25時の島

祝!カブ移籍。W杯は雲の彼方に

ストーンズがロイヤルバレエのドガになる!?

2007-04-30 21:28:24 | Weblog
こんな記事を見つけました。

Ronnie does a Degas at a Ballet

ローリング・ストーンズのギタリスト、ロニー・ウッド(60)がロイヤル・バレエのスターダンサーの肖像画を手がけており、二ヶ月前からツアーの合間にオペラ・ハウスのバックステージやリハーサル現場に立ち会って製作準備を進めているそうです。わお~。まるでパリ・オペラ座のダンサーを書いたドガみたいだと揶揄されています。

尤も、記事中で芸術誌の編集者は、ロニーの絵が評価されるのは、彼がストーンズのメンバーだからだと言ってます。確かに彼の作品はストーンズや有名人を描いた物が主であり、それゆえに価値があるわけで、ファンに言わせれば「まあ、そうだろうな」と納得もするのですが、エッチング(版画)などは素敵です。


今回、モデルとなるのはダーシー・バッセル、カルロス・アコスタ、アリーナ・コジョカルにタマラ・ロホと現在のロイヤルの「顔」と言っても良い面々ですが、何で女性ばかりで男性がアコスタだけなんでしょう?いつも描くのがストーンズのおっさんばかりで(断っておきますが、私はストーンズのおっさん大好きです!!)、男性をこれ以上描きたくないのか、単にそこにいたのが女性が多かったのか、好みの男性が他にいなかったのか(!?)分かりませんが、ストーンズもバレエも好きな人間としてマニアックに喜んでおります。

惜しむらくは吉田都さんをはじめ他の人も描いてほしかったですが、ストーンズも忙しいし、ま、しょうがありますまい。

何にせよ楽しみです。

因みに、ロニーの作品はオンラインで見ることができます。参考までに。

Ronnie Wood Cyber Gallery




映画感想「クイーン The Queen」

2007-04-29 16:39:22 | 映画、テレビ感想
今年のアカデミー賞で主演女優賞を取った作品。王室ものというとソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」があるが、あちらがお伽噺的な面を強調した作風だったのに対し、こちらは現代史であるせいか、非常に淡々とした作品になっている。

ただ、面白いことに両者を見ていると同じ感想が出てきた。「女王である事は、何て難儀なことなのだろう。」と。(マリー・アントワネットは王妃だ、と言われそうだが、英語だとQueenなので見逃してくだされ。)




今回は結末まで書いてありますので、知りたくない方はここから先を読まれない方がよいと思われます。


1997年初夏。大英帝国君主エリザベス女王(ヘレン・ミレン)は18年ぶりに政権を握った労働党新首相トニー・ブレア夫妻(マイケル・シーン、ヘレン・マクロイ)と初対面する。改革に燃える若き首相夫妻にとって、女王に背中を見せてはならず、形式ばった礼儀を強いる王室は奇妙で時代遅れに映る。

1997年8月31日。離婚して一年、公私に渡って華々しい生活を送っていたダイアナ元妃が自動車事故で死亡する。「元皇太子妃」の死という前例のない事態に皆、動揺するばかりだが、女王は敢えて沈黙を守り、母の死にショックを受ける孫たちのために静養先のスコットランドにとどまる。遺体を引き取りに行くためにチャールズ皇太子(アレックス・ジェニングス)が単身、パリに向かう。

一方でロンドンの首相官邸では、首席報道官アラスター・キャンベル(マーク・ベイズリー)が首相の演説原稿に「人民の王女(People's Princess)」というフレーズを入れ、これが大々的に報道されて、大衆のダイアナ妃への追悼は熱狂度を増していく。政府はダイアナの「国葬」を発表し、バッキンガム宮殿前にはおびただしい献花が積まれる。

ダイアナをあくまで「私人」として密葬するという女王の対応は歴代の君主のやり方としては理に適っていても、感情にはやる人々には冷たく映る。生前のダイアナのインタビュー、映像が繰り返しテレビに流れ、大衆は王室に不満を募らせる。皇太子は個人秘書を通じて首相にすり寄る姿勢を見せ始める。断固として王室としてのあり方を通すことを主張する母エリザベス皇太后(シルヴィア・シムス)に夫エディンバラ公(ジェイムズ・クロムウェル)、対抗するように声高に王室を批判するメディア。ブレア首相は改革派でありながら、あまりにも一方的なメディアのバッシングに違和感を抱き、この事態を収拾するために女王にロンドンへ戻るよう電話する。

