが転がっているブレアの自宅。「王」と「民」、「君臨」と「統治」の違いがとても明確で、だからこそ埋められない見解の差異というのが見えて興味深かった。
笑ってしまったのが、ダイアナの葬儀について女王、皇太后に侍従長のサー・ジャンヴリン(ロジャー・アラムが好演)が政府からの見解を告げるシーン。
政府は葬儀をエリザベス皇太后の葬儀の形式を基本にしたいと言う。皇太后がそれは来るべき時に備えて自分が決めた形式で、なぜダイアナに適用するのかと不満を示すと、侍従長は言い難そうに告げるのだ。「それが唯一リハーサル済みで問題のない手順なのです」と。確かに当時でも皇太后は97歳で、そろそろお迎えが来てもおかしくないと思われていたのだろうけど、葬儀の手はずまで整えていたのか
!と。(皇太后は2002年に101歳で亡くなられました。)個人的にエリザベス皇太后は、素敵なおばあさんだなあと思っていたが、本当に自分の葬式のリハーサルまでしたいたのなら、中々なお方だな、とちょっと感心してしまった。
そして女王の下にいつもまとわりつく3匹のコーギー犬が可愛い!犬好きにはたまらないですよ。ラストも散歩する首相と女王の周りを走り回っているのがほほえましかったです。
それにしてもラストの女王の一言は痛切です。大衆の意見は猫の目のよう。1997年当時は破竹の勢いだったブレア政権も、イラクと相次ぐ閣僚スキャンダルで近年はガタガタ。そんな現在の状況を考えると、ヒヤリとさせられた瞬間でした。
いずれにしても、イギリス好きな方、単純明快な映画に飽き足らない人にお勧めです!