一週間後、王室一家はロンドンへ戻りダイアナの「国葬」が遂行される。

一ヵ月後、定例の会合のために訪れたブレアに女王は告げる。自分はずっと女王であることが第一で、私人は二の次であるべきだと思い、そう振舞っていた。でも時代は変わってしまった。世間は感動や涙をすぐに求めたがるのだ。自分の評判は「あの一週間」から完全に復調することはないだろうと。そしてこうも告げる。大衆の意見は恐ろしいほど変わってしまうもの。貴方もいつか分かるだろうと。ややあって、彼らは当初の目的だった今後の改革案について話し合い、物語は終わる。








実在の人物、しかも現役の先進国君主のエピソードというタブーに近い作品を作り上げたことにまず拍手。そして、とても素晴らしい作品だったことにスタンディング・オベーション。104分という上映時間が短く感じられるほど、展開がよく、見る側の思考力を喚起させる作品でした。

基本的な事項はリサーチに基づいているそうだが、それ以外はすべてフィクションとして見てよいと思う。王室一家で出てくるのは女王、エディンバラ公、皇太后、皇太子だけで、アンドリュー王子やアン王女、マーガレット王女など他の王室メンバーは思い切り良く出てこない。

感想を書くにあたり、他の方のブログやサイトを巡ってみたが、意外にも夫君と皇太后への評価が低くて驚いた。また、彼らが悪く書かれているという指摘もあった。だが個人的には、悪玉/善玉という観点は持てなかったし、持つものではないと思うのだ。皇太后は80年近く夫と娘、二人の王を支えていた自負のある女性で夫君は…まあ実際に失言の多い人(Wikipedia参照)らしく、多少頑固だが60年妻の影に徹してきた男という感じがした。チャールズが気弱なずる男に見える節は無きにしもあらずだけど、「ダイアナは問題はあったけど良い母親だったよ、いつも子供のことを考えていたし。」と幼少時から女王としての仕事を優先し、自分をあまり省みなかった(多分)母君に対して微妙に当てこすりを言ってみたり、と見ているこちらが苦笑してしまう所があったりするのがうまい。

強いて言うならばシェリー・ブレアとアラスター・キャンベル(後の戦略・報道局長)が、王室をバカにする面が強調されすぎている気もするけれど、これはむしろ個人へのあてつけというより、あの一連のダイアナ元妃死去報道に逐一反応していた私達聴衆の投影なのではないかな、と思える。この作品は「決めつけ」を行うのではなく、歴史ある国の君主になった女性の苦悩や、それを取り巻く人たちを通じて、感情的なニュースに一喜一憂する我々とは何なのか、伝統というものが人に及ぼすのは何か、そして君主という所業の重さについてこちらに一石を投じてくるものだ。

ここからはちょっと各論。
うまいなあと思ったのが「場面の対比」。場面の移り変わりに、格調高い宮殿と実務一辺倒の官邸。騒がしいロンドンと静寂に包まれたスコットランド。優雅で格調高いバルモラル城(女王私邸)と子供の玩具と落書きが転がっているブレアの自宅。「王」と「民」、「君臨」と「統治」の違いがとても明確で、だからこそ埋められない見解の差異というのが見えて興味深かった。


笑ってしまったのが、ダイアナの葬儀について女王、皇太后に侍従長のサー・ジャンヴリン(ロジャー・アラムが好演)が政府からの見解を告げるシーン。

政府は葬儀をエリザベス皇太后の葬儀の形式を基本にしたいと言う。皇太后がそれは来るべき時に備えて自分が決めた形式で、なぜダイアナに適用するのかと不満を示すと、侍従長は言い難そうに告げるのだ。「それが唯一リハーサル済みで問題のない手順なのです」と。確かに当時でも皇太后は97歳で、そろそろお迎えが来てもおかしくないと思われていたのだろうけど、葬儀の手はずまで整えていたのか!と。(皇太后は2002年に101歳で亡くなられました。)個人的にエリザベス皇太后は、素敵なおばあさんだなあと思っていたが、本当に自分の葬式のリハーサルまでしたいたのなら、中々なお方だな、とちょっと感心してしまった。

そして女王の下にいつもまとわりつく3匹のコーギー犬が可愛い!犬好きにはたまらないですよ。ラストも散歩する首相と女王の周りを走り回っているのがほほえましかったです。

それにしてもラストの女王の一言は痛切です。大衆の意見は猫の目のよう。1997年当時は破竹の勢いだったブレア政権も、イラクと相次ぐ閣僚スキャンダルで近年はガタガタ。そんな現在の状況を考えると、ヒヤリとさせられた瞬間でした。

いずれにしても、イギリス好きな方、単純明快な映画に飽き足らない人にお勧めです!



今年に入ってリカバリ2回目

2007-04-28 00:17:29 | Weblog
またもやパソコンが作動不良になり、リカバリする羽目になりました。基本的にノートPCの耐性は信用していないので、貴重なデータは入れていないのですが、2GB入れていたiTunesがパーになったのが痛いです。CD何枚分になるのか・・・ちょっと泣けてきます。ふう。

そういえば、「恋の骨折り損」に魅入られてシェイクスピアの作品を読破しようと図書館通いをしているのですが・・・いやあ~大変だ。翻訳されているのだけでも30作余り。しかも古い訳が多くて読みにくい!!
さりとて、英語だと古語で益々不明だし、読破には前途多難です。それにしても演出家というのはすごいですね。脚本だけでは見えない部分をきちんとした形で観衆の前に提示するのですから。とりあえず、長~い目でがんばります

ぺんぺん草も生えないほどの

2007-04-23 00:03:53 | Weblog
ここのところ、記事内容の揺れ幅が激しくてすみません。意気込みだけはあるけど空回り気味の日々でございます。
今日はラルクのホールツアー・チケット一般発売でした。
頑張りましたよ~。携帯と電話で!!
ただ今回公衆電話に行かなかったのです。というか、寝坊して公衆電話まで行けませんでした。

そしたら・・
案の定
「ピンポンパンポーン  コチラハNT@です。…」ガチャッ

「お客様がおかけに・・・」ガチャッ

「なった番号は・・・」ガチャブッ

「現在大変込み合っ・・・」ゴチャッ

「て、かかりにくく・・・」ガチャ

「しばらくたってからお・・・」グチャッ

「・・・かけなおしくださ・・・」ガチャンッ

おそらく複数存在する電話会社の自動応答中、最も忌み嫌われている上記の文を何度聞いたことでしょう?

結局午前中一杯粘ろうとしましたが、思いのほか短期間で決着は着きました。

よくアニメなどで、大量に人が駆け去った後、哀れな敗者がぺちゃんこに潰されて、道路に寝ている描写がありますよね?
今の心境がそれです。
大量の通話に踏み潰されて、何も残らなかったと言う感じで・・・ま、分かってるんだけどね、現実なんてこんなものよっ!ぐすん

しかもトドメにイーチケット・プレオーダーで抽選申し込みした「お気に召すまま」も落選通知が来ました。ぐすぐす

しかし塞翁が馬、ラルクの方、早くも追加公演が告知されました
よっしゃあ!!!

場所は富士急ハイランド!!



・・・え?ドームとか代々木体育館とか武道館ではないの?

どこだよ~!?富士急ハイランド!!(再度号泣)





命の重さ

2007-04-21 12:05:24 | Weblog
一つ大きな事件が起こると、誘発されたように次々と似たような事件がおきると昔は思っていました。

でも最近、考えが変わってきました。実のところ、世界では恒常的に複数の似たような類の事件は起こっているけれど、メディアが報じて我々が受容するのは一部でしかないのではないかと。

何を今更、当たり前のことを思われそうですが、納得いかないのですよ、先週のバージニアの銃乱射事件とその後に起こった諸々の事件へのメディア、特にテレビの反応が。

バージニアの事件と同じ日にイラクでは150人がテロ行為で死にました。でもバージニアの犠牲者は華々しい扱いを受け、バグダッドの犠牲者は数字で終わります。事件と戦争の違いだから、と指摘されそうですが、不条理感は強いです。
同時期にダルフールや南米のどこかでも不条理に死んでいく人たちがいる。
だけどそれは報じられないので、自分達が調べない限り、我々が知ることはありません。その代わり、特定の事件に対して過剰に感傷的な情報ばかりが氾濫してうやむやにされて終わりというのが多すぎるような気がします。

書いていて収集がつかなくなってきてしまいましたが・・・
とりあえずやっぱり世の中変だよーーー!!と言いたかったのです。失礼しました


ドッグシッター修了

2007-04-19 23:54:52 | Weblog
母親と妹が旅行を終え、ようやく帰国し、晴れてドッグシッターの御役御免となりました。犬も大好きな母が帰ってきたので、狂ったように飛び回り喜んでいます。
これで朝、一時間余計に眠ることが出来るー!!
さりとて急に散歩のお役目から開放されてしまうと寂しいものです。

とりあえずお土産に「ドクター・フー」マガジンとロイヤル・オペラハウスのフライヤーを買ってきてもらいました。(フライヤーは無料配布ですけど)これでウチの家族がどこに行ったかバレバレですね

今年の夏にミラノ・スカラ座バレエがロンドン公演を行う事もこのフライヤーで知りました。演目はヌレエフ版「眠れる森の美女」です。6月の来日公演の「ドン・キホーテ」といい、スカラ座はヌレエフ版が多いですね。
ロイヤルのフライヤーはプリンシパルのリアン・ベンジャミンが表紙。彼女は吉田都さんと同世代なので確か40歳前後ですが、綺麗な体つきにほれぼれします。

そういえば、先ほど知りましたが、4月18日はドクター役のデヴィッド・テナントのお誕生日だったそうで・・・祝!36歳!!ついでにソフィア・コッポラとアダム・クーパーも同い年だということを、Wikiを見ていて知りました。私自身、70年代生まれなもので、同年代とは行かずとも、すぐ上の方々がこうして第一線でバリバリ活躍しているのを見ると、形容しがたい感慨を覚えてしまうのです。


マルジャン・サトラピ「ペルセポリス」映画化

2007-04-16 20:26:55 | Weblog
イラン生まれのイラストレーター兼コミック作家(パン・デ・シネと言うらしいがよく知らん)、マルジャン・サトラピの代表作「ペルセポリス」が長編アニメーション映画になりました。
ネットの海をちゅっちゅくちゅ~と検索していたら、サトラピご本人のブログと配給元のソニー・ピクチャーズによる映画公式ブログを見つけました

しかし、映画公式ブログはフランス語で読めません

「ペルセポリス」は翻訳が出ていますが、できるだけ多くの人に読んでほしい本です。
イランの進歩的で裕福な家庭に育った作者が革命、戦争と向き合う幼少期、疎開のようにヨーロッパでの単身生活を余儀なくされた思春期、帰国してイスラム政権との葛藤に悩み、フランスに移住するまでをモノクロのはっきりした絵柄で描いた作品です。サトラピの家庭というのはイランの前々王朝の流れを汲む家系で、平たく言えば上流階級であり、彼女のあり方がイランの人全てに当てはまるわけではありません。それでも、物事への不条理や世の中、自分自身すらへも向ける辛辣な視点、何よりも故国(この場合は現在の政権ではなく、全ての歴史を内包した・・・上手い表現が見つからないのだけれど、山並みとか人の感じなど枠組みでは捉えられないもの)と家族を愛する気持ちが、この本には溢れていて、それが私をとても惹きつけるのです。

ぐだぐだと書いてしまいましたが、映画の方は声優にキアラ・マストロヤンニ(マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーブの娘)、カトリーヌ・ドヌーブ、ダニエル・ダリューなど錚々たる面々が上がっています。

フランスのアニメというと、「ベルヴィル・ランデブー」(サントラがとても名盤)のような、ややグロテスクながら愛おしい作品が多そうなイメージですが、公式サイトを見ると、作者サトラピ自身が作画に加わっているのもあり、原作に忠実なタッチで作られているみたいで興味深いです。日本でも公開されることを願います。

   

映画公式サイトはこちら。 

観劇記・「恋の骨折り損」③

2007-04-15 22:03:32 | ミュージカル・演劇
第二幕
SweetBoxの“Everything is gonna be all right”を髣髴とさせるリズムが入った「G線上のアリア」と共におじさん組(ナサニエル、ホロファニーズ、ダル)が登場。まもなくアーマードとそのお小姓、コスタードも登場し、王様のご命令で王女達をもてなす準備を始める。


一方、フランス側。王女達4人は各々の相手からもらったプレゼントと手紙を見せ合って、しゃべりたてている。女ってこうだよなあ~と微笑ましくなる。ちょっと倒錯してますがね、良い図なんですよ~。男の子のシーンでもそうだが、当意即妙、丁々発止のやり取りが本当に面白い。
でも誓いのせいで宮廷に入れなかったくせに早速破って愛の告白するなんて!とちょっと頭にきた女性陣はたくらみ顔になる。折りよく男性陣が何故かロシア人に変装して偵察にやってくる。そこで女性達は各々の目印、相手から送られてきた装身具を取り替えて仮面を着けて彼らの誠意を試すことにする。

ここで爆笑、王女はロザラインと、マライアはキャサリンとアクセサリーを取り替えるのだが、王女役の姜さん(身長181cm)とロザラインの内田さん(目測身長170cm)は頭一つ分くらいの身長差がある。

そこでロザラインは何と、厚底下駄をこれみよがしに履いてみせるのだ。おまけに王女はロザラインのけたたましい笑い方をしつこく真似てみせるお茶目ぶり。素敵過ぎる・・・。またロシア人というのが、勘違いエキゾチックロシアという感じで黒マントに黒帽子、変なヒゲに長髪でサングラスを掛け、思い切り巻き舌口調。どこのロシア人だよ、ホントに・・・。こんなろくでもない提案をする彼らは案の定、それぞれの相手を間違え、そのまま口説いてしまう。結局、笑われてしまう男性達なのだった

まあ、気を取り直して、4組のカップルは改めてアーマード達の余興を楽しむ。これが正直微妙だった。おそらくシェークスピアの時代なら分かるものだったのだろうが、冗長過ぎる。つまらないディヴェルティスマンみたいで、個々の演出は面白いのだが、これは元が悪いのだから大変だ。


閑話休題
華やいだ空気は、国王崩御を伝えるフランスからの使いで状況は一変する。悲嘆にくれる王女は帰国を決める。ここでの王女の嘆きというのは、単に父を亡くした悲しみだけでなく、これで彼女の王女として許された我侭、自由が終わってしまったという哀しさに満ちていた。侍女達も泣きじゃくる者、それを慰める者、それぞれが深い悲しみ、色々な意味での終わりを悟った悲しみが見える。王は改めて彼女に求婚するが、王女はその真意を確かにするために、自分が一年の喪に服する間、学問に隠棲し、もしそれでも気持ちが変わらなければ申し出を受けようと語る。侍女達も同様の条件を相手に出す。ビローンに対してロザラインはその冗舌を苦しむ病人が笑みを浮かべる事ができるように助力しろと告げる。

ここでちょっと感動したのが、途方にくれてししゃがみ込んだロンカヴィルを抱き起こすマライアの仕草。台詞のみだと思い切り素っ気ないのだが、その手つき、身の動き、そして口調はとても柔らかく、慈愛に満ちていて、彼女は彼を大事に思うからこそ、きちんとしてほしいのだろうなと思わせる暖かさに満ちていた。こうして王達は改めて精進を誓う。先ほどの余興の中断を余儀なくされたアーマードが自身も惚れたジャケネッタのために3年間、鍬を振るうことを誓い、余興の終幕を飾るはずだった詩、春と冬の詩を唱和して、幕が降りる。

プログラム中、蜷川幸雄は今回の演出を「青春の終わり」と語っていた。青臭い理想を語り、恋に燃えていた時代はやがて終わり、少しずつ現実の冷たさをわきまえて生きる冬が来る。でもその前にあるのは大人としての成熟する秋がある。青春が終わることは悲痛な事ではない。だけどほろりとした痛みがある、余韻の残る芝居でした。

惜しむらくは元の脚本のせいだが、アーマードのエピソードに納得がいかないのだ。個人的意見を言わせてもらえば、ジャケネッタはコスタードの方がお似合いだし、劇中でジャケネッタが孕んだからアーマードは農夫になると語るのだが、どう考えてもそれはアンタの子じゃあないだろう、実際にいちゃついていたコスタードの子だろ~?そう思うのは私だけだろうか?少なくともお間抜けな貴族達と実質的な庶民との対比だったらアーマードを王との対比に置くのはちょっと違う気がする。私の読み違いかもしれないけれど。この作品が書かれた時代とも関係があるのかもしれない。18世紀とかだったら、「フィガロの結婚」のように庶民が殿様の鼻を堂々と明かすものね。

とはいえ、3時間の長丁場をここまで夢中にさせ、楽しませてくれたのもまた事実。非常に面白い演出に二重丸でした

ところで、今年はこの「男達のシェイクスピア」シリーズの記念すべき第一作「お気に召すまま」を東京で再演するそうで、観にいきたい。小栗旬と成宮寛貴主演なのでチケット争奪は大変そうだが、月川悠貴がシーリア役で出るので見たい

因みに月川くん、今回の公演でこんなこと言ってます。(公式ブログより)
          ↓
    「美しすぎてごめんなさい


くう~こんな台詞一度で良いから言ってみたい!!



ところで余談ですが、その数日後、某動画サイトで、英国で放映中の「ドクター・フー」最新シリーズでも、何とこの「恋の骨折り損」ネタが出ていました。
エピソードのタイトルも「Shakespeare Code」(元ネタは勿論、Da Vinci Code)。ドクター達が16世紀ロンドン、それも「恋の骨折り損」初演の晩に赴くのですが、シェイクスピア(男盛りのかっこよい兄ちゃん調。まだ当時30才だからね。)がなぞの力に操られて、幻の続編、その名も「恋の骨折り得(Love's Labour's Won)」を書かされるという奮った筋書きです
やっぱりイギリスって相当ヘン

観劇記・「恋の骨折り損」②

2007-04-15 20:45:50 | ミュージカル・演劇
(王女様登場シーンから続きます。)
男性陣を待つ間、侍女たちはナヴァール王とその側近について、あれやこれやと噂話を交互に王女に吹聴する。この時点でロザラインはビローンに、マライアはロンカヴィルに、キャサリンはデュメインに面識があり、しかも彼らに並々ならぬ関心を持っているのが見え見え。皆恋しているのね~と王女さまもからかっている。ナヴァールにやってきた目的は、フランス王の借財とうやむやになっているアキテーヌ公領(実在します。)についてという割とシビアなものなのだが、本気でこの機会にどうにかしようという空気はさほど強くない。むしろ、憧れの殿方にもう一度会いにきた、というミーハーな女学生っぽおいノリが強い。

そうして王様ご一行が到着するのだが、顔を見合わせた瞬間、男どもはあっさりと恋に落ちる、ぽちゃんと。さすが、ラテン系!
特に舞台中央で間近に王女と見詰め合ってしまった王様はおもわずふらりと吸い寄せられて唇を突き出し、キスしそうになっている。をいをい、誓いを作ったのは貴方ですよ~。
でも何とか寸止め(ちっ)王女もうっとりと王様を見つめているのだが、反面、見透かしていると言うか、外で待ちぼうけを食わされて微妙な心境っぽい。
それにしても北村氏も姜さんも背丈が180cm以上あるものだから、二人並ぶと凄い迫力。超でかいカップル。

そしてさや当てのような会話が続く。王VS王女の政治的駆け引きに続いてはビローンVSロザラインの口達者同士の駆け引き。この二人はかなーり小柄でよく動き回るので見ていて楽しい。しかし繰り返すが、内田ロザラインはコギャルとおばちゃん両方入っていて凄かった。「きゃーはっはっは!!」とけたたましい笑い声がツボ
ここで印象的だったのが須賀ロンカヴィル。月川マライアがしずしずと上手袖でお花を摘んでいるのを見つめたかと思うと、
     彼女に近づこうとしてつんのめり、舞台中央で転倒
              ↓
  いきなりさわやかな笑みを浮かべて、これみよがしに腕立て伏せ
              ↓
            とんぼ返りと、お間抜け全快な力技をかましてくれた。マライアはロンカヴィルを「勇ましい騎士」と評していたが、裏を返せば体育バカじゃないかと思えたぞ。しかし本当に月川さんはキレイ・・・。花を摘む仕種、腰を下ろす動作が、たおやかで淑やかで女性より女性というか、その美女姿は何度見ても飽きない

あとデュメインもキャサリンにうっとりしているが、揃いも揃ってフランス側御付きのボイエット卿に彼女達の名前を聞くってどうなのよ?ここで感じたのは男女の「温度差」だ。女性陣は皆、以前彼らに出会った際に抜け目なくそれぞれの相手について調べ、覚えていた、つまりその時点で並々ならぬ好意を持っていたが、彼らはおそらく、最初に会ったとき、その場で挨拶くらいはしていても、忘れていた。きっと別件で頭が一杯だったのだろうが、女性陣は「以前会った事は忘れているみたいだし、お城には入れてくれないし、何よ~」とか思ったのかもしれない。

かくしてあっさり誓いを破った男どもは策を講じて意中の相手に想いを伝えようとする。まずはビローン。ラブレターを先ほど逮捕したコスタードに命じてロザラインに届けさせようとするが、折悪しく、コスタードはアーマードにもお使いを頼まれていたので、ロザライン宛の手紙はジャケネッタとその場に居合わせた神父ナサニエルと教師ホロファニーズの知るところとなり、ジャケネッタ宛の手紙は王女様の狩のお供をしていたロザラインへと渡り、フランス組のお笑いネタになる
ところで、この手紙朗読でもラップ形式になっていて、ちょっと無理があるかな?とも思ったが、変に重々しく読むのも間違っているし、この作品が現代劇として上演されていた16世紀には観客はこの美辞麗句の変なライム(韻)を笑って聞いていたのかもしれない。そういう意味では興味深かった。


そしてラブレター第一弾を送った後、ビローンは一人うっとりと第二弾の手紙を作成する。それにしても恋は盲目というか、饒舌家が恋をするとしゃべる量も二倍、先ほどのニヒルな態度から一転して恍惚と彼女を褒め称えている。でもロザラインを「色白の美しい方」と語るのは、恋は盲目にも程があるというのを認識させられる台詞だ。だってロザラインってば超色黒なのだもの、まるで懐かしのコギャルのような感じの。

そこへ王様も登場。慌てて隠れたビローンが柳の向こうから耳をそばだてているとも知らず、王女への恋心を転がって訴えます。するとまた人影が、慌ててビローンの反対側に隠れる王様、そして現れたのはロンカヴィル。「あぁ~」とか嘆息しながら両手を振り回し、後ろにいたビローンに強烈な張り手をかましながら(ぶぶっ)マライア宛のラブレターを執筆中。体育会系なものだから、相変わらず転がりまわります。まもなくデュメインが現れ、やっぱり先客は隠れて、またもやデュメインのため息交じりのキャサリンへの美辞麗句が・・・。それだけでも腹が痛いのに、ロンカヴィル→王様→ビローンと順番に出てきて、掟を破った相手を詰るなじる。男の子ってやつはよお~。でも結局、ビローンが最初に書いたラブレターもナサニエル+ホロファニーズのおじさん組の善意によって白日の下に晒され、あぁ恥ずかしい。全員同じ穴の狢だ。仕様がないので、超自己正当化した4人組はこの恋を成就させるべく涙ぐましい作戦を練り始める。


ここで前半終了、30分の休憩が入る。プログラムを確認。このプログラム、ほぼ正方形の形で収蔵しにくそうだが、1,2ページが見開きになっていて主演8人のアップ写真がどーんと(写真参照)。実に目の保養です。製作陣はよく分かっていらっしゃる




とりあえず、続きます。次回で完結します



ドッグシッターの一週間

2007-04-15 00:21:01 | Weblog
ここ8日間というもの、朝、夕、晩と一日三回、各30分の散歩をしています。
といっても、健康法ではなく、お世話のためです。犬の。
元々両親が飼っているのですが、留学中の兄弟の下に高飛(=単なる旅行)しているので、うちで預かることになったのです。以前もちょくちょく短期で預かっていたのですが、大抵は同居している兄弟が面倒を見てくれていたので、終始、私が面倒を見るのは初めてなのです。
実家ならねえ、母お手製の犬用ドアがあるので放っておいても庭で遊ばせることが出来るのですが、悲しいかな、こちらは集合住宅で、人間が散歩に連れ出さない限り、犬は外の空気に触れることが出来ません。
更には、うちのコは外に行かないと排泄しません。そう躾けてしまったのです。

かくして、ここ一週間、出勤時間ギリギリまで散歩させ、即効で6時に帰宅して夕方にも外へ出し、夜、寝る前の11時代に最後のトイレという、犬の膀胱に振り回される日々でした。
とはいえ、本来は好きなときに排泄、遊んでいた子に対して、勝手な制約を授けてしまったのは飼い主である我々なわけで、散歩のたびに一生懸命おしっこを出している犬を見ていると、身勝手でごめんよと謝りたくなります。
まあ、謝っても、ヤツの事だから意味分からずにご飯をせがむのでしょうが・・・。とりあえず今日は罪滅ぼしも兼ねて、足を伸ばして大きな公園まで行きました。そしたら喜んで走り回ってくれたのは良いんですけどね。やたらと桜の下を歩くのでヘタやガク、泥まみれの花びらが付いてしまい、洗うのに一苦労。もう二度と泥つけて歩くな!!とやはり身勝手に思ってしまった土曜の午後でした。明日もがんばります。ふう。